チャプター6 — 天使を狂おしく愛する少女たち
鉄製の重い扉をゆっくりと押し開ける。
ヒンジが湿った擦れる音を立て、ギィ、と軋む。
扉の向こうには、狭く暗い廊下が広がっていた。
壁に掛けられた松明の揺らめく光が、床や壁に淡い影を落とす。
空気はさらに冷たく、乾いた血と鉄、カビの匂いが濃密に混ざっている。
裸足で湿った石畳を進む。
足音が静寂を破る――その時、甲高い笑い声が響いた。
「ひひひ……!」
「くくっ……!」
「ふふふふ……!」
女性の声だ。
澄んでいるのに、どこか歪んでいて、狂気が纏わりついている。
人間らしい笑いではなく、魅惑的で恐ろしい、死の匂いを帯びた喜びに満ちている。
僕は立ち止まり、廊下の先を見つめる。
松明の炎が揺れるたび、影が踊る。
その奥で、肉が裂かれる音、刃が打ちつけられる音、そして人間の叫びが、喉の奥で濁りつつ消えていくのが聞こえた。
――もう一人の声が、必死に叫ぶ。
すぐに途切れ、闇が再び支配する。
かすかな足音だけが響く。
裸足の踵が石を打ち、囁きと笑いが絡み合う。
「かわいい……ね、あの子……」
「もっと叫んでほしかったのに……」
「次は……どの子?」
背筋に寒気が走る。
声が近い、あまりにも近い。
僕はしゃがみ、影の中に身を潜める。
廊下の角から三人の女性の姿が現れた。
血で染まった手や衣服、異様に輝く瞳。
歩き方は優雅だが、その目は――柔らかさと狂気が同居している。
一人は血を滴らせた剣を引きずり、
もう一人は髪を掴んだ頭部を落として笑う。
手は震え、歓喜に満ちている。
――息を殺す。
開かれた檻の前を通り過ぎても、僕に気づかない。
囁きが空間に緊張を刻む。
「ここ……一体……?」
思わず、声にならない声を漏らす。
この壁の向こうに、何か恐ろしいものが潜んでいる。
僕は――ここで生き残るべき存在ではない。
だが、生き抜くつもりだ。
石の冷たさを踏みしめ、廊下を進む。
笑い声は次第に増幅し、単なる嘲笑ではなく、絡み合う旋律のように耳に響く――
狂気と欲望、怒りが入り混じった、女性の声の交響曲。
「ははは……ここにいる……感じる……」
「匂い……ああ、この光と血の香り……すぐそこ……」
「天使……どこにいるの……?ひひひ!」
心臓が止まる。
声……知っている。
七人のエルフの友達――黒の半袖のドレスに、長い刃を手にした姿。
アンジェリーナ……
ステラ……
ローザ……
オーレリア……
ルナ……
クララ……
そして、ミア……
立ちすくむ。
現実ではない。
ここにいるはずがない。
こんな姿で……。
「もし苦しんだなら……世界を裂いてやる!」
「いや……ただ、もう一度私を見てほしいの……名前を……名前だけでも……」
「私を愛して……嫌いになったって構わない……」
「叩いても、壊しても……私のそばに置いて……」
「エンジェルは私たちのもの……いや、私のものよ!」
「ははは……違う、私のもの!」
ステラが高く震える声で叫ぶ。「私が最初に救ったんだから!」
「嘘よ!私の方を先に見たわ!」
ルナが応じる。
「黙りなさい、みんな!」
アンジェリーナが声を上げる。落ち着いた権威ある調子だが、感情に揺れている。
「彼は私たちの天使。世界が奪おうとするなら――焼き尽くすのみ!」
沈黙、そして再び笑い声。狂気そのものの笑い。
一歩後ずさる。
息が詰まる。
声は石の隙間にまで響き、壁自体が愛を歌っているかのようだ。
「ふふ……逃げられると思ったの、天使?」
「世界の果てまで逃げても、見つけ出す……」
