【世界一美味しいケーキを家族と食べたい】その1
「ベファーナよ、我の背中を見て、サンタクロースのなんたるかを学ぶがいい!」
美しい人は言った。父親譲りの銀髪を風に遊ばせる、不敵な面構えの暴君サンタクロース。その圧倒的カリスマ性から皆に恐れられ、皆に慕われ、世界中から愛されるマローズ・ノエル。傍若無人で兄弟いちの自由人に、弟妹は何度振り回されてきたことか。それでもマローズを心の底から嫌いになれないのは、少なくとも彼に尊敬の念を抱いているからだ。
マローズは自分の言葉の影響力を十分理解している。だから発言には責任を持つ。あの暴君が面倒を見ると言ったのならば、手段はどうであれ、一人前のサンタクロースに育成するだろう。マローズに師事した上の兄達が優秀なサンタクロースと成ったかどうかは、仕事ぶりを見れば一目瞭然だ。なので僕も胃に穴が開いて血反吐を吐くほど厳しく鍛え上げられるのだとばかり思っていた………のだが。
「なんか拍子抜けだ………身構えてたのがアホらし」
びゅうびゅうと吹く冷たい風が頬を掠める。シャープによる飛行移動は思いの外快適だ。いい加減な性格からは想像できないくらい丁寧に飛ぶから、乗り物酔いしやすい僕も、ソリの縁に頬杖をついて物思いに耽る余裕すらある。
「結局あの日以来、マローズ兄様には会ってないし。豪語してたわりには放置なんだよな………」
「えー?何、どしたん?」
僕の独り言は風の音に掻き消されるほど小さなものだったのに、地獄耳の従者は聞き逃さなかったようだ。シャープが僕を窺うように足元を覗き込むせいで、ソリが大きく傾いた。
「あッッッぶね………!」
突然の揺れに、ぶわりと冷や汗をかく。長兄の荒療治によって高所を克服したとはいえど、落下する恐怖心はまだ拭えていない。また雪の上に不時着するのだけは回避したい。頼むから飛行中はちゃんと前を見てくれ。
「シャープ、お前の前方不注意のせいでソリが墜落したら、嘴を叩き割りますよ?」
クランプスに優しく叱りつけられたシャープが静かに前を向いた。
「そんで?お嬢はマローズ様に構ってもらえんくて寂しいん?」
「なっ!?そんなわけないから!」
「おやおや、そう気を落とさずに。あの方は多忙な身ですので」
「だから違うってば!」
気を取り直したシャープが誂うように言った。薄ら笑いしているのが見なくても分かる。隣で読書をしていたクランプスは(表紙には『おバカな鳥の躾け方・これでアナタも調教上手!初級編』と書いてあった。何も見なかったことにした)、慰めるように僕の頭を撫でた。こちらが否定しようがお構い無しだ。
「マローズ様は勿論ですが、坊っちゃま方は皆御忙しいですからね。ベファーナお嬢様と顔を合わせる機会がないのは仕方ありませんが、………」
とクランプスが考える素振りをした。嫌な予感がする。口を塞ごうと手を伸ばしたが、クランプスの方が早かった。
「しかし、そうですね。一度ニコラウス様に進言致しましょう。ベファーナお嬢様が寂しがっているので、家族団欒の場を設けて頂けないかと」
「はぁあ!?やめろ!寂しくないってば!恥ずか死にさせるつもりか!!」
そんなことをされたら、きっとあの親バカは大喜びするに決まってる。
「ベファーナちゃんのデレ期がきた!」とか言って、嬉し涙を流しながら小躍りする馬鹿親父の姿が目に浮かぶ。仕舞いにはデレ期のお祝いに記念日をつくろう!と言って祭日を増やすかもしれない。眩暈がした。頭痛もしてきた。次の国に着いたら、仕事に取り掛かる前に薬局で鎮痛剤を買うことにした。
「お嬢てば素直じゃないよなー」
「性格が捻くれていますからね」
