一~三
輪廻の匠 オオクマ ケン
一
この世には人間の人智を超える何かが時として起きる。それは人の生き死にさえ左右するものだ。
三須科都肉大学の宗教学部に通っている相馬唯は、大学の誰もいない学内の廊下で、誰かにつけられている気がした。それは気のせいから確信へと変わった。
数日前に謎の事故死を遂げた高富教授。あの先生もその前から誰かにつけられていると言っていたのだ。高富教授はゼミこそ取ってないものの、親しい先生だった。そして今度は私だ。
誰かが私を狙っている。
こんな感覚、これで何度目だろうか?
私には誰かにこの身をつけ狙われる理由があっただろうか?
一つ心当たりがあるとすれば、ついこの間この大学の宗教学部の教授として迎えられたヴィクター・ラングドン氏の研究室に入った時に見たもの。
期末試験で落第点を取った唯はラングドン教授に呼び出されていたのだ。しかし、氏はあいにく不在。研究室にあったものは、壁によどんだ模様のタペストリーとテーブルには六芒星を型取り、それぞれのポイントにろうそくが立てられたオブジェがあった。
これは悪魔崇拝の儀式?
あれを目にしてから、匿名で手紙をもらった。自宅にいきなり届いたのだ。
「相馬唯」様へと表に書かれていた手紙の封印を開けてみると、中には一枚の紙が入っていた。それには漢字で「六」とあった。
これは一体何の数字なんだろう?
それにこの手紙は?
数日後、また手紙が届いた。開けてみると、今度はアラビア数字で「Ⅵ」と書かれた紙が一枚入っているだけであった。
これには一体何の意味があるのだろう?
そして唯は、誰かにつけられているような気がしてきたのだ。
本当にそれを確信したのはつい最近のことである。
唯は白昼にもかかわらず、街中を走った。妄想ではない。本当に誰かがつけていたのだ。しかし、その正体を見つけることは出来なかった。
唯は街中の脇道の方へ足を走らせる。
そこでこんな和風の外観のお店を見つけた。
「輪廻の匠」
なんだろう、この店?
唯は吸い寄せられるように店の引き戸を開け、店の中へ入っていった。
「あの~、すみません」
唯は不思議な観葉植物が並ぶ店内を進んだ。壁には見慣れないポスターや幾何学的な模様が施してあった。奥に進むにつれて怪しげなものが入った瓶やオカルティックなデザインの壺がたくさん置いてあった。
それでも何だか心のストレスが洗われるような不思議な感情を抱くことが出来た。
一体この店は何だろう?
唯は一番奥のカウンターに座って読めない字でいっぱいの新聞を広げている二十代後半の白衣を着た女性がいるのを見た。
「あの、こんにちは」
唯の声に反応し、新聞から目を離す女性。
「あら、お客さん?」
「はい、どうも」
「『輪廻の匠』へようこそ。私は超科学者であり、鑑定家の小林輪廻と申します。どんな御用でしょうか?」
輪廻は新聞を畳むとそれをカウンターの上に置いた。
「超科学者?鑑定家?」
唯は尋ねた。
「ええ。どんなに不可解な事件も解決させてあげます。とりあえずはあなたの心のストレスでしょうか?」
唯は驚く。
「私の心のストレスが分かるんですか?」
「分かります。あなたは何かに怯えています。ちょうどアロマを炊いたところなので、心のストレスは緩和されたでしょう」
「そうです。今この店に入った時、突然気持ちも体もフッと力が抜けた気がして」
「気のせいじゃなかったでしょう?」
「はい。信じられません!」
「いいタイミングだったですね。それで、解決してほしい事でもあるんでしょうか?」
唯は持っていた二通の手紙を輪廻に渡した。
「あの、じゃあこの手紙を鑑定していただきたいのですが」
「手紙?ですか」
「はい。この二通の手紙です」
輪廻は手紙を逆さにすると、二枚とも中身がヒラリと膝の上に落ちてきた。
