チャプター12 — 王女の秘めたる策略…
列車がようやく学園の駅に停まった。
扉が開いた瞬間、ひんやりとした朝の風が吹き込み、頬を撫でていく。
僕――エンジェルは静かにホームへ降り立った。
白銀の髪がふわりと揺れ、コートの裾をかすめる。
周囲では学生たちが一斉に降りてきて、
笑い声や足音があちこちから響いた。
誰もが急いでいる。けれど僕だけは、ゆっくりと歩く。
この喧騒が始まる前の、一瞬の静けさが好きだった。
……そして、いつものように感じる。
視線を。
――強く、重く、熱いほどの視線を。
振り返るまでもない。
彼女だ。
……ヴァイオレット・ヴォルタ。
僕はいつも通り、無視する。
だが当然のように――
「――エンジェルっ!」
……静寂は長くは続かない。
顔を上げると、見慣れた笑顔が目に入る。
エリー。いつも通り、うるさい兄貴だ。
人混みをかき分けながら、片手を上げて走ってくる。
黒髪が揺れ、光を弾いていた。
「おっそいぞ! まだ鏡の前で自分に見惚れてたのかと思った!」
と、悪戯っぽく笑う。
僕はため息をつき、淡々と返す。
「おはよう、エリー。相変わらずうるさいね、兄さん。」
「おいおい、“闇の大精霊様”が今日も塩対応かよ!」
エリーは笑いながら肩をすくめた。
「少しくらい笑ってみろよ、エンジェル。朝の光も眩しがるかもしれねぇぞ。」
「……君もその“光”の中の一人だと思うけど。」
「ははっ! それでも俺は輝いてるんだよ。」
僕は苦笑を漏らす。
「そういうことにしておこう。」
エリーは僕の肩を軽く叩く。
「さ、行くぞ。遅刻したら先生たちに“神様は時間を超える”とか言い訳するつもりか?」
「それも悪くないかもね。」
「ははっ、じゃあ神様には掃除当番でもしてもらうか。」
僕は思わず笑った。
「似合ってるよ、君には。」
二人で歩き出す。
すれ違う生徒たちの視線が、自然と僕に集まる。
でも、そんなことにはもう慣れていた。
――ただ、その中に、ひとつだけ異質な視線が混じっている。
燃えるように、震えるように、僕を追い続ける視線。
それでも、僕は歩く。
手をポケットに入れ、何事もないように。
石畳を進み、陽の光に照らされたヴォルタの街が目を覚ます。
鐘の音が遠くで響き、学生たちの声と溶け合う。
エリーの顔に、あの「何かを企んでいる」笑みが浮かんだ。
……嫌な予感しかしない。
「何?」
「ん? 別に~。」
「エリー。」
「ははっ、バレたか。実はな、今日ちょっと面白いことがあるんだ。」
「面白いこと?」
「そう。二年生の恒例行事、“新入生激励ラウンド”。」
「つまり、“指導役ごっこ”だね。」
「そうそう! でな、俺が担当するのは――お前のクラスだ!」
「……は?」
「マジだって! しかも、もう一人一緒に回る子がいるんだ。」
彼はもったいぶるように間を置いて、ニヤリと笑った。
「――ヴァイオレット・ヴォルタ嬢だ。」
僕は眉をひそめた。
「王女様が?」
「そう。しかもな、自分で“あのクラス”を希望したんだと。」
「……偶然だろう。」
「偶然? あははっ、お前マジでそう思ってんのか? どのクラスでも良かったのに、わざわざお前のところを選んだんだぞ? それ、もう恋文レベルだろ!」
「バカ言うな。選択肢がなかっただけだ。」
「いや~、どう見てもあの目は“恋”だ。お前が息するたびに拝んでそうだぞ。」
「くだらない。」
「ふふっ、賭けるか? 俺が正しい方に。」
「くだらない賭けはしない。」
「でも俺、だいたい当たるんだよなぁ。」
僕は小さく笑って首を振る。
「じゃあ、好きに信じればいい。」
「了解、“恋に鈍感な弟”殿。」
彼は笑いながら僕の背を叩いた。
「ほら、今日も注目の的になりそうだぞ。」
――そう言われた矢先。
僕は視線を感じた。
彼女だ。
ヴァイオレット・ヴォルタ。
完璧な微笑みを浮かべ、まっすぐこちらを見る。
「おはようございます、エンジェルくん。」
「……ああ、おはよう。」
「ヴァイオレット、今日も優雅だねぇ~。」とエリーが茶化す。
「“偶然”同じクラス担当なんだって? ねぇ、わざとだろ?」
ヴァイオレットは微笑みを崩さず、静かに言った。
「残念ながら偶然ですわ。他に空いているクラスがなかっただけです。」
僕は無言で目を細める。
――明らかな嘘だ。
心の奥で、彼女の声が響く。
(あははははっ! 嘘よ、嘘っ! 空いてたクラスなんていくらでもあった!
でも私はエンジェルのクラスを選んだの! だって、私の“天使”がそこにいるから!)
エリーは吹き出しそうになりながら、僕に囁いた。
「な? 嘘つくの下手だろ。」
僕は静かに答えた。
「君は本当に騒がしいね。」
「俺は真実を語ってるだけさ。」
「……なら、真実は静かに語るべきだ。」
「ははっ、名言だな。」
ヴァイオレットは軽やかに微笑み、優雅に一礼する。
だがその瞳の奥には、狂おしいほどの執着が宿っていた。
(エンジェル……私の天使……今度こそ、逃がさない。)
僕はため息をつき、空を仰ぐ。
エリーの笑い声が遠くで響く中、僕は歩き出した。
――いつも通り。
何も知らないふりをして。
……今のところは。




