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『天使と紫の炎』  作者: Bro_Be_Like_83
第3部 — 賑わう王都の中の天使。
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チャプター38 ― しまった…姫さま!

学院の正門をくぐった瞬間、こめかみに鋭い圧迫感が走った。

まるで見えない重りが頭蓋を内側から押し潰してくるかのようで、ざわめく会話と人の流れの中、その“存在”は真っ直ぐに俺を射抜いてきた。


――ヴァルダ姫。


堂々たる立ち姿。

左右寸分違わぬ白銀の髪。

青に紫を宿した瞳。


その放つ威圧的な気配は、比喩ではなく、本当に頭痛を引き起こすほどだった。


(……くそ……これは……無理だ……)


歯の間から小さく吐き捨てるように呟き、急激に膨れ上がる痛みに耐える。

周囲に視線を走らせると、ヴァイオレット、ブランシュ、エスター、エリー――

皆それぞれ会話に夢中で、こちらを見ていない。


……今だ。


―「……俺、ちょっと行ってくる。すぐ戻るから」


返事を待たず、小声でそう告げると、俺は集団から離れ、人混みの隙間を縫うように歩き出した。

挨拶も、好奇と称賛の混じった視線も、すべて無視する。

中央通路に響く自分の足音が、やけに重く感じられ、呼吸一つするたびに頭の奥が脈打った。


その背後で、ヴァルダはヴァイオレットに歩み寄り、柔らかな笑みを浮かべていた。


―「ヴァイオレット、久しぶりね。……ところで、エルフのエンジェルは見なかったかしら?」


ヴァイオレットは肩をすくめ、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべる。


―「ふふっ……もしかしてお姉ちゃん、目ついてないの? エンジェルなら――」


そう言いかけて、ふと気づく。


―「……あれ? ……いない?」


ヴァルダはわずかに眉をひそめ、心配そうに、しかし冷静に頷いた。


―「そう……。なら、探しましょう。必ず見つかるわ」


同時に、エリー、ブランシュ、エスターも俺の不在に気づき、振り返った。


―「エンジェル!」

―「エンジェルくん、どこ行ったのよ!」とヴァイオレット。

―「……消えた、というわけではなさそうね……」ブランシュの鋭い視線が人波を切り裂く。

―「なんでこういう時にいなくなるんだよ……」とエスターが苛立たしげに舌打ちした。


彼女たちは自然と散開し、学院の中庭、回廊、果ては屋上にまで目を向け始める。


―「エンジェル! どこ!?」

―「ここで突っ立ってる場合じゃないわ!」

―「慎重に、でも迅速に……具合が悪い可能性もある」

―「ったく……意味わかんねぇ……!」


その頃、俺は歴史上の女戦士の像の近く、植え込みの影に身を潜め、両手で頭を押さえていた。

深く呼吸し、脈打つ痛みを必死に抑え込む。


(エンジェル……落ち着け。これはただの偏頭痛だ。呪いでも何でもない。深呼吸しろ。後で合流すればいいだけだ)


だが外では騒ぎが増していく。

ヴァイオレットの声が何度も響き、エリーは険しい表情で辺りを見回し、ブランシュは一切の死角を見逃さない。

エスターでさえ、苛立ちを装いながら、どこか落ち着かない様子だった。


(……理解するまで時間かかりそうだな。俺がただ、頭割れそうで離れただけだって)


そう思いながら、人の流れに紛れるようにさらに奥へ進む。


やがて回廊の壁に背を預け、その場に座り込んだ。

冷たい石の感触が背中に伝わる。

頭痛はまるで太鼓の連打のように脳を叩き、息をするだけで圧が増す。


(……最悪のタイミングだろ……なんで今なんだよ)


歯を食いしばる。


(これはただの……頭痛だ。

牢獄だとか、閉じ込められた少女たちだとか、ヴァルダ姫だとか……関係ない)


――だが、否定しようとするほど、記憶と言葉が頭の中で衝突する。

ヴァイオレットの語った話。

ブランシュの確信に満ちた眼差し。

そして、ヴァルダの圧倒的な存在感。


すべてが、一つの結論を指し示そうとしていた。


(違う……違う違う。

俺は紫の目をした英雄のエルフなんかじゃない。最初から、そんな存在じゃない)


