第14話 星空の下で
その日の夜、マノンは寝付けずにベッドから上半身を起こした。カーテンの隙間から月の光が漏れ出て、真っ暗な部屋が薄明るくなっている。もう一度ベッドに横になって目を瞑っても、一向に眠りにつくことができる気配はない。
――外の空気を吸おう。
外の風に当たって美味しい空気を吸えば、また気持ちよく眠れるようになるかもしれない。
そう思ったマノンは、静かに部屋のドアを閉めて邸宅の外に出た。
「涼しい……」
深く息を吸って吐けば、爽やかな夜風が全身の汗を洗い流してくれる。
今日の稽古も久しぶりに激しく動いたため、かなり体力を消耗した。しかし、それよりもマノンが疲れたのは、その稽古の様子を常にセラが見ていたからだ。
セラに見られること自体は嫌ではない。むしろタリス家でのマノンを見てもらうためにマノン自身がセラを呼んだのだから、セラに稽古の様子を見られるのは覚悟していた。
だが、どうしても実際にセラからの視線を感じながらの稽古は体だけでなく、心も激しく消耗した。
ニーナに対して出すマノンの指示の全てが、セラにどう捉えられているのか、セラから見てマノンの稽古は剣術の上達に繋がっているのか。
普段の稽古の時には絶対に考えないようなことに考えを巡らせながら稽古をしていたため、今日は稽古を始めて一番疲れた日だったと実感する。
不意に風を切る音がして、マノンはそちらの方に顔を向けた。その音は一度だけでなく、何度も何度も定期的に聞こえてくる。
一体誰が、もしくは何がその音を出しているのだろう。
不思議に思ったマノンが音のする方へ移動すると、そこにはセラの後ろ姿があった。
セラは寝巻きのようなラフな服装のまま、剣を何度も何度も振りかぶって素振りの練習をしていた。
月明かりがセラの淡い空色の髪を明るく照らし、セラが振りかぶるたびにその髪も綺麗に揺れた。
声をかけていいものか。マノンが悩みつつもセラに向かってゆっくりと歩いていると、声をかけるよりも早くセラが気配に気づいて振り返った。
「おお、マノンか。急に気配がしたから驚いた」
「す、すみません……! 先輩の素振りの姿があまりにも綺麗で、つい……!」
自分でも知らず知らずのうちに歩みを進めてしまっていた。これでは優秀なセラにすぐに気づかれて当然だ。
マノンはセラへの謝罪に精一杯で、自分がとんでもなく恥ずかしいことを口にしたことには気づいていない。勿論、セラは気づいているだろうが。
「……眠れないのか?」
素振りをやめたセラは、移動した木陰の下に座って尋ねてきた。
マノンも彼女の横に腰をかけ、両膝を抱く。
「はい……。なんだか、目が冴えてしまって……」
「今日の稽古は緊張しただろう。ずっと私が見ていたからな」
少しおかしそうに笑うセラを、マノンは驚いて見上げた。
「えっ……? ど、どうしてそれを……!」
「いつからマノンのことを見ていると思っているんだ。マノンが緊張していたことなんて、すぐに分かった」
「やっぱり、セラ先輩にはお見通しでしたか……」
思えば、セラは見習いの時のマノンの気持ちもよく理解してくれていた。だからこそ、セラの部屋にお邪魔する機会がだんだん増えていったわけだが。
初めての稽古の時には、マノンの緊張がほぐれるように自分の剣を触らせてくれた。マノンが侍女実習に旅立つ日には、自信がなくオドオドしていたマノンに喝を入れつつ「マノンならきっと大丈夫だ」と励ましの言葉をかけてくれた。
その度に、マノンは心の底から救われていたのだ。
「確かにものすごく緊張はしました。でも、良い緊張感でした。それに、久しぶりに先輩にわたしが剣術をしている姿をお見せできて、すごく嬉しかったです」
見習い時代よりも上手くなっているかは分かりませんが。そう付け加えると、セラはおかしそうに吹き出した。
「何を言う。ちゃんと、上達していたぞ」
優しい声と共に、頭にセラの大きな手が置かれた。