「性格の悪さに関して、お前らにだけは言われたくないんだけど」
【良い子のお願い事リスト】
日 付:聖暦1224年 聖日
国 名:コメット国
氏 名:ターニャ・アイゼンバーグ
性 別:女
年 齢:13歳
願い事:【世界一美味しいケーキを家族と食べたい】
僕には嫌いなものが2つある。
金持ちと、生意気な子供だ。
金持ちってのは、財力というステータスだけで他人を見下す傾向がある。何でも金のちからで解決しようとする考え方も気に食わない。
そして生意気な子供は、ゴキブリよりもたちが悪い。何をしても子供だから許されると思ってやりたい放題。教育委員会に言いつけてやる!が口癖で、何かと大人を小馬鹿にする生き物だ。
その2つを両方兼ね備えているターニャ・アイゼンバーグという少女は、僕が最も嫌悪する人種のひとりといえよう。
「それ自分のこと言ってるん?金持ちの生意気なガキってお嬢んことじゃんね」
「バカ!シャープのバカ!全然違うわバカラス!そこに直れ!」
「馬鹿って言いすぎじゃんよ………」
ぶつくさ文句を言いながらシャープがその場で正座する。長い前髪とばかでかい丸眼鏡の隙間から見えた吊り目が不満げに僕を見上げた。
「いいかシャープ!僕が嫌いな金持ちの子供ってのは、世界は自分を中心に回ってるのよ、当然でしょ?みたいな顔してるやつのことだから!例えばそう、コイツみたいな!」
「ベファーナお嬢様。人を指差してはいけませんよ」
「ぃぎゃあッ!?」
向かいのソファで落ち着かない様子の少女を指差すと、礼儀作法にうるさいクランプスが透かさず僕の腕を叩き落とした。ちょう痛いんですけど。
お願い事リストの次の依頼人は、世界でも有数の大財閥・アイゼンバーグ家のご令嬢だった。ノエル一族の拠点であるホーリアキャロル城レベル、とまではいかないが、それでも見上げる首が痛くなるほど立派な屋敷に住んでいる。両親は仕事で家を空けることが多いので、実質的にターニャ・アイゼンバーグが女主人として屋敷を取り仕切っているのだという。通された居間もばかみたいに広く、出された紅茶も焼菓子も目玉が飛び出るほど美味い。毎日高級な物ばかり食べて口が奢るから、何でもかんでも必要以上に金をかけるようになるのだ。贅沢は敵だ!でもこのクッキーは美味いから全部食べる!紅茶も飲み干してやる!ティーカップが空っぽになると直ぐに紅茶を注ぐメイドも、所作のひとつひとつがスマートで、まさに金持ちの家の給仕係ってかんじ。ていうか。
「ほ、本物のメイド………だと………!?」
「給仕係に本物も偽者もあるのですか?」
「あるよ!僕、本物って初めて見た。某カフェのなんちゃってメイドじゃない、本物のメイド!」
戦慄く僕を見て、後ろに控えていたクランプスが首を傾げた。
「理解しかねますが、お嬢様が楽しそうで何よりです」
「わ、私も、本物のサンタクロース様の御目にかかるのは初めてですの………!」
僕達の会話に口を挟んだのはターニャ・アイゼンバーグだった。小さな女主人は随分と緊張しているようで、ちらちらと僕を見ては顔を赤らめた。
「戴帽式の記念品として拝領した肖像画でしかお顔を拝見したことがなかったので、その、………私、本物のベファーナ様にお会い出来て、とってもとっても光栄ですの!なんて愛らしい御方なのかしら。まさにこの世の至宝、ノエル一族のプリンセスですわ!」
「うん、とりあえず僕の肖像画は燃やして捨てろ」
「これも私の日頃の行いが良いからですわね!」
「キミそれ独り言?会話する気ある?」
