第16話 冷たい恐怖
その日の夕方、マノンとニーナは剣士協会に帰るセラを見送るため、外の門の前に立っていた。
「マノン、ありがとう。お前がタリス家に招待してくれたおかげで、過去のお前ではない、今のお前の姿を知ることができた。マノンがニーナ嬢の師匠であるように、ニーナ嬢もまたマノンの師匠……。互いに師匠と弟子という関係を築いているんだな」
セラはマノンを、そしてニーナを見つめ、優しく微笑んだ。
「はい。互いに師匠で、互いに弟子……わたしたちの関係は、そんな少し特別な関係なんです」
マノンが頷くと、セラはどこか遠い目をしながら言った。
「剣術の稽古をするだけでヒンヒン泣いていたお前が、立派になったな」
「セラ先輩……!」
「まぁ、マノンにもそんな可愛らしいところがありましたのね」
「お、お嬢様、笑わないでください……」
マノンが頬を赤らめると、ニーナだけでなくセラも声をあげて笑った。
確かに見習い剣士の時のマノンは、厳しすぎる剣術の稽古が嫌で、毎日のように泣いていた。
それで気を遣ってくれたセラが、自分の部屋にマノンを入らせてくれて、美味しいお茶をごちそうしてくれたのだ。
思えば、セラがマンツーマンでマノンに剣術の稽古を教えてくれるようになったのは、それ以来ではないだろうか。
毎日のように泣きべそをかくマノンを見かねて、セラが優しさを発揮してくれたのだろう。
それを思い出しているのだろうか、ニーナだけではなくセラまでが笑っている。
笑われていることももちろん恥ずかしいが、剣術の稽古が嫌でヒンヒン泣いていたことを「可愛い」と評価されたことが何より恥ずかしい。
「せ、先輩まで……!」
「マノンったら、本当に可愛いですわね」
「全くだ」
ひとしきり笑ってから、セラはマノンの頭に手を置いて微笑んだ。
「離れていても、マノンは私の大事な後輩だ。何か困ったことがあったらいつでも剣士協会に来てくれ。すぐに助けに行く」
「わかりました、ありがとうございます」
マノンの言葉に、セラは頷くと片手を上げて、
「じゃあな、マノン。ニーナ嬢もさようなら」
「はい、先輩もお元気で」
マノンも手を振り返しながら、去っていくセラの後ろ姿を見送る。
「またいつでもおいでくださいませー!」
マノンと同じようにセラに向かって手を振る、ニーナの明るい声が夕焼けにこだました。
「剣士協会の剣士……!?」
タリス家を後にするセラ、彼女を見送るマノンとニーナ。
その三人を、二階の窓からジークが見ていたことには、誰も気づかなかった。
* * *
翌朝、朝食のためにニーナを起こして一階に降りたマノンは、ダイニングに入ってイーサンとカミラ夫妻に挨拶をした。
「おはようございます、イーサン様、カミラ様」
「ああ、おはよう、マノン」
「よく眠れたかしら?」
「はい、ありがとうございます」
カミラの問いに答えつつ、マノンが礼を言うと、今度はイーサンが尋ねてきた。
「そういえば、剣士協会のセラ殿はどうだった?」
「とても優しくて良い方でしたわ、お父様。わたくしの剣術の稽古もして下さって……。さすが、マノンの先輩ですわ」
「あ、ありがとうございます……」
イーサンの問いかけにニーナが答える。
別にマノン自身が褒められたわけではないのに、マノンは嬉しくなってへにゃりと笑ってしまった。
だが、イーサンが急にセラのことを尋ねてきたのはなぜだろう。マノンが不思議に思っていると、
「セラ殿は稽古終わりに我々のところにも挨拶に来てくださったのだ。マノンのことだけでなくて、ニーナの剣術についても褒めてくださっていたぞ。二人の稽古の賜物だな」
「そ、そうだったんですか……!?」
驚きのあまり、マノンは思わず驚きの声を上げてしまう。
だが、ニーナが上げたのはもっと別の種類の声だった。
「やりましたわね、マノン! わたくしが剣術を楽しく学べているのはマノンのおかげですわ!」
ニーナがマノンの両手を握り、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「お嬢様……!」
マノンも嬉しくなって、ニーナの手を握り返す。
そうして喜び合う二人を微笑ましく眺めるイーサンとカミラ夫妻の横で、ジークが冷ややかな視線を送っていた。
「さ、早くお食べなさい。せっかくの朝食が冷えてしまうわよ、二人とも」
「はーい、お母様」
「わ、わかりました。申し訳ありません……」
カミラに促され、ニーナとマノンはおとなしく着席して朝食を摂り始めたのだった。
* * *
