悪魔憑き
突如、ライフに襲撃してきた大熊と思わしき怪物は、やはり自然界から誕生した動物とは考えられない造形だ。
まず身の表面を覆っているのは皮膚や体毛では無く、剥き出しの骨格と筋肉である。
しかも、それらを全身に纏った怪物が漏らす吐息の音は、どの動物の声にも例え難いものとなっていた。
「ゲアァア゛ァァア゛ッァゥゥォ…」
加えて、膨大にして不安定な筋肉量が目立つ事から、元々は熊か狼だったかもしれない、が一番正しい認識だろう。
また、自身の骨が肉に食い込んでいるせいで出血し続けており、血だらけの口内からは小さな触手が蠢いていた。
「出たな、悪魔憑きめ。まったく、いつ見ても気味が悪い見た目だぜ」
ライフは先程までの愉快な態度とは打って変わり、冷静沈着な様子で言葉を発する。
同時に鋭い目つきとなっていて、これが彼の臨戦態勢なのだと、素人目でも分かる変貌ぶりだ。
それから両者が向き合った数瞬後に、怪物は叫んだ。
「ガガァぁ゛ヴぁあぁぅグゥヴヴギィイイイァァアッギィアァァァ゛ォォォオォ!!!」
おぞましい咆哮と共に、怪物の口からは血しぶきが飛び散る。
更に辺り一帯の空気は震えあがり、ありとあらゆるものに対して恐怖を刻み始めていた。
しかし、どのような威嚇を受けても青年ライフの表情は何一つ揺るがない。
まともな生物であれば、本能的に恐怖を覚えるのが当然にも関わらずだ。
そして敵が動き出したと思った直後には、あの怪物の姿が消えていた。
「さぁ来い」
影しか視認できない異常な俊敏さ。
バランスが悪い巨躯からは想像もつかない速さであって、完璧に身構えていても対処どころか反応すら難しい。
それでもライフは躊躇いなく前方へ数歩踏み出し、剣を力強く振るう。
「無双剣・滝登り」
彼は剣技名を口にしつつ、周辺の空気を吹き飛ばすような切り上げを放っていた。
その剣筋は非常に大胆で、今のような素早い怪物には不適切な動作に見えるかもしれない。
だが、ライフの剣は確実に怪物の腕を切り裂き、もう少しで切断にまで至っていたであろう攻撃となっていた。
「グ、ッァ……!?」
これには精神錯乱状態の怪物でも仰け反る他なく、一歩二歩と後退していた。
そんな怪物に向けて、ライフは剣を構え直しながら喋りかける。
「危険だと思った、というより驚いた感じか?お前の腕の振るいに合わせた攻撃だからな。大げさに驚く気持ちは分かるぜ」
彼の言葉に反応することは無いが、怪物は瞬時に理解したことが一つあった。
それは悠々と立ちはだかる人間が、自身と同等の能力を持ち合わせていることだ。
ただ同等だからと言って、いきなり混乱してヤケになることは無い。
次は弱々しい捕食対象を狩るつもりでは無く、天敵だと捉えて排除するだけだ。
「フゥ゛ゥ……」
まず怪物は呼吸を整え、一旦距離を取るために素早く後方へ移動した。
それから再度攻撃を仕掛けて来るのかと思えば、なぜか隣の大木に頭突きし始めるのだった。
この不可解な行動にライフは目を丸くし、唖然とする気持ちを思わず口に出してしまうほどだ。
「な、なんだ?いきなり木に八つ当たりするなんて。早くもトチ狂ったのか?」
呟いている間にも頭突きを繰り返していて、その度に大木を大きく揺らす。
このまま日が暮れるまで頭突きを続けるのかと思う矢先、今度は大木を剛腕でへし折ってみせるのだった。
「わぉ、凄い力だ。これは素直に感心するぜ」
ライフが呑気に感想を述べる一方、怪物は脇で大木を抱えた。
これで怪物が何をしたかったのか、遅れながらも彼は理解する。
どうやらライフが剣を使うように、怪物は大木を棍棒として使うつもりのようだ。
仕留めるなら自前の爪やら牙を使うのが一番効果的だと分かっているはずだが、そこまで接近する方が不利だと判断したのだろう。
「グロテスクな見た目の割には賢いな。そして冷静だ。そこは見習うに値する。…だけど、お思いつき程度の戦略で逆転させるわけにはいかない」
怪物は大木を抱えながら高く跳躍し、すかさず叩きつける動作でライフを押し潰そうとする。
当然の話だが、こんな大木を振り回そうとしている時点で、先ほどまでの恐ろしい俊敏性は大きく損なわれている。
まして、人間みたく道具を器用に扱えるわけが無い。
そうとなれば、リーチは得ても鈍重で隙が大きくなっただけに等しい。
また、単調な動きで一撃必殺しか考えてない怪物では、もはやライフ相手に勝てる可能性は万に一つすら失われていた。
「無双剣・走鉄砕」
再びライフは真正面から迎え撃つ。
そして二度目に振るわれた彼の剣術は、さっきと同じく力強いものだった。
むしろ、より強い踏み込みを多用することで、前進する勢いは増していくばかりだ。
だから大木を破壊しても、彼が魅せる太刀筋の鋭さは衰えない。
「そこだ!」
そのまま彼は怒涛かつ一直線に突き進み、怪物の胸元をあっさりと両断する。
敵の行動が遅くなっているから急所を切り裂くのは容易であって、また切り裂かれた断面からは蛆同然の黒い触手が飛び散った。
「グゥウゥ゛ッ!?」
「……悪いな。恨みは無いが、見逃すわけにはいかない。本来の自我が失われているなら、尚更な」
それから怪物だった部位は大木と共に重々しい落下音を響かせつつ、同時に頭部からは黒煙を噴き出し始める。
更に、血走った目をギョロギョロと動かし続けるため、死に瀕して尚、異形の怪物という存在感を放っていた。
「こんな病気が蔓延したら、先に心が疲弊しきるぜ。だからこそ俺達人々は元気を出して、目標を持って生きないといけない」
ライフは最後に怪物の頭を剣で貫き、一切の抵抗と反応を封殺した。
すると怪物の全身は次第に黒煙へ変わっていき、数十秒足らずで跡形も無いものになってしまう。
怪物が撒き散らした血痕すらも黒煙となって霧散し、文字通り完全な消滅を迎える。
もはや怪物が居た証拠は何一つない。
その終わりを見届けたライフだったが、今度は少し離れた場所から女性の声が聞こえてきた。
「わわっ、凄い…!」
「え、誰だ?……女の子?」
声が聞こえた方向へ視線を向けると、そこには身なりが汚れきった白髪の少女が立っていた。
手には短剣が握られており、こんな野生溢れる場所に一人で居ることから、何か深い事情があるように感じられた。