四
四
夢川楓は田島道代と一緒に大学から帰っていた。
通りの脇で別れる二人。
「じゃあね、夢ちゃん。また明日」
「うん、みっちゃん。またね、バイバイ」
背を向けた楓は、足を止めた。
「あ、しまった。忘れてた。みっちゃんに借りてたノート……」
その時背後でグルルルルという唸り声とグチャグチャッという鈍い音が聞こえた。
「みっちゃん!」
振り返ると誰もいなかった。
通りはシンと静まっている。
「あ、あれ?」
足元には何かの破片が落ちていた。肉のかけらのようだった。
翌日
三須科都肉大学の教室。
朝っぱらから大学の先生が教壇に立って、話し始める。
「え~、皆さんに急なお知らせがあります。このクラスの田島道代さんが昨日の夕方から行方知れずになっています。この件には警察も動いています。何か情報をお持ちの人は何でもいいので教えてください」
講義を受けようと座っていた楓はびっくりした。
みっちゃんが行方不明?
じゃあ、あの時?
その只ならぬ顔を心配してか、唯は楓に話しかけた。
「夢川さんどうしたの?」
「それが、昨日一緒に田島道代さんと帰ったの私なんだ」
「えっ、そうなの?」
唯は驚いた。
「それで、じゃあ最後に彼女の姿を確認したのはあなたなのね?」
「うん」
「私の知ってる人にその件に関して聞いてみたら?その昨日拾ったものを鑑定してもらってさ」
「鑑定?警察にじゃなくて?」
「今日の帰りに連れて行ってあげる。その人、『輪廻の匠』っていうお店をしてるの」
「『輪廻の匠』?お店?」
「そう」
「輪廻の匠」・夕方
「こんにちは~」
唯は楓を連れて、店に来た。
怪しげな薬香がまた炊いてあった。ひっそりとした店内には奇妙なものでいっぱいであった。
「あら、どうしたの?」
「輪廻さん、こちら私のクラスの夢川楓さん」
楓は奥のカウンターで片手に本を読んでいた輪廻にあいさつする。
「初めまして、夢川楓と言います」
楓と唯は、二人で事の顛末を輪廻に話した。
「ふ~ん、そんなコトがあったの」
「うん。でも家出の線もあるからまだ警察も公にはしてないの」
「それで、失踪した現場で見つけたものって?」
「あ、これです」
楓はティッシュにくるんだ肉のかけらを輪廻に見せた。
それを手のひらに転がす輪廻。
「それは拾ったところの近くにお肉屋さんがあったから、そこのお肉かもと思ったのですが……」
「ふ~む、鶏肉でも豚肉でも牛肉でもない。こりゃ人肉のかけらだわ」
それを聞いた二人は仰天する。
「じ、人肉?」
「そう、人肉。人間の肉はボタン肉に味が似てるの。そして日持ちしない。独特の臭いを放ち、女子供の肉は柔らかいの」
「気持ち悪い!」
唯が言う。
「何で?私たち人間が纏っているものよ。これは多分肉質的に上腕二頭筋ね。引きちぎられたような部位も見られる。まだ若い女性の肉の一部よ」
「そ、それがみっちゃんの体の肉ってことは無いよね、相馬さん?」
唯は肩をすぼめた。
「え、さぁ、分かんない」
輪廻はため息をつく。
「まぁ、私もそこまでは分からないけど、警察に持って行けばDNA鑑定で分かるんじゃない?」
「あ、そっか」
楓は言った。
「輪廻さん。久々のお客さんだよ。せっかくだってのにこの件は警察に丸投げしちゃう気?」
「だって、刑法第一〇四条 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、または偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、二年以下の懲役または二十万円以下の罰金に処せられる」
「輪廻さん!」
唯が叫んだ。
「だって、あなたたちの話じゃ警察ももう動いているそうじゃない」
「そ、そりゃそうだけど……」
輪廻はカウンターの上に肉片を置いた。
目線を下げてよく肉片を見る。
「ん?」
「何、どうしたの輪廻さん?」
唯は聞いた。
「この肉片、少量だけど粘液の乾いたものが付着してる。ちょっと鑑定してみるわね」
そう言うと、引き出しからピンセットを出すと、その少量の粘膜の塊をピンセットではぎ取った。
「何だろう?何かの生き物の唾液か何かに見える。でもこんなの今までに見たことあったかな?」
ピンセットの先を目線にまで上げて見る。