「どれだけ血を流しても……」
「どれだけ命を砕いても……」
「また私たちの視線と交わるまで……」
裸足の足音が廊下に響く。
七つ、ゆっくり、揃って。
松明の炎に照らされ、七つの影が浮かび上がる。
血で髪が張り付き、瞳は人間離れした輝きを放つ。
狩る者のように、ゆっくりと、しかし確実に進む。
「エンジェル……」
アンジェリーナが囁く。紫の瞳が闇の向こうで光る。
「私たちの英雄……私たちの救い……私たちの存在理由……」
喉が詰まる。
もはや救った少女たちではない。
狂愛に支配された存在だ。
――もし見つかれば、二度と逃げられない。
七人が一列になり、石床に響く足音。
揺れる光が顔を照らす:埃、乾いた血に覆われているが、どこか静けさすら漂う。
狂気がもたらす偽りの安らぎ。
松明の炎が七人の恐ろしくも優雅な影を映す。
ルナとミアの腕には眠るヘレナ。
歩きながら、囁きが祈りや愛の吐息に変わる。
「ここにいる……心臓の一つ一つで感じる……」
ローザが震える声で言う。
「そう……私たちの英雄……光……」
オーレリアが静かに笑みを浮かべる。
「エンジェル……」
ステラが拳を握り、呼ぶ。「どこにいるの?なぜ来ないの?」
「きっと傷ついている……」
ミアが優しく、母性的に囁く。「まだ苦しんでいるのね……」
「なら、見つけ出す」
ルナの声は冷たくも熱を帯び、宗教的な誓いのようだ。「誰が道を塞ごうとも」
「誰も触れさせない」
クララが赤い瞳で凍てつく。誰も。
アンジェリーナが先頭で目を閉じ、世界の気配を吸い込むように深呼吸。
「マナ……純粋……静か……でも弱い」
「弱いだと?!
あいつが……私たちの天使が……!」
ステラが叫ぶ。
「傷ついたはず……長く待ちすぎた……」
ルナが低く呟く。
「でも、また救う……私たちを救ってくれたように……」
ミアが瞳を潤ませ言う。
沈黙。
突然、ローザがくすくすと笑う。
「覚えてる?あの日の言葉、“盲目的についてくるな”って。はは……でも……」
「……でも、従うしかないの……」
オーレリアが歌うように続ける。
「うん!」
ステラの瞳は狂気で揺れる。「死んでもいい、彼なしで生きるくらいなら!」
「死ぬ?」
アンジェリーナが遠くを見つめながら吐息。「生きるの、彼のために……世界が燃えても、笑ってくれればそれでいい」
ミアが少し前へ出る。
声は落ち着き、力強い。
「見つけ出す。
見つけたら……嫌われても治す」
「私も……」
ルナ。「傷つけるものは全て壊す」
「私も、守る……」
ローザ。「本人からでも、必要なら」
「私は……話してほしい、見てほしい……」
クララ。
アンジェリーナが七人を見渡し、厳かに宣言。
「聞きなさい。
壁も、守衛も、神でさえも関係ない。
必ず見つけ出す」
頭を上げ、髪が松明の光に揺れる。
「エンジェル……私たちの天使……英雄……存在理由」
一斉に七つの声が夜に響く。
狂愛と狂気の調和。
「あなたのもとへ行く、エンジェル」
「救う」
「愛する……最後まで」
足音が誓いのように響く。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その時、甲冑をまとった二十名ほどの守衛が廊下に現れる。
先頭に立つラウドレス、顎を固く引き締める。
血まみれの少女たちと抱えられたヘレナを見て、顔が石のように硬直。
「降伏せよ。今だ」
アンジェリーナは前に出て、髪を血で濡らしながら笑う。
「降伏?ははは!
私たちの天使を諦めろと?
