長身令嬢はお悩みです。
「あら、ご覧になって。ルイーズ様よ」
「まさか今日の夜会でお見かけできるなんて!」
「あぁ、素敵だわ。後でお話しかけてみようかしら」
とある伯爵家で開かれた夜会にて壁際で井戸端会議的な事をしている独身・婚約者なしの女子が突如色めきだった。
視線の先には彼女達の中で話題のとある人物が歩いていたからだ。
「見た? 今僕達がホールに着いたとたん壁際の令嬢が嬉しそうにこちらを見ていたよ。きっとルイーズのファンの子たちだろうね」
「全く、こんな所に来てまで騒がれるのは御免だわ。そんな事する暇があるならさっさと恋人探しをしていただきたいものよ」
とある人物、女子達の騒ぎの元となっているのはノールド伯爵家の長女、ルイーズ・ライリーである。
なぜ騒がれるのかと言うとそれは彼女の見た目からであろう。
小さな顔、長く艶やかな金髪に碧眼、なかなかの美貌の持主である上に約5フィート10インチ(約178cm)の身長を持ち合わせている。ゆえに、年頃の男子よりも女子に圧倒的人気を博していた。
もちろん本人はそれを憂鬱に思っているが……。
ルイーズのエスコートをしているのは彼女の3つ下の弟ユアンである。
今年16歳となる彼の身長は姉に劣らず約6フィート(約183cm)、少年のあどけなさを残した整った顔付きは際立ち、この高身長コンビは目立ってしまっているのだった。
父親の知人であるスザン伯爵が開く夜会だからどうしても行ってこいと言われたので来たものの、ひそひそと囁かれたルイーズの不快指数はさっそくマックスまで上り詰めてしまった。
「おっ、友達だ」
ユアンは友達を見つけるとルイーズを連れ挨拶をしてからしばし話し込んでしまった。
ルイーズはというと、親しい友人は今宵来ていないようなのでユアンの二歩後に立ち一人手持ち無沙汰に空になったグラスを見つめていた。
すると突然、ルイーズの後ろを歩いていた男性が強くぶつかってきた。不意打ちにぶつかったものだからルイーズはグラスを落としそうになって手をあたふたと動かした。
「おっと、大変失礼しました」
ルイーズが落としかけたグラスを彼女の細く白い手ごと包み込んだのは夜会を開いた伯爵家の三男ヒューイ・モズリーだった。
「申し訳ありません。ウエイターにぶつかりそうになり避けたつもりが……レディにぶつかってしまうとは」
「いえ、こちらこそ邪魔なところに立っていたのがいけなかったのです」
慌てた為か頬を赤らめながらルイーズがぶつかってきた主に体を向けると二人はグラス越しに手を繋いだまま向かい合う形になったが、ルイーズは相手が同年代の男性だと分かると足がすくみ体が硬直してしまった。
「姉さん、どうしたの?」
やっとここでユアンがルイーズの状況に気付き、二人が繋いだ形で持ったままだったグラスをひょいと持ち上げた。ルイーズはくるりとユアンの後ろに隠れるように場所を移動すると軽くうつむいた。
「私がお姉様にぶつかってしまってね。本当に失礼しました。私はヒューイ・モズリーと申します」
「そうでしたか。こちらこそ姉が失礼いたしました。私はユアン・ライリー、こちらは姉のルイーズ・ライリーです。ヒューイ様はもしかして、スザン伯爵の?」
「ええ、三男です」
偶然にも挨拶せねばいけなかったスザン伯爵の三男とお近づきになれた事でスムーズに面会もでき、ルイーズとユアンは父に言いつけられた用事を済ませると夜会を楽しむことなく人目から逃げるように早々に帰路についたのであった。
