第10話 魔法の稽古
ニーナによる魔法の稽古は、どのようにして魔法を繰り出すのかという初歩的なところから始まった。
生まれてこの方剣術一筋で、ろくに魔法を扱ってこなかったマノンにとっては、初歩の初歩がむしろ大きな一歩である。ニーナが初歩から始めてくれて助かったくらいだ。
「魔法は全て頭の中のイメージが鍵になってきますの」
ニーナは人差し指で自分の側頭部をコツンと叩く。
「イメージ……」
「ええ、マノン師匠に剣術を教えてもらう中で気づいたことなのですけれど、剣術も勿論脳内でのイメージが大事ですわ。どのような太刀筋にするか、どのような動きをするか……。イメージしなければなかなか実践に移しづらいですもの」
ですが、と人差し指を立てて、ニーナは言葉を紡ぐ。
「魔法に関しては、脳内でイメージしたことがそのまま具現化するといってもいいほど、脳内のイメージと魔法の出力が密接に関わってくるのです」
「な、なるほど……!」
剣術の稽古の時も、頭の中で自分の太刀筋を思い浮かべてから実践に移すというやり方をセラから叩き込まれていたマノン。それと似たことを魔法の稽古においてもやるということらしい。
ひとまず敷居が低くて助かった、とため息をつく。
「そして、頭の中でイメージができたら、次はそのイメージを手の方に集中させていきますわ」
ニーナが手のひらを開いたまま腕をまっすぐ前に突き出し、目を瞑る。今、ニーナは説明の通りに手のひらに魔法を集中させているのだろう。
マノンがそう考えていると、ある変化が起こった。
ニーナの手のひらから、水滴がどんどん集まってきたのだ。
「自分の中でイメージが固まって、できると思ったら魔法の繰り出しどきですわ!」
ニーナはカッと目を見開くと、
「集いし水よ、我が命に従い、天より降りて、大地を潤せ! ウォーター・ウェーブ!」
マノンがタリス家に来た初日、中庭で魔法の特訓を行っていた時と同じ詠唱が紡がれる。
言い終わった次の瞬間、ニーナの手のひらから水球が発射された。
勢いよく前に飛ばされた水球は、近くの木の幹に激突した。
「おぉ……!」
マノンは思わず拍手をしながら目を輝かせた。
ただ見ていただけの時と、魔法を繰り出す原理を知った時とでは感動も違ってくる。
「まずはこんな感じですわね。さ、次はマノンの番ですわよ」
「は、はい……!」
分かっていたことなのに、いざ自分の番が来ると途端に緊張してしまう。マノンはごくりと唾を飲み込んで、震える腕を前に突き出した。
「先ほどの魔法を繰り出すイメージ、できておりますか?」
ニーナに問われ、マノンは無言で頷いた。無言で、というよりも、手のひらに意識を集中させるのに精いっぱいで、声を出す余裕がなかったのだ。
ニーナはそんなマノンの気持ちを汲み取ってくれたのだろう。口角を上げると、後ろからマノンの両肩にそっと手を置いて、
「先ほどわたくしがやってみせたように、あの木の幹のウォーター・ウェーブをぶつけてみましょう。ゆっくり深呼吸して……マノンならきっとできますわ」
言われた通りに、しかしぎこちなく深呼吸をしつつ、マノンは木の幹を見据える。ニーナの水魔法をぶつけたところは既に湿っていて、他の部位よりも濃くなっているため、的のようになっていて分かりやすい。
水魔法を繰り出すイメージは固まった。あとは、それを繰り出すだけだ。
「い、いきます……! つ、集いし水よ、我が命に従い、天より降りて、大地を潤せ! ウォーター・ウェーブ!」
その瞬間、マノンの手のひらから水球が発射され、木の幹に当たった。
「で、できた……!」
実際はニーナがぶつけた位置よりも低く、ちょんと触れるように当たって砕けたという表現が正しいのだが、生まれて初めて魔法を打つことができたマノンは、そんなことなど気づいてもいない。
マノンが荒い呼吸繰り返していると、ニーナが後ろから抱きついてきた。
