第11話 お願い
「セラ先輩、先日はありがとうございました」
剣士協会から出てきたセラに、マノンは胸に拳を当てて剣士流の礼をしてから言った。
ニーナとの一件があってマノンも二人の言い争いを止めるのに必死で、最後はしっかりとした別れ方ができなかったのが悔やまれるが。
セラはそんなことなど気にもしていないように微笑むと、
「マノンの方から訪ねてくれるとは、珍しいな。私の部屋に入れ。茶でも飲みながら話そう」
「あ、ありがとうございます……!」
マノンに背を向けて部屋の方へと歩き出すセラ。その大きな背についていきながら、マノンは懐かしさを感じていた。
第三剣士の見習い時代、マノンは当時第二剣士だったセラにたくさん指導を受けた。基本的に剣士協会では協会の指導者が行う集団授業と集団実践が行われており、個人的な指導をしてもらえる剣士は極めて稀である。
にもかかわらず、セラは特にマノンに世話を焼いてくれて、一対一でたくさん剣術の稽古をつけてくれたのだ。
その日以来から何度も見上げてきたセラの背中は、第二剣士になった今でも大きく感じる。
「失礼します……」
見習い剣士の頃、何度も入ったセラの部屋。入るのは久しぶりだ。特に決まりはないものの入り口で一礼してから、マノンはセラの部屋に入った。
「お茶を入れてくる。適当に座っていてくれ」
「あ、ありがとうございます……」
本当は後輩であるマノンが代わらなければいけないのだが、そう考えているうちにセラは素早くカップに茶葉を入れてお湯を沸かし始めた。席に座るよりも前に、マノンはセラに向かって頭を下げる。
「あ、あの、すみません。先輩にお茶を入れさせてしまって……」
「何を言う。今のマノンは客人だろう? そんなことは気にしなくていい」
驚いたように目を見張るセラに、マノンはへにゃりと笑みを浮かべる。
そうやって、見習い剣士の時とは違う扱いをしてくれることが、なんだか歯痒つつも嬉しかったのだ。
「……なんか、先輩の部屋に来ると、やっぱりホッとします」
セラの言葉に甘えて座ってから、部屋の中をそれとなく見まわしてマノンは独りごちる。
マノンが剣士協会を出てタリス家の侍女となって約二週間。そんな短い期間でそう簡単に部屋の内装は変わったりしないが、それでも剣士として見る内装と客人――タリス家の侍女として見る内装では、何となく違うように感じた。
剣術の稽古が上手くいかなかった時、セラは稽古終わりにいつも自分の部屋にマノンを連れてきて、お茶を入れてくれた。みずみずしい茶葉の香りと優しいセラの部屋の匂いに、マノンはいつも落ち着きをもらっていた。あの日々を思い出す香りと優しい匂いは、今もマノンの心に安らぎを与えてくれているのだ。
マノンの言葉を聞いたセラはお茶を注ぎながら口角を上げると、
「マノンが協会を出てからもう二週間か。早いものだな」
「そうですね……」
「少しは成長できたか?」
「だといいのですが……」
マノンとしても、ニーナやタリス家の人たちに迷惑をかけてばかりの毎日で、自分が成長できている自信はほとんどない。それでも侍女として生活してきて二週間。ニーナに剣術の稽古をつけ、時にはニーナに魔法の稽古をつけてもらう。そんな毎日を送る中で、少しでも成長できていたら、と思ってしまう。
「あの時はすまなかったな。ニーナお嬢様に失礼な発言をしてしまって」
「いえ……」
セラが急に「マノンを振り回さないでくれ」とニーナに言ったときは、正直マノンも驚いたがセラは同時に「何よりもマノンのことが一番大事だ」と言ってくれた。侍女としてまだまだ未熟なマノンを心配しての発言であるとマノンは分かっているから、無責任にセラを責めることはできない。
マノンが侍女としてあと少しでも成長している姿を見せることができていたら、今回のような論争は起きなかったかもしれないのだから。
「あの、セラ先輩」
「なんだ?」
セラは注いだお茶をカップに入れて、マノンと自分の前に置いてマノンの正面に座った。
