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『天使と紫の炎』  作者: Bro_Be_Like_83
第3部 — 賑わう王都の中の天使。
35/47

チャプター27.1 ― 吹雪が少しずつ温まる散歩。

教室のベルが鳴り、柔らかくも澄んだ音が響いた。

教授の声は、閉じられるノートのざわめきの中にかき消される。

生徒たちは荷物を片付け始め、何人かはまだ、ブランシュ・デ・エーテル姫が一年生の授業に現れたことについてささやきあっていた。


天文学のノートを閉じ、窓の方へ目をやった。

午後の空は金色と淡い青に染まり、学院の桜並木の上に広がっている。小さくため息をついた。


「やっと…少し静かになる。」


鞄に手をかけたその瞬間、影がすっと近づいてきた。

溶けかけの雪のような、ひんやりとした気配が私を包んだ。


目を上げると――そこにいた。

ブランシュ。

私の目の前に立っている。

その金色の髪は完璧に対称に整えられ、私の腕すれすれまで届く。水晶のように青い瞳が、容赦ない強さで私を見つめる。

その制服は隙のない仕立てで、曲線美を余すところなく際立たせていた。思わず身震いする。


「……ブランシュさま……?」私は少し戸惑いながら、声を漏らした。


彼女はすぐには答えなかった。視線がゆっくり私の顔をなぞり、瞳を覗き込む。その頬が赤くなる――最初はわずかに、やがて少しずつ。淡い、予期せぬ温もりが彼女の蒼白な頬を染める。


「……あのね」やっと、落ち着いた柔らかい声で――「よければ、一緒に歩いてくれませんか?」


私は一瞬、固まる。


「一緒に……歩くの?」


彼女は頷き、背筋を伸ばして凛と立つが、指先だけがわずかに震えている。


「ええ。特別なことではない。ただの散歩です。授業は終わったし…少し話したくて。」


周囲の生徒たちも動きを緩め、その場に見入る。

一年生の生徒に歩み寄る姫――!?


私は少し照れくさそうに、手を後ろに回した。


「えっと……いいけど、長くは歩けない。十五分後に別の授業があるから。」


彼女は頭をわずかに傾け、かすかな微笑を浮かべる。


「数分で十分よ。」


一歩早く歩き、私を少し置き去りにしながら、軽やかに髪の房を耳にかける。

背後から熱い視線を感じるが、気にしないことにした。


二人で教室を出る。階段を静かに下る。

風が長い髪をそっと揺らし、午後の黄金の光が肌に柔らかく反射する。


「で……」私は口を開いた。氷を溶かすように――

「天文学に興味があるのか?」


彼女は顔をこちらに向け、表情は穏やかで、まるで厳粛さを帯びている。


「ええ。星は決して嘘をつかない。世界が崩れても、光を放ち続ける。」


少し間を置く。


「エンジェルくん、君は……よく見るのか?」


「たまに。静かな場所を見つけられた時だけ。」


私は少し笑う。


「星はね、ここで何が起ころうと変わらない唯一のものだ。」


彼女は黙って頷く。

その青い瞳は、冷たくも優しく私を捉える。


「まさに、私もそう思うわ。」


再び沈黙が訪れる。

彼女は低めの声で続ける。


「エンジェルくん……君は、自分がどれほど特別か、まだわかっていないでしょう?」


私は立ち止まる。


「…え?」


彼女も立ち止まり、わずかにこちらを向く。

頬は紅潮しているが、視線は鋭く澄んでいる。


「答える必要はない。ただ、覚えていてほしいの。」


風が吹き、肩まで届く髪がそよぐ。

二人きり。天文塔と庭園の間、並木道の下で。


私は数秒じっと見つめてから、目をそらした。


「……こういうことを言うと、ちょっと怖いかな。」


彼女は初めて、わずかに微笑む。


「かもしれない。でも、本心よ。」


静寂。遠くでベルの音が響き、授業再開を告げる。


私は一歩下がる。


「そろそろ行かないと。」


彼女は静かに頷く。


「わかりました。」


だが背を向けると、柔らかく低い声が耳元に届いた。


「エンジェルくん...…一緒に歩いてくれてありがとう。」


私は軽く振り返り、微笑を浮かべる。


「どういたしまして、姫。」


彼女はしばし目を伏せ、そっと呟く。


「…ブランシュさんと呼んで。」


私は一瞬、固まるが、黙って頷いた。


次の授業へ向かう途中も、彼女の視線を感じる――氷と炎、少し解き明かすには怖い謎めいたものを帯びている。

太陽は学院の銀色の塔の背後に少し昇り、石畳に黄金の光を投げかける。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