何度も繰り返す。

だがそのたび、頭痛は強くなり、まるで身体と精神が真逆の答えを突きつけてくるかのようだった。


(大げさなんだよ、みんな。

ヴァイオレットも、ブランシュも……そしてヴァルダ姫も。

俺が皆を救った? 六歳で? ……はっ)


こめかみを押さえる。


(馬鹿馬鹿しい。完全にあり得ない。

俺は関係ない。なりたくもない。

……なのに、なんでこんなに否定しづらいんだよ)


長く、乱れた息を吐いた。


(……考えるな。牢獄も、少女たちも、ヴァルダ姫の執着も。

全部忘れろ。意味不明だ。くだらない。これ以上考える価値もない)


それでも脳裏をよぎる、紫の瞳。

救われた少女たち。

“勇敢な小さなエルフ”。


俺は強く首を振り、目を閉じる。


(違う。全部、俺とは無関係だ。

俺は……ただのエンジェルだ。それでいい)


回廊は静まり返っていた。

壁にもたれ、目を閉じたまま、残滓のように疼く頭痛を感じる。


――だが、その静寂の中で、一筋の理屈が組み上がっていく。


(待て……冷静に考えろ、エンジェル)


ほとんど独り言のように、心の中で呟く。


(牢獄は聖地の近く……つまりソラリア王国か、獣人国家。

八年前……俺は六歳)


指先で壁をなぞりながら、計算する。


(六歳の頃、俺はヴォルタ近郊でエリーに出会った。

そこから目的地まで、徒歩なら最低でも一年半……宿や野営を考えれば二年はかかる)


(それに、六歳の俺に転移魔法?

移動魔法?

……一つも使えなかった)


深く息を吸う。


(仮に、仮にだ……誰かが転移させたとして。

六歳の子供に、あんな計画を壊させるほど親切な奴がいるか?

……いるわけない)


小さく、乾いた笑いが漏れた。


(はい、論破。

六歳の俺が救世主? 完全に却下だ)


その瞬間、理屈を受け入れたかのように、頭痛がゆっくりと引いていく。

俺は体を起こし、深く息をついた。


(……そうだ。

英雄の紫眼エルフなんていない。

いるのは、俺――エンジェルだけ)


ようやく、胸の奥に静かな安堵が広がる。

朝から続いていた重圧が、嘘のように消えていった。


俺は小さく微笑み、決意する。

この話は忘れる。

今を見る。

それでいい。


――そう、信じられるだけの静けさが、ようやく俺の中に戻ってきていた。


...


俺はまだ少し重たいまぶたのまま、1―A教室の扉を押し開けた。

朝の光が差し込む、いつもの右側の窓際――そこが俺の席だ。

窓枠にやわらかく当たる朝日を横目に、足元へ鞄を落とし、誰にも聞こえないように小さく息を吐く。


その直後、エスターが教室に入ってきた。

わずかに眉をひそめ、まっすぐ俺のほうを見る。


―「エンジェル……今朝、どこ行ってたの?」


少し困ったような声だった。

俺は気だるげに顔をこすり、椅子にもたれたまま答える。


―「トイレ。顔洗ってただけだ」


エスターは一度だけ頷き、どうやら納得した様子を見せた。

だが、すぐに気まずそうな笑みを浮かべて付け足す。


―「そ、そっか……でもさ。先に言っとくけど……今日は、ちょっと……印象に残る来客があるから」


俺は片眉を上げた。

その瞬間、こめかみが嫌な予感とともに脈打つ。


(……最高だな。またか)


心の中で盛大にため息をついた、その数分後――

教室の扉が、ゆっくりと開いた。


空気が変わる。


反射的に、胃の奥がきゅっと締めつけられた。


ヴォルタ王国第一王女――ヴァルダ姫が、教室へと足を踏み入れる。

氷のように研ぎ澄まされた威厳。

一挙手一投足すべてが計算され尽くした、王族の所作。


腰のあたりまで真っ直ぐに流れる白銀の髪は、左右寸分の狂いもなく揃い、

青に紫を溶かしたその瞳が、一直線に――俺を射抜いた。


思わず、背筋が粟立つ。


身体に沿う王族の装束は、鍛えられたしなやかな肢体を隠すことなく際立たせ、

力強さと優雅さを同時に感じさせる。


教室全体が、数秒間、完全に静止した。

後方の上級生たちでさえ、言葉を失っている。


ヴァルダ姫は一歩前へ出て、澄み切った、しかし絶対的な声で告げた。


―「エンジェル……少し、話があるわ」


――逃げ場は、なかった。

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