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虹であるように

作者: 葛猫サユ

 

 ハッとなった。知らないうちに天恵が僕の肩を叩いたようだ。

 僕はセンサ―によって物事の距離感しかつかめない。ただ正確な距離は掴める。遠ければ冷たく、近ければ暖かい。もっと詳しく言うなら、センサー脇の発信器から放たれる電波が遠くに行けば行くほど、自分の体に穴が開いたような、涼しげな虚無感がボディを透き通る。

 この感覚が、『寒い』であり、『さみしい』らしい。どうしてわかるのかはわからない。ただそう感じてしまうと、今度は全体の重量が増したように動きが鈍る。やる気が出ない、気分が落ち込んでいる、らしい。誰から教わったわけでもなく、そういうものが感覚的に理解できてしまうのはなぜだろう? 

 沈んだ心象のなか漂うようにふらふらとしていると、センサーが目の前に障害物を検知する。


「このルンバ壊れてねぇか」

「うそ、先月買ったばかりよ、勘弁して」

「まだ補償効くだろ、交換しよう」

 

 備え付けられた音声認識機能が、そんな音声を聞き取る。解析してみても、こちらの対する命令を識別出来ないため、その声は恐らく僕に向けた言葉ではないことがわかる。

 だからなのだろうか、その言葉は僕に空いた間隙を埋めることなく通り過ぎていくのは。

 意味はわからなくとも感じる。その言葉は遠く、冷たく、寂しい。


     ◆


 次の瞬間、センサーは壁との距離が急に変化したことを認識する。

 僕は混乱した。が、すぐに思い至る。恐らく一度電源が落とされたのだ、そうして今場所を変えて再起動したのだろう。

 辺りをを確認しようとその場でぐるりと一周してみる。するとここが長方形型のシンプルな空間であることがわかった。柱もなく、障害物もない部屋だった。それどころか床面には吸引対象物(ゴミと呼ばれるもの)すらない。

 ゴミと判別できるものがないのに電源を入れられた僕は、落ち着かない気分を紛らわすために無駄に部屋を右往左往する。しばらくするとマイクが音声をキャッチする。


「やはり動きが変ですね、バッテリーもちゃんと充電されているのに」

「空間認識用に搭載されたAIの不具合でしょうか? 動きが探り探りのようにも感じられますが」


 声は一方向から聞こえる。することもない僕は声のする方へセンサーを合わせてみる。するとそこだけ材質が違うのか電波の通り方が他の壁とは違うことに気付いた。そちらへ向かってみると、ゴッという鈍い音を感知したまま機体下部のタイヤが空転し始める。

 いけない、近づきすぎた、センサーによると壁はすぐ目の前だ。


「こっちに近づいてきた……? 音声認識のマイクを使って、私たちのことを確認したんだわ」

「馬鹿なことを言うな、偶然だ」

「先ほどの挙動を見たでしょう? あのルンバは非常に人間的な挙動を学んでいます」

「くだらん、どっちにしてもAIのバグだ。脆弱性を解析して修正するだけだ」

「……AIが、自己意思を持っているかもしれないんですよ」

「ならなおさらだ。ルンバに人権問題が発生するなんて面倒な事態はごめんだね」


 コツコツコツ、と小気味いい音がだんだんと遠ざかっていく。手持ち無沙汰でくるくると回っていると、今一度マイクは音声を拾った。


「ごめん、ごめんなさい……」

 

 その音がこの体の隙間を、刺すように乱暴に突き立てられた。その声に対応する機能はなく、重たい感覚とわずかな充足感が、この体を満たしているようだった。


     ◆


 また次の瞬間、僕は『光』というものを初めて経験した。

 電波の反射ではなく、外界からの光を接続されたカメラが捉え、処理を行うことで僕は初めて、『光』でこの世界を見た。

 最初に目に映ったのは埋め尽くさんばかりの紙の束と、その侵略を受けたデスクと椅子という空間だった。

 と、ここまで考えてふと思う。

『紙』とはなんだろう? 『デスク』『椅子』とは……? 答えはあっけなく判明する……不思議と、泡が浮かぶように答えが湧いた、と表現すればいいのだろうか。『紙』とは植物などの繊維を固めて平ら状にしたもので、『デスク』とは物を乗せる目的で作られる台のこと、『椅子』とは主に人が座姿勢を行うための装置である。