「姉さん途中大丈夫だった? ヒューイ様とぶつかった時」
「ユアンのお陰でなんとかね。ありがとう」
「それなら良かった。けど、やっぱり怖くなるの?」
「ええ……こんなんじゃダメって分かってるけどどうしても体が言うことを聞かないの。きっと私一生このままなのね」
ルイーズは人の集まる場所が苦手だった。何故かというと身長の事でひそひそと、とやかく言われるのが嫌なのである。
それに人の集まる場所にはどうしても同年代の男性がいる。
子供の頃から背の高かったルイーズは同年代の男性に身長をからかわれ、陰口をたたかれ、すっかり苦手……というか本能的に同年代の男性を怖いと感じてしまっていた。
「もう、姉さんはネガティブなんだから。きっと大丈夫だよ、ヒューイ様だって姉さんに何度も謝ってたじゃないか。……そういえばヒューイ様とは初めてお会いしたね。姉さんと同い年だったけど知ってた?」
「子供の頃からつい最近までずっと親戚のお宅にいたらしいわよ。そのまま親戚の養子にって話が、無事跡継ぎとなる男の子が産まれたから戻ってきたとか」
「ど……どこでそんな情報を」
「陰口にさんざん悩んできた私の地獄耳を舐めてもらっちゃ困るわ」
人々の視線から解放され心を許したユアンと二人きりだからか、ルイーズは段々と機嫌を取り戻し今日見聞きした情報を頭の中でまとめはじめた。
「そ、そうなんだ。僕も口には気を付けよう……」
「ヒューイ様だって心の中ではこのでっかい女! って邪険にしたに違いないわ。あぁ……いっそのこと得意の勉強を生かして男性のいない女学校の教師にでもなろうかしら」
「何を言ってるの? 姉さんには婚約者がいるんだからそんなこと許されないよ」
「まったくユアンは真面目ちゃんね! 婚約者っていっても見たことも、話したこともないのよ?」
確かにルイーズには婚約者がいる。しかし相手方の伯爵家当主は医者を生業としており、ルイーズが5歳、相手が8歳の頃に婚約を結んで早々遠く海外の医療を学ぶためと家族で越してしまったのでルイーズはお相手の事を全く知らないのだ。
「アレン・グレイド様と言ったかしら。今までにお手紙だって下さらないし、どういうおつもりなのかしら? このまま婚約を無かったことにしていただいても構わないけれどね」
「きっとアレン様にもご事情があるんだよ、そんな事言わないでよ」
ルイーズはふうっと小さくため息をつくとユアンから視線を外し明るい月に照らされキラキラと輝く川面の様子を窓から眺めた。
同年代の男性が苦手なのを克服したいと前々から思ってはいるが、いざ目の前にすると頭の中で子供の頃の記憶がよみがえり体がすくんでしまうのだ。
この事はユアンにしか打ち明けていない。これからどうしたらいいものかと静かに悩んでいた。
◇◇◇◇◇
「うえええぇぇぇ!?」
その日二人が夜会から帰ると、父親はルイーズに吉報だと一通の手紙を見せた。
それは遠い地から届いたエアメールで出された日付は一ヵ月以上も前のものだった。いくつもの国を経由して届いたからか封筒は随分とくたびれていた。
父の喜びぶりに何なのかと受け取った手紙を読むと、ルイーズは思わず驚きと困惑から女性らしくない悲鳴をあげた。
その手紙は父の友人であるウォール伯爵からのものであった。
内容は要約すると海外での仕事を契約満了を期に引き上げて家族皆で国へ帰っている途中だという事だった。
ウォール伯爵はルイーズの婚約者の父親である。
ということは、アレン・グレイドも間もなく帰ってくると言う事だ……!