陽光は学院の銀塔の背後からゆっくりと昇り、石畳に淡い金色を落としていた。

ブランシュはひとり歩いていた。

歩幅は変わらず静かで、わずかに伏せた横顔には微かな影。

風が制服の裾を揺らし、床をかすめるほど長い金髪をふわりと持ち上げる。

その表情は氷のように無機質――けれど、その深い蒼の瞳の奥では、確かに嵐が渦巻いていた。


エンジェルくん。


その名が胸の奥で祈りのように、灼けつくように響く。

彼の視線――静かで、誠実で、どこか遠い。

そして、控えめな、あの淡い微笑み。

胸を突き抜けた、あの静かな閃光。


――気づいてくれたの……?


足取りは乱れない。エーテル王家の姫として当然の、あまりに完璧な歩み。

だが、その完璧さの裏側で、張りつめた氷がわずかにひび割れる。


抑え込んできたはずの、古い感情が目を覚ます。

それは喜びに近い、柔らかな熱。


ふふ……あの目。あの紫。あの声音。あの話し方……ん、ふふ。


胸がわずかに跳ね、手袋越しの指が柄に触れて強張る――すぐに力を抜いたけれど。

落ち着け、ブランシュ。

気にしていないかもしれない。

ただの年上の生徒。

王女のひとり……。


そう言い聞かせても、胸の奥では温かさがふくらむばかり。


忘れたわけじゃない。

――確信している。

あの少年は……。


紫の瞳の、小さなエルフ。

闇に呑まれそうになった私に、手を伸ばしてくれた子。


ブランシュの足取りがわずかに緩む。

視線が、澄んだ空へと吸い寄せられる。


鮮明な光景は浮かばない。ただ、心が覚えている。

恐怖。恥。涙。

――そして、差し伸べられた小さな手。


細くて、震えていて。

なのに強かった。

あの闇の中で唯一の光。


そっと目を閉じる。呼吸がゆっくりと整っていく。


あのとき救ってくれたのは、私。

エーテルの娘であり、ルナの血を継ぎ、氷嵐の未来を背負う私を。

救ってくれたのは――彼。


そして今、彼は目の前にいる。


忘れていたはずの記憶に、確かな形が戻っていく。

――気づいた? 私の目が、あなたを覚えていること。


表情は石像のように整っている。

けれど、その心臓だけが、痛みすら帯びた優しさで脈打つ。


数歩進み、吐息のような声で名を呼んだ。


「……エンジェルくん。」


唇から零れ落ちたそれは、禁忌の秘密のように淡く、熱かった。


探していたの。無意識のまま。

そして今、見つけた。

……もう、離さない。


ふわりと微笑む。

甘くて、けれどどこか危うい、ブランシュだけの微笑。


覚えていなくても構わない。

私は、あの日からずっと……あなたを見つめてきたの。


大きな噴水の前で足を止めた。

陽光を受けて揺れる水面に、風が彼女の黄金の髪を波のように揺らす。


――紫の瞳の小さなエルフ。

私の恩人。


胸に手を当て、鼓動の熱を確かめる。

ひやりとした制服の布越しに、震えが伝わる。


そして誰も聞かないほどの声量で、氷の息を漏らした。


「……あぁ。やっと見つけたわ、エンジェルくん。もう二度と……逃がさない。」


振り返り、歩き出す。


その足音には王女の威厳が宿り、

その影には――

静かにすべてを焼き尽くすほどの、狂おしい崇拝が潜んでいた。

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