チャプター46 ― 二つの戦線で。
ルドヴァーンの蹄が石の床を叩くたび、地下に雷鳴のような衝撃が走る。
一撃一撃が、王宮地下全体に反響していた。
俺は再び、彼のねじれた巨大な刃を受け止める。
衝突の瞬間、衝撃波が生まれ、足元の床が蜘蛛の巣のようにひび割れた。
腕が震える。
それでも、俺は大太刀を手放さなかった。
「四分経過だぞ? それで、何の進展もなしとはな」
ルドヴァーンが舌打ちするように笑う。
エーテルのような声が、濃密なマナに満ちた空間を震わせた。
「哀れだなぁ……実に。」
俺は鋭く睨み返す。
「黙れ、このイカれ野郎。」
再び刃が激突し、青白い火花が四方に散る。
奴の膂力は常軌を逸している。だが――隙はある。
奴は重い。俺は、速い。
その合間に、背後からアンジェリーナとヴァルダの息遣いが聞こえた。
忌まわしい罠に阻まれ、前に進めずにいる。
「二人とも、聞け!」
金属音の合間を縫って、俺は叫ぶ。
「早く突破口を見つけないとマズい! 時間がない!」
甲高い音、飛び交う投射体、うねる魔力。
アンジェリーナが息を切らしながら応じる。
「でも、どうやって!? 一歩踏み出すたびに矢が飛んでくる!」
(くそ……)
俺は内心で唸りながら、攻撃をいなしつつ視線を走らせる。
(何かあるはずだ……必ず、どこかに。)
天井に吊るされたカプセルが目に入る。
(落とすか……いや、ダメだ。中の人間が死ぬ。)
他を探る。
(床は硬すぎる。壁……刻まれたルーンが不安定なマナを放ってる。掘る? 無理だ。時間が足りない。)
焦りが胸を締め付ける。
(壁……罠……マナ……)
その瞬間、背筋に冷たい感覚が走った。
(マナ……? そうだ……!)
俺は新たな一撃を弾き、体をひねって距離を取ると、掌で床を叩き跳躍する。
「二人とも!」
俺は咆哮した。
「分かった! 俺が導く!」
ヴァルダが、エネルギーの奔流の合間で立ち止まる。
「導くって……どういう意味よ!?」
「周囲のマナの流れを感知する! マナが“ない”場所――そこが罠の反応しない安全地帯だ!」
ヴァルダが叫び返す。
「だったら、そのマナを消せばいいんじゃないの!?」
俺はルドヴァーンの縦薙ぎを受け止める。
床が真っ二つに割れ、土煙が舞い上がった。
「……今ちょっと、両手と集中力が塞がってる!」
アンジェリーナが、迷いなく怒鳴る。
「準備はできてるわ、天使くん!」
その声。
その響き。
混沌の中でも、思わず口元が緩みそうになる。
離れた場所で、ヴァルダがぼそりと呟いた。
「……今、天使くんって呼んだ?」
返事をする暇はない。
俺のマナが燃え上がり、銀色の光輪となって全域へと広がる。
見えるはずのない流れが、脳裏に網の目のように浮かび上がっていく。
「――よし、行くぞ!」
ルドヴァーンが、狂気じみた笑みを浮かべる。
「見せてみろ、小さな英雄……お前の希望が、どこまで届くのかをな。」
俺は大太刀を強く握り直す。
(上等だ。)
一瞬だけ目を閉じ、マナを額の中心へと集束させる。
そして、目を開いた。
世界が変わる。
青、赤、金――無数のエネルギーの脈動。
壁、床、空気、そのすべてを走るマナの血管。
罠、ルーン、装置――それぞれが固有の“呼吸”を持っている。
光の混沌。
だが、その中に――影があった。
静かな領域。
マナの存在しない、空白。
(……あそこだ。)
俺は深く息を吸う。
「見えた……全部、見えてる。」
ルドヴァーンが低く笑う。
「ほう……そこまで覚醒していたか。」
無視する。
集中を切らすわけにはいかない。
流れを追い、線を辿り、最初の安全な経路を見つける。
