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いどら

作者: 銅座 陽助

 夏の酷く蒸し暑い日。僕はその日も部屋を抜け出して、夜の海に向かって歩き始めた。

 少し遠くの港の辺りはランプの灯りが煌々と照って、あの一帯だけが昼間のように明るい。それとは対照的に、町のはずれの砂浜までの道はとても暗く、静かだった。

 街灯も無い真っ暗な道を、慣れた足取りで歩いていく。一学年が片手で数えられるような人数しかいない僕らの中学校はずいぶん前から夏休みで、数少ない友人たちは溜まりきった宿題の山に追われていた。港町の親というのは大抵が船乗りなものだから、ずいぶんと豪気なのが多くて、怒った時の迫力もまたたいそうすさまじい。一昨日なんかもどこかの家で喧嘩でもあったのか、怒鳴り声がこちらの家の中にまで聞こえて来てひどく辟易したものだ。

 対してうちの親は数少ない商店を経営している身だからか、そういったものとはあまり縁がない。だから宿題の進捗にもあまり口出ししてこなくて、それはとても都合がよかった。

 だってもう、宿題なんて意味がないのだろうから。


 砂浜に着いた。プラスチックのごみ袋に栄養ドリンクの瓶、流れ着いた朽ち木が散乱する、お世辞にも綺麗とは言い難い砂浜。そんな俗世的な浜辺とは対照的に、黒くうねる海は昼間のそれとは違って、何かが潜んでいるかのような、えもいわれぬ恐怖を伝えてくる。

 実際、潜んでいるのだ。

 おぅい。と、海に向かって声を張る。海はその暗闇の中に僕の声を飲み込んでいく。そうして少しすると、病的なまでに静まり返った波間に、月明かりとは違う金色の光が反射して見え始める。はじめは一つ二つだったそれが、段々と増えて近づいてくる。やがて波打ち際の辺りが昼間のように明るくなって、その光の間から彼女は浮き上がってくるのだ。

 黒く濡れそぼった長い髪は、立ってもまだ先が海の中に沈んでいる。肌は病的に青白く、瞳は灯りと同じ、金色に輝いている。あばらの浮いた肢体は艶めかしく照って、僕と同じくらいの年頃の見た目なはずだというのに、酷く蠱惑的に、大人びて見えた。


 彼女と初めて出会ったのは夏休みが始まったばかりの、今日と同じ酷く蒸し暑い日の夜だった。今日と同じ黄金色に、妙に光る海に夢中になっていた僕の前に現れた彼女は、最初こそ驚いていたが、僕が彼女に見惚れて動けないでいるのに気が付くと妖しく笑って手招きをした。僕はそれに誘われて、ふらふらと海の中に入っていった。不思議と息苦しさは無くて、黒いばかりの水底を、その金色の光に包まれて、ぼんやりとした温かさすら感じながら、しばらく一緒に歩いていた。


 彼女と言葉を交わしたことはないが、この薄ぼんやりとした毎夜の夢に終わりが近いことは薄々気が付いていた。会うたびに彼女が連れる光は段々と大きく、多くなる。一緒に歩いていく時間も段々と長く、深くなる。

 いつからか、その向かう先に古い小屋のような建物があるのには気が付いていた。日を重ねるごとに、少しずつ小屋に近づいていく。逢瀬を重ねるごとに、少しずつ陸地から離れていく。あの小屋の中には何があるのだろうかと疑問にも思ったが、不思議と彼女にそれを訊く気にはならなかった。小屋には扉があって中をうかがい知ることはできない。朽ちたそれは、不気味な冷たさを僕に感じさせていた。


 輝く水面に佇む彼女は、何度も繰り返したように僕を手招いた。

 僕は散逸した思考をやめ、今回も夢を繰り返そうと足を進めた。

 彼女は僕の手を取る。きっと、今日はあの小屋に着くのだろう。

 僕は水面に足を入れる。きっと、今日はあの扉を開くのだろう。



 引く白波に穿たれた足首分の空白に、寄せる水が流れ込む感触を鮮明に感じる。

 夏の海は、酷く生暖かい。


日のささぬ海底・栄養ドリンク・穿つ

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