「他人に教えることができて、その相手が少しずつでも上達しているなら、それはマノン、お前自身の腕が上がっていることの証明だ」
「先輩……!」
頭を撫でられながら、マノンは心の底に温かい気持ちが充満しているのを感じていた。
こんなにも直接的にセラから褒め言葉をもらったのはいつぶりだろう。セラは基本的に他人を褒めない。もちろん自分に対しても第三者が驚くほど厳しい人物であるため、他人にも自分自身と同等の評価を求めてしまうのだろう。
だが、そんなセラに今マノンは直接褒め言葉をもらっている。それがどれほど貴重なことか、マノンには計り知れない。だからこそ、この貴重な機会を逃したくない、とマノンは思った。
「あの、セラ先輩」
「どうした? マノン」
「アドバイス、いただけませんか……? もっと稽古の腕を上達させて、もっとお嬢様の剣術の腕を上げたいんです」
「本当に頑張り屋だな、マノンは」
セラの頬がますます緩む。セラは星が瞬く夜空を見上げ、
「今日の稽古メニューは良かったぞ。いつまでも型ばかりを教えていて実戦がないのでは、いつまで経っても真の意味で上達しているとは言えないからな。だが、少し気が流行っていたように見えた」
「えっ……?」
「実戦形式が初めてなら、無理して激しい運動に持ち込まなくてもいい。最初は素振りにステップを付け加えるだけでも、実戦の基礎としては充分だ」
確かに、ニーナの剣術の稽古で実戦形式を取り入れたことは今までなかった。まだニーナが実戦を交えるのは怖いのではないかと勝手に危惧し、スローペースで基礎的な型から習得してもらう稽古プランを立てていたからだ。
やはり、ニーナに多少といえど無理をさせてしまっただろうか。マノンがそんな不安に駆られていると、
「私の前だから、頑張ろうと張り切ってくれたのだろう? それに、ニーナ嬢も楽しめたはずだ。いつまでも型の練習ばかりしていては、後に飽きが来てしまうからな。早めにマンネリ化を防げて良かった」
「セラ先輩……!」
セラがかけてくれる言葉の一つ一つが優しくて暖かくて。マノンの目からは自然と涙が溢れてきそうだ。
感動に浸ってしまいそうになるのをグッと堪えて、マノンは剣を納めた鞘をセラに向かって掲げてみせる。
「久しぶりに、剣術の稽古をつけていただけませんか?」
「勿論いいぞ。ニーナ嬢の師匠がどれだけ強くなったか、その剣で教えてくれ」
「は、はい……! よろしくお願いします……!」
互いに鞘から抜刀した剣を構え、どちらからともなく動き出す。
剣がぶつかるたびに火花が散り、旋風が巻き起こった。
マノンはセラの太刀筋を読もうと努力し、セラはマノンの太刀筋を簡単に読み解いていく。
確実に実力の大きな差はあれど、マノンはセラとの実戦稽古が本当に楽しかった。
踏み込んでは距離を取り、また踏み込んで相手の間合に入ろうと距離を詰める。
そうしてセラに剣撃を繰り出そうとしたところで、マノンの鼻先にセラの切っ先が迫った。
「よし、もう夜も遅い。ここで終わりにしよう」
「ま、参りました……」
明確な勝負がついた。マノンは消え入りそうな声で降参を口にし、ヘニャヘニャとしゃがみ込んだ。
セラも鞘に剣を納めると、座り込んだマノンの横までやってきて膝を折り、マノンの背中を優しくさすってくれた。
「攻撃速度は上がっているな。攻撃回避も上手くなっている。だが、まだまだ戦法が読みやすい。読み取られにくい太刀筋を身につけないと、苦戦するぞ」
「わ、分かりました……!」
セラの言葉に、マノンはギクっと肩を強張らせる。
剣術の稽古ではマノンがニーナに「相手の太刀筋を読みとって戦いを有利に進める」ことについて教えていた。しかし、セラとの実戦ではマノンが反対にそれをセラに教えられている状況だ。
まだまだマノンも師匠としての実力が足りない。ニーナにしっかりと教えられるようになるには、マノン自身もまだまだ茨の道をかき分ける必要があるのだ。
――もっと、強くならないと。
マノンはセラの指示を聞いて頷きながら、改めて身を引き締めた。




