惨劇の闇夜
「ホッホッホ……。手助けがあったとは言え、存外に早く事を終えたものじゃのう」
ライフの師匠は年寄り相応の生活を送っていたが、今日だけは遅くまで起きて、いつでも出迎えられる準備を済ませていた。
そのおかげで、くたびれた三人は温かいもてなしのおかげで気分が落ち着き、先に湯浴びで汚れを落とす。
それから小さなリビングで各々が軽食を取ることで、心ゆくまで休むことが叶う。
ただ四人全員が平穏に心落ち着かせているとき、ルシだけは僅かな不満を抱いていた。
また彼女は我慢することなく、呆れた口調で言い出すのだった。
「相変わらず食事が質素だよねー!男二人の隠居生活にしろ、もう少し豊かな食生活を送ることを心がけた方が良いよー!」
「こらこら、ルシよ。久々に師匠に会ったというのに、なんという物言いじゃ。せめて今夜だけでも礼節を弁えんか」
「だって食に限った話じゃないけど、それで満足しちゃうのは停滞と同じなんだから!怠慢と停滞は剣士にとって最も忌むべき行為でしょ」
「ルシは相変わらず屁理屈が上手だのう。それよりもアベリアお嬢さん、遠路遥々の客人にして心優しき協力者、また誠実な騎士様に大した歓迎ができず、申し訳ない」
そう言いつつ、ライフの師匠は良い香りがほのかに漂う飲み物を差し出した。
それを彼女は一口呑み、ほっと一息ついてから話す。
「むしろ、私が唐突にお邪魔して申し訳ない思いです。それに心からのおもてなし、大変痛み入ります」
「……なんと礼儀正しいお嬢さんだ。この老いぼれの身でありながらも、とても新鮮な気分じゃよ。あいにく弟子は二人揃って、気ままな一面が強くての」
「そういえばですが、ルシちゃんさんとライフさんは近い年齢ですよね。今回の試験まで面識無いようでしたが、ルシちゃんさんはいつ頃に弟子入りしたのですか?」
「ちゃんさん…?まぁよいか。ルシが弟子だったのは、あの者が幼い頃に少しだけじゃな。それも半年足らずだった」
「あれ?でもライフさんは、お師匠さんと十数年間は一緒だったと言っていた覚えが……?」
賢いアベリアからすれば、いまいち辻褄が合わないように感じられた。
しかし、すぐに彼の師匠から納得いく答えが返ってくる。
「四度ほど、ライフには単独での野外訓練をさせておる。どれも予定より期間が大幅に延びてしまった故、偶然アベリアと会うことは無かった」
「……あぁ、そういえばライフさん。なんだか方向音痴らしき気配がありました。あと飢え死にかけたとも言っていましたが、その野外訓練での出来事だったのですね」
「その四度の内、一年近くも帰って来なかったことがあるほどじゃよ。その時は、さすがに死んでしまったと思い込んだものだ」
「うーん……。そう聞くと、どうしてライフさんが悪魔憑きを難なく倒せたのか、納得いく気がします。きっと、その時に何度か討伐しているでしょうから」
悪魔憑きの話が出たとき、その出来事について初耳だったルシは咳き込み、同時に師匠は気難しい表情を見せた。
それは彼の実力を知る二人にしては、少し妙に受け取れる反応の示し方だった。
ライフの剣筋ならば、悪魔憑きの一体や二体くらい倒していても不思議じゃないはずだ。
「え?お二人とも、どうかしたのですか?」
アベリアは理解が追い付かず、戸惑うばかりだ。
比べて彼の師匠は目を泳がせ、だいぶ吃った口調で語った。
「い、いや………。そうじゃのう。そうかそうか、あやつは悪魔憑きを仕留めたのか。アベリアお嬢さん、それは全ての戦いを目撃したのかのう?」
「え、いえ……。一部始終だけですね。トドメを刺す所だけです」
「ふむ、そうか」
