7:倒れた理由
「――では、しっかりやるんだぞ」
「はい」
朝からひと騒ぎ起こしてしまったが、その後は何ら問題なく朝食を食べて、聖都に戻る神父を見送った。
「さて! 改めてよろしくね。リンネ!」
馬車が城の門から離れて小さくなるのを眺めていると、一緒に見送りに出ていたディアナから声がかかる。
「……こちらこそ、お世話になります。ディアナ様」
まだ回復までしばらくかかるため、彼女はレキが押す車椅子に乗っている。手を差し伸べられ、リンネは戸惑いつつも、そっとその手を握った。
「……働き者の手ね」
「そうですかね……? ディアナ様こそ、努力家だとわかる手をしていらっしゃいます」
ふと何かに気が付いたディアナに、握った手を両手で探るように触られる。
水仕事などで手は荒れがちなだけで、ペンや剣を握ってできるタコがあるディアナに言われると謙遜したくもなる。
(悪役令嬢にならないように、頑張ってるんだもんね……)
貴族の令嬢。それも、北部最強のグラジオラス公爵家に生まれた、超が付くほどのお嬢様。
生まれたときから持っている財と権力で、優秀なモノや人を集めるだけでも生きていける人だ。
その使い方によって、栄華を得るか破滅するかは分かれるとはいえ、ディアナはすでに前世で努力して得た大人の判断ができるのだから、そこまで頑張る必要もないだろうに。
他人であるはずの悪役令嬢ディアナのせいで、犠牲になる人を助けようとするとは、律儀なことである。
「これからのことを色々と相談しなきゃいけないけど、まずはお互いのことをもっと知らないとね」
「……はい」
ディアナににっこり微笑まれ、リンネも釣られて眉尻を下げた。
「お父様から神官兼使用人として、リンネはここに残るって聞いたのだけれど大丈夫そう?」
「貴族の方に仕えたことはないので不安はありますが、できることから頑張ります。雑用なら慣れてますし!」
城の中に戻りながら、ふたりは会話を進める。
ネウェルは見送りに来ず、ディアナとルイスだけが外に出ていて、リンネの心持ちは軽い。
ディアナの後ろにいるレキと、彼女の隣にぴったりなルイスには心の距離を感じるが、年が近いので然程怖くなかった。
『女なんてワタシの周りにイラナイわ。本当に邪魔。せめて顔のいい男を連れてきなさいよ』
……それに、ディアナに憑いているモノを見ると、その他の全てがどうでもよく感じる。
「そう……。でも突然、公爵家で働けなんて戸惑ったわよね」
「神官は聖都で聖下の元についている人以外は、副業をやる人がほとんどですから。抵抗はありません」
「それは頼もしいわ……!」
神官という職に、生産性はほぼない。
運営を支えるために冠婚葬祭に関する仕事や、教会所属の学舎などを営んで、安定した収入を得ている。
ディアナの前世でいう神官の定義と違って、こちらは世俗的な一面が強い。アンザレア教会堂が特別厳しいだけで、他の教会堂は縛りが緩いものだ。
(もし神官を辞めることになったら、ここで働いてたことは有利になるよね……)
やっぱり悪魔に呪われているからと、教会を破門になる可能性は残っているので、リンネからすると経験を積めるチャンス。
(三年で色々と物にしよう……!)
この件に関して、リンネは前向きだった。
神官として出来ることは限られており、使用人として働かないと寄生虫だと言われる予想はできている。やる気は十分だ。
「リンネのことについては、お父様から任されているの。今日はとりあえずゆっくりして、仕事については焦らず決めましょう」
「はい」
リンネはこくりと首を縦に振った。
ディアナだって目覚めたばかりなのに、初日から動き回っていて元気な人だ。
「……ディアナ様。昨日のことを報告書にまとめたのですが、公爵様にお渡しすればよろしいでしょうか?」
「報告書……。私が見てから渡してもいい?」
「もちろん」
リンネは一度客室に戻って、まとめておいた報告書を取るとディアナの部屋に行くことになった。
とても広くて統一された廊下が続く城だが、アンジーが着いてきてくれたので、迷わずに済んだ。
リンネは席に着くと、さっそく昨日のうちに用意しておいた書類を、ディアナに渡す。
静かにそれに目を通したディアナは、フゥとひとつ息をついて。
「姉さん。僕も見ていいですか?」
「……ええ」
彼女の隣に座っていたルイスが、怪訝な表情で尋ねた。
ディアナは隠すことなく手渡したが、書類を読んだルイスは目を見張る。
「離れかけていた魂の定着……?」
彼は疑心に染まった眼差しで、リンネを睨んだ。
「……よく、こんなふざけた内容の報告書を……」
鳶色の目には怒りすら見えて、リンネはぐっと拳を握る。
これが見えない人の、普通の反応だ。
科学的な治療が普及し、魔石という動力源が見つかって魔道具が開発され、道具や機械というものが生まれるようになった時代から、人の国ではまじないの類いは信頼を失ってきた。
魔道具の力は回路として現すことができ、誰もが理解し、再現できるから信用されるが、目に見えず力の証拠が形あるものとして残すのが難しい呪いは嫌われた。
いわゆる霊感商法的な詐欺もあったことも、呪い離れに拍車をかけていた。
ここが小説の世界というのなら、そういう設定なのだろう。
「――ルイス」
リンネが何も言わず、視線に耐えていると、ディアナの凛とした声が部屋に響いた。
「グラジオラス公爵家が受け継ぐ『剣気』の力を持つ者なら、彼女の言葉を理解しようとしなさい」
「「……!!」」
ビリッと、電流が走るような緊張感が、一気に部屋を支配する。
(……これ、が、ディアナ様の剣気……!)
