チャプター24 ― ピザを囲んで芽生える嫉妬。
中央駅を抜けたのは、ちょうど十二時四十五分頃だった。
外に出ると、冷たい空気と、どこか弾むような街のざわめきが頬に触れた。
大通りへ向かって橋を渡ると、すぐに目に飛び込んできたのは――
金と紫を基調とした、ヴォルタ大宮殿直属の近衛兵たちの隊列だった。
陽光を受けて輝く甲冑。
近代的な意匠の兜。
右手に構えられた長槍。
思わず足が止まるほどの存在感だ。
ヴァイオレットが優雅に一礼する。
つられて俺も頭を下げ、後ろにいたエリーも茶化したような笑みを浮かべつつ礼を取った。
そのすぐ後ろで、エスターが小さく息を呑んで頭を下げる。
通りを行く人々も、近衛兵を見る度に同じように礼をしていた。
街そのものが、突然儀式の場になったような空気だった。
俺はヴァイオレットに小声で尋ねた。
「なあ、これ……何が起きてるんだ? なんであんなに近衛兵が?」
彼女は微笑み、落ち着いた声で説明する。
「正午から十六時までは、近衛兵が首都全域を巡回するの。
重要区画の警備や、中心部の監視のためよ。
首都の面積は八百平方キロ以上あるから、どうしても大規模になってしまうの。」
「えっ……六百五十平方キロくらいって言ってなかったっけ?」
俺が眉をひそめると、彼女はくすっと笑った。
「あれは“王都の一般区域”の話よ。
東側には海沿いに“王族区域”があって、そこは別扱い。
貴族の邸宅、高級街、格式高いレストラン、王族学校……
そして――ヴォルタ王家の“大王宮”があるの。」
思わず言葉を失う。
スケールが違いすぎる。
すると、エリーが肩を寄せてニヤリと笑った。
「へぇ~。つまり今日は、お姫様の縄張り案内ってわけか?」
「もうっ、エリーったら!」
ヴァイオレットは頬を赤くしながら笑う。
「でも……二人にも見せたかったの。エンジェルくんにも。」
(……言い方が妙に可愛いな)
エスターはというと、完全に圧倒された様子で周囲を見回していた。
「すごい……。近衛兵も街も、全部が大きすぎる……」
彼女の呟きに俺も静かに頷く。
エリーがわざとらしく肩をすくめた。
「で、姫さん? 王国の観光案内はいいけどさ、俺たち……ビギー・ピザズ行くんだよな?」
「はいはい、もうすぐだから我慢しなさい。」
ヴァイオレットは楽しそうに笑った。
そのまま人波の中を歩き、王都でも特に活気のある一帯を抜けていく。
周囲には露店の声、商人の呼び込み、そして巡回中の近衛兵たち。
足を踏み入れるだけで、王都の“力”みたいなものが肌に伝わってくる場所だった。
やがて時計の針が十三時を示した瞬間――
俺たちは「ビギー・ピザズ」の扉をくぐった。
扉の上で小さなベルがチリンと鳴った瞬間、
店内に広がる焼きたての生地ととろけるチーズの香りが一気に押し寄せた。
「いらっしゃいませ――あら、四人とも!」
カウンターの奥から現れたのは、
髪をきれいにまとめ、清潔なエプロンを身につけた店員 ダフネー。
いつもの爽やかな笑顔……のはずだったが――
俺と目が合った瞬間、
彼女の笑顔がぴたりと止まった。
頬が一気に赤く染まり、視線が泳ぐ。
「え、エンジェルくん……? こ、こんにちは……」
「え、あ……どうも。元気? 何かあった?」
思わず聞き返すと、ダフネーは慌てて首を振る。
「な、なんでもないのっ! ただ……その……こ、こないだも来てたから……!」
後ろでヴァイオレットがくすくす笑った。
「ふふ、ダフネーは本当に分かりやすいわね。
エンジェルくんが来ると毎回こうなるんだから。」
「ち、ちがっ……違います!!」
ダフネーは耳まで真っ赤にして、エプロンの結び目をいじりながら目をそらした。
そんなやり取りに、エリーが面白そうに前へ出る。
「へぇ~。“疲れてる”って言う割には、反応が可愛いじゃん。
まあ仕方ねえよな。妖精みたいな見た目のイケメンが急に来たら。」
「エリー!」
ヴァイオレットが彼の肩を叩く。
エスターは、少し呆れたように小声で聞いた。