まるで聞いちゃいない。ターニャが恍惚として話をするたびにげんなりする。サンタクロースを絶対的な存在として崇拝する人々の態度に慣れる日はくるのだろうか。
「それで、ターニャ・アイゼンバーグ。キミのお願い事だけれど」
いちいち相手にしていては埒があかない。まだ雑談を続けたそうにしているターニャを遮り、本題を切り出す。取り出した羊皮紙に目を通し、内容を確認した。なるほど、世界一美味しいケーキが食べたいと。舌の肥えたお嬢様の考えそうな事だ。
「結論から言うと、ターニャのお願い事を叶えるために僕の魔法は使いません」
「そん心は?」
と正座したシャープが合いの手を入れた。
「雪で作ったケーキとか食べたくないだろ」
べえ、っと舌を出して吐き出す真似をした。
「確かに」
とクランプス。
「不味そうよなー」
シャープも頷いた。
想像してご覧。何段にも重ねられたフワフワのスポンジ。滑らかな純白の生クリーム。宝石のように散りばめた色鮮やかな果物の数々。僕がちょっと祈れば、あっという間に世界一美味しい豪華なケーキの完成だ。しかし、それが雪で出来ていると思えば食欲も失せる。ノエル一族の魔法は五感すらコントロールするので、もちろん生クリームの甘味や果物の酸味だって感じる。でも所詮は雪だ。
想像してご覧。それは忽ちに世界一味気ないケーキに成り下がる。だから魔法の使用は却下だ。
たとえいけ好かない小娘の願い事だろうが、仕事は仕事。引き受けたからにはきっちり熟すのが社会人として当然のこと。ならばちゃんとしたケーキを食べさせてやりたいと思うのも当然だろう。
「というわけで、ケーキは作ろう」
「分かりましたわ。サンタクロース様の魔法が見れないのは残念ですが、ベファーナ姫が仰るのならば………」
と言うとターニャはそばにいたメイドのひとりを呼びつけた。
「国で一番のパティシエを我が家に呼んで作らせますわ」
「何でだよ!?自分で作れ!」
これだから金持ちの子供は!言えば何でも安易に手に入ると思っていることに腹が立つ。立ち上がって抗議すると、何故かターニャも嬉々として立ち上がった。
「もっもしかして!私とサンタクロース様が一緒に作るんですの!?」
「どう解釈すればそうなる!?何で僕が、」
「サンタクロース様との共同作業だなんて………感激ですわ!」
「いやだから、」
「厨房に入るのは生まれて初めてでドキドキするけど………サンタクロース様の足を引っ張らないよう、精一杯頑張りますわ!」
勝手に話を進めるな!甚だ迷惑だっての!怒鳴り付けてやりたかったが、胸の前で握り拳を作って意気込むターニャには言えそうもない。くそう、純真無垢な子供の顔をしやがって。そんな目で見るな!一方的に毛嫌いしている僕が心の狭いやつみたいじゃないか。
「………その呼び方やめたら手伝ってやらなくもない」
「はい、ベファーナ姫!」
「姫もダメ!」
「ベファーナ様!」
「だから様付けは、」
「はい、ベファーナ様!」
「………もうそれでいいよ」
「私ワクワクしますの、ベファーナ様!」
先に折れたのは僕だった。興奮して聞く耳持たないターニャに言い返す気力もない。少し言葉を交わしただけなのに、もう疲れてしまった。これでは先が思いやられる。仰け反ってソファの背凭れに頭を乗せると、口元をにやつかせるクランプスとシャープが視界に入った。僕がぐったりするさまがよっぽど愉快とみえる。安定の性格の悪さだ。
「お嬢って何だかんだで甘いんよな」
「お優しいですから」
「やめろよ急に褒めるなよ!」
「同じ生意気な子供として放っておけんのな」
「単細胞同士仲良くできるといいですね」
「落とすなら上げんな!素直に喜んじゃったじゃんか!」