第2話 魔法の特訓
「剣術も大事だと仰るお父様たちのお言葉は分かりますわ。けれど、わたくしはわたくしのしたいようにしたいんですの」
「は、はぁ……」
「今は魔法の特訓がしたい気分ですわ!」
得意げに胸を張って意気揚々と歩き出すニーナの後ろをついていき、その後ろ姿を見ながらマノンは思った。ニーナの魔法の腕前はこの町で最も高いと聞いている。それなのに、ニーナは魔法の特訓を欠かさない、真の努力家なのだと。
マノンも剣士協会では毎日のように剣術の稽古を行っていたため、魔法の特訓をすると言うニーナの姿に親近感を覚えた。
しかし、マノンは一つ気になっていた。
「あ、あの、ニーナお嬢様、今からどちらへ……?」
「中庭ですわ! いつも魔法の特訓をしていますの!」
「わ、分かりました……」
ニーナの両親とはダイニングで別れたので、今はマノンとニーナの二人きりだ。マノンを歓迎するためのお茶会が終わった後にダイニングを飛び出したニーナを、自分が彼女に付き添うと両親に告げて慌てて追いかけてきたため、ニーナの後を歩くマノンの息は少々上がっていた。
* * *
――こ、これが中庭……?
マノンは驚きのあまり目を丸くして立ち尽くしてしまう。
ニーナに連れられた中庭は、およそ中庭と呼べるものではなかった。
あまりにも広大すぎる敷地は、どこかの小さな公園ではないかと思ってしまうほどだ。いくつか生えている木の根元には草花が生い茂り、中央の範囲はサラサラの砂で埋め尽くされていた。
「マノンに見せるには、コレが一番手っ取り早いですわね。マノンはそこで座っていてくださいな」
「は、はい、分かりました」
マノンはニーナの指差す先――中庭の端に生えた木の下に座ってニーナの魔法を見学することにした。
ニーナは砂の部分の真ん中に立つと、目を瞑ってゆっくりと深呼吸を行い、カッと目を見開いた。
「集いし風よ、我が命に従い、大気を震わせ、天高く舞い上がれ! エア・ウインド!」
ニーナの詠唱と共に、風が吹き荒れ、砂埃が起こり、マノンの髪を強くたなびかせた。
木々の葉や草花も音を立てて揺れている。
「す、すごい……!」
マノンが髪を押さえながら思わず感嘆の声をあげると、ニーナは嬉しそうに微笑み、
「ありがとうございます。今のは簡単な風魔法ですわ。特訓が必要なのは、魔力のコントロールですの」
「コントロール、ですか?」
ニーナの魔法の腕前がこの町で最も高いのは、剣士協会の中で周知の事実である。しかし、そんな彼女にも魔法において不足している点があったとは。マノンは驚きを隠せなかった。
「たとえば――」
ニーナは斜め左に生えている木を指差した。ちょうどマノンが座っている木陰の横だ。
「あの木の幹に向かって魔法を正確に当てられるかどうか。これがコントロールの問題なのですわ」
「な、なるほど……」
確かに、ただ単に魔法を使うのが上手なのと、その魔法を自分の思うようにコントロールするのが上手なのとは、また少し違う気がする。
マノンが納得していると、ニーナはもう一度深呼吸をした。
「集いし水よ、我が命に従い、天より降りて、大地を潤せ! ウォーター・ウェーブ!」
まっすぐに掲げた手の先から、水球が発射される。
木の幹に向かって発射されたはずの水球は、大きく右に逸れて木の後ろの塀にぶつかって消滅した。
それでもめげず、ニーナは何度も詠唱を繰り返す。
「ウォーター・ウェーブ! ウォーター・ウェーブ! ウォーター・ウェーブ! ウォーター・ウェーブ!」
右に左に逸れた水球のいくつかは、塀に大きな水の跡をつけた。
一方、しっかりと木の幹に当たった水魔法もあった。連続で水魔法を受け、ニーナが標的にしていた木は大きな音を立てて折れ、地面に落下した。
「五発中二発。まだまだ特訓が足りませんわね」
軽く息を吐き、ニーナは少し不満げに唇を尖らせた。
「これ以上は魔力が枯渇しますし、今日はここまでにしますわ」
「お疲れ様です、お嬢様」
右手を振りながら、ニーナはマノンが座っている木陰に入ってくる。
「ありがとうございます、マノン。……少し暴走しすぎてしまいましたわ」
「そ、そんなことは……。お嬢様の魔法をこの目で拝見できて、とても嬉しかったです」