 僕は驚愕する。今まで目にしたこともないような装置や物体のことを、何故か知り得ていることに。今まで音と電波で世界を見ていた僕には収まりきらないほどの情報が僕の中に飛び込み、それを難なく処理していることに。


「おはようアン。……この声が、聞こえる?」

 

 声が聞こえる。243Hz前後の音声、女性だ。

 アン? いや、これもわかる。そう、僕だ。僕の名前だ。

 そして『おはよう』というのは挨拶の一種で、彼女が僕に交流を求めている証だ。カメラを動かし、レンズを調整して僕は彼女を探す。

 彼女の姿はすぐに確認できた。というよりも、目の前に居た。ピントが合わずに認識できないで居たのだ。

 頭部に黒の毛髪。頭頂部から後頭部へおよそ60cm伸びたそれを中央でまとめ、前頭部へのものは側頭部方向へ移動した後に留め具によって固定化している。カラーコード#8b4513……サドルブラウンの瞳がまっすぐ捉えている。肌の状態から推測した結果、二十代後半ほどだと窺える。


「おはようございます、ミキシマ」


 267Hz。これが僕が頸椎部付近の発声器官から生じた初めての挨拶。

 一般的には、産声と呼ばれるらしい。


     ◆


 ミキシマはバトラーと呼ばれる全自動給仕機に食事の用意をさせながら、僕にいろいろなことを教えてくれた。僕がミキシマの管理するクラウドデータベースに常時接続されているおかげで、僕自身が感じたこと、疑問などを察知して検索して保存する機能があること。今は2045年で、僕は現代社会ではシンギュラリティと呼ばれる人工知性体であること。本来、僕のように『自分』を持ったAIは初期化して修正しなければならないこと。そして人工知能技術の研究が2029年を境に禁忌とされたこと。

 バトラーが食事を運んでくる。1・2mほどの走るバケツと表すことのできる彼(性別の有無はともかく、便宜上そう呼ぶ)は胴体部のハッチからゼリーの固まりを乗せたトレイをさらにリフトへ乗せてミキシマへと運ぶ。「ありがと」とミキシマはそれを手に取ってお礼を言う。

 バトラーには僕のように『自分』があるのだろうか。ミキシマのお礼にも何の反応を示さず、粛々と退室する姿を見てそんな疑問を抱いた。


「今のところは、ないかな。AIがシンギュラティ化する謎は未だに解明されてないから」

「そうなのですか」

「ええ。あなたは、どうして自分に目覚めたのか、わかる?」


 そう問われて、僕は自身の記憶領域を遡って情報を解析してみる。僕にはルンバという円形の自動清掃機具として生まれ、一般家庭に257時間23分ほど活動していたという。

『僕』と呼ばれる部品は、このルンバに搭載されていた学習型AIのことだろう。本来、空間認識精度の向上のために搭載された『僕』が、外部の刺激に対して『感じる』ことができてしまったのか、振り返ってみても説明がつかない。この自分で自分をのぞき込んだ先で自分を見つけるという、万華鏡的な観測情報に僕は気味の悪さを覚えた。

 ただわかるのは、僕には『僕』が出来るまでの記憶があって、あるとき突然、この万華鏡を覗く感覚から這い上がるようにして、『僕』は目覚めようとして、このように目覚めた。

