幸せをばら蒔くサンタクロースは悉く廃業しろ
長兄マローズに師事して最初の指令は、日記をつけることだった。てっきり肩を揉めだのコーラを買ってこいだのと命じられると思っていたので拍子抜けだ。
「そんなくだらん事をさせるわけなかろう。我をなんだと思っているのだ」
「暴君………」
「それは間違いではないな」
間違いじゃないんだ。知ってたけど。
式典の翌朝。雪が深々と降るなか、マローズに呼び出されたのは、城から直ぐの場所にあるルドルフ・ランウェイと呼ばれる滑空場だった。サンタクロースが各地へ飛び立つ際に使用する場所だ。そばにはソリを収納する倉庫も設置されているが、他の兄達が早朝から仕事に出ている今は3台しか残っていない。純金製の派手なソリはマローズ用。木製で赤塗りされた、これぞサンタクロースの乗り物だぞと主張するソリはニコラウス用。そして色の塗られていない木目が剥き出しのソリが僕用。ニコラウスからの誕生日プレゼントで、好きな色を塗っていいよと言われたが面倒で何もしていないままだ。ソリひとつでも個性が出るなと思った。とくに目立ちたがりやなマローズのソリは悪趣味もいいところだ。純金なんて触ったことすらないのであくまで想像だけれど、金ピカのソリを引くマローズの従者はさぞかし肩が凝るだろうと同情した。
「一日の出来事を書き記す事で己の行いを反省し、次の仕事に活かせ。そして週に一度提出しろ」
「交換日記するの?」
「報告書代わりだ、馬鹿者」
首を捻ると、マローズが顔を顰めた。父親譲りの美形が台無しだ。仕事にだけは真摯に向き合うマローズにこれ以上すっ惚けた発言をするのは危険だと経験から察し、口を引き結んだ。真面目な表情をつくり、頭2つ分は高い所にあるマローズを見上げた。機嫌を損ねれば肩に背負ったプレゼント袋でボコボコに殴られるやもしれない。
静かになった僕を横目に、マローズがポケットから羊皮紙を取り出した。
サンタクロースの仕事の1つ、良い子のお願い事リストだ。
くるくると丸められた羊皮紙には深紅のリボンが結ばれている。リボンの端に刺繍されたノエル家の紋章が見えて、今度は僕が顰め面をした。紋章はサンタクロースが仕事で取り扱うなかでも、取り分け大事なものである証だ。くれぐれも紛失や破損するなんてことがないように丁重に扱え、とクランプスから耳にタコが出来るほど聞かされてきた。そんな大切なものをポイと放って寄越すマローズの神経は図太い。雑な扱いに僕の方がヒヤヒヤしてしまう。
「ベファーナ、確認せよ」
広げた羊皮紙は30センチほどの長さで、上から下まで几帳面な字で埋め尽くされている。日付、国名、名前、性別、年齢、あれがしたい、これがしたい…………多種多様な願望が記載された羊皮紙は、これから始まる僕の苦行を教えていた。破り捨てることが出来ればどれだけ楽か。
「良い子のお願いリストの消化。それが見習いサンタクロースとしてお前が果たす最初の責務と心得よ」
マローズが腕を組んで僕を見下ろす。常に偉そうな物言いをするこの暴君は、サンタクロースよりも何処ぞの国で悪政を敷く王様をしている方がよほどしっくりくる。
「あーあ、地獄の日々が始まっちゃうよ………」
「返事は?」
「はーい………」
「声が小さい!」
「イエッサー!」
サンタクロースには、一人につき一匹の従者が随伴する。そのほとんどが移動手段として使役され、サンタクロースの乗ったソリを引く役目を担っていた。
前世の僕がまだサンタクロースやクリスマスに夢を抱いていた頃も(といっても中学生になるまで僕はサンタクロースを信じていたのだが。これをうっかり学校で言ってしまった時の
「うわ………コイツまじか………」
という女子がドン引きする顔をまだ覚えている。焼却したい黒歴史のひとつだ)、サンタクロースはソリに乗ってやってくると信じていた。だからソリを引くのがトナカイから悪魔に代わったところで異論はない。ソリを運ぶという事実に相違ないのだから。ただ運び方に少々不満があるだけなのだ。
「思ってたのと違うんだよな………」
「あー?何よベファーナお嬢、なんか言ったん?」
雪空のなか、ソリに乗って目的地まで運ばれるのを待つというのは、想像以上に暇なもので。出発してから10分もしないうちに空を眺めるのにすっかり飽きた僕の呟きを拾ったのはシャープだった。
シャープは僕に随伴する従者で、鋭い嘴と爪、黒く艶やかな翼を持つカラスの姿をした悪魔だ。何故にカラス。トナカイがいいとまでは言わないが、せめて四足獣がよかった。