「ちょっと待って! 到着予定日……来週じゃない!」
「はっはっは、良かったなルイーズ婚約者にとうとう会えるぞ。アレン君は素晴らしい青年に育ったそうだ。互いに良い年頃だからな、まぁ楽しみにしていなさい」
「楽しみも何もお父様っ私は……ふぐっ」
「僕も楽しみです! で、では部屋へ戻ります!」
ルイーズが父に男性が苦手なのだと言ってしまおうと口を開いたところをユアンが無理矢理口を押さえ引きずるようにして父の書斎を後にした。
「ちょっとユアン離してよっ」
「ごめん! でもお父様に今更打ち明けても何も変わらないよ。それよりも姉さんはアレン様がいらっしゃるまでに少しでも男性への苦手意識をどうにかしないと!」
「そ……それは……」
婚約者が帰ってくるのはもう間もなくだ。男性が苦手なのは子供の頃からずっとなので今更短期間でどうにかできるものではない。ユアンに言われるまでもなくどうにかしたいとは思っていたがどうにもならない。
「さすがに僕も毎回助け船は出せないからね」
「わかったわよユアン、何とか頑張るわよ」
ルイーズはそのまま自室に戻るとベッドに倒れ込んだ。婚約者であるアレンが帰ってくると聞いてユアンには強がって見せたけれど心臓はバクバクと大きな音を立てていた。
「アレン様にがっかりされるのも、その反応を直に見るのも……怖い」
◇◇◇◇◇
それからしばらくして父の元にウォール伯爵からようやく港へ着いたと連絡があった。用事を済ませた後、ノールド伯爵家に挨拶をしに行くとも。
空には厚い雲がかかり生ぬるい風が吹く午後の日のこと、ノールド伯爵家の前には見慣れない馬車が停まっていた。
サロンからはノールド伯爵とウォール伯爵の威勢の笑い声が屋敷の廊下まで響いていた。
「久しぶりだな! 異国はどうだったか? 変わりないか?」
「おお、元気にしてるよ。お前こそ太ったんじゃないのか? どれ診てやろうか」
父親同士は久しぶりの再開を大いに喜んでいるようだ。
ルイーズはサロンの扉の前で一度立ち止まり息を整えると三度ノックをし部屋に入った。
「失礼致します」
「おぉ、こっちへ来なさい。紹介するようちの娘のルイーズだ」
サロンにはルイーズの父親とウォール伯爵、そしてもう一人青年がソファに座っていた。
ルイーズが父のとなりで丁寧にお辞儀をすると青年は立ち上がってルイーズを見つめた。
「はじめまして。アレン・グレイドです」
ルイーズはアレンを見つめ返した。薄いブルーの瞳に浮かぶ感情はいまいち読みとれないが、顔つきは整っており好青年といった雰囲気を醸し出している。
ブラウンの髪の毛は短めに整えられていて清潔感も申し分ない。
……が、ルイーズはあることに気がついてくらりとよろけそうになった。ぐっと踏みとどまったけれど背中につうっと冷や汗が伝った。
「これは美しく成長されて。 長いこと国を離れていて申し訳なかったね。息子が中々帰ってこないと心配させてしまったかな?」
「いえ……ウォール伯爵、そんな」
むしろ婚約者からの便りがなくて清々していたなんて言える訳がない。
黙って見つめあうアレンとルイーズを見かねてかウォール伯爵は立ち上がってルイーズに握手を求めながら明るく接してくれた。伯爵からはふわりと消毒液の香りが漂いつい先程まで仕事をしていた様子だ。
「そうだ! ちょっと私のコレクションを見てくれないか? ルイーズ、父さん達は少し席を外すからアレン君と二人で話をしていなさい」
「えっ!? お父様」
「何だ、絵画か? 俺は絵画にはうるさいぞ」
ノールド伯爵は思い立ったようにウォール伯爵を連れ部屋を出てしまった。部屋に残されたのは立ち上がったままやり場のないアレンとルイーズのみだ。
「あ……あの、……父がなんだかすいません」
「いえ。丁度良かった、あなたと話をしたいと思っていました」
アレンはルイーズに着席を求めると二人は向かい合ってソファに座る形となった。
まだ自分のテイトリーである屋敷の中だからかアレンと二人きりでも体が硬直するとまではいかないけれど、ルイーズは膝の上に重ねた自分の手を見つめどんな話をしたらいいのか分からず黙りこんでいた。