「おめでとうございます、マノン! ちゃんと水魔法を打てましたわね!」
「は、はい……! ありがとうございます、師匠……!」
「わたくし、マノンならきっとできるって信じてましたのよ!」
声をうわずらせるニーナは、きっとマノンよりもマノンの魔法を喜んでくれている。
そのことが、マノンにはとても嬉しかった。
「この調子で、まずは水魔法を習得していきましょう。ウォーター・ウェーブの他にも、まだまだ色々な魔法がありますのよ!」
「は、はい……! 頑張ります、師匠……!」
マノンが頷くと、ニーナは満足げに笑った。
* * *
それから数日後、マノンはイーサンがいる書斎へ向かっていた。その目的は、イーサンにあるお願いをするためだった。イーサンとカミラ、夫妻を目の前にする機会は食事の時や稽古の時などいくつもあったが、イーサンのみと相対するのは今日が初めてである。
廊下を歩く足も震えており、歩き方も側から見れば不思議なほどぎこちなくなっているだろう。
それでも、マノンにはどうしてもイーサンに頼みたいことがあった。そのためなら自分の緊張など前に進むためのバネに変えられる。
ドアの前でマノンは大きく深呼吸をして、ドアをノックした。
重いノック音の後に、「どうした」というイーサンの声が聞こえてきた。
「ま、マノン・スワードです……。タリス様にお願いしたいことがあって、伺いました……!」
「分かった、入りなさい」
「し、失礼します……」
もう一度深呼吸をしてから、マノンは意を決してドアを開けた。
「お前がここを訪ねてくるなんて初めてだな。何かあったのか?」
「実は、タリス様にお願いしたいことがございます」
そう言いながらも、マノンの心臓は爆発寸前だった。バクバクと脈打つ鼓動がマノンの全身を破壊せんばかりの勢いで繰り返される。握りしめた拳が小刻みに震え、全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出して止まらない。
マノンの表情があまりにも強張っていたからなのだろうか。イーサンは「本当に何があった?」と言いたげに眉をひそめた。
マノンは覚悟を決めて、イーサンへのお願いを口にした。
「外出許可、か?」
「はい。明日、どうしても剣士協会に行って会いたい人がいるんです。その方に会いに行くために、外出の許可をいただけないでしょうか……?」
マノンはニーナの侍女として、ニーナに剣術を教えるためにこのタリス家に派遣された剣士だ。だからこそ、目的とは無関係な事情で外出することなど決して認められない。
そう思っていたのだが……。
「勿論だ。外出許可なんて必要ない。ただ一言そう言ってくれれば、いつでも外出してもらって大丈夫だ」
イーサンがそう言って口角を上げる。彼の返答は、マノンにとって驚くべきものだった。
てっきり「お前は侍女のくせに何を考えているんだ!」とか「ここに来た目的を忘れたのか!」とか、他にも色々な言葉を用いて怒られるものとばかり思っていたからだ。
「その代わり、ニーナの稽古が疎かにならないように塩梅は気をつけてくれ」
「はい、承知いたしました。寛大な措置、ありがとうございます」
マノンは胸に拳を当て、剣士としてタリス家の当主に深々と頭を下げた。
ニーナの稽古がおろそかにならないように、と一言だけ釘は刺されたものの、外出自体の承認は得ることができた。
これで剣士協会に行くことができる。セラに会って、話をするために。
翌日、マノンは二週間ぶりに剣士協会にやってきた。高くそびえ立つ門の呼び鈴を鳴らし、用件を伝える。
「第二剣士、マノン・スワードです。第一剣士、セラ・クシフォさんをお願いします」
「少々お待ちください」
アナウンスから数分後、建物の扉が開いてセラが出てきた。
「マノン……!」
驚く彼女に向かって胸に拳を当て、マノンは剣士としての礼をした。