「左だ!」
俺は叫ぶ。
「最初のカプセルの横! 次はその先に跳べ! 着地は右側だ、跳びすぎるな、矢が反応する!」
アンジェリーナは何も言わない。
(……いや、分かってる。最初から。)
彼女のオーラが引き締まり、息を整え、走り出す。
刃の上を舞う踊り子のように。
正確で、静かで、無駄がない。
跳躍。
カプセルがわずかに揺れる。
着地。
――何も起きない。
矢も、光線も、罠も。
ヴァルダが目を見開く。
「ちょ……今の、どうやったの!?」
アンジェリーナは一瞬だけ振り返り、穏やかに微笑む。
「彼の言う通りにしただけよ。」
俺は思わず笑った。
「次はお前だ、ヴァルダちゃん! 同じ足取りで行け!」
ヴァルダは唇を噛み、汗を滲ませる。
「……や、やってみる!」
彼女は跳ぶ。
ぎこちないが、指示を守る。
「低く! 右だ! ――今、跳べ!」
マナの奔流が頭上を掠める。
だが、着地は成功。
罠は反応しなかった。
胸の奥から、重いものが抜け落ちる感覚。
(……やった。)
ルドヴァーンが、ゆっくりと刃を下げる。
歪んだ笑みが、その顔に広がった。
「クク……見事だ。俺のマナ回路を読み切るとはな。」
俺は冷たく睨み返し、大太刀を構える。
彼は首を傾げ、楽しげに告げた。
「残り――三分三十秒。」
血の気が引く。
それでも、心臓は強く脈打っていた。
(まだだ……まだ、救える。)
俺は刃を握り締め、低く呟く。
「時間が残っている限り……俺は、諦めない。」
...
夕刻の熱を帯びた風が、王宮を取り囲む無人の街路へと吹き込んでいた。
数多く配置された衛兵たちは、すでに息を荒げ、緊張に身を強張らせている。
地平線の向こうから、最初の異形の影が姿を現したからだ。
強靭な脚を持つ狼蜘蛛が屋根から屋根へと跳躍し、
三つの首を持つドラゴンが空を旋回する。
吐き出される炎と黒きマナの奔流が、集中した熱と力によって瓦を歪ませていた。
隊列の最前線に立つのは、将軍リヴェン。
夕陽を受けて輝く刃を持つハルバードを構え、その戦傷に刻まれた顔は強張っている。
鋭い眼差しが、あらゆる攻撃経路を逃さず捉えていた。
彼に従うのは、十数名の精鋭。
男女混成の部隊は、マナ強化武装で身を固めていたが、
その表情には隠しきれぬ緊張が浮かんでいる。
「四方から来ます!」
兵士の一人が叫び、
人の顔を持つ猛禽の群れを指差した。
それらは一直線に、王宮の城壁へと突進してくる。
リヴェンは即座に指示を飛ばす。
「側面を固めろ!
マナ罠を使え、だが通路は一つたりとも空けるな!」
威厳ある声が響く。
だが、刻一刻と、防衛線は揺らぎ始めていた。
城壁の内側では、マナ弩が光の矢を放ち、
空を切り裂いて幾体かの魔物を撃ち落とす。
しかし、それでも敵は予測不能な位置から湧き出してくる。
咆哮が轟いた。
赤い瞳を持つ巨大な黒獅子が、正門へと跳躍する。
リヴェンは武器を振り上げ、渾身の一撃で迎え撃った。
だが、その衝撃に、彼の身体は大きく揺さぶられる。
攻撃は止まらない。
街路、屋根、そして地面――
あらゆる場所から魔物が現れ、部隊は次第に押し戻されていく。
砕ける木材の音、舞い上がる土埃。
兵士の叫びと、獣じみた咆哮が空気を満たした。
「持ちこたえろ!」
リヴェンは再び叫ぶ。
「王宮を、絶対に落とすな!」
その声は揺るぎない。
だが、彼自身は理解していた。
象徴たるこの宮殿が完全に包囲され、
増援がなければ――
数分と持たず、状況は致命的になる。
その時だった。
黒きドラゴンの影が中庭を覆い、
炎の息吹が石畳を震わせた。
