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輪廻の匠  作者: オオクマ ケン
3/6

    五



 「輪廻の匠」店内

もうすっかり馴染みとなった相馬唯は、よくこの店に出入りしていた。

唯は店の手伝いや店番などをしていた。報酬はもちろんゼロ。

でも輪廻とも打ち解け、お互いを名前で呼び合っている。

 

 ある日、唯は図書館から借りてきた一冊の本を持って店にやって来た。

「輪廻さん」

輪廻は壁の棚に不思議な種類の植物の入った瓶を置いていた。その隣にはスライムの入った瓶がある。

「あら、どうしたの唯?」

「この本いいかな?」

「何?」

「古典学の授業で今度『白鯨』っていう小説の読書感想文を書くことになったんだけど……」

「ああ、あのハーマン・メルビルが書いたアメリカ文学の?」

「ハーマン・メルビル?」

「ええ。本人も捕鯨に参加してその体験をもとに書いたのが『白鯨』よ」

「そうなの?まだほとんど読んでないんだけど」

「読んでみなさいよ」

「私、読書は苦手なの。読むとしたら漫画ね」

「もったいない。読書は知識の宝よ」

「でも……」

「映画化もされてるんだからDVDでレンタルして観てみるといいわ」

「それでもいいけど、映画は好きだし。でもこんな大きなクジラ、モービー・ディックって本当にいるの?」

そう言って、本の表紙のイラストを輪廻の方に向ける唯。

イラストには巨大な白いクジラが船に食らいついている、かなりの恐怖を表すイラストだった。

「この絵、かなり怖いんですけど……」

「本当にいるかって?見つけたら名誉賞ものよ。だけど、そのモービー・ディックってのはちゃんとした種類のクジラよ」

「そうなの?」

「ええ。それ巨大だけどマッコウクジラっていうの」

「え?本当にいるクジラの種類なんだ」

「その小説のモービー・ディックは大きさは巨大すぎて極端だけど、マッコウクジラ科マッコウクジラ属マッコウクジラね」

「へー」

「ハクジラ類の中で一番大きく、歯のある動物の中では世界最大なの」

「そうなんだ」

「シャチが天敵で成体でも襲われることがある。だから『白鯨』のように強くはないけれど……」

輪廻はカウンターの上にあったメモ帳にボールペンで殴り書きするが、それでもきれいな字であった。

「漢字表記するとこうね」

メモ帳には「抹香鯨」と書かれていた。

「英語名は、その体の白さからスペルマ・ホエールとも呼ばれる。『精液クジラ』ってことね」

「えっ、せ……精液?」

「何を慌ててるのよ。もう十九歳の大学生でしょ」

「っていうか、精液って白いの?」

「そこからなの?あなたひょっとして処女?」

唯は慌てた。

「しょ、処女の何が悪いのよ、このエッチ、変態、サイコ!」

ん、サイコ?

「サイコってサイコパスの事?」

「え、何かそう言うじゃない。ヒッチコックの映画でも『サイコ』ってあったでしょ?」

クスクスと笑う輪廻。

「私は変態でもないしサイコでもない。まぁ、変人かもしれないけれど」

「そうかな?」

「サイコパスでもない」

「サイコパスって何なの?」

輪廻は笑いながらカウンターの椅子に座った。

「私のような人間が言うのも何だけど、変人とサイコパスはまるで違うわ」

「そうなんだ。どう違うの?」

「サイコパスってのは反社会的な人格で異常心理学や生物学的な精神医学の中での病質者を表す呼び名よ」

「へー」

「そしてほとんどのサイコパスな人間は一見すると、私たちのように普通の人間に見える」

「えっ、そうなの?」

「そうよ。日本の法律では精神保健および精神障がい者福祉に関する第五条では、サイコパスは精神障がい者として定義されてるの」

「精神障がいの一種なんだね?」

「ええ。それに『自己愛性人格障がい』という、自分以外を愛せない人格者というのもいて、主に母親の愛情過多か愛情不足によって生まれる可能性が否定できない異常者なんかがいるのもその一例なのよ」

「ふ~ん」

唯は複雑な気持ちになる。

 