朝食を終えて、マノンがニーナと一緒に自室へ向かうため廊下を歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。優しげな男性の声だ。振り返ると、長身の茶髪の男性――ニーナの兄であるジークが立っていた。
「ジーク様……」
「お兄様! どうしましたの?」
朝食の席では、ジークは積極的に話に参加してこなかった。むしろマノンたちの話を黙って聞いているだけで、基本的には食事に集中していたようにマノンには見えた。
朝食の席でなく、ここでないと言えないことでもあるのだろうか。
ニーナに尋ねられたジークは片眉を上げ、爽やかな笑顔のまま口を開いた。
「いや、ニーナ、まだやってるんだって思ってね、剣術の稽古」
「お兄様、何を仰ってますの? もちろんですわ」
自慢げに胸を張るニーナの横で、マノンもニーナの上達ぶりを話してみる。
「ジーク様。お嬢様、剣術の腕がどんどん上手になられてますよ。このままいけば、剣術を極めることも――」
「僕、タリス家に剣術は要らないって言ったよね?」
マノンの言葉を遮って、ジークはそう言った。
ジークは変わらない笑顔のままだ。それなのに、彼が発する言葉はどこまでも冷たく、無慈悲に満ちている。
背の高いジークに見下ろされるのはいつものことなのに、今のマノンにはとても威圧的に感じた。
――怖い。
それでも、マノンは口を開いた。本当のことを伝えるだけならば、ジークのことを怒らせたりはしないだろう。ジークも大人しく話を聞いてくれるに違いない。そう信じたかった。
「……で、でも、ご両親たってのご依頼ですから――」
「お父様とお母様は余計なお世話なんだよ。前にも言ったけど」
呆れたようにため息をつき、ジークはまたもマノンの言葉を途中で遮って、やれやれと言いたげに手を腰に当てた。
「何でそこまで剣術にこだわるかな。魔法を極めれば、同じくらい強くなれるじゃないか。いや、むしろ魔法を極めた方が剣術なんかよりももっと強くなれる。そう決まってるのに」
――怖い。
まるでここにいない誰かに話しかけて文句を言っているかのように、マノンたちと視線の焦点が合わないジーク。
言いたいことはマノンにも分かるが、理解できるかと言われれば難しいものである。
いいしれぬ冷たい恐怖と共に、マノンの心臓がどんどん強く脈打ってくる。
まただ。
以前にも、ジークは「タリス家に剣術は要らない」と言ってきたのだ。
どうして、ここまで両親の意向と真逆の考えを持っているのだろう。
ジークとて子供ではない。自分が容認できない考え方や方針があったとしても、大人であれば家のことだからと逆らわずに従うのが一般的だろう。
現に、マノンも剣士協会の決まり事は何でも守ってきた。特に許可のない外出禁止に関しては、外出時に理由を添えた外出許可書を提出し、それが認められてからでないと外出できなかったものだ。
マノンは元々外に出るのが好きではなかったため何も問題はなかったが、剣士協会に入る前から活動的で外出するのが大好きだった見習い剣士たちは、先輩剣士のいないところで不平不満の数々を口にしていた。
それでも、規則を破ったり掻い潜ったりして無理に外出をしようと試みるものはいなかった。
みんな、自分の意思とは反していても、それが規則だからとしっかり従っていたのだ。
魔法協会会長であり、実の父親であるイーサンの助手として働いているジークなら、尚更父の仕事の大変さや思いの深さを一番近くで理解しているはずである。
それなのに、ジークの口から軽々と出てくる言葉の数々は、とてもそのような立場にいる人間とは思えない言葉ばかりである。
「もう、お兄様、マノンを困らせないでくださいな!」
怖くなって縮こまっているマノンの手を優しく引き、それでも口調だけは少し怒ったように、ニーナがジークを睨み上げる。
「マノン、お兄様なんてほっといて、剣術の稽古に参りますわよ!」
「は、はい……! で、では、ジーク様、失礼致します……」
マノンはろくにジークの顔も見ないまま、ニーナに引っ張られるようにしてジークの元を去っていく。
ニーナが手を引っ張ってくれてよかった、とマノンは思った。
もし、ニーナが引っ張ってくれなければ、マノンは恐怖のせいでずっと地面から生えた植物のように硬直して動けなくなっていただろう。
おまけにジークに賛同を求められたりして、恐怖で思考も停止して、なおさらジークを怒らせていたかもしれない。
とにかく、考えうる最悪の事態は免れたようだ。
「覚えておいてね、マノンちゃん」
走っていくマノンとニーナの後ろ姿を見送りながら、ジークはそう独りごちた。
その言葉は、当然ながらマノンにもニーナにも聞こえていなかった。