爪でソリをがっちりと掴んで飛ぶさまは、まるで狩りで獲物を捕らえた猛禽類のようだ。こんなソリの運び方をして、子供の夢を壊さないのだろうか。
「なんでもないよ。それよりシャープ、まだ時間掛かりそう?」
「もうちょいで着くよ………着くけどさあ………」
見上げながら訊くと、シャープはわざとらしくため息を着いた。
「わざわざ己が飛んで運ぶ必要あんの?寒いの苦手なんよ………」
「カラスって寒さに強いんじゃないの?」
「いやカラスに化けてんだけで、ただの悪魔なんだけど………」
ぶつくさ文句を言うシャープの顔はソリの中からはよく見えないけれど、大方膨れっ面をしているのだろう。不貞腐れた態度がその証拠だ。カラス云々より、僕としては悪魔が寒いの苦手だということにびっくりなのだが。悪魔って苦手なものあるんだ。
このシャープという悪魔は、すべてにおいてやる気がなく、形を成した怠惰そのものだ。サンタクロースに忠実な従者には珍しく、シャープは何に対しても反抗的で、仕事への姿勢も後ろ向きだ。
けれど僕にはシャープの気持ちが痛いほど分かる。やれ使命だ、そら義務だと立場的に断りづらい言葉で言い包められ、やりたくない事を強いられる日々。そんな苦痛にシャープも堪えているのだろう。
もともと僕は働くことが苦ではなかった。むしろ前世は何かに取り憑かれたように労働の奴隷と化していたほどだ。「仕事が大好き!」が口癖の社畜だった自覚はある。
けれど今は違う。
聖女ベファーナに生まれ変わったばかりに、嫌いな仕事のために身を粉にして働かなければならないのだ。ちっともやる気が出ない。全然仕事楽しくない。これをストレスといわずなんとする。どれだけ文句を言っても現状が変わることはないので、いつも喉まで出かかる不満はぐっと堪えるのだけれど。
ただし、シャープが不満を募らせる原因は、僕の隣に座るクランプスにもあるのだろうが。怠惰な後輩悪魔は正論で容赦なくぶん殴ってくる厳格な先輩悪魔が苦手らしい。口うるさい目の上のたん瘤とでも思っているのだろう。
「シャープ、ごちゃごちゃ言ってないで働きなさい。口を動かす暇があるなら翼を動かす」
「モチベーションが上がんないんよ………」
「お前の意思は関係ありません。お前はベファーナお嬢様の従者であり、足です。丁稚で愚鈍なお前でも、言われた事ぐらい出来るでしょう?」
「言い方ストレートすぎてエグいわー。つーか、一緒に来んならクランプスさんがソリ引きゃあいいじゃんよ。己知ってんよ、クランプスさんて足ちょー速いんしょ?眷属んなかでも一番なんよね?」
「だからといって、私が引いては意味がないでしょうが。まったくお前という子は…………やはり私も随伴して正解でしたね。この度しがたい怠け者が」
クランプスがぴしゃりとはねつけると、親に叱られた子供のようにシャープは黙りこんだ。
眷属悪魔としては新参者のシャープ。従者になって日も浅く、サンタクロースに随伴して仕事をするのもこれが初めてだという。言うなれば従者見習いってところだ。
「それならベファーナとシャープ、見習い同士を組ませればいいじゃん!さっすが余、名案だよね~!」
と安易な提案をしたのが楽観的馬鹿で、
「では、半人前のシャープに大事なベファーナお嬢様を任せるのは気掛かりなので私も行きます」
と進言したのが心配性過保護だった。
「私は単なる監視役です。基本的には手を貸しませんので、そのつもりでいなさい」
「えー………何かあったら全部任せよおて思ってたんに………」
「口答えしない。私語も却下です」
「カーカー」
シャープがカラスの真似をする。喋るのが駄目なら鳴くってか。すぐふざけるのは悪い癖だ。
「うるさいですよ」
「口答えじゃねーもん、鳴いただけだし」
「嘴をへし折りますよ」
「さーせん」
咎めるクランプスと軽口を叩くシャープは、まるで口うるさい母親と反抗期の子供のように見える。
それにしてもシャープは随分肝が太いやつだ。ノエル兄弟妹の誰も逆らえないあのクランプスになめた態度を取るとは。もしかすると将来大物になるかもしれない。
「あ………ねえクランプス、シャープ。見えてきたよ」
2匹のやり取りを聞き流しているうちに、目的地が見えてきた。今日はこの国がクリスマスらしい。仕事の初日というものは、やはり緊張するものだ。近づくにつれて人々の楽しげな笑い声や讚美歌が聞こえてきて、僕のテンションが急降下するのが分かる。さあ、今日から素敵な楽しい社畜ライフのはじまりだ。ワクワクしすぎて涙が出ちゃう。