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第四話 いずれ別れる日が来ても



 優しさに包まれていたかのような眠りであった。

 そして、泣いてしまうほど穏やかな目覚めであった。

 薄橙の明かりは閉じていた意識を起こしたが、深雪には春の息吹のようにも感じられた。


「煌月様──いらしていたのですね」

「起こしたか」

「いいえ、目を開けたかったのです」

「少しは休めただろうか?」

「まだ幾日か休息が必要ですが……」

「自覚があるなら問題あるまい。布団で寝るのは楽であっただろう?」

「──はい」


 祖父が亡くなってからというものの、安息を心身が拒んでいた。

 苦渋の末に氷の枕で絶えるはずが、こうして綿の詰まった寝具で休んでいる。

 恩人を前にいつまでも寝姿の続きでいるのが戸惑われ、深雪が身を起こし出すと煌月は笑い始める。


「無理をするな、と言ってもそなたは聞かんな」

「若様……支えずとも」

「善い」

「わたくしは『善い』ではないのです……」

「凭れよ、変に力が入っていると私の腕が痺れてしまう」

「左様ですか……失礼いたします」


 断って肩を抱いていた男の腕の中に収まった。

 煌月は髪を巻き込まないように片側に寄せた後、軽く覆い被さって体温を上げさせる。


「傍にいてやれずすまなんだ」

「何を仰るかと思えば──こうして来てくださったではありませんか」

「見知らぬ土地に着いて早々留守を働いたのだぞ。不届きな男に寛容とは、そなた、不機嫌になってくれた方が快いぞ」

「若様は人攫い様ではございませんか」

「そうであった、私は極悪非道の人攫いだ」


 耳に掛かる息に素知らぬ様子を繕って、無邪気な童のように重みを乗せる。

 胡座を掻いていた煌月は脚も使って深雪を囲い、不意に目尻に触れるのだ。


「そなたが笑っても誰も責めたりはせん。言わずともわかるな?」

「はい──ありがとうございます」

「礼を言いながら泣くでない。私のためと思うなら笑ってくれ」


 その言いようにまた泣けてきてしまうと頭を撫でられ、人のぬくもりに息が震えると肩に顎を載せて抱え込んでくれる。

 嗚呼、見透かされる幸福よ。


「此の地は気に入りそうか?」

「ええ。小手毬さんもとてもよくしてくださいました」

「部屋に入った途端崩れ落ちたと聞いている。無理もない。気を張っていたのだろう。それに影の中を通ると慣れぬ者は消耗が激しいのでな。明日礼を言うといい」

「はい!」


 正に緊張の糸が切れたかのように急に座り込んでしまったが、案内をしていた小手毬が手際よく美月を寛げた。

 瞼が重たくなっていきながら申し出たおこがましい願いに、彼女も幼子を愛おしむように応えてくれた。


「短い間に懐いたようだ」

「姉というのはわたくしにとって許されざる立場でしたから、あのように明るい御方と共通項があるのが嬉しいのです」

「やめよやめよ。そなたが彼奴のようになっては敵わん!」

「なれません。わたくしは……若様を呼べません」


 下に下にと落とされていく不安の中で、小手毬とは二つの約束をした。

 望みが果たされ煌月は夜の間に屋敷に戻り、深雪に添ってくれている。


「心細かったか?」

「──すこし。落ち込んでいらっしゃるのですか?」

「反省をしておる」

「若様がですか?」

「そなたには私がどう見えているのだ」


 夜更けだというのに木漏れ日に吹く風のように嗜め、悠然と深雪の姿勢を変える。この男は軽々と持ち替えるのだ。

 相手が女だと知るや否や、外が吹雪でも岩屋の奥に立ち入らなかった気配りの男。夜半に寝入った女の部屋を訪れるのには相応の理由があるのだと、眼差しから悟らせる。


「若様は、わたくしのために、お出掛けになっていたのですね」

「他にあるまい。そなたが苦労すると思おてな、早う名をつけてやりたかった。先達の意見を参考にしようと友人らを訪ねたが、帰れ帰れと何軒も門前払いを食らったぞ」

「影を操る皆様の間では報せが早いと、小手毬さんが」

「あぁ、仮にも攫ってきた娘っ子を置いて出歩くなど言語道断の不始末だそうだ。そうして帰って来れば次は懇々と説教を受ける。今日は叱られ通しであった」


 煩わしげに嘆息する煌月に、深雪は小さな発見をして頬を膨らませた。

 着物の袖を引くのは慣れぬ所作だった。


「わたくし、置いて行かれて寂しゅうございました」

「許してくれるか?」

「許すも何も……お心遣いに感謝しております」

「そうか。やはりそなたは笑みを湛えている時が最も美しいな」

