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第22話 ごめんなさい

 その日の深夜。マノンは真っ暗な部屋の中で目を開けた。

 スースーと聞こえる寝息の方に視線を移せば、ニーナがマノンのベッドに突っ伏して眠っていた。

 自分の部屋に戻らず、ずっとマノンのそばにいてくれたのだと思うと、素直に嬉しくなる。


「ありがとうございます、お嬢様」


 マノンはニーナの金髪をそっと撫でて、顔を曇らせた。


「でも、ごめんなさい」


 マノンはまだ痛みが走るのを堪えてベッドから降りると、机の前にある椅子に腰をかけ、引き出しの中から便箋サイズの小さな紙とペンを取り出した。


 紙の上にペンを走らせて何かを綴り、その紙を机の上に置いたままにして、着替えなどの荷物をまとめて、ドアの方へ向かった。


 ――やっと来てくださったのね! あなたが来られるのを今か今かと待ち侘びておりました!


 不意に思い浮かんだニーナの姿に、マノンの足が思わず止まる。


 初めてマノンがタリス家を訪れた時、ニーナはまるで太陽のような優しい光でマノンの緊張と不安を優しく溶かしてくれた。


 だからこそ、マノンもタリス家での侍女実習を頑張ろうと改めて決意をすることができたのだ。


 マノンが第二剣士として、ニーナの専属侍女として充実した日々を送ることができたのは、紛れもなくニーナの底知れない明るさのおかげである。


 叶うなら、侍女実習の期間満了までニーナに剣術を教えたかったし、魔法を教わりたかった。


 だが、ジークに受けた猛攻を思い出すだけで恐怖のあまり息が詰まり、立っていることすら難しくなってしまう。

 こんな状態ではニーナにしっかり剣術を教えることなどできない。


 それならば、途中ではあれど侍女実習を終えて剣士協会に戻るべきだ。


 だから、マノンはタリス家を後にした。


 ――ごめんなさい、お嬢様。ごめんなさい……。


 ただひたすらに、ニーナへの謝罪を胸の内で叫びながら。



 * * *



 森の中で野宿をし、片付けを終えてから、マノンは剣士協会の建物へと向かった。


 タリス家で侍女として働く自分を見てほしい、とセラにお願いするために訪れて以来、久しぶりの剣士協会である。相も変わらず、見上げるほど高くそびえ立つ門の呼び鈴を鳴らし、


「第二剣士、マノン・スワードです。ただいま戻りました」


 見習い剣士時代、嫌というほど聞いてきた言葉だ。

 当時からずっと、侍女実習から戻ってきた第二剣士たちが口にしていたこの言葉を、ついにマノンも口にする時が来たのだ。


 本来ならば、侍女実習を全て終えた達成感に満ちているはずのマノンの心は、ぽっかり穴が空いたような空っぽの状態だったが。


 マノンの言葉を合図に、門が音を立てて開かれる。玄関の扉を開くと、剣士たちがわらわらと出迎えてくれた。


「マノン!」

「マノンだ! おかえり!」

「おかえりなさい……」

「やっぱり、マノンも途中で帰ってきちまったか」


 出迎えの声は十人十色だ。

 まだ侍女実習期間が終わっていないことは剣士たちの間では周知の事実であるため、この時期に帰ってくることは、つまり実習の辞退を意味する。それを、みんなは知っているのだ。


 様々な声に出迎えられながら、マノンがとりあえず自分の部屋に戻ろうとした時。

 剣士たちがサッと両脇に避けて道を作った。


「マノン」


 優しい声で呼びかけられて、マノンはハッとする。剣士たちが作った道のその先にいたのは、


「セラ先輩……」

「おかえり。まずはゆっくり休め」


 優しく微笑んだセラは、当たり前のようにマノンを自分の部屋へ連れて行ってくれた。


「お茶を入れてくる。適当に座っていてくれ」

「……ありがとう、ございます」


 マノンはセラの言葉に甘えて、椅子に腰をかける。

 少し待っていると、セラが二人分のカップを持ってきてくれた。


「侍女実習、頑張っていたじゃないか」


 セラは自分も着席し、注いだお茶に口をつける。


「正直、私の予想を遥かに超えていた。それくらい、マノンは侍女としても剣術の師匠としても腕を上げていたと思うぞ」

「……ありがとうございます。先輩にそう言ってもらえて、とても嬉しいです」


 マノンは会釈をして、両手でカップを持ってお茶を飲んだ。


 口から出た言葉は紛れもない本心だ。しかし、マノンの気持ちは一向に晴れない。浮かない表情から、セラもそれを感じ取ったのだろう。


「マノンは、よく頑張った」


 一言だけそう口にして、またお茶をすすった。


「セラ先輩、わたし、不思議に思ってたんです。どうして、タリス家に実習に行った剣士がみんな途中で帰ってくるのか……。お嬢様はものすごく明るくて優しくて、良い方なのにって……。でも、やっと分かりました」


 思えば、侍女実習を途中辞退して戻ってくる第二剣士たちの表情は、絶望でも不甲斐なさでもなく、あまりにも強大な恐怖心を宿したものになっていたかもしれない。


 当時のマノンには、それが分からなかった。

 第二剣士たちは後輩に嫌な思いをさせないように、恐怖心を必死に押し殺して隠していたのだろう、と今なら容易に推測できる。


「みんな、ジーク様にやられていたんですね……」


 水、草、雷……。

 マノンが受けただけでも色々な要素の魔法攻撃と存在否定を仄めかす発言、そして敵意に満ちた冷たい目。


 誰も助けにこない。離れているせいで助けも呼べない。

 稽古場という閉ざされた狭い空間であれだけの猛攻を受けてしまえば、たとえ剣士であれど、簡単に心が折れてしまう。


「ジークというと……ニーナの兄か」


 そう独りごちるセラの表情は暗いものだった。

 マノンが黙って頷くと、


「彼がなぜマノンに攻撃してきたか、思い当たる理由はあるか?」

「……ジーク様は、剣術を不要なものだと思われていました。必然的に、不要な剣術をニーナ様に教えているわたしのことも気に入らなかったみたいです」

「剣術が不要なもの……?」


 訝しげに眉を寄せた後、セラはお茶を飲み干して立ち上がった。すれ違いざまにマノンの肩にそっと手を置き、


「ひとまず、ジーク・タリスの件は私が引き受ける。マノンはゆっくり休んで英気を養え」

「は、はい……」


 その表情がいつになく真剣なもので、マノンはただ頷くことしかできなかった。

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