5:特級神官
「君はこれから、グラジオラス公爵家にお仕えすることになった」
夕食前。先に大切な話があると呼び出されたリンネは、当主のネウェルと上司の神父が同席する異質な空間で告げられる。
「……え??」
予想の斜め上を行く展開に、彼女は呆然として銀色の目を見張った。
「今回、神官見習いの身ながら優秀な働きをした君は、アンザレア教会堂での厳しい鍛錬を鑑みて、正式な神官として活動することを聖下から許された。これからは公爵家の専任神官となって、神の導きを示すといい」
淡々と紡がれる言葉はリンネの意見など入る余地もなく、神父は最後に手を合わせて話を締める。
「…………謹んで、お受けいたします……」
自分の処遇について咀嚼し切れていなかったが、リンネも彼に合わせて合掌した。
(……ま、まさか、こう来るとは……。神官の派遣は普通だけど、教会は曰く付きのわたしを外で活動させて、かつ公爵家からその派遣費を取るつもりか……。厄介払いをしてお金も稼げるなんて、一石二鳥だ)
教会側の対応は、すぐに理解できた。
しかし、あの公爵がこの条件を飲むとは……。
「神官とはいえ、城に滞在させていただくのだ。仕事がないときは、使用人として励むように」
「……か、かしこまりました……」
リンネは顔を上げると、神父からネウェルに視線を移した。
さらさらの銀髪に、紫色の瞳はディアナと同じだが、彼女よりも冷たく畏怖を感じさせる整った容姿だ。
娘のためなら嫌っている相手にも妥協することは、一連の騒動で分かったが、これから死神と呼ばれる彼の元で働くことになるのだから気は抜けない。
「未熟者ですが、誠心誠意、役目を全ういたします」
リンネは何を考えているか悟らせないネウェルと目があって、深く頭を下げた。
その後、契約書などに目を通し、リンネは自分が教皇を除いて一番上の位――特級神官に大出世することを知った。
ちなみに、何故こんなに早く話が通ったのかと言えば、それはディアナが開発した通信機のおかげに他ならない。
聖都から公爵家までは、五日かかる道のりだ。
高位神官が遠征してもどうにもならず、リンネがすぐに呼ばれたのも、最初に教皇に助けを打診しに来た公爵家の使者が置いて行った通信機があったからだ。
教皇本人から「励みなさい」とだけ有難いお言葉をもらい、簡素すぎる任命式でリンネは特級神官の位を承った。
「これで今日から君は、特級神官だ。――それでは、この書類にさっそくサインを」
「……はい」
公爵家と渡り合うには、それくらいの位がないと外聞が悪いということなのだろうが、今年神官見習いになった身としては戸惑いしかない。
三歳の時から教会を転々とし、最後には一番戒律の厳しいアンザレア教会堂に送り込まれ。
大人でも逃げ出したくなるような鍛錬を積んだというのが、それを後押ししたとは笑える話だ。
話だけ聞けば、まるで神官となるべくして育った生粋の教会信者みたいだ。
(わたしを悪魔憑きとか言って、いじめてたくせに……)
いや、もしかすると、その過去すら美談になるのかもしれない。
教会は憐れな悪魔憑きの幼女を更生させ、公爵家の令嬢を救うほどの人材を育て上げた――と、そんな風に。
生真面目な神官たちに、真剣にいじめられて来たリンネからすると、彼らが評価されることは癪だ。
しかし、理由は何であれ、あの場所からこんなに早く抜け出せることは、喜ばしくはある。
(ここで上手くやっていけるかな……)
身を寄せる場所がグラジオラス公爵家でなければ、もっと嬉しかったのだが、思うようにはいかないものだ。
ディアナは友好的に接してくれるが、いつまで続くか分からないし、ルイスとレキのようにこの公爵領には神官をよく思わない人はいるだろう。ネウェルだってこの契約を許しても、心を許す気はないはずだ。
(……誰にも疎まれず、静かに暮らしたいだけなんだけどなぁ……)
霊が見えるだけでも大変なのに、そこに身分のことまで重なるとは、先が思いやられる。
リンネはペンを握り、手元の契約書を見つめた。
(公爵家専任、か。とりあえず三年間の契約だけど、その間にあの悪霊、なんとかできるのかな……。気味悪がられて嫌われないように、気を付けないと)
色々な考えが頭の中で錯綜したが、とにかく三年間ここでなるべく事故を起こさず、かつ、あの悪霊をなんとかすればいいだけだ。
ひとつ息をつくと、出来るだけ丁寧にリンネは自分の名を記す。
――リンネ・ハイザーク
それが教会に捨てられて家名をなくし、神に仕えることになったリンネが、神官としての身分を得て教皇から与えられた新たな名だった。
◇