「母に、似ましたから──」

「言うようになった! 善い、愛いな」


 出逢いは昨夜、どうしてそうも大盤振る舞いに褒めそやすのか。

 次の未練になると、深雪の予感は的中するだろう。

 自らの胸に傷を刻んでいきながら、この人ならばと委ねている。


「若様」

「何だ?」

「若様は──祝言を挙げられたご友人と同じ気質でいらっしゃるのではありませんか? 女性の事は、お得意ではない……」

「だろうなぁ。武芸には長けているがそなたのような繊細な女人の事は些ともわからん」

「わたくし、落胆などいたしません! ご心配召されないでくださいませね」

「そなたが了承するなら善いが──どうした? 私には言わんと伝わらんぞ!」


 明朗闊達に宣言する男の、見目の華々しさより思慮深さに惹かれた。

 煌月は深雪を世話している間に他の女に目移りする事はない。惹かれた者が現れても深雪を送り出すまではこちらを優先するはずだ。

 安心できてしまう自分は浅ましくて小賢しい。

 己の欲深さを恥じながら慕わしく頬を寄せた。


「知られたくありせんから、話しとうのうございます」

「聞き出してくれと言っておるのだな?」

「いいえ、頼んでおりません」

「何だその落差は。愉快だ、笑ってしまう」

「若様、あの……わたくし、嫁入り前の娘ですから──お顔が近うございます」


 唇が触れるほど覗き込まれて身じろぎの一つも許されない。

 頬を密着させたり扱いが猫相手になってきていて苦言を呈すと、琴線に触れたのか組紐が解かれた髪の先でくすぐってくる。


「今更であろう! 何だ、照れているのか?」

「はい……」

「そうか、ならば、離れねばならんな」

「申し訳ございません──」

「いや、いい……謝ってくれるな」


 戒めが消えれば寂しさが残った。

 深雪は矛盾する悩みを抱えている。

 父母と妹が恋しいが、同等に、煌月と共にいられるこの場所から去るのが恐ろしい。

 想定以上に深雪が此の地に留まる期間は短いだろう。

 煌月との時間が欲しい。他方で家族との掛け替えのない時も過ごしたい。


「立てるか?」

「はい」

「──廊下は冷える、持ち上げるぞ」

「若様、わたくし自分で歩けます。怪我をしているわけではないのですから」

「私が抱えたいと言っても駄目か?」

「これ以上甘えさせないでください」

「まだまだ序の口ではないか! 落としはしない、安心せよ」


 庭に面した外廊下、天の月より間近の男に患っている。

 煌月は内に炎を飼っているのだ。

 燃え広がらせて強情っぱりの深雪を跡形もなく消し飛ばすつもりだ。でなければ道理に合わない。


「お願い申し上げます。物言いを選んでください」

「何ゆえに?」

「これから、どのような顔をしてお会いすればいいか、困ってしまいます。このままでは目も見れなくなってしまいます──!」

「そうか──抱えられるのは気に入ったか? 甘やかされるのは心地よいであろう?」

「……笑ってくださって、よろしいですよ」

「笑わんが──侮っていたな……あぁ、そなたではない。案ずるな」


 動揺を垣間見せながら、煌月は深雪を床へと下ろした。

 冷える晩だが木目は湯を掛けて拭き上げたかのような温度であった。

 これから煌月が何を告げるか、見つめれば通じ合う。


「そなたを示す言霊になるものは一つしか浮かばなかった」

「若様。真剣に考えてくださって嬉しゅうございます。若様から賜るものはどれも無上の喜びとなりましょう」

「そうだとよいのだが」

「何と」

「美月──美月だ。そなたの心が決まるまで、此の地に留まり美月と名乗れ」


 美しい月と書いて美月(みつき)

 苦しみと恭悦、相反する感情を齎した男の微笑に掻き乱されていく。

 深雪と美月、差異など細微なものだった。

 煌月はわざと響きの近いものを選んだのか。

 足元は確かなのに視界が揺らいでいく。


「わたくし、若様から離れる者です。その名はいただけません」

「拒むのか」

「父から、わたくしの名を聞いたのですか? ……なぜ」

「雪風に紛れて何やら聞いたやもしれぬが、そなたの父君は私が問うても仰らなんだ。美月、私と揃いは嫌だったか?」


 そうではない、そうでなく、抱きながら生きると決めた傷が深手になりすぎた。

 母への未練と妹への愛情と父に乞う許し。家族への思いを凌駕してしまいそうなこの血潮が辛いのだ。


「何ゆえに、似通う響きを持たせたのですか」

「美しい心を持った美しいそなたに、これ以上はないと考えた」

「わたくしは……いずれ、帰りたいのです!