「ルイーズ……と呼んでもいいですか? 私の事もどうぞアレンと呼んでください」
「あ、はい……どうぞ好きに呼んでください。私は……その、呼び捨てなど恐れ多いのでアレン様と呼ばせてください」
「そうですか、わかりました。父の仕事の都合とはいえ婚約者であるのに長い事お会いできずにすいませんでした」
「い、いえ。……ご立派なお仕事ですから、仕方のないことです」
「私は父の跡を継いで医者になるべく大学に通っています。勉強は充分に足りているのですが国外からではこの国の医師免許が取れなかったので次の試験で資格を取る予定です。……ルイーズは今何を?」
「私は……昨年女学校を卒業して……今は特に……」
「女学校では首席だったとノールド伯爵に伺いました。更に学ぶ予定はないのですか?」
「それは……女性が大学に通うなど前例の無い事ですから……女学校を卒業したら家の蔵書を読むくらいしか……」
アレンは感情が顔に出ないタイプのようで、どんなことを考えているのかルイーズにはよく分からなかった。
自分は背が高く女性らしい可愛さがないと思い込んでいるので、せめて勉強では頑張って両親を喜ばせたいと女学校ではとにかく勉学に力をいれていた。
結果、優秀な成績を修めることができたし数学や哲学、天文学は面白くなり有名な教授を家庭教師につけてもらい学んだほどだった。
しかし女学校を卒業したら世間一般的にやるべきとされているのは家で花嫁修業だ。
ルイーズも世間の慣例に従いそれ以上の勉学は求めずにいた。
何故アレンは勉学についてあれこれ質問するのだろうか? もしかして勉学に励む女性が嫌いで自分がきちんと花嫁修業をしているのか気になっているのだろうか? ルイーズは静かにアレンの心の内は何なのかと考えてみた。
しかし、いくら考えてもアレンの質問の意図が分からずルイーズは手をぎゅっと握って作り笑いを浮かべるしかなかった。
するとここでやっとメイドがお茶のおかわりをと部屋に入ってきた。
ルイーズはほっとして「お化粧直しを……」と、適当な理由をつけて一旦部屋から退出すると近くの納戸に入り扉を閉めたとたんうずくまった。
「はぁ……やっぱり男性と二人きりは駄目だわ。これでも頑張った方よ。一応笑顔はつくって見せたもの! でも……何でなのよぉぉ! ……何で私の方が背が高いのよ」
ルイーズは本気で落ち込んでいた。アレンの身長は目測でも5フィート5インチ(約165cm)くらいではないだろうか?
別に自分よりも婚約者の方が身長が高いといいな、なんて考えなのではなかった。身長でとやかく言われる辛さは分かっているからだ。しかし相手が同じことを思っているとは限らない。
「きっとアレン様は身長の大きな私を怪訝に思ったに違いないわ。大女の私じゃ全然可愛らしさもなにも無いもの……。
しかもアレン様の関心の無さそうな顔を見た? きっと上手く話せなかったからつまらない女だとも思ったはずだわ! あぁ、やっぱりだめ。やっぱり私、結婚なんて一生できないわ」
しばらく一人でぶつぶつ唸るとあまり長いこと戻らないのもまずいと思いルイーズは鉛のように重たくなった体を立たせ納戸から出ると廊下で父親とすれ違った。
「おお、ルイーズここにいたのか」
「お父様どうされたのですか?」
「コレクションを見てもらったから今度は一緒に酒でもと思ってな。ちょっと先にサロンへ戻ってなさい。グラスを取ってきたら戻るから」
「え、ではサロンには今……?」
きっと2階の部屋にあるコレクションからお気に入りのグラスを選ぶのだろう。ノールド伯爵は急いで階段を登っていってしまった。
「全くお父様はコレクションの事になると話を聞いてくれないんだから」
グラスを選ぶのにそう時間はかからないはずだ。サロンにはアレンだけでなくノールド伯爵もいらっしゃるなら少しは気が楽だとルイーズは再びサロンの扉の取っ手に手をかけた。
するとその時、ルイーズの耳に親子の会話が聞こえてた。
「…………まぁ残念ではありましたが」
「そうか、…………美しいお嬢さんじゃないか」
「…………」
