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第三話 憚られる思い



 静寂が広がり、刀身の金切り声が宙を裂く。

 薄暗闇に入れば灼熱の花が燃ゆ。その煌々たる輝きは、瞼を焼き落とすが如し。


「──善いぞ、目を開けよ」


 冬の匂いから青々とした草木へと気配が移ろう。

 移動した心地はなかったが、攣っている遮りで実感させられる。


「日が……眩みますね……」

「無理をするでない」

「はい──長い間、旅をして来たのでしょうか? 煌月様はどこを通って来たのです?」

「影の中だ」

「影の中?」

「そうだ。そなたが風を手繰るように私も影に息を潜める者だ。一族以外の者を運ぶのは滅多にないがな。あの岩戸から距離があるゆえ影を通った」

「ここが、煌月様の生まれ故郷──」

「山奥で娯楽はないが長閑であるぞ。休むには打って付けだ」


 未だにちらつきが取れずに眇めながら景色を見渡せば、雪も雲もない晴れ晴れとした朝にいた。

 影に入るとは想像しておらず、まるで化かされたかのようで耳朶を引く。痛覚は残っている。風も此の大地が生きとし生けるものの邦だと伝える。

 茂る緑から差す陽は温かさもあった。煌月の吐息も本物であろう。


「楽になるか?」

「はいっ……!」

「どうした、間抜けな顔をしおって」


 逞しい手が瞼の上に翳され日陰を作った。

 気負いのない親切が却って頬を火照らせ視線を彷徨わせる。

 首に回した腕が折り畳まれてしどろもどろだ。

 父と祖父以外の者と接する機会が極端に少ないまま十七になった。

 麗しの異性の片腕に閉じ込められ、地面より更に離される。

 慌てて下駄が落ちてしまった。


「お、下ろしてください」

「そなた、軽すぎだ。ほらな、こうも易々と持ち上げられる」

「元々食が細くて、祖父が亡くなってからは特に……あの、本当に下ろしていただけませんか?」

「何ゆえに」

「必要がないからです」


 担がれたままでは分が悪い。会話すらも成り立たぬ。

 仕方なしに風で煌月の着物の袖をはためかせると、大口を開いて笑われる。


「そなたはころころ顔が変わるなァ!」

「変えている貴方様が仰るのですか」

「気分がいい」

「よろしゅうございますね──」


 深雪、少女の名は深雪。

 しかし今日の此の日の此の土地で、攫われた先の新天地に生まれ落ち、月光から道標を授けられよう。

 まだどこか、夢ではないかと思ってしまう。

 足で大地を踏み締めても実感は得られない。

 だが尊大を絵に描いたような男が頬を抓ってくる。


「柔い。それによう伸びる」

「失礼ながら、煌月様のお年は?」

「そなたより八つか九つは年嵩だ。詳しくは覚えておらん」

「そのような事があるのですか?」

「子供にはわかるまい」

「そうですか──」


 茫洋としていて月の輪郭のようだ。

 呵呵としながら静謐で、涼やかな金の温度が下がると背筋が慄く。


「小手毬」

「此処に」


 唐突に煙のように現れた女に蹈鞴を踏むと、転倒を危ぶんだか覆い被さられる。

 目が点になったが、人の頭越しに会話が為される。


「私が不在の間の報せは後で聞く。この者の持て成しの準備はできているな?」

「整ってございます。莇ばあも張り切っておりますよ」

「そうかそうか。善かったな?」

「えぇ──そうですね……?」


 急に振られて相槌を打つと、跪いている女の顔が和らいだ。

 年は同じくらいか、女人には珍しい短髪だ。


「若。御客人をご紹介くださいませんか?」

「客人ではないぞ。攫って来た。なあ?」

「は、はい……」


 事実であるが誤解を招く物言いに、小手毬と呼ばれた女の目が吊り上がる。

 背の丈以上の迫力で煌月に食ってかかった。


「若。返して来なさい」

「嫌だ」

「若! 犬や猫とは違うのですよ! お嬢さん、この男に脅されましたか? 人質を取られておしまいに? 若! 今すぐに元いた場所にお連れしなさい!」

「うるさいなぁ。のお? そなたもそう思わんか?」

「小手毬様の言い分が正しいかと──」

「何だ、まだ眩んでおるのか? 浮気者め」


 面差しも佇まいも天上人のようであるのに、此方の目を白黒させる言い草は悪戯盛りの童のようだ。