「……ここって、いつもエンジェルのファンクラブみたいになるの?」
俺は肩をすくめ、それらしく答える。
「俺の……生まれ持った呪いかな。」
「呪いって……!」
ダフネーが吹き出しそうになりながらも笑う。
「そんな真顔で言わなくても……!」
ヴァイオレットが軽く手を挙げてダフネーを呼ぶ。
「ねえ、注文お願い。急いでるの。」
「は、はいっ!」
慌ててメモ帳を開き、真剣な顔に戻る。
「では、ご注文をどうぞ!」
ヴァイオレットは迷わず言った。
「四人とも、チーズとハチミツのピザを二枚ずつ。
それから――エンジェルくんには特製ブラウニー、ハチミツとクリームで。」
ダフネーが一瞬だけこちらを見て、また顔を赤くする。
「わ、分かりました……。特製ブラウニー、一つ……。
少々お待ちください……!」
彼女が厨房へ消えていくと、エリーがにやにやと俺を見る。
「なあエンジェル。お前……また落としてね?」
「いや、落としてないだろ。」
俺は苦笑する。
「ただ注文しただけだ。」
「“ただ注文しただけ”で落とせる男なんて、そうそういないよな?」
ヴァイオレットが正面に座り、じっと俺を見つめる。
「……わたしは別に、落ちたりしないし。
ただ今日は、みんなに気分よく食べてもらいたいだけよ。」
エスターが横目で見ながら言う。
「“みんな”ねぇ……。ある一人に特に、じゃないの?」
「ちょ、ちょっとエスター!? 違うわよ!!」
ヴァイオレットが慌てて背筋を伸ばし、耳まで赤くなる。
その様子に俺も笑い、エリーまで吹き出した。
空気は温かく、どこかくすぐったい。
王都の緊張感とは真逆の、穏やかで心地よい時間だった。
注文を終えると、店内のざわめきがゆっくりと耳に馴染んでいく。
テーブルに運ばれてきた水のグラスが、光を受けてきらりと揺れた。
「お待たせしましたー!」
元気な声とともに、ダフネーがピザを次々と運んでくる。
チーズとハチミツの甘い香りが、ふわりと鼻をくすぐった。
「こちら、四名様分のピザです。それと……」
彼女は一瞬だけ呼吸を整え、
そっと皿を俺の前に置く。
「エンジェルくんの……特製ブラウニー。
焼きたてだから、気をつけてね。」
心なしか、声が少し震えていた。
—「ありがとう。嬉しいよ。」
俺が自然にそう言うと、
――ピタ。
ダフネーの動きが一瞬とまり、
次の瞬間、耳まで真っ赤になって後退した。
—「は、はいっ!! 何かあれば呼んでね!?」
勢いよく厨房へ戻っていく。
エリーが肩を震わせる。
「……なあ、もう確定だろ。
あれは完全に落ち――」
「言うな。」
俺は先に止めた。
—「言っても否定しないんだな。」
エリーがにやっとする。
ヴァイオレットは頬杖をつきながら、柔らかく微笑んだ。
「……でも、分かる気がするわ。
エンジェルって、優しい言い方する時があるし……。
なんだかこう……心臓をふっと掴まれる感じ、あるのよね。」
—「お、おいヴァイオレット? 急に何を……?」
エリーが驚く。
エスターまで身を乗り出した。
—「確かに、今日もずっと雰囲気が違った気がする。
いつもより……落ち着いていて。何かあったの?」
俺は少し考える。
別に特別な理由はない。
ただ――
—「……みんなと歩くのが、楽しかっただけだよ。」
そう言うと、三人が同時に固まった。
沈黙。
そして――
「……っ!」
ヴァイオレットの耳まで真っ赤。
「な、なに急に……ほんと、ずるい……」
エスターは咳払いしてそっぽを向く。
エリーは笑いながら頭を抱える。
「お前さぁ……天然でその破壊力は犯罪なんだよ。」
俺は肩をすくめ、ピザを一口かじった。
甘いハチミツが舌に広がる。
うまい。
和やかな空気の中、
みんなも次々とピザを口に運んでいく。
外の王都は相変わらず騒がしく、どこか慌ただしい。
でも――この小さな店の中だけは違う。
暖かくて、
少し照れくさくて、
だけど確かに“仲間”だと感じられる空間だった。
エリーがふと笑いながら言った。
「なあ、次はどこ行く?
