第9話 ずっとそばにいます
セラとの再会を果たし、昼食を摂ってニーナとともにタリス家に戻ってきたマノン。
それぞれの部屋で休憩を取った後で、マノンとニーナは稽古場へやってきた。
二人とも腰の鞘に剣を帯刀し、準備はバッチリだ。
ニーナと向かい合う形になり、マノンは抜刀した剣を構える。
「それではお嬢様、今日は以前言っていた新しい型を教えますね」
「……は、はい。よろしくお願いいたしますわ、マノン師匠……」
「お嬢様……?」
ニーナも抜刀して構えてはいるものの、その表情はどこか悲しげで虚ろだ。マノンが思わず呟くと、ニーナは構えた剣を下ろした。
「マノンの先輩の仰る通り、わたくしはマノンを振り回しすぎているのでしょうか」
「そ、そんなことないですよ……!」
マノンはニーナの言葉に慌てて首を振った。
セラの言い分では、買い物の時にニーナがどんどん先を走って、それをマノンが追いかけていたため、ニーナがマノンを振り回していると思われたようだ。
しかし、買い物に誘ってくれたのもニーナなのだから、マノンはニーナについていくのが当たり前だ。
町もマノンにとって初めての場所、誰かと買い物をするのも初めての体験だ。何もかも初めて尽くしだったのだから、ニーナに先導を切ってもらわないといけない。マノンの走りが遅いせいで、セラにそういった印象を抱かせてしまった。
日常生活においてもニーナは人一倍マノンのことを気にかけてくれている。ニーナに振り回されていると感じたことなんて、今までで一度もないのだ。それなのに、ニーナに責任を感じさせてしまっている。マノンは自分の不甲斐なさが情けなかった。
ニーナは目を伏せて、弱々しい声を絞り出した。
「どうして、わたくしの家に剣士協会から剣士が派遣され続けるんだと思います?」
派遣され続ける。
その言葉の意味から推測するに、実習生として選ばれた第二剣士の実習先は全てタリス家ということになる。
年ごとの剣士によって実習先は異なるものとばかり思っていたマノンは少々驚いてしまうが、それでもニーナに非があるとは思えない。
では、剣士協会の侍女実習先が全てタリス家なのは、どうしてなのか。
そう問われると、明確な答えは出てこない。
マノンが答えられないでいると、ニーナは自嘲気味に言葉を紡いだ。
「わたくし、二年前にも、去年にも、剣士協会の剣士に侍女として来てもらっていますの。二人とも、途中で辞退届を出して辞めていきましたわ」
「そんな……どうして……」
基本的に侍女実習での途中辞退は認められていないのに、何故誰一人として最後までタリス家での侍女実習を終えた剣士がいないのだろうか。
マノンの疑問を読んだかのように、ニーナが続ける。
「お父様から聞いた話によると、わたくしが一方的に相手の侍女を振り回しすぎて、心も身体も疲弊させてしまうんだそうですの」
何でも、ニーナの自由奔放さについていけずに一年の期限を待たずに辞表を出した侍女がたくさんいるらしい。
二年前よりももっと前も、そういった事態が多々あったようだ。
剣士協会の剣士たちは皆真面目で、きっちりと決められた任務をこなす性格の人たちがほとんどだ。仲間内でふざけ合うこともなく、ただ一心不乱に剣術の稽古で己の剣術の腕と心身を鍛える。マノンのことを絶えず気にかけてくれているセラは、まだ剣士の中でも優しい性格の方だ。もっと冷徹で無慈悲な剣士は、第一剣士になればなるほどたくさんいる。
そうした生活をずっと送り続けている剣士たちにとって、自由奔放で明るいニーナの性格はあまりにも正反対で剣士たちとは合わないのだろう。
だからといって、一年という任期を迎える前に実習を途中辞退していい理由にはならないが。