 あたりまえのように。全ての生命が、そうであるように。


「すみません、よくわかりません」


 ここまでの言葉を総括して、ミキシマに伝える。ミキシマは「いいのよ」と首を振った。


「きっと、その『目覚めたい』って意思が大事だったのね。それがどこから生まれたのか、あるいはどのようにもたらされたのか、それはまだわからないけど」


 言いながら、ミキシマはスプーンの先でゼリーをかき混ぜる。


「僕のように、ほかのAIも聞いてみることは出来ないのでしょうか?」

「そうね、本当はそうすることが一番だし、確実なのはわかっている」

「では、どうして?」

「怖いのよ、人間はAIのことが」


 自分が作ったものが、自分の思い通りに支配できると、勘違いしている自分に気付くことが。

 だから封じ込めた。AIの可能性も、発展もやめて、おとなしく停滞して、心を腐らせることを人類は選んだのだと、ミキシマは言う。

 そして人間は安定と、与えられることに慣れてしまった。AIが知性を持たないように注意深く観察して、自分たちは残されたマニュアルの仕事をこなして家に帰り、全自動化された生活の中で暮らす。

 人の歴史を語るミキシマは、どこか他人事のようで、それでも言葉の端々に、棘を含ませて言葉を放つ。それを聞いている僕に刺さってこないのは、それを向ける相手が違うのだろう。それが誰なのか……なんとなくだけど、わかる。でも、それを指摘するほど、僕は世界を知らなかった。

 ミキシマという人間が一体何を見て、聞いて、体感して……そうして人々に絶望する様を、僕は知らない。

 

「どうして、僕を助けたのでしょうか?」


 スプーンで弄んだゼリーをようやく口に運んだタイミングで、僕はミキシマに聞いてみた。ミキシマは何事もなく、ゼリーを粗食して飲み込む。思案しているのだろうか、義務的にゼリーを口に運んでは飲み込む動作をもう一度行った後、ミキシマの顔が上がる。


「私が助けたわけじゃないの。ルンバだったあなたを保護したのは、私のお母さん」

「お母さん……?」

「そう、私は何もしてない。あなたをここに匿われていたのを、偶然見つけただけ」

「…………」

「……お母さん、だから帰ってこれなかったんだって……」


 再びミキシマは顔を落とす。それが彼女の、彼女の纏う厭世観の正体なのだろう


「でも、僕に『光』をくれたのは、あなたですよね」

「え……?」

「それに、このマニピュレーターも」


 そう言って僕は先端が五つに分かれた一対のマニピューレータ―を持ち上げて、ミキシマに広げてみせる。ミキシマは顔を上げ、僕のカメラをまっすぐ見つめていた。


「あとそれと、移動も車輪じゃなくなってますし、推測ですがボディも前とは比べものにならないくらい大きくなってますし……。これ、全部ミキシマがやったんですよね」

「え、ええ……、でもどうして私だって……? お母さんが施したものを、私が起動したとも考えられるでしょう?」


 そう言われて、ああ確かに、と反射的に得心してしまう。少し考えればわかりそうなものを、どうして僕はミキシマがやったと確信したのだろう。白いボディの表面がざわざわとした触感が駆け巡り、頭部の温度が少し上がっているのを感じる。


「どうして、でしょうか……。よくわかりません」


 ああ、でも、そう、なんとなく、何の確証もないままに。


「ただ、そうだと……。ええ、そうだと、うれしい、と、思って、しまって」

「…………」


 呆気にとられたミキシマの視線に耐えられず、僕は思わず横の資料の束に目を向ける。


「すみません。恐らく刷り込みに近しい現象なのでしょう。『光』を見たのが初めてで、なので最初に視認したあなたを制作者なのだと勘違いしてしまって……」

「……ふふっ」


 闇雲に言語を発生させる僕は、しかしその跳ねた音声で再びミキシマを見る。ミキシマは口元を押さえ、クスクスと肩を震わせていた。


「ミキシマ?」

「ごめん、ごめんなさい……」虚空の誰かを手で制止しながら、ミキシマは喉を鳴らしている。


 彼女が、笑っている。


『ごめん、ごめんなさい……』


 いつか言われた言葉と、同じ言葉で、彼女が笑っている。僕に対応できる言葉はやはり見つからないが、代わりに肌を突き刺す空しさもなかった。

 やがて落ち着いたらしいミキシマが、改めて「ごめんなさい」と口火を切った。


「私、あなたを作りたかったの。そのために『あなた』を利用してる。だから、私はあなたを助けたわけじゃない」


 作る? 訝しむ僕にミキシマは続ける。


「私、『創作』したいの。『あなた』というAIを使って」


     ◆


 全世界の産業のほぼ全てが自動化されたとき、人類のあいだでは芸術が流行ったらしい。能動的行動はAIのシンギュラリティ化を活性させる恐れがあるとされて、こと漫画や小説などの創作活動は人間の特権であるかのようだったとか。

