第8話 再会
後ろ髪を一つにまとめた淡い空色の髪にスラリとした長身、剣士協会の鎧と軍服を身に纏った、二十代前半の剣士――セラ・クシフォ。マノンの先輩であり、見習い時代にずっとマノンの師匠として鍛えてくれた人だ。
「セラ先輩、ど、どうしてここに……?」
そんな人が今目の前にいることに、マノンは驚きを隠さなかった。
剣士協会にいる時に町に出ること、ましてどこかに外出することはほとんどなかった。もしかしたらマノンが第三剣士だったからというだけで、第二剣士は町に出ていくこともあったのかもしれない。
「今日は休暇をもらっていてな、久しぶりに町へ出てみたんだ。まさかマノンに会えるとは思っていなかったが」
「わ、わたしもです……。お会いできて嬉しいです……」
感激のあまり声が震えるマノンに、セラは見習い時代よりも柔らかい笑顔を見せた。
「どうだ? 初めての侍女実習は」
「予想以上に慣れないことばかりで……。いつもお嬢様やタリス家の皆様に迷惑ばかりかけてしまっています……」
マノンが肩を落とすと、セラは苦笑しながら、
「あのご令嬢は行動力が並大抵のものではないと聞いているからな、ついていくのも大変だろう。……私はお前が心配だ、マノン。他人のために無理をして自分の心を壊してしまわないかどうか」
「先輩……」
先程とは打って変わった真剣な表情に、マノンは固まってしまう。
剣士協会で見習い剣士だった時も、セラは常にマノンのことを心配してくれていた。マノンの剣術の腕がなかなか上がらなくても、辛抱強く寄り添ってくれたのだ。
――剣士協会を離れても、セラ先輩に心配させてちゃってるな……。
マノンの胸に、小さな罪悪感が芽生える。
そんなマノンを我に返らせたのは、遠くから聞こえてきたニーナの声だった。
「ねぇ、マノン、マノン! どれもこれも美味しそうですわよ! 二人で一緒に――あら、こちらの方は? マノンのお知り合いですの?」
マノンの隣までやってきてセラのことを見上げるニーナは、自分の上半身くらいの大きさの紙袋を抱えている。言葉通り、本当にたくさん昼食を買ってきてくれたようだ。
「はい、剣士協会でわたしの見習い時代に鍛え上げてくださった、セラ先輩です。お嬢様」
セラはいつも良い姿勢をさらに伸ばし、頭を下げた。
「自己紹介が遅れて申し訳ございません。私は剣士協会所属、第一剣士、セラ・クシフォと申します。日頃から私の後輩がお世話になっていると伺いました」
「ああ、マノンが稽古の時に言っていた先輩というのは、あなたのことだったのですね! 会えて光栄ですわ! わたくし、ニーナ・タリスと申します!」
「こちらこそ、お会いできて光栄です。マノンはしっかりと侍女としてニーナお嬢様のために行動できておりますか?」
心配そうに眉尻を下げるセラに、ニーナは笑顔で力強く頷いた。
「はい、勿論です! この間も剣術の稽古をつけてもらいましたし、すごく優しくて頼り甲斐があって、わたくしにとって最高の侍女ですわ!」
「お嬢様……!」
マノンは褒め言葉の連続に、素直に嬉しくなって頬を桃色に染める。失態の連続で落ち込んでいただけに、ニーナから直接褒めてもらえるのは何より嬉しいことだ。
「それなら安心しました。ではその上で単刀直入に申し上げます。あまり、ご自分の勝手気ままにマノンを振り回さないでいただきたいのです」
セラはニーナを真剣な瞳で射抜いた。
「勝手気ままって、どういうことですの……?」
ニーナの顔に困惑の表情が浮かぶ。
無理もない。初対面の人間からいきなり「自分の勝手気ままに相手を振り回すな」と言われたのだから。
「せ、セラ先輩……!?」
マノンも驚いてしまう。二人にお互いを紹介しようとしただけなのに、まさかこんな言い合いのような状態になってしまうなんて。
「失礼ながら、私はマノンの見習い剣士時代をこの目で見てきました。この手で未熟だったマノンを育ててきました。ですから分かります。侍女としてもまだ新米のマノンは、侍女の仕事をこなすだけで精いっぱいなのです。それなのに、さらに貴方様に好き勝手に振り回されると、キャパオーバーしてしまいます」