「いただきます」とカップを両手で持ってお茶を一口飲めば、甘くて優しい味が口の中いっぱいに広がった。
優しいお茶の味が、マノンの気持ちを後押ししてくれる。そんな気がしつつ、マノンはカップを置いてセラを見つめた。
「もしよかったら、タリス家に一度来てくださいませんか?」
「タリス家に……? だが……」
セラは一口飲んだカップを置いて口ごもる。ニーナにあんな言い方をしてしまった以上、自分から出向きにくいのだろう。目を伏せる彼女の姿は「タリス家には行けない」と言っているようだ。
それでも、マノンはセラに来てほしかった。
「確かに、わたしはまだ侍女として新米で、日々の仕事だけで精一杯です。でもタリス家での生活はとても楽しいんです。それをセラ先輩にも分かっていただきたいです」
マノンが侍女として未熟なせいで諸々の仕事をこなすだけで手いっぱいで、始めて行ったニーナの剣術の稽古の後も披露のせいでマノンの方が倒れてしまい、ニーナに看病をしてもらった。あの時の買い物でも、初めての町に来て右も左も分からないまま、ニーナに引っ張ってもらっていた。
振り回されている、というセラの言葉はあながち間違いではないが、マノンを振り回しているのはニーナではなく、未熟さゆえのマノン自身である。
タリス家での生活をセラに見てもらえば、ニーナがマノンを振り回しているのではなく、むしろマノンを支えて引っ張ってくれているのだとセラにも分かってもらえるはずだ。
マノンはセラをまっすぐ見据え、自分の思いを口にした。
「剣士協会にいた時のわたしじゃなくて、タリス家で侍女として働いているわたしを見ていただきたいんです」
「マノン……」
セラは驚いたように瞳を揺らしていたが、やがて決心したように一度目を瞑り、また開いてマノンを見つめてきた。
「分かった。私も、タリス家にお伺いしよう」
「……ありがとうございます!」
顔をぱあっと輝かせ、マノンはセラに向かって何度も何度もお辞儀をしたのだった。
* * *
翌日、マノンとセラは時間を決めて剣士協会で待ち合わせをし、二人でタリス家に向かった。
セラが来ることはもちろんイーサンやカミラに伝えて了承をいただいている。買い物の時の一件を説明した上で、ニーナにはまだ話していないことも夫妻には伝えた。ニーナにセラの訪問を伝えてしまえば、買い物の時の一件を思い出して自分は顔を出さないと言い出しかねない、と思ったからだ。マノンはいつもと変わらないタリス家の日常をセラに見てほしいのに、それでは目的が達成されない。
夫妻はマノンの気持ちを尊重し、自分たちもニーナに内密にすることを約束してくれた。
道中、タリス家への道を歩きながら、マノンはセラを見上げた。
「先輩、緊張されてますか?」
「い、いや……そうだな、少し」
「大丈夫です。お嬢様はすごくフレンドリーで明るくて、優しい方ですよ」
実際、マノンが初めてタリス家に伺った時も、相手がニーナでなければ、ニーナが自分から心を寄せてくれなければ、マノンは一生あのまま縮こまって頭を抱えていただろう。人見知りで内気なマノンに対しても、ニーナは明るく接してくれた。その恩は返しても返しきれない。
いや、ニーナの剣術の腕の向上をもって、しっかり返さなければ。
マノンが改めて気を引き締めていると、セラが呻くように口を開いた。
「あの一件があるから何とも言えないだろう……。ニーナ嬢には私のことを伝えていないのだろう? 顔を見た瞬間に逃げられたらと思うと……」
「そ、そこまではお嬢様もなさらないと思いますが……」
ニーナがあの一件をどれくらい根に持っているかはマノンにも分からないが、深く根に持っていればセラを見て自分の部屋に閉じこもるか、セラを追い出そうとするか、二つに一つだろう。
分かってはいたものの、セラに改めて言われるとマノンの胸にも不安が芽生えてくる。
あの一件についても仲直りをしてから、セラにタリス家でのマノンを見てもらえたらいいのだが。
――大丈夫かなぁ……。
突然バクバクと脈打ち始めた胸を、マノンはそっと押さえた。