「……でも思い返せば、悪魔憑きが暴れたにしては、周囲が変な状態だったような…。具体的に思い当たる節は、はっきりと思いつかないのですが…」
アベリアは、ライフが悪魔憑きを倒した直後の光景を思い出そうとする。
すると師匠は慌てたように声を大きくして喋り出した。
「あーよいよい!そう無理して思い出さずともな!何がともあれ、これでライフはめでたく剣豪じゃ!いやぁ、嬉しい限りじゃなぁ!」
「あ、それで思い出しましたが、お師匠さんは何者なのですか?騎士団の記録によると、剣豪の資格を与えられるのは一級騎士を除くと剣聖クラスに限られ…」
「それも今となってはどうでも良い事じゃよ!とにかくライフを祝わなければな!あー、めでたいめでたい…!」
露骨な狼狽っぷりと下手過ぎる誤魔化し方に、いくらドジばかりのアベリアでも何か察するものがあった。
ただし、はっきりと察したのは師匠の正体というより、あまり探られたくない事情がある程度のこと。
そして彼女は、自分のような部外者が探り入れるべき事では無いと考える。
とりあえず客人の立ち位置として、大人しく口を噤むことに努めた。
そんな中、今回の主役であるライフは眠気眼で物静かにあくびをしていた。
「ふぁ~……。これは、駄目だな。眠すぎる」
頭に靄がかかったかのように思考が鈍く、周りの反応を気に留められないほど意識が散漫としている。
そのためライフは席から立ちあがり、気迫が薄い様子で話しかけた。
「みんな、悪いけど俺は少し眠る。洞窟から脱出するのに、さすがの俺でも体力を使い過ぎたみたいだ」
「うむ。思わぬ過労のせいで、気分が落ち着かないのじゃろう。先にひと眠りすると良い。剣豪の役割や責任については、また明日話してやろう」
「すまないな、師匠。せっかく遅くまで起きていてくれていたのに。それとルシちゃん、手合わせ楽しかったぜ。アベリアは、もし離れるときは一声かけてくれ。別れの挨拶くらいはしたい」
律義にライフが各々に向けて言葉をかけると、アベリアは出会った時と同じ愛想笑いを浮かべてみせた。
「はい、分かりました。どうかライフさん、ゆっくりお休みください。私も間もなく、お休みを頂くつもりですので」
「寝る場所が無かったら…、俺が寝台を貸すから遠慮なく叩き起こしてくれ。それじゃあ、お休み」
「おやすみなさい、ライフさん」
それからライフは一人で別室の寝台へ行き、剣を壁にかけてから早速眠りに入ろうとする。
眼を軽く瞑るだけで、すぐに睡魔が体と思考の自由を奪ってくれて、あっという間に眠りに落ちれそうだ。
だから次第に深い睡眠状態へ陥り、あとは気分爽快に目が覚めるまで身を委ねるだけ。
そこまでいけば、もはや朝日が昇ることを持つだけだろう。
しかし異常な響音が、その快眠を許さなかった。
「……っ…!?な、なんだ…!!?」
それは唐突な爆音だった。
まるで膨大な火薬による爆発かと思うほど凄まじい音で、その音が生み出した衝撃波によって一部の窓が割れてしまう。
同時に地面が揺らぎ、家の天井から多くの埃が落ちて来る有り様だ。
そのため当然ライフは寝台から飛びのき、剣を持って部屋から走り出る。
「アベリア!ルシちゃん!師匠!無事か!?」
誰からの返答も無いどころか、悲鳴一つ聞こえてこない。
おかしい。
そして何者かによる凄まじい殺意が、激しく迸っているのが肌で感じ取れた。
「この気配は外……か?まさか悪魔憑きの大群でも襲って来たのかよ!?」
そう考えたライフは、家内の安全確認より先に外へ出ることにした。
まずは爆音の発生源を知らなければならない。
本当に悪魔憑きの襲撃か、または自然災害かで対処方が変わってくる。
だが、実際に外で起きていたのは、彼が想像した二つとも異なっていた。
「……なっ、…これは……し、師匠……?」