恐怖と疲労に、部隊はよろめく。
彼らは悟っていた。
これが、どれほど絶望的な戦いかを。
リヴェンは歯を食いしばり、地平を睨む。
「耐えろ……
奴らは、まだ知らない。」
だが内心では、理解していた。
救いが来なければ、王宮も、その民も――今まさに危機に瀕している。
その瞬間。
冷たい風が、中庭を横切った。
倒された魔物の灰と塵を一掃する、凍てつく気配。
兵士たちが理解するより早く――
一瞬で、すべてが終わった。
鋼が交錯する音。
だが、それは速すぎて、誰の目にも映らない。
咆哮は止み、
ドラゴンは墜ち、
狼蜘蛛は崩れ、
猛禽は一声も上げずに地へと落ちた。
戦場は、唐突に――
静寂に包まれた。
その沈黙の中心に、三つの女性の背があった。
王宮へ続く広い石畳の道。
そこに立つだけで、空気を震わせる存在。
しなやかで、強く、
そして、どこか神秘的な優雅さを湛えた三つの影。
七人の中で、最後に残った――
三人のエルフ。
中央に立つのは、ルナ。
濃紫のボディスーツは柔軟で流麗、
豊かで大きく曲線的な肢体に完璧に沿い、
動くたびに制御された美を描き出す。
黒い線状紋様が衣装を走り、黄昏の光を吸収する。
肩に落とされたフードの下、
鎖骨に寄り添う三日月形の首飾りが、淡い銀光を放っていた。
夜色の長い髪は、脹脛に届くほどに伸び、
魔力を帯びたかのように、静かに揺れる。
衣装の裾には、夜空を模した銀刺繍――
まるで星座そのもの。
彼女のヒールブーツが石を打ち、
確かな自信を刻む音を立てた。
右には、クララ。
一見控えめだが、その気配は同等に圧倒的だった。
黒のタイトスーツは静音性の高い素材で、
長袖と手袋、そして首元に落ちたフード。
非常に長い黒髪が風に揺れ、
短い前髪が、冷静な眼差しを際立たせる。
手袋越しに光る赤い指輪。
内なる炎、あるいは太古の権威の象徴。
袖と脚部には、抑制された赤のライン――
封じ込められたエネルギーの脈動。
左に立つのは、ミア。
最も穏やかで、柔らかな印象を持つ存在。
黒の柔軟なスーツは、
主張せず、それでいて自然な優美さで体の曲線を引き立てる。
斥候を思わせる簡素なフードと長袖。
歩くたび、ブーツが静かに音を刻む。
腰元には、銀の小さな花紋。
純潔と生命を象徴する意匠。
淡い金髪は肩に届く長さで、
柔らかく、自然に顔を縁取る。
襟元と袖口には繊細な花刺繍。
そして、よく見なければ分からないほど微細な、夜色の線。
兵士たちは震えながら、一歩後ずさる。
武器は、自然と地へと下がっていた。
リヴェンは膝をつき、
荒い息を整えてから、ゆっくりと立ち上がる。
血の付いた刃を地に突き立て、
かすれたが威厳ある声で問いかけた。
「……お前たちは、何者だ」
三人は答えない。
ルナがわずかに顔を向け、
紫の瞳――冷たく、奥底の見えない視線を覗かせる。
クララは腰に手を当て、
黒髪が風に舞う。
ミアは目を閉じ、
まるで倒れた者たちに祈りを捧げるかのようだった。
リヴェンは一歩踏み出す。
「……王宮を救ったのは感謝する。
だが、どの陣営の者だ?」
ルナの唇に、かすかな微笑が浮かぶ。
首を傾け、
柔らかく、それでいて測り知れない声で答えた。
「紫の瞳を持つ――
あの天使の側よ……。」
次の瞬間。
紫のエネルギーの奔流が中庭を貫いた。
三人の姿が揺らぎ、
やがて、空気に溶けるように消えていく。
兵士たちは、言葉を失った。
リヴェンはその場に残された虚空を見つめ、
低く呟く。
「……紫の瞳の、天使……?」
答えはない。
あるのは、
風が運ぶ静寂だけだった。