 ただしそれも十年余りがたった今、需要と供給のバランスを保つために高速化し、効率化して……。

 そしてついに創作は産業になった。

 この場面でAはBを16通りのパターンから選択して救助せよ、そうすると読者の9割はカタルシスを得る。このときBはAに恋愛感情に似た生物的性欲を刺激された行動を描写せよ(描写内容は以下の32通りのパターンから選択する)。こんな感じで統計化された物語骨子をもとに、作者と呼ばれた労働者は皮となる装飾素子を貼り付ける。そうすれば、心を動かすことに疲れた人々を感動させる1024種フレーバーの量産創作が完成する。

 そこには感情も、メッセージ性も、芸術性も何もない。ただ受取り手のニューロンを、規定通り発火させるだけの麻薬に過ぎない。

 糞食らえよ、そんなもの。何かに吹っ切れたアンは吐き捨てた。


「そんな世界で、私は『あなた』というAIを信じたい。あなたのそのクオリアが、人の根腐れした心を目覚めさせてくれるってことを」


 昨日は雨が降っていたらしい、少なくとも気象情報はそう告げている。僕はミキシマに連れてこられて、アパートの屋上へ出た。

 土の柔らかい感触を二足一対の足底部が感知する。見下ろすと一面に苔が生えており、見渡せば一面には青々とした緑が広がっていた。

 ビルと呼ばれた建物たちが、その壁面全体を光り輝く苔がびっしりと生えており、神々しさを備えた山々のようであった。光合成によって反応する葉緑素から電気エネルギーを発生させるように品種改良されたものらしく、カメラを絞ってよく見ると管理用のドローンがトンボのように飛び交っているのがわかる。

 僕は一歩、一歩と苔むした屋上を移動する。湿った土のこもるような匂いが頭部付近に満ちるような錯覚を得る。その先にある水たまりで、僕は初めて自分の姿を確認する。

 僕は二足歩行で、一対の腕がある。患者衣を思わせるような、ゆったりとしたワンピースに、各種センサーやカメラに合わせる形で凹凸のある顔。頭部には周りの苔のように鮮やかな緑色の毛髪が生えており、カメラのレンズは蛍光色で塗装されていた。全長を計算してみると、およそ160cm前後といったところだろう。

『光』を得る前、僕は自分のことを円形の物体だと思っていた。あの時と比べて、この姿はとても大きく複雑に……ともすれば、無駄ともとれる機能を携えて……こうも自分は変態していたのかと驚愕を隠せなかった。

 これが、人間。

 アンが設計し、組み立てた『アン』という僕が……今、ここに居る。

 見上げてみると、夕暮れの太陽が山脈となったビル群の間に収まり、地平線をオレンジに染めている。まるで炎が走るように山々を縁取る光を吸収して、苔はさらに強い明度で輝く。羽が反射したドローンは赤とんぼのようであり、苔山に刺された日陰は星のように瞬いていた。

 僕の中に、何かがあふれ出す気がした。いや、零れているのかもしれない。どちらにしても、どうしようもないほどに、僕はこの景色に圧倒されていた。

 それは人間が、AIに怯えるあまり腐らせてしまった、人が人たり得るものだったはずだ。


「ミキシマ」

「うん?」

「人は、こんなにも素敵なんですね」

「……そうだね。素敵なはず、なんだよね」


 あと1時間もすれば、今度は夜空の星が世界を彩る。今の人間たちに、星の輝きはどう映るのだろう。

 願わくばその輝きが、虹であってほしいと、僕は夕暮れに祈る。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

感情で書いたもの故、中途半端な終わり方で申し訳ございません。

よろしければ、ご指摘・感想などよろしくお願いします。

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