貴方様より選びたい人がいるのです……受け取れません」


 煌月は深雪を家族の元に送り届けたい。

 此処に滞在するより逸早く帰路に着いた方が深雪の悲しみも癒えると知っている。

 美月と呼ばれれば母に深雪と呼んでももらいたい少女の未練が強まると理解しきっているが、女心は申告の通り縁遠かったのであろう。退けた情に言葉を失っている。

 女も十七になれば嫁ぐ頃、初めての恋もしよう。

 砕けた想いが輝いて、涙となって流れ始める。


「束の間でも許されぬか」

「わたくしが、己を赦せなくなります。煌月様、わたくし、深雪と申します。煌月様にお会いして家族と向き合いたいと、母と妹に会いたいと思えるようになりました。深雪はこの御恩を一生かけて返さねばなりませんのに、義理を欠いて去って行く身でございます」

「善いのだ、なれど」

「貴方様に深雪と呼ばれれば母の声が掻き消えます。美月と呼ばれれば……お返しするのが……若様とお別れするのが、口惜しゅうてなりません」


 膝を折り、三つ指を突いて頭を垂れた。

 その目から逃れたい卑怯者は拒絶する。


「深雪は家族が大事です、けれど、煌月様を下に置く事ができません。これではどこにも行けなくなってしまいます。お許しください、月の名はいただけません」

「──そなた、眩いほど純粋であるな。私を買い被っているが」

「若様、わたくしは本気で」

「美月。私の庇護の下、のびのびと過ごせ。家族に会いたいならば何にも遠慮をせずに申すのだ。内から聞こえる声に耳を澄まし、抗わずに従えば善い。譲れぬものは一つでなくとも構わない。故郷を求め、私を手放すな」

「できません」

「できるようになる──私が説こう」


 噛み締める唇を愛おしそうに親指がなぞった。

 煌月の手を濡らしていくのに振り解けない。


「私は決めたぞ。返事をされなくとも美月と呼ぶ」

「ならば明日この地を発ちます」

「莫迦を言え」

「……どうすれば、よいのか、わからないのです」

「泣いてしまえ。一回も二回も変わらん。だがその涙は私が貰う、そなたにも渡せん」

「若様といると自分が憎くなります。醜くなっていきます……」

「どれもな、善い兆候だ」


 高らかに是とする男を悪徳だとすら感じてしまう。八つ九つ、或いはそれ以上に年嵩の男が恨めしくもあった。

 女の顔は自己嫌悪に歪み、女を射抜く金の目は爛々と輝いている。


「美月」

「……はい」

「返事をしてしまうのだな」

「亡き祖父が、優しくも厳しい人でした」

「そうであったか。美月、そなたは金輪際独りではないぞ」


 閉じ込められて目線が彷徨った。

 この腕の力強さを失っては歩く事も儘ならぬ。

 煌月という男は孤独に生きてきた少女には鮮烈な光だった、潰えてしまいそうな心に差した救いの輝き。


「煌月様はわたくしを泣かせてくださいます──もしお会いできなかったら……深雪は幸せ者です」

「余り(わたし)を信用しすぎるなよ」

「貴方様を信じないで誰を信じろと仰るのです」

「目を曇らせないでくれ。私は人攫いだ。狡い大人なのだ」


 いいえ、貴方様は恩人でございます。心よりお慕い申し上げております──とは続けられはしない。

 深雪と美月が互いの口を塞いで牽制し合うのだ。

 けれども揃って反論もする。


「一晩休め。明日話そう。時間だけはあるのだ」

「若様! 若様は、子供っぽい女はお嫌いでしょうか?!」

「どうした、そんな話はしていないぞ?」

「若様もお立場に相応しい女性を娶られ日が参りましょう、けれど、何卒」

「何を言う。私の妻はそなたがなる」

「なれません……! 二度とそのような揶揄いを仰らないでください!!」

「──約束しかねる」


 眦に唇が落とされて、強く瞑った瞼を開いてしまった。

 間近にいた思い人は律儀に否定して、混乱する深雪を寝所へと送り届けて布団を掛けた。


「明日また顔を見に来る。今宵はもう休め」

「煌月様……お待ちを」

「夜が明ければ逢えるからな。美月」

「はい……おやすみなさいませ」


 深雪の心を焦がす男は、朝の訪れの前に去って行った。


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