チャプター16 ― 王女と紡ぐ、麗しき忘れられぬ一日の序章。
朝六時。
まだ夢と現の境目に足を置いたまま、私はゆっくりと目を開けた。
長い白髪は乱れ、頬にしっとりと貼りつき、まるで夜の残滓が形を残しているかのようだ。指先で眠気を払うように顔をなで、ぼんやりとした足取りでキッチンへ向かった。
扉を開けた瞬間、ふわりと温かな空気が頬を撫でた。
テーブルには、すでにエリーが座っていた。彼は朝の光を従えるように朗らかに微笑み、いつものように早起きで、いつものように楽しげだった。
だが、私の視線はすぐに、その奥の――背中に吸い寄せられた。
白銀の滝のような長い髪を一つに束ね、紫のエプロンを纏い、袖をまくって料理に没頭する女性。
静かで、凛としていて、どこか艶を帯びた佇まい。
振り返ったその横顔に、朝陽が差し込み、彼女の気配が一瞬で部屋を満たした。
ヴァイオレットだった。
「おはよう、エンジェルくん。」
その声は、まるで眠気の底に落ちていた私を優しく引き上げるような温かさを帯びていた。
「……おはよう。こんなに早く……どうしたんだ?」
問いかけながらも、胸の奥が微かにざわつく。
彼女は首を傾け、薄紫の光を宿した瞳で、まっすぐに私を見る。
「あなたに朝ごはんを作ってあげたくて。それに……授業の前に少しでも一緒にいたいと思ったの。」
エリーが背後でからかうように笑った。
「ほらな? エンジェル。太陽より先に、君を起こしに来る人がいるんだぞ。」
彼の軽口に、私は思わず曖昧なため息を返す。
照れくささと、落ち着かない何かが混ざり合い、胸の奥でゆっくりと渦を巻いた。
「……こんなことで早起きするなんて、恥ずかしくないのか。」
ヴァイオレットはかぶりを振り、清らかな笑みを浮かべた。
「恥ずかしいなんて思わないわ。ただ……あなたのためにいたかっただけ。」
その言葉が心に触れた瞬間、理由のわからない熱が喉に宿った。
慌てて目をそらしながら言う。
「……別に、すぐに礼を言うつもりはないからな。」
「ふふっ。大丈夫よ、エンジェルくん。いずれ笑ってくれたら、それでいいもの。」
彼女の笑みは柔らかく、それでいてどこか確信めいていて、私は小さく肩をすくめるしかなかった。
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こうして、ヴァイオレットは私とエリーの前に朝食を並べ終えた。
私の目の前には、自家製のチョコレートミルク、ジャムを塗ったパン、シリアルのボウル、そして何より――ブラウニー。
私の大好物で、蜂蜜とクリームの香りがほのかに漂う一皿。私は一瞬、ブラウニーの前で立ち尽くしてしまった。
「どうして……どうしてこれが僕の好物だって分かったんだ?」
驚きと尊敬の入り混じった声で問いかける。
ヴァイオレットはいたずらっぽく微笑んだ。
「ちょっと……お兄さんからヒントをもらったの。」
エリーは片眉を上げ、皮肉っぽく笑う。
「そうそう、彼女に脅されたんだ。椅子に縛り付けられて話す羽目になった。」
ヴァイオレットは悔しそうに見せかけて、声を張る。
「ち、違う! 全然そんなことしてないわ!」
三人で笑い声が飛び交う。私はまだ少し驚きつつも、心の奥で楽しく笑った。
まず、私はチョコレートミルクを手に取った。
「……すごく美味しい。」
ヴァイオレットは輝く笑顔で答える。
「私が作ったの……」
その心の中で、微笑みがさらに大きくなる。
――あなたへの敬愛のすべてを込めて。
「……良いカカオを選んだからよ。」
次に、シリアルを口にする。
「ん…これも美味しい。」
声に出して、ヴァイオレットは言う。
「時間をかけたの……」
頭の中では、私への愛情を込めて作ったことを反芻している。
「……シリアルが程よくサクサクになるように。」
そして、ブラウニーに手を伸ばす。
一口食べただけで、目が輝いた。
「これは……美味しい!」
ヴァイオレットもまた、目を輝かせて喜びを隠せない。
声に出して言う。
「秘密の材料は……」
だが心の中では叫んでいた――
(愛よ、エンジェルくん……愛!!!)
そして、抑えきれない興奮をなんとか声に変えて:
「……蜂蜜よ。ヴォルタ王宮の宝物のような、王家の蜂蜜。」
私は彼女を見上げる。
一つひとつに気を配るその丁寧さと精密さに感動し、思わず微笑んでしまう。
エリーは頭を振って笑い、私たち二人のやり取りと、ヴァイオレットのあからさまな愛情を面白がっていた。
こうして私たちは、キッチンのテーブルを囲み、食事を続けた。
ヴァイオレットは私の隣に座り、
エリーは向かいに座る。
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七時。
私たちは学院の制服に身を包み、玄関に立っていた。
外の空気はまだ冷たく、街の明かりがかすかに揺れている。
「準備はいい?」
ヴァイオレットの声は静かで、しかしどこか強く私を引き寄せる響きを持っていた。
エリーが笑う。
「行くぞ、エンジェル。今日はヴォルタに、俺たちが来たって教えてやろうぜ。」
私は肩を上げて軽く答えた。
心は、もう朝の眠気とは違う熱で満ちていた。
ヴァイオレットがそっと私の手に触れる。
ほんの数秒。それでも、その感触は長く心に残った。
「大丈夫。今日も……ずっとあなたのそばにいるから。」
彼女のまっすぐな瞳を前に、何か言おうとして、結局言葉は喉の奥でほどけた。
「行きましょう、エンジェルくん。」
彼女の声は、朝の光よりも鮮やかだった。
階段を降りて外へ出ると、冷たい風が頬を撫でた。
その瞬間、胸のどこかで確信した。
――今日はきっと、忘れられない一日になる。




