第21話 自称・失格者
「――ン! ――ノン! マノン!」
自分の名前を呼ぶ声を聞いて、マノンはゆっくりと目を開けた。
ぼやけた視界が徐々に鮮明になっていき、人の輪郭を形作っていく。そうして見えたのは、心配そうにマノンを見つめるニーナの顔だった。
「よかった、目が覚めましたわね」
安心したように胸を撫で下ろすニーナ。
マノンはニーナのことを呼びつつ、起き上がろうと体に力を入れた。だが、全身が軋むような痛みが走り、思わず顔を歪める。
ニーナが慌ててマノンの身体を支えてくれた。
「ああ、いけませんわ! まだ安静にしていてくださいな!」
「おじょうさま、ここは……」
「勿論、マノンの部屋ですわ。医者がちゃんと手当てをしてくださってますから、安心なさって」
ああ、そうか、とマノンは思う。
ぼんやりした頭と全身の痛みのあまり、いつもの場所が見知らぬ場所に思えていたのだ。
「気分はどうですか? って……いいはずがありませんわよね……」
ニーナは目を伏せてから、再びマノンを見つめてきた。
「この度はお兄様が本当に申し訳ありませんでしたわ。わたくしがもっと早くあの場に行ければよかったのですけれど……。あいにく、自分の部屋のドアに鍵がかけられていまして、なかなか外に出られなかったのです」
言い訳に過ぎないと思ったのだろう、そこまで言ったニーナは首をブンブンと横に振り、
「本来であれば、稽古の時間にも遅刻していましたわ。マノンの弟子失格です。本当に申し訳ございませんでした」
マノンが横たわるベッドに頭がつきそうなほど、ニーナは深く頭を下げてきた。
自分の主人に頭を下げさせてしまうなんて。今度はマノンが慌てる番だ。
「とんでもございません。お嬢様が助けに来てくださらなかったら、わたしは今頃――」
次の瞬間、マノンの息が詰まった。
脳裏に浮かぶのはジークの敵意に満ちた冷たい目と、様々な魔法での猛攻だ。
目を見開き、胸部分の服を強く掴んで、過呼吸のような短く荒い呼吸を繰り返すマノンを見て、
「ま、マノン!? 大丈夫ですか!?」
ニーナは素早く背中をさすってくれる。
しばらくして呼吸が落ち着いてから、マノンは深呼吸をしてから、ニーナを見上げた。
「だから……助けてくださって、本当にありがとうございました」
肩で息をしながら笑顔を浮かべるマノンを、ニーナは悲しそうに見つめた。
「少し待っていてくださいな。お茶を用意してきますわ」
「えっ、お嬢さ――」
マノンが止める声も無視して、ニーナはマノンの部屋を出ていった。
部屋で一人になってから、マノンは自分の胸をギュッと押さえた。ジークに攻撃されたことを思い出しただけで、あんなにも体の不調が出るなんて思いもしなかった。
ジークには以前からあまりいい印象を抱かれていないというのも分かっていたし、精神的なダメージはほとんどない。まして意外性、驚きなどは全くと言っていいほどないに等しいものだ。
そう思っていたのに、過呼吸のような症状が出たということは、多少なりとも精神的なダメージも負っていて、マノンが思う以上にトラウマになっているのだと思い知らされた。
「お待たせいたしましたわ、マノン」
しばらくして、ニーナがトレイにカップを二つ乗せて戻ってきた。
「ありがとうございます、お嬢様」
ニーナが渡してくれたカップを受け取り、マノンは一口すする。和やかな茶葉の香りがマノンの胸の中にある恐怖と申し訳ない気持ちをいくらか和らげてくれるようだ。
心身ともに落ち着いてから、マノンは最初から尋ねたかったことをニーナに尋ねた。
「お嬢様を責めるつもりは全くないのですが、部屋から出られなかったというのは、一体どういうことなのですか……?」
お茶を飲んでいたニーナはカップをトレイの上に置いて、目を伏せた。
「どんな言葉を用いても言い訳にしかならないのは承知の上ですわ。ですが、わたくしが支度をして稽古場に向かおうとした時には既に、外から鍵をかけられていて、いくら頑張っても全くドアを開けることができなかったのです……」
「そうだったんですか……でも、一体どうして……」
「わたくしも疑問でしたが、今となってはその答えの有力候補がありますわ」
ニーナは真剣な表情でマノンを見つめると、
「お兄様です」
「ジーク様が……」
マノンも、ニーナの意見には同意だった。
いつもマノンより早く来ていることが多いニーナが稽古場に来ておらず、その代わりにジークがいたこと。
前日のニーナの姿と、ジークによって語られたニーナの姿の矛盾。
それらを判断材料にして考えても、ニーナが自分の部屋に閉じ込められたのはジークの仕業だろう。
今朝の出来事は全て、ジークによって仕組まれたものだったのだ。
では、ジークがそのように仕組むことになった背景は何なのか。考えるまでもなく、明白だ。
だから、マノンはそれをニーナに謝罪しなければならない。
「お嬢様、わたしからも謝らないといけないことがあります」
「……どうしましたの?」
「昨日はいきなり難易度を上げて、お嬢様にとって苦しい稽古をつけてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「……え? えっ?」
マノンが頭を下げると、ニーナは慌てたように驚きの声を漏らした。
「お嬢様が苦痛を感じてしまうのも当然のことです。お嬢様のための稽古なのに、何より大切なお嬢様の気持ちを汲み取ることができませんでした。わたしは師匠失格です。本当に申し訳ありませんでした」
「……マノン……!」
マノンの手の上に自分の手を重ね、ニーナが力強く言葉を紡ぐ。
「そんなことありませんわ! わたくしだってもっと剣術の腕を磨いて、マノンみたいに強くなりたいですもの。多少難しい稽古であっても、どんと来いですわ!」
ニーナは真剣な表情を和らげて微笑みを浮かべ、
「ですから、マノンが謝ってくださる必要はないですわ」
「で、ですが……」
もしジークが言っていたニーナの姿――稽古が辛いと言って泣いていたニーナが全くの嘘ではないのなら、マノンは剣術の師匠としてしっかりと稽古の難易度の調整をしなければならない。無理に身体を酷使させてしまっては元も子もないし、稽古は無理をしてつけるものではない。
「わたくしはマノンを師匠失格だなんて全く思っていませんが……自称・失格者同士、これからも頑張っていきましょう、マノン」
「お嬢様……」
それでも、ニーナはマノンのことを優しくフォローしてくれている。魔法のことはもちろん、剣術に対してもまっすぐで極めようと頑張っているニーナの姿にはマノンも尊敬の念を抱くばかりだ。
「さて、言うのが遅れましたけど、マノンには怪我が治るまでこの部屋で安静にしていていただきますわ。食事や着替え等はうちの侍女がいたします。食事と就寝の時はわたくしも伺いますわね」
「ありがとうございます、お嬢様」
マノンがお礼を言うと、ニーナは嬉しそうに微笑んだ。
その日の夜、ベッドからマノンの姿は消えていた。ニーナがそれに気づくのは、夜が明けてからのことである。