「先輩、そんなことは――」
何とかしてこの言い合いを止めなければ、とマノンは必死に口を挟もうとする。しかし、そんなマノンを遮り、ニーナがセラのことを睨み上げた。
「わたくし、マノンを振り回しているつもりはありませんわ。一体どこを見てそう判断されましたの?」
「町に来てから、あなたとマノンのことは一度お見かけしていました。その時も、あなたはマノンに追いかけさせて振り回していたではないですか。……違いますか?」
困惑と怒りを表情に宿すニーナとは裏腹に、セラは真顔のままニーナを冷たい目で見下ろしている。
マノンは一歩前に出て、セラを見上げた。
「や、やめてください、先輩! わたしが色々と遅いだけで、お嬢様は何も悪くありません!」
すると、ニーナがマノンよりも前に出て、
「マノンだって何も悪くないですわ! それにあなた、いきなり何なんですの? お会いしたばかりなのに、あまりにも酷くありません?」
「ですから、失礼を承知で申し上げております。私はマノンのことが何より大事ですので」
マノンがどれだけ制止しようとも、二人の言い争いは止まらない。
「マノンは、剣士協会ではこんな生活を送ってこなかったから、タリス家での生活は新鮮で楽しいと言ってくれていますわ。あなたは剣士協会でのマノンしか見ていらっしゃらないからお分かりでないと思いますけど、タリス家に来てからのマノンのことはわたくしが一番分かっておりますわ」
胸に手を当てて熱く語るニーナに、セラは冷静に淡々と言葉を返す。
「あなたの仰る通りです。私は剣士協会でのマノンの姿を誰よりも間近で見てきました。だからこそ、マノンの性格も特性も全て分かっています。マノンがどんなことに苦しんで、どんなことを嫌だと感じるのか」
「っ……!」
セラの言葉に絶句したニーナは、悔しげに唇を噛んだ。
確かに、ニーナは剣士協会にいた頃のマノンを知らない。マノンは幼い頃から剣士協会にいたため、子供の頃からマノンのことを知ってくれているのはセラに間違いない。
マノンがどれだけ正しいことを言っても、火に油を注ぐだけだろう。
そう感じたマノンは、二人の間に割って入った。
「お、お嬢様、先輩も、落ち着いてください……! そ、そうだ、お嬢様、あちらのベンチで昼食を摂りに行きましょう。終わったら剣術の稽古ですよ……! それではセラ先輩、失礼します!」
ニーナの背中を押して半ば強引にセラから引き離す。セラに挨拶をすることも忘れず、マノンは急いでその場を後にした。
マノンに背を押されて去っていくニーナを、セラは恨めしげに見つめていた。
* * *
セラから離れ、マノンはニーナと一緒に道脇のベンチに座った。
「はぁ、お腹空きましたね。お嬢様、昼食を買ってきてくださってありがとうございます」
そう言いつつ、紙袋の中から適当な食品を取り出す。
「わぁ、ホットドッグ……! ありがとうございます! お嬢様も食べましょう」
「え、ええ、いただきますわ」
マノンが差し出したホットドッグを、ニーナは両手で受け取る。だが、すぐに食べ始める様子はない。マノンから受け取ったホットドッグを、浮かない顔で見つめている。
「お嬢様、どうかされましたか……?」
ニーナが暗いのは、理由を聞かなくてもマノンにも分かっていた。セラとの言い合いで、セラに言われたことが引っかかっているのだろう。
このままでは食事も摂らない勢いだ。
マノンはニーナにも食べてもらうため、まずは自分がホットドッグを頬張った。
「んん! すごく美味しいです! お嬢様もいただきましょう!」
「ええ、そうですわね……」
ニーナはそう言うと、小さな一口でホットドッグを食べた。
「お口に合いますか? お嬢様」
「……とても、美味しいですわ」
「良かったです。やはり、お嬢様の見る目はすごくいいですね」
「マノン……」
安心したように顔を綻ばせたニーナは、少しずつホットドッグを食べ進めていった。
食事を終え、食べ切れなかったものはタリス家に持ち帰ることにしよう、と話しつつ、
「さあ、剣術の稽古をしに帰りましょうか、お嬢様」
マノンは立ち上がり、ベンチに座ったままのニーナに手を差し伸べた。