外へ出たとき、そこには彼の師匠の姿があった。
ただし、長剣が師匠の胸元を完全に貫通しており、刃先が背中から生えてしまっている状態だ。
そして師匠の後ろ姿からは生気を失っているのが伺えて、何者かに寄りかかっているように見えた。
「だ、誰だ……。いや、そんなことより…!」
ライフは狼狽えると共に、鼓動の高まりを全身で感じていた。
激しく乱雑な心音が止まらない。
浅く短い呼吸の乱れが繰り返され、より彼の精神状態を悪化させる。
視界に映る全ての光景が歪む中、血だらけに染まりつつある師匠の後ろ姿だけは明瞭に注視できた。
その惨状を目の当たりにしたせいか、もはや状況把握がどうでもよくなってくる。
確かな事実は師匠が瀕死であり、襲い掛かる脅威を自分が処理しなければならない一点のみ。
やがて謎の人物により、師匠の体を貫いていた剣がゆっくりと引き抜かれていった。
「無双の剣聖と呼ばれた者でも、老いればこの程度か。なんとも儚い現実だ」
師匠を刺した相手は、黒服を身に纏った男性だった。
黒髪に黄金の瞳、そして鮮血を浴びた黒衣が月光によって照らされる。
その姿を視認したとき、ライフの中で急速に膨れ上がっていた怒りは爆発した。
「お前……!なにを……な…にを……しているんだ!お前、お前……!あぁあっ…!うおあおあおおあぁおおおあぁおおォォっあァ!!!」
ライフが叫びながら踏み込んだ瞬間、周囲の地面が隆起した。
また小さな地割れを引き起こすほどの地震を発生させ、それから駆け出したライフの速度は音速を遥かに超越する。
それは明らかに人間の領域を踏み越えており、まさしく神速そのもの。
対して黒衣の男性は悠然とした目つきでライフを察知するものの、その場から一歩も動かずにいた。
だからライフは突如襲撃してきた相手に狙いを付けるまでも無く、ただ必死の思いで剣を振るう。
すると彼が振るった際に発生した衝撃は途方も無い威力を誇っていて、遠方の木々を薙ぎ倒すほどだった。
だが、肝心の相手には当たっておらず、いつの間にか黒衣の男性はライフから離れた位置に立っていた。
「くっ、この……!」
ライフは殺意にまみれて勢いよく飛び出したせいで転倒するが、すぐさま態勢を立て直して相手に敵意ある眼を向ける。
しかし、未だ相手からは興味を持った素振りが感じられない。
今しがた倒れた木々や荒れた地面を観察しているだけで、とても冷静に分析していた。
「どう考えても人間が生み出せる力じゃないな。……なるほど、お前は悪魔憑きか。俺ですら人間の悪魔憑きは、お前含めても二人しか見たことがない」
「無双剣・砂塵突駆!」
ライフは目を深紅に染めつつ、大地の砂塵を巻き上げて突撃を仕掛けた。
けれど、相手は何一つ動揺を見せない。
「身を隠しても気配が駄々洩れだ。まったくもって獣の悪魔憑きと同じだな」
そう言い切る頃には、相手の剣はライフの体を連続的に切り伏せていた。
それは視認する事を許さないのみならず、感じる事すら許さない剣撃。
身を深々と斬り刻む結果だけを与えたかのような、まるで理不尽な攻撃だった。
しかし、それでもライフは倒れずに踏み止まり、あまりにも鋭利な視線は相手から外していない。
「……細切れにしたつもりだったが。どうやら単なる悪魔憑きというわけでも無いみたいだな。一体何者だ……?」
ついに相手は、ライフの存在に強い興味を示す。
ただ興味を持った理由は、彼が特殊な肉体の持ち主であるからに過ぎず、まったく脅威だとは感じていないようだ。
つまり、それだけ実力差が色濃く出ている事になる。
それでもライフは体から黒い煙と血を垂らしながら、相手を仕留めようと精神統一を始めた。