ありえない。エンジェルを返せ!」
守衛の一人が嘲笑するが、ラウドレスが制す。
「彼女たちは無法者だ。
降伏命令を出せ。
拒否するなら射撃を許可する」
怒りが少女たちを駆け抜ける。
ローザが眉を上げる。
「射撃?私たちに?」
楽しげに。
「エンジェルを返せ!」
七人が声を揃える。
ラウドレスが一歩退き、優位を誇示する。
「三つ数える。後は……」
守衛たちは槍を構える。
アンジェリーナは燃える視線で僕を見て、仲間へ向き直る。
「遅い、もう手遅れ」
「皆殺しよ」
ステラが高く叫び、刃を構える。
戦闘が始まる。
七人は一体の生き物のように散開する。
刃が光を切り裂き、石の床を叩く音が響く。
速さ、正確さ、そして冷徹さ――まるで人間の限界を超えた動きだ。
第一線の守衛は僅か数秒で破られ、槍を握る手が滑る。
ハルバーディエが倒れ、別の者は無力化される。
悲鳴はなく、あるのは精密に決められた刃の軌道と、計算された戦闘だけ。
「後退せよ!」
守衛の一人が叫ぶ。
「あなたたちこそ後退しろ!」
オーレリアが冷たく返す。「弱いのね」
僕は影に潜み、胸の高鳴りを押さえる。
誇りと恐怖が同時に押し寄せる。
彼女たちは僕に教えたことすべてを、狂気と結びつけて返している――
正確さ、速度、制御、そして……守るべきものへの狂愛。
ルナは三人の守衛の間に飛び込み、回避し、腕を斬る。
ミアはハルバードを受け取り、二人の敵を同時に無力化する。
クララは冷静に敵を引き寄せ、互いに打ち合わせるように倒す。
ローザとステラは連携し、一方が注意を引き、もう一方が弱点を突く。
「はあっ!情けない……!」
ステラが歯を食いしばり、守衛を弾き飛ばす。
守衛たちは完全に押されてはいない。
盾を組み合わせ、壁を作る。
数人が攻撃を仕掛けるが、七人の統率された動きには勝てない。
傷を負った者も、瞬時に隣の仲間が無力化する。
ラウドレスは冷徹に観察を続ける。
アンジェリーナが守衛を斬るのを見て、歯を食いしばる。
「狂信者……殺せ」
守衛は再び攻勢をかけるが、七人の連携に押される。
わずか一分も経たず、半数が無力化され、残りは後退を余儀なくされる。
「見よ……」
ルナが冷ややかに言う。「自分たちの力を知らぬ者たちは恐れるのみ」
守衛の中から声が上がる。
「ラウドレス!……もう、これ以上持たない!」
ラウドレスは振り返り、アンジェリーナの瞳を見つめる。
氷のような冷たさが二人の間に流れる。
「我が敵を奪われた……挑むつもりか?
分かるまい、手を出せば死がある」
アンジェリーナは笑みを浮かべる。
「我々は愛で戦う。
法律より強いのは愛よ!」
ラウドレスは拳を握る。
剣に手をかけるが、即座には抜かない。
少女たちを即死させるのが最善ではないと判断したのか――
ここでの虐殺は、狂信者としての彼女たちを増長させるだけだから。
「退け!」
ついに叫ぶ。
守衛に後退を命じ、援軍を呼ぶよう指示する。
守衛たちは文句を言いつつも撤退。
七人は刃を収め、散開もせず静かに立つ。
アンジェリーナは手を掲げ、祭壇を祝福するかのように。
「力を見たかしら」
声が震えるが強い。「忘れないで、エンジェルは私たちのもの。
戻ってきたら……世界は代償を払う」
ラウドレスは後退し、影に消える。
視線はまだ脅威を帯び、背筋に凍る感覚を残す。
僕は影から出る。
胸は嵐のように乱れ、恐怖と畏敬、そして重くのしかかる責任が入り混じる。
彼女たちは僕を守った。
制服の男たちの弱さを侮蔑した。
忠誠と愛は、代償を伴うものだと証明した。
アンジェリーナがようやく僕を見つめ、顔が崇拝に満ちて輝く。
「ああ、私のエンジェル!
――あなたは光、愛しい天使、あなたのためなら何でもする!」
言葉は出ない。
ただ荒い息が夜に響く。
守衛が去った後の夜に、ひとつだけ明確なことが分かる――
長く秘めてきた導火線に火がついたのだ。
ラウドレス……もう、静かにはしてくれない。