「あらあら、中身が出てきちゃいましたね」
輪廻はその紙を拾い上げた。
「これは、『六』と『Ⅵ』ですか」
「はい。匿名で送られてきたものなんですが、それからというもの、私は誰かにつけられている気がしているんです。一体何なのでしょうか?」
「悪魔……」
「え?」
「この手紙の内容は悪魔ですね」
「悪魔?」
「ええ」
「簡単に言うと『呪い』ですよ」
「呪い?」
「はい」
唯は涙ぐんだ。
手足はブルブルと震えている。汗も出てきた。
「冗談はやめてください。呪いって何ですか?」
「あなたは呪いを知らないんですか?」
「それくらい知ってます!でも、呪いだなんて」
「冗談を言ったわけではありません。これは本当にあなたの心に不安と死を招く類いの呪いが掛けられています」
輪廻は紙を二枚とも重ね、唯に渡した。
「こんなに強い呪いは初めてですね。これはもうあなたにサブリミナルを発揮していて手の施しようがありません。残念ですが、術者の命を絶ち、効果を消すしかありません」
「そんな。呪いだなんて私、信じられません」
「呪いはサブリミナルです。知ってます?サブリミナルの効果は実在するんです」
「サブリミナルって何なんですか?」
「サブリミナルとは潜在知覚といった意味で、人の意識されることのない閾下の部分でのみ、その刺激を受けるものなんです」
「つまり、私の無意識下でってことですか?」
「そうです。確かに学術的には疑問視されていることもありますが、身近には広告があります。タキストスコープという瞬間露出機で広告物を一千分の一秒で見せて人がそれを瞬時に認知できるかという実験を施し、人がそれにより欲求や動機付けを伴う心理的な刺激を受けるかテストしたところ、自律神経系の電気的反射反応、つまり精神電流反応PGRを起こしたことからも立証されているんです」
「それって私が要するに、不安や死の反応を無自覚に連鎖的に起こしているということですか」
「そうですね。それはどうしてなのか、私には分かりませんが」
唯は床に膝をついた。
「た、助けてください!私、誰かに命を狙われているんです」
「心当たりは?」
「あります。教授です。大学の研究室のヴィクター・ラングドン教授!」
「誰です?」
「私が履修している宗教学の先生なんです。私、殺される!」
輪廻はカウンターに頬肘をついた。
「お話、聞きましょう」
唯は少し落ち着き、椅子に座って話し始めた。
「つまり、私が先生の研究室に入ると、先生は留守でして、それでそこには……」
「悪魔崇拝しているその部屋へ無断で入っちゃったということですね?」
「はい、そうです」
「そしてその後、その二通の手紙が来たんです」
「なるほど。その教授はイングランド出身でしたね?」
「ええ」
「漢字で『六』にアラビア数字で『Ⅵ』ねぇ。なかなか洒落たことをしますね」
輪廻はニコリと笑った。
「何が可笑しいんですか?」
「いえ、すみません。普通キリスト教では漢字の『六』は使いません」
「キリスト教?」
「はい」
「一体何なんです?」
唯は首を傾げた。
「ああ、この数字のことですよ。普通はキリスト教の呪いに漢字の『六』は使わないということです」
「はぁ……?」
「つまり悪魔崇拝はキリスト教の邪教です。そして二通の手紙には二つの『6』」
「6が何なんですか?」
「聞いたことありません?映画『オーメン』とかで有名でしょう。666。つまりキリスト教では不吉とされる数字ですよ」
「え?」
「666。もしあと一通『6』の書いた紙の入った手紙を受け取れば、あなたは無意識の不安と死の皮膚電気反射に襲われ、あなたもその高富という教授と同じように死にます」
唯は心臓が止まる思いだった。
死ぬ?私が?