「この者は小手毬。小うるさく説教は長いが信用の置ける者だ。そなたの身の回りの世話をする。私は用がある、後は頼んだぞ」

「どこへ行かれ──いなくなっちゃった」


 良好になりつつあった視界でふっと消えられると、騙くらかしに長けた陽気な御魂と錯覚する。

 此れまでの常識外に手の甲を強く抓ってしまうのであった。


「お客人」

「はいっ!」

「ご挨拶が遅れました、小手毬と申します。これでも若より一回りも年上ですからご心配なきよう」

「心配など……お立ちになってください」


 十近く違えば年の離れた妹のようなものか。

 思わせ振りにも至らず、ただただ揶揄って遊んでいるだけに過ぎないのだろう。

 そう自戒しなければ帰りを待つ家族がいるにも関わらず、嫁ぎ先に来てしまったようだと自惚れてしまう。

 口を噤んだ無調法者に合わせて、小手毬は朗らかに歩き出す。


「ご案内しますね。此処は山奥ですが余所より暑いでしょう? 着替えも用意してございますよ」

「忝うございます。わたくしの邦では風がよく吹きました、こうも違うと不思議な心地がいたしますね」

「──本当に、よろしいのですか?」

「何がでしょう?」


 地を這う獣染みた問いに、又しても身が毬のように跳ねてしまう。

 昨晩から何度も驚き、守られ通している。


「若はあの通り無粋者です、お嬢さんは可憐でいらっしゃいますからわざわざ粗野な男をお選びにならずとも……」


 気の置けない間柄ゆえの緊迫した様子だ。

 人攫いの汚名を濯がねばと逸ったが、心配しきりの眼差しに仄かに色付く笑みを湛える。


「煌月様に──若様にこの命を救われまして、御恩返しをしたいのです。わたくしに何ができるかわかりませんが……」

「何をせずとも、ここにいてくだされば若はお喜びになりましょう」


 有限の移住者を歓待する小手毬に何を返せば善いのやら。

 彼女らの“若様がお連れした女性”への希望を無下にしてしまうのだ。


「どうなさいました?」

「いつまでもいるわけにはいかないのです……いずれ邦に帰ります」

「左様で。若も承知しているのなら私共が口を挟む道理はございません。安心なさってください。若はああですが事は必ず善き方へと進んで行きましょう。思い一つであるなら尚の事若を頼って差し上げてください」


 煌月にとって小手毬は姉のような存在であるらしい。

 一目だけまみえた妹にこうも会いたくなるのは姉の性であろう。

 父母や妹の元へと帰ると決めれば巣立ちの時、二つは選べぬ、煌月も望まない。


「……思わず付いて来てしまいました。煌月様のお手煩いにならないとよいのですが」

「なりません。この小手毬が約束いたしましょう」

「若様は、その──明るいところで見ますと、ほんとうに……わたし、なんて人に拐かされてしまったのかと──あんなふうに持ち上げられてしまって」

「えぇ」

「これが、恋というものなのでしょうか──? わたくし、よくわからないのです」

「まあ──!! それは若に相談なさるのが最善ですねぇ! お若い方のこういったお話を聞くのは嬉しゅうございます、もっとお聞かせくださいませね!」


 喜色満面に湧いて、此方より小柄で大人な小手毬がうずうずとしている。

 そうもはしゃがれては続けられよう筈もなく、組紐が風に吹かれていた。


「失礼を──若より何とお呼ばれでしょうか?」

「まだ付けていただく前で──すぐには決められないと仰っておりました」

「ええええ、そうでしょうねぇ、そうでしょうとも! 若、早く帰って来ませんかね? 他に重大な用件などないでしょうに。まさか──この土地には天然の湯が湧くのですよ。一休みしたらお連れしますね。全身が伸ばせますから旅の疲れも癒やせましょう」


 深雪の日々は後悔で鬱屈として寒々しかった。

 それがどうだ、煌月も小手毬も悠然と導いてくれる。


「若様は、お忙しいのでしょうか……? 今もお仕事を?」

「次期頭領ですし相応に務めがありますが、あの通り風来坊でして、今は──まったく、躾が足りませんでした! 平にご容赦を」

「小手毬様は朗らかな方ですね」


 貴方のような姉であれたらどんなによかったか──とは、憚られて言えもせず、少女は故郷が恋しかった。


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