「ですから、マノンの先輩に『マノンを振り回しすぎてる』って言われた時、本当はすごく怖かったですの。マノンもわたくしについていけてなくて、お父様に辞表を出したらどうしようって……。また、わたくしのそばから誰かが離れていっちゃったらどうしようって……」
ニーナは剣の柄を強く掴み、肩を震わせた。瞳には涙が溜まっており、今にも溢れてしまいそうだ。
精神的にも、剣術の稽古を続けられる状態ではない。日々の稽古を重ねていく中で、ニーナは確実に剣術の腕を上げている。今日くらいは休みにしてもいいかもしれない。
「今日は剣術の稽古は終わりにしましょう。代わりに、わたしに魔法を教えてくれませんか? お嬢様」
「わたくしが、マノンに魔法を……?」
剣を鞘に戻しながらマノンが言うと、ニーナは涙を溜めた瞳を丸くした。
「はい。お嬢様、わたしに仰ってくれましたよね、わたしの魔法の師匠になってくださるって」
「そ、それは、そうですけど……。でもマノン、わたくしについていけないんじゃ……」
「わたしは、お嬢様についていけないって思ったことなんて一度もありませんよ。大丈夫です、わたしは何があってもお嬢様から離れません。ずっと、お嬢様のそばにいます」
マノンはニーナの両手を優しく握りしめ、ニーナの瞳をまっすぐ見つめた。
ついに、ニーナの目から涙がこぼれ出る。目と頬を真っ赤にしながら泣きじゃくるニーナ。
ニーナの手を引き、マノンはそのまま彼女を優しく抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫ですよ、お嬢様」
決してニーナに非はないのに、マノンのためを思って自分を責めて泣いている。ニーナの優しさが、マノンには素直に嬉しかった。同時に、こんなに優しい人のそばから離れることなんてできない、ずっとついていこう、とも思った。
「マノン……! ええ、約束ですわよ!」
「はい。……では、魔法の稽古、本日からよろしくお願いします、ニーナ師匠」
マノンはニーナから体を離し、魔法の弟子として頭を下げる。
「任せなさい! わたくしがビシバシ教えて差し上げますわ!」
ニーナは胸をドンと叩き、歯を見せて笑った。
* * *
「あの、どの魔法が一番簡単でしょうか……?」
マノンが魔法を使うのは実に何十年ぶりだ。ほぼ人生初めてと言っても過言ではない。
それに剣士協会ではずっと剣術関連のことを学んできて、魔法に関しては一度も触っていないため、魔法に関する知識もゼロに等しいのだ。
魔法に関してはまさに、ニーナが師匠でマノンが弟子。剣術の時とは正反対である。
「そうですわね……炎魔法は失敗するとここを火の海にしてしまいますし、雷魔法も火災に繋がりかねませんわ。風魔法も強すぎた時に厄介ですし……」
顎に手を当てて考え込むニーナ。ニーナの言葉通りの顛末を想像するだけで、マノンは震え上がってしまう。
魔法を何年も使っていないのだから、実際に魔法を使うとなるとニーナの言う通りに失敗だらけになるだろう。もしタリス家の大事な離れ家を魔法で壊してしまったら……。
マノンの嫌な想像を打ち消したのは、ニーナの声だった。
「そうだ、水魔法にしましょう! それなら失敗したとしても被害が少なくて済みますわ!」
「わ、分かりました……!」
稽古場を濡らすわけにもいかないため、二人は一度離れ家の外に出た。外は砂利で地面が固められていて、雑草がピョコンと頭を出している。離れ家もう一戸分の面積はないものの、その八割ほどの面積はあるだろう庭が広がっていた。ここならば、周りは木々に覆われているため、失敗したとしてもその木々や雑草の栄養になるだけで被害は最大限に抑えられるだろう。
「ではまず、どうやって魔法を繰り出すか、という初歩的なところから教えますわ」
「は、はい……!」
いつになく真剣な表情のニーナを見つめ、マノンはごくりと唾を飲み込んだ。