「うん?あれ、これはもしや、まさか十八世紀のフランス、ジェヴォーダン地方で女子供を多く襲った謎の動物のものとよく似てる。以前フランスのロゼール県の教会に行った時、教会で保管されていたこれと同じようなものを特別に見せてもらったことあるけど、それと酷似している」
「え、何それ?動物?」
「ベートと呼ばれた正体不明の人喰い動物よ。狼でもハイエナでも熊でもない、女子供だけを百人以上も襲った謎の怪物。それの唾液だと思う」
唯はこんがらがる。
「そのベートが何で今、日本に?十八世紀のフランスの話でしょ?」
「まあ、これは私の推論では、ある仮説があるんだよね。レオナルド・ダ・ヴィンチの作った……」
「え?」
「いや、まだ仮説だけどね。明後日くらいには分かるから今日はもう帰りなさい」
その日の夕方、楓は例の肉片を警察に持って行った。
翌日、すぐにその肉片は行方不明の田島道代のものと分かった。
そしてさらに翌日。
「輪廻さん、大変!」
大慌てで唯が「輪廻の匠」にやって来た。
「行方不明になった場所から近い河原で田島道代さんの遺体が見つかったの!しかも彼女の体は体中食われていた。やっぱり何かの動物に食われたみたい。夢川さんも落ち込んじゃったし、どうしよう?」
輪廻は落ち着いていた。
「輪廻さん、どうしよう?これからまた犠牲者が出るかも……」
「それならもう解決済みよ」
「え?」
「来て」
そう言うと、輪廻は唯をカウンターの奥に案内する。
「見せてあげる。例のモノを」
「何?」
「実は昨夜、探してたら見つけたの。やっと捕まえられたわ。矢を三本ほど打ち込んで鎖に繋げたのだけれど……」
店の奥の「輪廻の匠」の倉庫には鎖に繋がれ、太い矢を三本も打ち込まれた状態の巨大なライオンぐらいの奇妙な姿をした動物が動けないでいた。まだ生きている。だが弱っているようだった。
「やっぱり殺ったのはこの化け物で間違いない。ベートよ」
「べ、ベート。これが?」
ベートは大きな牙があり、体中が毛で覆われていた。背中に突き出たものがあり、四本足の大型動物だった。
「そう。十八世紀フランスのジェヴォーダン地方で一七六四年から一七六七年にかけてマルジュリド山地周辺で二百回ほど女子供を襲撃して八十八人の死者を出した元凶ベート。通称ジェヴォーダンの獣」
唯は足が震えた。こんな化け物を見たのは初めてだった。
「で、でも一体どうしてこの化け物が現代の日本のこの街に?」
「これは憶測だけど、私の推論はこうよ。おそらく十八世紀のフランスの発明家がイタリアの芸術家にして発明家のレオナルド・ダ・ヴィンチが密かに開発したタイムトラベルマシンを使ってベートを現代までタイムスリップさせたのよ。フランス人発明家は不明だけど、一度ベートを捕まえたのね。それにはニコラス・ルブラン説があるけど、多分違う。ルブランは化学者だしね」
「そ、そのベートがタイムワープして現代に来たっての?」
「ええ、そう言ったつもりだけど?」
「そんなことが……」
「どうやらダ・ヴィンチが発明したタイムマシンは空間転送まで出来たようね。ダ・ヴィンチ自身はそれを考慮してかしないでか。だから時間移動も場所の移動も出来た。フランスの誰かがこの事件を終わらせるためにしたことだと思う。おそらくベートの事件が突然解決したのもそのためだと思うわ」
「信じられない……」
「警察にとっては迷宮入りの事件になっちゃうけど、被害者は今回一人だけ。それでこの件はお終いになるでしょう」
「で、結局ベートって何なの?輪廻さんだったらもうその正体に気付いてるんでしょう?」
フフッと笑う輪廻。
「分かってるよ。ベートはね、おそらく地球外生命体の類いなのよ」
「地球外生命体?それってエイリアンってこと?」
「そうね。遠い遠い宇宙のどこかから地球へ落とされ、孤独に生きていたよそ者。私たちは図らずもそれと遭遇してしまった。ベートはその悲劇の犠牲動物だった。そんなトコロね。私の推論は以上。この一件は人知れず『輪廻の匠』の倉庫の中に永久に葬り去るわ」
輪廻は大あくびをした。体を大きくひねる。
「今回はタダ働きになっちゃうけど、まぁいいわ。『輪廻の匠』のご利用ありがとうございましたってね」
唯は肩を落とす。
「誰に言ってるのよ、輪廻さん」