マノンの言葉に、ニーナは安心したように微笑んだ。どうやら、たくさん魔法を放ったことを本気で反省しているようだ。しかし、ニーナは魔法の特訓をすると言って中庭に出たのだから、マノンは少しも気にしていない。
実際、魔法の説明をしている時、魔法を放っている時のニーナは本当に楽しそうだった。
その様子を見ることができただけで、マノンは満足なのだ。
「お嬢様は、本当に魔法がお好きなんですね」
「マノンは好きじゃありませんの?」
純粋に尋ねられ、マノンは自分の掌に視線を落として少し考えた。
「わたしはこの通り、剣術しか能がありません。魔法の経験もないに等しいですから、好きだなんて口が裂けても言えません」
それに魔力を扱うことすら何年もやっていないのだから、魔法はろくに使えないだろう。
魔法使い初心者と同等かそれ以下の魔法しか出せない未来が目に見えている。
「そんなに自分を卑下するものではありませんわ」
木陰から邸宅の方を見つめていたニーナは、勢いよく立ち上がった。
「明日からは剣術の稽古をお願いいたします。マノン師匠」
「し、し、し……!?」
「ええ、この方が普段と差別化できていいですわ。稽古の時は、師匠と呼ばせていただきます」
「か、畏まりました」
マノンが慌てて立ち上がると、ニーナは口元に手を当てて笑った。
「ふふ、弟子に丁寧な言葉を使う師匠なんて、とても面白いですわね、マノンは」
「も、申し訳ありません……! 突然のことで、その……慣れなくて……」
「構いませんわ。わたくしが呼びたくて『師匠』って呼んでいるんですもの」
マノンの謝罪などまるで気にしていないように、満足げに微笑むニーナ。
なお、中庭の木を勝手に的当てにして折ってしまったことはすぐに両親に見つかり、ニーナはこっぴどく説教を受けていたのだった。
* * *
その日の夜、マノンは夢を見ていた。
夢の中で、マノンは稽古場にいて、侍女の衣装ではなく剣士の鎧を身につけていた。剣士協会での制服のようなものである。自分の服装、そして目の前にいる人物を見て、マノンはこれが夢だと分かった。
だって、夢でなければ、マノンの目の前に先輩剣士がいることは絶対にあり得ないのだから。
それでも、マノンは胸の内に湧き上がる不安を抑えられない。それを言葉に出さずにはいられなかった。
「あ、あの、先輩。本当に、ニーナお嬢様の侍女はわたしで大丈夫なんでしょうか」
先輩剣士は目を瞑って息を吐くと、閉じた目を開いて口角を上げた。
「まだそんなことを言ってるのか。大丈夫だ、自信を持て。お前は私が見込んだ一番の後輩だからな」
頭の上に優しく手が置かれる。
「せんぱい……」
確かに不安が薄れていくのを感じながら、マノンはじっとして頭を撫でられるままでいた。
* * *
「せん、ぱい……」
「おはようございます!!」
カンカンカン! と甲高い爆音がマノンの鼓膜を貫いた。
「ひゃああああ!!!」
飛び上がるように身を起こしたマノンが見たのは、フライパンとお玉を両手に持ってニッカリと笑うニーナの姿だった。
目の前にいたはずの先輩剣士の姿はどこにもなく、マノンは稽古場ではなくベットの上に横たわっていた。
「今朝もいい天気ですわね、マノン。家の者がわたくしたちのために朝ごはんを作ってくださってますのよ! 早くいただきましょう!」
「は、はい……ただいま……」
まだバクバクと脈打つ胸を押さえ、呆然とニーナを見つめることしかできないマノン。返せた言葉といえば二言だけだ。
「あ、そうですわ、マノン!」
「は、はいぃ!」
「本日からご指導、よろしくお願いいたしますわ」
部屋から出ていく寸前で振り返り、朝日のような笑顔を浮かべるニーナ。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします!」
マノンは慌ててお辞儀をする。ニーナは満足げに微笑み、スキップをしながらマノンの部屋を出ていった。
ドアが閉まってから、マノンはホッと息をつく。
昨日訪れたばかりとはいえ、これから一年間過ごすことになる部屋だ。早いところこの生活に慣れて、ニーナをサポートできるようにならなくてはいけない。
マノンは「よし」と気合を入れて、窓から溢れる朝日を見上げた。