 その時、「輪廻の匠」の店の引き戸が開いた。

「もし……」

長方形の大きな袋を持った四十代の男が入って来た。

「あ、いらっしゃいませ」

輪廻はカウンターの椅子から立ち上がった。

「ここで何でもいろいろと鑑定してもらえると聞いて来たんですが」

「いえ、何でもってわけじゃ……」

「そうなんですか?」

「オカルト系の鑑定が基本、専門なんですが。一体どのようなものを鑑定してもらいたいのですか?」

男は持っていた長方形の袋を開けて中を出した。

「私は銅版画家の林雄二と申します」

「はぁ」

「国立西洋美術館に保存されているアレブレヒト・デューラーが作ったこの『メランコリアⅠ』という銅版画の右上の数字の意味が分からなくて」

林が持っていたのは「メランコリアⅠ」のレプリカだった。

「とある理由で私はこのレプリカを作る過程だったのですが、これが良く分からなくて、ご存じでしょうか?」

「それなら美術館の学芸員にお聞きになられたら良かったですのに」

「いえ、私のようなレプリカを作る商売をする者が堂々と聞くことなんて出来ないですよ」

輪廻はうなずいた。

「なるほど。分かりました。唯、ちょっと奥からホワイトボード持ってきて」

「はーい」

そう言うと、唯は奥に行ってホワイトボードを引っ張ってきた。輪廻はマーカーを手に取ってキャップを外す。

「『メランコリアⅠ』の右上に書いてあるのは魔方陣ですよ」

「魔法陣っていうと、魔法使いが悪魔召喚に使うような?」

「いえ、それとは違うんです。こう書きます」

そう言って、輪廻はホワイトボードに書いた。


魔方陣 「方」の字が魔法陣とは違った。


「これはユピテル魔方陣と言いまして、西洋数秘術の一つなんです」


13 8 12 1


2 11 7 14


3 10 6 15


16 5 9 4


とホワイトボードに数字を並べていく。 

「魔方陣というのは縦、横、ななめのいずれに数字を配置しても、その列の合計が同じになる図のことで神秘的な力があると言われています」

「へー」

という唯。感心した。

さらに輪廻は数列を書いていく。


6 7 2


1 5 9


8 3 4


「最少の数字の魔方陣はこうなります。各列の合計は十五になりますよね?」

「はぁ、なるほど」

輪廻はホワイトボードを全部消すと、さらに大きな魔方陣を書いていく。

それには時間がかかった。

ようやく大きな魔方陣を書き終える。

「大きな魔方陣だとこういうものもあります」


57 59 61 63 85 87 12 11 36 34

60 58 64 62 88 86 09 10 33 35

29 31 53 55 77 79 84 83 08 06

32 30 56 54 80 78 81 82 05 07

01 03 25 27 52 51 73 75 100 98

04 02 28 26 49 50 76 74 97 99

93 65 17 19 21 23 48 47 72 70

96 94 20 18 24 22 45 46 69 71

65 67 89 91 13 15 40 39 44 42

68 66 92 90 16 14 37 38 41 43


「すごい!」

林は驚いた。

「アルブレヒト・デューラーはドイツのルネッサンス時期の画家にして版画家、そして数学者でもありました。『メランコリアⅠ』は一五一四年に制作された銅版画で四体液説における『憂鬱』をテーマにしてます。それを証拠に天使がうつむいているのが描かれていますから」

「はぁ」

「ユピテル魔方陣もそうですが、画題として寓話的な描写がいくつも作品内で描かれているんです。それにより、この作品としては様々な解釈がされています。いかがでしょうか、レプリカ制作のヒントになりましょうか?」

「あ、はい。そうですね。ありがとうございます」

「デューラーは一五一三年から一五一四年にかけて『騎士と死と悪魔』『メランコリアⅠ』『書斎の聖ヒエロニムス』の三大銅版画を制作しています。ご参考までに」

「は、はい」

「以上が鑑定になります。よろしいですか?」

「ええ」

「では鑑定書を書いてきますので少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」

「え?はい。どうも」

輪廻はカウンターの奥へと足を運んだ。そこには唯がいる。

「輪廻さん」

「何?」

「あの人何か怪しいよ」

「声が大きい!でもそうよ。分かった?」

「うん」

「唯はどう思う?」

「本当に銅版画家なのか怪しい」

「私が見る限りでは、それなりの手はしてたわよ。職人の手って感じね。別に悪い人ではないと見たわ」

「じ、じゃあ」

「うん、そうね。あの人は贋作製作者ね。しかもそれだけじゃない」

「というと?」

輪廻はフッと笑った。そして林の方を見る。林はソワソワしていた。

「彼は自分の贋作作品を愛でるためにレプリカを作る自己愛の強い人間。自己中心的で典型的な嘘つき。自分の作品こそが本人の最高傑作にして自分が創作する贋作のコレクター。そのためには作るのがレプリカだろうがお構いなし。反社会性を持つ、例のサイコパスよ」

唯は驚いた。

「そ、そんな。あの人がサイコパスなんて。私には普通の人に見える」

そう言うと、唯はさっきの会話を思い出した。


ほとんどのサイコパスな人間は一見すると、私たちのように普通の人間に見える


「あ!」

「そう。印象は普通。だけど、ね。でもどんなお客さんでもサイコパスでもビジネスの対象とするのがこの『輪廻の匠』の商売の鉄則」

「輪廻さん……」

「それが私のビジネス観念よ。覚えておいて」

そう言うと、鑑定書を唯に差し出す輪廻。

「これをあの人に渡して」

唯は鑑定書を受け取る。

「やっぱり輪廻さんは変態……。いや、変人か。よ~し」

唯は鑑定書を林に渡しながら言った。

「本日は『輪廻の匠』をご利用いただきまことにありがとうございました。またご贔屓にしてくださいね!」

「は、はい。どうも」

店を出て去って行く林を見ると、輪廻は何か違和感を感じた。


あれ?何だろう?私、ひょっとしてあの人にどこかで会った事がある?

違和感を消すことができないまま、その日を終える輪廻だった。    


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