剣士ライフ・アンノウン
ある日の快晴の下にて。
「うおぉおおお師匠ー!早く始めて下さいよ!もう俺、本当に待ちきれなくて!なんなら突っ走りたい気分が溢れ過ぎて、剣を振り回したいくらいですよー!」
鎧と呼べるほど立派な造りでは無いが、厚革の防具を纏った一人の青年が大声で叫んでいた。
その騒がしい声は、すぐ近くに居る老人へ向けたものだ。
しかし青空にまで響き渡る声量であって、どう考えても無駄に騒々しいのみとなっている。
つまり、そんな元気を振り撒くほど青年は張り切っていて、抑えきれないほどの興奮を湧き立たせているのだろう。
「やれやれ。そう叫ぶほど、まだ私は耳が遠くなってないというのに……。どれだけ精神鍛錬に時間をかけても、相変わらず天真爛漫な奴よのう」
未だ落ち着きない青年に比べ、老人は年相応の振る舞いを見せていた。
だが、その老人の立ち姿勢は兵士が敬礼している姿と遜色なく、かなりの鍛錬を積んでいることが一目で伺えた。
実際、彼の顔や手には傷跡が残っており、歴戦の猛者に匹敵する何かを秘めているのは間違いない。
それでは青年の方はどうかと言えば、まるで外を駆け回る少年のような雰囲気だ。
腰には長剣を納めた鞘を差しているが、本当に武器として上手く扱えるのか、少々疑わしく感じられる。
あまりにも隙だらけで、まともに剣を振るう姿が想像できないほどだ。
そんな冒険装備に不釣り合いな青年に対し、老人は物静かな口調で喋りかけた。
「それでは改めて確認しようかの。これは大事な認定試験なのでな。いくら師弟の仲と言えど、やはり厳格に取り締まらなければならん」
「よっしゃあぁああぁ!そう言われると、これから始まるんだなって気がするなぁ!身が引き締まる思いだぜ!」
「だから、しっかり聞くと良い。これからはお主……。いや、ライフ・アンノウンは武の洞窟へ赴き、最奥地にある踏破した証を入手すること。これが剣豪となるための認定試験じゃ」
ライフ・アンノウンとは、先ほどから賑やかな青年の名前だ。
この老人こそが名付け親なのだが、師弟関係として長年一緒に居るせいで、お主という呼び方が日常的になってしまっている。
だからこそ、改めて名前を呼ばれる行為にすら、ライフという青年は刺激を受ける有り様だった。
「凄い!なんて厳格なんだ!これが……認定試験なのか!そして、これが剣豪になるための試験!凄いぜ……!」
「お主、何も考えずに喋っておるだろ。もういいから、さっさと行け。それと二日以内に戻らなければ失格扱いとするからな」
「二日以内……。なるほど、分かったぞ!要するに、日が二度沈む前に戻れということ!なんて厳格な試験なんだ!まさか門限があるなんて!」
「ほれ。いつまでも喋っていると体力を無駄に使い、時間切れとなってしまうぞ。それと念のために言っておくが、道に迷うでは無いぞ」
「はい、任せて下さい!急ぎ行って来ます!そして、すぐ帰ってきますので!なんなら、日が二度落ちるまでに帰って見せますから!」
何度も取り留めの無い発言を繰り返すから、これではどちらが老人なのか判別できなくなりそうだ。
やがて青年は最初の発言通りに突っ走り、彼が望む剣豪への認定試験とやらが開始された。
一切振り向くことなく颯爽と駆け抜けるライフの背中を老人は見届け、しばらくしてから呆然とした眼差しで呟いた。
「あやつめ。早速、間違った方向へ走って行きおった……。やれやれ、まだ剣豪になる機会を与えるのは早かったかのう…」
ちょっとした会話だけで精神的な疲労を覚えた老人は杖を手に、大自然に囲まれた自宅の方へゆっくり歩き出した。
その一方、肝心の好青年ライフは依然と勢いを落とさず走り続けていた。
洗練された身のこなしで自然を突き抜け、一つも息を切らさずに前を見据えて走っていく。
しかし、お調子者の彼でも異変に気づくのは早かった。
「……あれ…?なっ!?しまった!もしかして俺、迷っていないか!事前に下見したくらいなのに、なぜか全く記憶が無い場所だぞ!」
ようやくライフは脚を止め、慌てて辺りを見回した。
何度見ても周囲は変哲も無い木々ばかりで、現在地が山中だとしか分からない。
実は下見の際に道しるべをこっそりと付けていたのだが、どれだけ注意深く観察しても印が見当たらない始末だ。
当然だろう。
なにせ彼は向かう方角そのものを、大きく間違えてしまっているのだから。
「くっ、なんて厳しく難しい試験なんだ!まさか洞窟に辿り着くまでにも困難があるとは!これでは、いつまでも俺は一般剣士のままだ!」
そうして彼が現状に嘆いていると、唐突に多くの動物達が付近を通り抜けていった。
その動物は多種に及び、とても群れで行動するような組み合わせでは無かった。
それは野生の兎と狼が肩を並べて走っているというくらい、到底考えられない光景だ。
この違和感をライフは察知し、無意識に手を剣の柄へ添えた。
「離れても分かるくらいに、動物達が焦っていた……。さすがに俺が叫んだせいじゃないよな。もしかして、こんな辺鄙な場所で、あれが…?」
原因に心当たりがある彼は警戒心を強め、周囲の変化をより細やかに探ろうとした。
風、音、臭い、そして緩やかに漂ってくる異質な気配。
それらを有益な情報として得ようとする直前、彼を覆い尽くす大きな影が突如出現した。
「真上か!」
ライフは下手に受けようとせず、真横に鋭く跳躍した。
それにより彼は不意の脅威から回避を成すものの、本当の意味で危機が迫るのは今からだ。
落下してきた存在は全長四メートル以上の生物で、それは全体の造形から見れば、大きな熊という認識で済むかもしれない。
けれど、生物と呼ぶには姿が酷く歪だった。