「それって……」
「呪いをただの伝説だと思わないでくださいね。外国では死の儀式として刑法で禁止されているところもありますから」
「じゃあ、私は死ぬんですか?最後の一通の手紙を受け取ったら?」
「まぁ、その手紙の封印を取って、中の紙を見たらの話ですが。でも、その前に不安で病気になるでしょうけどね。もしそうなったら精神病院行きですよ」
「そんな」
「まぁ、悪い虫が付いたようですね。相手は悪魔崇拝をしている殺人者です。すでにその高富という教授を呪いで殺している。まぁ、呪いという名の暗示によってですが、証拠の残らない殺人を犯している危険人物ですね」
「そんな、怖い……」
唯は心底、死の恐怖と戦った。
「あなたに掛けられているサブリミナルの力、呪いを解くには術者を殺して悪魔的な力を絶つことですね」
「ど、どうしたら……」
「もしよろしければ私が出張鑑定として、相手と接触してみましょうか?」
もはや背に腹は代えられぬ状況だった。
唯はコクンとうなづくと、「お願いします」と一言言った。
二
三須科都肉大学は県内有数のキリスト教大学だった。
別段、キリスト教徒でなくても入学できたが、在校学生には皆、聖書が手渡されていた。聖書の最後のページには大学のスタンプが押されていて、それがその学校の在学証明にもなるのだ。
戦後に近くの在日米軍基地から来るキリスト教信者のために建てられた大きな教会が、その後さらに大きくなり、大学になった経緯がある。
その大学の特別棟にある五階の四つ目のドアの向こうに、その研究室はあった。
輪廻は白衣のまま、そのドアをノックした。
中には人がいるようだ。今日は留守ではないようだ。そっちの方が好都合だ。直接相対した方が早い。
しばらくするとドアが開いた。
「どなたかな?」
イギリス人にしては流暢な日本語で相手は言った。ヴィクター・ラングドン教授だった。髪の薄いヒゲだらけで目は小さく、しわで笑みがさらに不気味に見える六十代くらいの大男だった。パリッと着こなした背広がインテリを思わせる雰囲気だった。
「ヴィクター・ラングドン教授ですね。私、『輪廻の匠』という店で鑑定家をしています、小林輪廻といいます。初めまして」
そう言うと、輪廻は白衣のポケットから封のしてある名刺を出した。
「この中に私の名刺を入れています。どうぞ」
ラングドンはそれを受け取った。
「ホウ、今時に名刺を封書にしているなど珍しい。あなた普通の日本人ではありませんな。その鑑定家の方がこの大学の教授である私に何の用ですかな?」
「ラングドン教授にお話を伺いたいのですが」
「私に?」
「相馬唯という学生さんのことです」
ラングドンは目を見開いた。
そしてすぐに不敵な笑みを浮かべた。
「相馬、さんですか。私のゼミを履修している女子学生ですね」
「そうです。その子です」
「その子がどうかされたんですかな?」
「あら、しらばくれるおつもりですか?」
「何ですと?」
ラングドンの笑みが消えた。しかしすぐにまた不敵な笑みを浮かべた。
「ひょっとして彼女が成績で良くない点を取ったことですかな?」
「いいえ」
輪廻もまた笑顔を見せた。
「では高富教授のことは?」
「ああ、先日ご自分の研究室で転んで壁に頭をぶつけて亡くなられた教授ですな」
「お知り合いだと思いますが」
「なるほど、あなたは何かを調べているんですな?」
「ええ。相馬さんに掛けられた呪いについて」
「呪い……ですか」
「ええ。心当たりがありそうですね?」
「ええ、まぁ」
「ではお答えください。高富教授は確かに事故死ですが、殺したのはあなたですね、ラングドン教授?」
フンという顔をするラングドン。
「殺したとは失礼な。高富教授は事故死したというのに。警察もただの事故死と断定したんですよ」
「そうですね」