グラジオラス公爵家は特殊な能力を持つ一族だ。
それが、この『剣気』と呼ばれる力。
簡単に言うと、人を地面に跪かせるほどの圧を発することができる。
ネウェルなんて、この剣気を持って剣を抜かずに人を殺したという逸話を持っていた。
小説で、皇室がグラジオラス公爵家に逆らえない理由のひとつとしてアピールされる力だ。
(血に流れる力だから、今のディアナ様でも使えるのか……)
リンネは今まで経験したことのない圧に息を止めていたが、頭の中では冷静にその能力を分析していた。
「……すみ、ません。姉さん……」
軽く剣気を放ったディアナに叱られて、ルイスが折れる。
彼の表情が変わるとディアナの剣気も収められた。
「ごめんね、リンネ。ルイスが失礼なことを。――ほら、ルイスも謝って」
「……すまなかった」
「い、いえ……。わたしは気にしておりませんので……」
グラジオラス公爵家のご子息に謝られて、リンネも慌てて首を横に振る。
「リンネの力は、助けてもらった私が保証するわ。私には絶対に彼女の力が必要なの。だから、お父様にリンネがここに残ってもらえるようにお願いした」
そこまで断言されては、ルイスも何も言えないだろう。
彼は手に持っていた書類に一度視線を落とすと、ディアナにそれを返した。
「わかりました。――でも、僕は姉さんを信じるのであって、この神官に心を許したわけではないですから」
「ルイス――」
「はい。それで構いません」
今朝のレキもそうだが、こちらの義弟さまも相当ディアナを慕っているらしい。
今の彼女になってから、すでに七年。
彼らのことを救おうと奔走し、これだけ優しくて強くて美しい人なのだから、好かれるはずだ。
色々と悟りを開いているリンネは、顔色ひとつ変えずに問題ないとルイスに答える。
「……もう。心配してくれるのは嬉しいけど、私の命の恩人に失礼なことはしないで……」
「覚えておきます」
「……もちろん、レキもよ?」
「………………ハイ」
返事を濁すルイスと、ついでに控えていたレキに釘を刺したディアナは小さなため息を吐いた。
「何かあったら、すぐ私に言ってね。リンネ」
「……ありがとうございます。その時は、頼りにさせていただきます」
リンネは笑いながら、手を合わせた。
場が鎮まって、ディアナが紅茶の注がれたカップに口をつける。
気品に溢れた所作で、気軽に話してくれるが、彼女が貴族だということをひしひし感じた。
「――ハイザーク。ひとつ気になることがある」
「……何でしょうか」
まだ慣れていない名でルイスに呼ばれて、リンネは彼を見る。
「今回、姉さんの魂が深層に潜ってしまったから昏睡状態になったとあったが、その原因はなんだ。再発を防ぐためにも、対処法を記すべきだろう」
ご尤もな意見だ。
実はそのことについて話したいことがあったため、リンネは報告書をネウェルに渡すのではなくディアナに聞いたのだ。
「……原因は……精神的なショックです。倒れる前に、ディアナ様は何か大きな悩み事などをされていませんでしたか……?」
「……そ、それは……」
図星だろう。何せ、リンネは全てを分かった上で聞いている。
「確かに、悩んでいたことはあったわ……」
「その悩み事が、ディアナ様も気付かない内に負担になっていたようです」
ディアナが肯定するのを見て、リンネはルイスに目線をやった。
「……姉さん。その悩みってもしかして、第二皇子との婚約のこと……?」
そして、彼が放った言葉に、ディアナが息を呑む。
(悲劇を回避するために断りたかった婚約が、結ばれちゃったんだよね……)
それはディアナが倒れた日のこと。
悪役令嬢ディアナにならないために、七年という年月をかけてシナリオを変えてきたのに、彼女はヒーローとの婚約を回避することができなかった。
ディアナが更生したことで、寧ろ第二皇子ジークレイン・アレキサンドは彼女の力を欲し、ネウェルも自分の娘こそがこの国を変える王妃に相応しいと思って、婚約に賛成した。
何せ、ディアナは七、八歳の頃までずっとお妃様になりたいと言っていたのだ。
ネウェルは忙しくて構ってやれなかったせいで、我慢するようになったディアナの幼い時の夢を叶えようと考えたのである。
加えて、側室の子であるジークレインの現在の立場は非常に危うい。
母親はすでに他界しており、美貌を理由に娶られた彼女の実家は没落状態。