(テ、テーブルマナーとか、取り込んだ魂の記憶があるだけなんだけど、う、上手くできる、かな……)
夕食に招待され、経験したことのない豪華な席に着いた彼女は肩身を縮ませて、目の前の料理を見つめていた。
斜め隣の上座にネウェルが座り、リンネの前にはディアナとルイスが並んでいる。ディアナの母親は、彼女が幼い時に亡くなっているそうで、グラジオラスの名を持つものは三人だけだった。
神父も隣にいるのだが、彼はアンザレア教会堂でも大きな顔をしていた人で、リンネを呼び寄せた張本人であり、全く心の拠り所にはならない。
自分の味方はひとりもいないような状況だ。
緊張で固まっていると、目の前のディアナと視線がぶつかる。
「気を張る必要はないわ。マナーなんて気にせず、今日は好きなだけ食べて!」
「……はい」
救いの手とも言えるひと言が降ってきて、リンネは安堵した。
「――改めて、私の娘を助けてくれたこと。礼を言う。まだしばらく力を借りることになるが、これからもよろしく頼もう、若き神官殿」
「……微力ながらお仕え出来ること、大変光栄でございます。こちらこそお世話になります」
ほんの僅かにほぐれた空気を読んだネウェルに労いの言葉をもらい、顔を見合わせて軽くグラスを浮かべると、食事が始まる。
――人生初のコース料理は、絶品だった。
最初のスモークサーモンの前菜から、透き通ったコンソメスープに、鱈のポワレ。何を食べても感動で、すごく美味しい。
「どう? お口にあったかしら?」
「――はい。どれも、すごく美味しいです」
ディアナは病み上がりだということもあって、ひとりだけ別メニューだが、彼女が一緒に食事をしてくれて助かった。
リンネはすっかり食事の虜になっていて、会話を忘れてしまったが、ディアナが上手く場を持たせてくれる。
せめて音を立てないように、丁寧にナイフとフォークを握り、リンネは舌鼓を打った。
「リンネがここに残ってくれて、とても嬉しいわ」
悪霊を背負ったままのディアナは、花が咲いたように微笑む。
「同い年の女の子の友だちは、実はあなたが初めてなの。今度、是非一緒にお茶をして、買い物にも行きましょう!」
隣の義弟さまは、全く賛同していないようで無言の澄まし顔で食事をしているのだが、ディアナは気が付いていない。
「はは。特級になったとはいえ、まだ若い神官です。お嬢様が寛大だからと、甘え過ぎないようにしなくてはなりませんね、ハイザーク卿」
「…………はい。心に留めておきます……」
いつ口を出そうかと機を窺っていた神父が、ここぞとばかりに自分の存在を誇示するように言った。
運良くポンと成り上がった娘に対するマウントと嫌味だろう。
調子に乗るなよと直接言われた気分だった。
「卿は、教会の中でも最も格式高い我がアンザレア教会堂で育ち、とても敬虔な人です。同じ空間で過ごすにあたり価値観が多少合わないところも出てくるかと思いますが、ご理解いただけますと幸いです」
あくまで教会の代表者として振る舞いたいらしく、彼は公爵家の三人に向けて告げる。
リンネは彼が戒律に厳しいアンザレア教会堂を利用して、寄付される金を横領していることを知っている。お金に関すること以外は、生真面目すぎるほど敬虔な部下に仕事を任せっぱなしで、出張と偽装して遊んでいるくせに、よく知ったかぶって言えたものだ。
「もちろん、彼女には公爵家に無理なく馴染んでいただけるようにしますわ。必要なものは何でも用意いたしますし、敬虔な神官様の希望にも全て合わせることができますので、ご心配なさらないでください」
ディアナは屈託のない笑顔で言い切った。
流石、皇室にも恐れられる北部最強の公爵家。言うことが違う。
ただ、ディアナの中身が大人だと分かっているからか、この会話にヒヤヒヤする。ネウェルとルイスもじっと神父と彼女を見ていて、リンネも思わず食事の手を止めた。
「……ハイザーク卿は、とても素晴らしいところにお仕えするようです。次に会う時、どんな話が聞けるか、楽しみにしています」
……リンネは思った。
とんでもない胃痛ポジに置かれてしまったと。
公爵家との契約が終わった三年後、普通に考えれば教会に戻ることになる。
神官としてずっと活動したければ、リンネは教会に逆らえない。つまり、公爵家の情報を探ってこいと言われたら、報告しなければならないわけだ。
(……わたし、無事に生き延びられるのかな……)
その後、コースは肉料理やデザートが振る舞われた。
完食できるか心配だったが、全体を通して脂っこいものが控えられていたメニューで、とても食べやすく無事に平らげることができた。
――が、リンネはその日、今後の不安で全く寝付けなかった。