「ならば、なぜ私が殺したと?」
「確かに殺人事件ではない。でも、日本では裁かれなくても裁ける所では呪術殺人として刑法で裁けるんですよ」
「日本にはそんな刑法は無い」
「では認めるんですね?高富殺しを」
ラングドンは少し考えた。
「なるほどね。この私が殺人ですか……」
「そう言いましたが」
「フム。あなたとはもっと腰を落ち着けて話がしたいですな。もっと深い話が出来そうだ」
「そうですか?」
「ええ。今夜、どうですか?」
「よろしいですよ。実は私の行きつけのバーがありまして、特別にご招待しますよ」
「ホウ、ではその店に行きましょうか」
「ぜひ!」
輪廻は白衣のポケットから招待状を出した。
「これ、招待状です。これが無いと入れませんから」
「ああ、そうですか。では」
ラングドンは招待状を受け取った。
「行きましょう」
「では今晩六時に!」
輪廻はラングドンの部屋をあとにした。
すぐ近くには唯が立っていた。
「あ、あの。小林さん、どうでしたか?あの……私」
輪廻は笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ。今夜、あの方と戦います。安心してください。ご依頼人の生命は私が守ります」
三
午後五時五十八分。
バー「サイエンス」
輪廻は先にバーに着いていた。このバーは小さなビルの一階にガラス張りだけで作られていた。そしてフラスコやビーカーを使ってカクテルを作っている、一風変わったバーでもあった。バーテンダーが一人、緑色の液体の入った試験管を振っている。
ラングドンはバー「サイエンス」の入り口で係の若い男性に輪廻からもらった招待状を見せていた。
「六時に予約のヴィクター・ラングドン様ですね。招待状拝見しました。中へどうぞ」
「どうも」
軽く会釈すると、ラングドンは店の中に入っていった。
カウンターではすでに注文を終えた輪廻が椅子に座っていた。グラスに入ったコークハイを飲んでいる。相変わらず白衣のままだったが、店の雰囲気には合っていた。さすがバー「サイエンス」である。
輪廻の隣にラングドンは座った。
「時間ピッタリですね」
「ははは。これでも私は時間にはうるさい人なんでね」
「それでは乾杯しましょう」
「フム、では私は何を貰おうかな?」
「おススメがあります。『モーニング』と言う名のカクテル」
「ホウ、初めて聞く名ですな」
「『モーニング』。喪に服すという意味のモーニングですよ」
「なるほどな。面白い。死を連想させる。ではそれを頂こうか」
無言で試験管を振るバーテンダー。
しばらくすると、そのカクテルが出てきた。綺麗な銀色をしている。
「不思議な味だ。厳かな味がする」
「気に入ってもらえて光栄です、ラングドン教授」
「では、本題に入ろう。私は昔から数秘術や悪魔崇拝にはなぜか強い魅力を感じておりましてな」
「そうなんですね。ではそれに乾杯しましょう」
「御託は結構だよ、小林輪廻さん」
「そうですか。失礼しました」
ラングドンはまたカクテルを口に含む。
「何を話してましたかな?ああそうだ。悪魔崇拝でしたか。それは私にとって人生でもあった。なぜか分かりますかな?」
「いえ。教授はカトリック系なのですか?」
「そうだ。人は人生に絶望した時、宗教を求める。あなたは信じないのですか?」
「フリーメイソンは面白そうですが、基本的には私は合理主義者なので」
「そうか。では話そう。私の母は私の父を殺したのだ。理由は忘れてしまった。だが、父に罪は無かった。母の勘違いだったのだ。その時、私は幼い子供だった」
「それが引き金になったと?」
「引き金とは筋違いだ。私は純粋に宗教を求めた。行きつく先が悪魔崇拝だったまでだ」
「なるほど。教授にとっては強烈な理由ですね」
「ホウ」