しかし、第一皇子が傀儡政治に利用される事実を知り、ジークレインはなんとかクソな父親ごとこの国を綺麗にしたいと動いていた。
もちろん、それを快く思わないものもいて、このまま放っておけば、ジークレインは志半ばで多分暗殺者にでも殺される。
その状況を打開する黄金の一手が、ディアナ・グラジオラスとの婚約だ。
国のためを思った彼女は、結局ジークレインとの婚約を呑んだ。
――彼がいつか、ヒロインと結ばれて自分を殺すかもしれないという不安を残して。
『ワタシのなのに。全て、ワタシが手に入れルハズダッタノニ!!!』
まあ、一番の問題は、この婚約に悪役令嬢が激怒したことにあるのだが。
こんなのに憑かれてて、よく今まで無事だったものだ。
「……うっ」
「姉さん!」
「ディアナ様!」
膨れ上がった瘴気がディアナを襲う。
それによって頭痛がするらしく、額を抑えた彼女を見て、ルイスとレキが反応した。
《――/○〜>*\》
リンネはすぐに指で五芒星を宙に書き、呪文を唱える。
特殊な言語なので、神官として教会で修行をする者にしか音は継承されず、その言葉は聞き取れない。
そして、ディアナの世界には護身法に九字を切るというものがあるが、こちらでは五芒星を書く。
『グゥアアああッ――!! ドウシテ、ワタシの邪魔ばかり!!』
今放ったのは、瘴気を祓うための術だ。
うっかり悪役令嬢を祓ってしまわないようにだけ、霊力には加減をしている。
「……あ、れ……?」
リンネが術を施すと、悪役令嬢の瘴気は一掃された。
悪役令嬢の本質が悪質なので、瘴気を祓うたびに疲労して寝てしまうみたいだ。
ディアナの後ろでスイッチが切れたように、ブランと浮いている悪霊を見て、リンネは肩の力を抜く。
「頭痛が……?」
激しい頭痛がピタリと止まって、ディアナは不思議な顔をしていた。
呆然とした紫色の眼が、リンネを見つめる。
「……ディアナ様は特別な魂をされていて、とても不安定なんです。傍にいる間はわたしが対処できますが、悪い気にも当てられやすいので、不穏な場所には近付かないほうがいいでしょう」
力を信じてもらうのは難しいと分かっているので、リンネは自分が治したとは口にしなかった。
ディアナに駆けつけたルイスとレキの背景に、「怪しすぎるだろ……。本物なのか?」という文字が見える。
(……戸惑う気持ちは、わかる……)
マジックのように、何かタネや仕掛けでもあるのではないかと疑って掛かるのはディアナのためだ。仕方ない。
「……ずっと一緒にはいられないので、お守りを作りたいんですが、どうでしょうか?」
リンネは苦笑しつつ、話題を変えた。
「――――すごいわリンネ! 是非、お守りも作って欲しい!!」
すると目を煌かせたディアナが、身を乗り出す。
「わかりました。では、そのことも報告書に追加しますね」
「お守りを作るのに必要なものも、書いてくれる? すぐ準備してもらうから」
「はい」
自分が他の世界から来た霊で、ディアナの身体に馴染むのが難しいと、何となく分かっているディアナには信頼してもらえそうだ。
「わたしもディアナ様のようなケースは初めてなので、色々と試作をしたいのですが、その分も書いていいですか……?」
「もちろんよ。数も多めに用意してもらうわ」
ディアナに許可をもらえたので、リンネは心当たりのある効果が期待できそうな材料を書き出した。
「――こ、これで、よろしくお願いします」
全てを書き終え、リンネは恐る恐るディアナに書類を渡す。彼女と一緒に、ルイスもそれを覗いた。
「全部、簡単に準備できそうね」
「……こんなものでいいのか?」
「――え?」
ふたりの感想は、意外そうな声色で告げられる。
ルイスに至っては、拍子抜けしたような表情だ。
しかし、リンネにとってはどれも自分には買えない価値のあるもの。
「鏡や鎖、銀蜘蛛の糸に、珍しい薬草、動物の骨に、宝石もですよ? どれも安くないですし、集めるのも手間がかかると……」
「僕たちは、グラジオラスだぞ? これくらい三日もあれば全部集まる」
「…………」
ルイスは愚問だと言わんばかりの物言いで、リンネは沈黙した。
(……流石、公爵家……。全然、価値観が違うや……)
遠のきかけた意識を取り戻すと彼女は思う。
今まで、下着一枚ですら、申請するのが躊躇われたというのに。
グラジオラス家は、教会とは全く比べ物にならないほど羽振りがよかった。