王都はまだまだ広いんだろ?」
ヴァイオレットが胸に手をあて、満面の笑みで答える。
「ええ。
みんなに見せたいところ、たくさんあるの。」
エスターも小さく頷く。
「じゃあ……案内、お願いするわ。ヴァイオレット。」
「任せて。」
彼女は嬉しそうに頷いた。
俺はブラウニーを最後の一口まで味わい、
ふう、と小さく息をつく。
――この穏やかな時間が、
いつまでも続くわけじゃないと分かってる。
でも今は、ただ。
目の前の仲間たちと笑い合える、この瞬間を大切にしたかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さっきのやり取りから、ほんの数分しか経っていない。
けれど――
不思議と、時間がゆっくり流れ始めたように感じていた
さっき見たはずの光景なのに、
なぜかもう一度、最初から見ているような気がした。
数分後、ダフネーが大きなトレイを持って戻ってきた。チーズとハチミツの温かい香りが店内に漂い、甘くてしょっぱい絶妙な匂いに思わず深呼吸する。
俺は彼女の歩みに目をやる。
丁寧な足取り、輝く笑顔……周りの客たちの好奇の視線も自然と私たちに向けられる。
「はい、どうぞー!」
ダフネーが元気よく言いながら、一つずつ皿をテーブルに置いていく。
「ヴァイオレット様にヤギチーズ&ハチミツのピザ、二枚……エンジェルくんに二枚……エリーに二枚……そしエスター姫に二枚です」
彼女は一枚一枚、まるで完璧を求めるかのように皿を並べる。次に冷たい水の入ったデカンタを取り、グラスに丁寧に注ぐ。
「そして最後に……」
私をじっと見つめ、声を少し震わせながら言う。
「ブラウニー(ハチミツと生クリーム)です。手作り、約束通り」
皿を私の前に置く仕草は、まるで触れれば壊れてしまいそうな繊細さだった。
俺は静かに微笑む。
「ありがとう、ダフネー。完璧だ」
ダフネーは真っ赤になり、手が数センチ私の手元をかすめた瞬間に慌てて後ろへ下がる。
まるで熱いものに触れたかのようだ。
「え、えっと……四人とも、どうぞ……!」
言葉を噛みながらも、素早く席を離れる。
耳まで真っ赤だ。
当然、エリーは黙っていない。
「おおお…エンジェル、呪いかけたのか? ほとんど王様扱いじゃないか!」
私は柔らかく笑う。
「大げさだ、エリー。彼女はただ、気を配ってくれてるだけだ」
ヴァイオレットはすぐには口を開かない。
ブラウニーを見つめ、ダフネーが去る様子を見て、そしてまた私を見返す。
その笑顔は最初こわばっていたが、やがて少し固まった。
「気を配って、ね……?」
私は横目でそっと見る。
「なんか言った?」
「い、いや、何も……」
ヴァイオレットはそう言いながら、ピザを一切れ慎重に切り分ける。その手つきはまるで外科手術のように正確だ。
エスターがテーブルに肘をつき、くすくす笑う。
「ねえ、ヴァイオレット……ちょっと嫉妬してない?」
ヴァイオレットはピザの一片でむせそうになる。
「嫉妬? 私が?! ぜ、全然! ただ……えっと、私のお気に入りの店だから、そういうだけ!」
エリーは笑い声を押さえきれずに吹き出す。
「お気に入りの店、って言うか、店員のお気に入り?」
「エリー!」
私は微笑みながらため息をつく。
「君たち三人、手に負えないな。私はただデザートを受け取っただけで、永遠の愛の誓いを求めたわけじゃない」
「多分君じゃなくて、彼女が、ね」
エスターがあごに手を置き、いたずらっぽく囁く。
私は顔を上げ、首を傾げる。
「何?」
「見たのよ、エンジェル。彼女の視線、ただのブラウニーを運ぶウェイトレスのものじゃなかった。完全に、心が溶けてるの」
私は少し緊張しながら笑う。
「君たち、何でも恋愛に見えるな」
「三人ね」
エリーが笑顔で訂正する。
「僕にはただ、謎の紫の瞳を持つエルフに惹かれた少女に見えるだけ。古典的パターン」
私は水を一口飲み、答えを避ける。
雰囲気は軽く、子供っぽいが、ヴァイオレットの嫉妬がほんのり混ざっている。
フォークでブラウニーを刺す。ハチミツとクリームの味が舌の上でとろけた。
「ん……おいしい」
ヴァイオレットがすぐに目を見開く。
「そ、そんなにおいしい?」
「うん、本当に完璧だ」
彼女は腕を組み、少し拗ねた顔。
「ふん……アカデミーで一番のブラウニー作ってたのに、今やダフネーの手作りに負けたみたい」
私はにやりと笑う。
「もしよければ、今度証明してみせて」
彼女は固まる。
「え…私がデザート作れってこと?」
「その通り。料理対決、ってやつだ」
顔をそむけ、頬を赤くする。
ビギー・ピザズの窓から差し込む十三時四十分の陽光が、まだテーブルに残るヤギのチーズとハチミツのかけらにそっと触れていた。
僕は水のグラスを最後まで飲み干したところで、ヴァイオレットがナプキンで口を拭きながら、楽しげに声をかけた。
「さあ、午後の授業に遅れないうちに行きましょう!」
エリーはため息混じりに腕を伸ばす。
「うん…でも今はあまりにも心地よくて、走る気になれないな。」
エスターは像のように真っ直ぐ立ち、制服をきちんと直す。
「それなら、ちゃんと動きなさい。電車は四十五分発よ。駅まで十分はかかるんだから。」
「十分だって?」とエリー、ふざけて驚いた顔を見せる。
「エンジェルがちょっとやる気を出させれば、五分で行けるだろ?」
僕は片眉を上げ、にやりと笑う。
「俺がやる気を出させたら、お前、無意識にテレポートしてるかもな。」
ヴァイオレットはくすりと笑い、瞳を輝かせた。
「できればそれが可能だったら…」