ラングドンは笑みを浮かべた。
「分かってくれる者がいようとは。普通なら私は狂人扱いだ」
「人は強烈な何かに直面すると、どうしても何かにすがりたくなるものです」
「そうだな。理解者がいるというのは本当に嬉しい。私はあなたを誤解していたのかもしれない」
「でも、殺人はいけませんよ」
ラングドンは一瞬険しい表情を見せたが、すぐにまた不敵な笑顔に戻った。
「殺人はいけないだと?」
「ええ。身の上話なら私にもさせてください」
輪廻は語り始めた。
「私の父は二年前、死刑になりました」
驚いた顔をするラングドン。
「ホウ、それはまた……」
「意外ですか?」
「いや。そういう事もあるのだな」
「十一年前の県内で起きた一家惨殺事件はご存じで?確か世界的にニュースになったはずですが……」
「いや、知らんな」
「私の父はある日、近所の一家を全員果物ナイフで刺し殺しました。その時使われた果物ナイフは我が家の物でした。当然指紋も採りました。父の指紋が出たんです。それに犯行当時、残っていた靴の跡。父の外靴と一致しました。警察は父を犯人と断定。裁判でも有罪判決。刑は極刑でした。そして九年後、刑は執行されました」
「そうだったのですか。それはお辛い」
「同情は結構ですよ、ラングドン教授」
「それはすみません」
「いえ。でも、それをきっかけに私は住む所も名も改めました」
「そうなんですか?」
「ええ。昔の名は『幸恵』でした。今は名を変え、『輪廻』と名乗っていますが」
「そちらの名前は改名された名なんですね?」
「そうです」
「殺人はいけないことです。例えそれが我が肉親であっても。だから教授も宗教に救いを求めることになったのでしょう?」
「フム、そうだな」
「高富教授を殺したのはあなたの仕掛けた呪いのせいですね?」
ラングドンは少し黙った。
そして大きくため息をついた。
「認めよう。高富教授に呪いを掛けたのは私だ」
「証拠と言えましょうか。高富教授は三通の手紙を受け取っていたんです。もちろん匿名で。中身はもうご存知でしょう?」
「ああ。例の手紙を使ってな。だが死因は事故死だ。誰も呪いだとは思うまい。これは内緒だぞ?」
ラングドンは人差し指を口元に当て、シーッと言った。
「ラングドン教授、なぜです?高富教授はなぜあなたに呪い殺されなければならなかったんです?」
「そうだな。君には話すとしようか。彼は私の悪魔崇拝を私の留守中に見つけ、そのことをひどく侮辱したのだ。それに祈りが人を救い、呪いが人に死をもたらすことも信じず、忌み嫌ったのだ。それは宗教に身をゆだねた私にとっては耐え難いものだった」
「だから呪いを掛けたと?」
「信じていなかった呪いで死ぬなど、これほど皮肉なものはないだろう?」
「確かに」
「それにしても、何の証拠も無く人を死に追いやれるとは、これほど便利なものは無いだろう。そう思わないかな?」
「教授もまた殺人者なのですね」
「これもまた、己を救うための選択だったのだよ。それは許してほしい」
輪廻はフッと笑った。
「己を救う?冗談はよしてください。教授も大人げない。高富教授を殺したのは要するに、教授のプライドのためでしょう?」
ラングドンは険しく表情を変える。
「まぁ、解釈はどう言っても構わないよ。それを信じるか信じないかは別だがな」
「ラングドン教授、呪術を間違って使うのは許されませんよ」
「そうかな?呪術とはハロウィンの〝トリックオアトリート〟と同じだ」
「同じではありません。それを殺人に使うのなら違います。あなたはご自分の学生にまでそれを使ってしまっている。相馬唯さんの事ですよ」
「ああ、彼女は論文で悪魔崇拝を侮辱した。だから成績をFにして、特別に手紙を送ったのだよ。あの例の手紙をな」
「私はあなたを見逃したりはしません。彼女は私の、『輪廻の匠』の依頼人です。必ず守ります。そしてあなたも無事では済みません」
「どうする気かね?」
「私は今、ボイスレコーダーを持っています。教授のお話は全部録音させていただきました」
「なるほど。あくまで私を刑に処するおつもりか?ならば見逃してくださるとありがたい。そうしてくれるのなら相馬唯さんへの最後の『6』の書かれた紙を入れた手紙は彼女には送らないでいよう。だがもし私を脅かすようなことがあれば……」
「それはご自由に。私は依頼人の生命は絶対に守ってみせますから。でないと報酬が受け取れませんし」
そう言うと、輪廻はフフッと笑った。
「ホウ、それではお手並み拝見。私はこれで失礼する。楽しかったよ。小林輪廻さん」
ラングドンはネクタイを整えると、財布から二千円出し、カウンターの上に置いた。そして店を出る。
テーブル席で全部話を聞いていた唯は立ち上がり、輪廻の元へとやって来た。
「あの、わたしどうなっちゃうんでしょうか?やっぱり死ぬの?」
輪廻は白衣のポケットを裏返しにして中を見せた。
「フフ。ボイスレコーダーなんて嘘。何も録音なんてしてないわ」
「えっ、じゃあ?」
「彼はもう終わりよ。もう手は打ってありますから」
ラングドンは大学の近くの郵便ポストの前で最後の手紙を懐から出していた。
「あの小林輪廻とやら。この最後の『6』の書かれた手紙を投函して目にもの見せてくれるわ。これで依頼人が死ねば……」
その時、懐にしまっていた別の封のされた小さな便箋を足元に落とした。
「ん?」
ラングドンはそれを拾う。
その便箋は輪廻が名刺を入れていたものだった。
そういえば、研究室に来た時、貰ったな。
便箋?
もしや!
ラングドンは開けて中の名刺を見る。
電話番号の所に目をやった。
925―0919―0000
「この名刺の数字。まさか、これは電話番号じゃない。数式だ。この数式の答えは〝6〟!」
ラングドンは慌ててバー「サイエンス」の招待状を背広のポケットから出した。
「予約の所に……」
P.M.6:00
「やはり、これにも〝6〟の数字が!」
そう、6を三つ受け取った者は、悪魔召喚の餌食となり……。
三須科都肉大学内・五階。
ラングドンは研究室に逃げ込もうとドアへ急いだ。
「私としたことが、くそ!」
ラングドンは最後の罠にも気づかなかった。
ドアに手紙の封印が付けられていたのだ。そのドアをバンと開けるラングドン。
研究室の中のホワイトボードには大きく「Ⅵ」の字が手書きで書かれていたのだ。
部屋丸ごとが手紙になっていたのだ。それに気づくことができなかった。
666……。
ラングドンはその場で足を滑らせて転んだ。床に頭を打ち、頸椎断絶によって即死した。
悪魔によって葬られる。
翌日、「輪廻の匠」
大きな液晶テレビでニュースがやっていた。
『昨夜七時半頃、県内の三須科都肉大学の研究室内で、ヴィクター・ラングドン教授六十二歳が首の骨を折って死亡しているのが見つかり、警察の検視の結果、転倒による事故死と断定しました』
輪廻は唯から鑑定料を貰っていた。
料金は秘密。
「はい、毎度どうも~」
「こんなことは毎度無くていいですよ、輪廻さん」
「あはははは。そうですね~」
「でもすみません。私のせいで輪廻さんにラングドン教授の殺害を依頼するなんて」
「ま、あの人とは〝同じ穴のムジナ〟だから」
「それに、本当なんですか、バーで話してた事?」
「ああ、父親が殺人犯ってこと?」
「ええ」
「本当よ。もしかして私の事、怖い?」
「いいえ。面白いです!」
え?
「こんな面白いこと放ってなんておけません!また来てもいいですか、輪廻さん?」
「あはは。私にとっては人間の方が、悪魔なんかよりよっぽど奇怪ですよ、唯さん」
輪廻は苦笑いをした。