すべての会話が聞き取れたわけではないが一部耳に入ってきた会話でルイーズは目の前が真っ暗になってしまった。
◇◇◇◇◇
「……さん、姉さん」
「えっ、何!?」
「どうしたの? 夕食の時もずっと考え事してたみたいだけと」
ノールド伯爵とアレンは夕方には帰って行った。ルイーズは廊下で聞いてしまった会話のせいかその後どんな風に振る舞ったか全く覚えていなかった。
「あ……いや、疲れちゃって」
「今日は同席できなくてごめんね。どうだった? いい人そう?」
「そうね……」
ルイーズの頭の中ではアレンの放った"残念"という言葉がずっと耳から離れなかった。
背が高い女で残念? 社交的でない女で残念? どの残念だったのだろうと。
「え、姉さん泣いてるの? 大丈夫?」
「ごめんね、少し……一人にさせて」
ユアンに話したらきっとそんなことはないと言ってくれるだろう。でもそんな慰めではどうにもならないくらいルイーズは落ち込んでしまって一人で部屋に帰ったのだった。
「やっぱりお会いしなければ良かった。否定の言葉を聞いちゃうなんて……」
頭の中では子供の頃同じ年頃の男児に「でっかいな、本当に女なのか?」「うわー、大女が来た!」などと言われた嫌な記憶ばかり頭に浮かんでしまっていた。
しかし、アレンの最初の来訪から間もなくして週に2度はアレンが一人でノールド伯爵の屋敷を訪れ、ルイーズに会いに来る日々が続いた。
ほとんどは大学の帰りに寄り軽く会話を交わす程度だったが、次第にアレンはユアンと仲良くなり休みの日にも屋敷まで来るようになっていた。
「失礼します」
ある休日、この日もアレンはノールド伯爵の屋敷に来ていた。目的もなしに来るわけではなく今日はユアンの家庭教師という名目だった。
ルイーズは部屋でくつろいで本を読んでいた所、母に呼び出されユアンの部屋へお茶を持っていくように言いつけられた。
わざわざメイドでなくルイーズに持っていかせる訳はもちろん、婚約者であるアレンと接する機会を増やすためであろう。
「あれ、姉さんが持ってきてくれたの? ありがとう」
「どういたしまして。じゃあここに置いていくわね」
「ちょっと待ってよ。せっかくだから3人でお茶をしようよ! すぐにもうひとつカップを持ってくるよ」
「ちょっとユアン、私が行くわよ」
ユアンはルイーズの返事を待たずに部屋を飛び出していってしまった。こういう所は父親に似ているのかもしれない。
部屋にアレンと二人きり残されてしまったルイーズはとりあえず落ち着いてテーブルにティーセットを並べ始めた。
アレンが初めて屋敷に来てからもう3ヵ月は経っていた。一応口数は少ないが週に数回は話しているので始めの頃よりは緊張せず話せるようになっている……つもりでいる。
それでも頭の隅ではアレンが自分のことを残念だと思っている事を忘れてはいないので一定の距離を保ちつつ親しくしていた。
「今日もお邪魔してます。ユアンも頭がいいですね。教えたことをすぐ吸収してしまいます」
「そ、そうですか? アレン様の教え方がお上手なのではないでしょうか」
「ところで話しは変わりますが、ルイーズは来週の休みの日に予定はありますか?」
「……いえ、特には」
ティーセットを並べ終えソファに座り早くユアンが帰ってこないかと思いながら話しているとアレンが思わぬ提案をして来た。
「では来週二人で街まで出掛けませんか?」
「…………え?」
あまりに突然の申し出に驚いて反応するまで一呼吸間があいてしまった。
聞き間違えたかと思ったのだ。
「新しい医学書を購入したいのですが専門店が大きな街にしかなくて。実物を見て吟味して購入したいので時間はかかってしまうと思うのですが一緒に行ってくれませんか?」
「そ……それは、さすがに外出は……父に聞いてみないと」
「ノールド伯爵に許可はいただいています。では大丈夫ですね、昼までには伺いますので出掛ける準備をしておいてください」
「えっ? 許可取ってるって……」
「お待たせ、カップもってきたよ。二人で何を話してたの?」
「来週街へ出掛けないかと誘ったんだ。来週は二人で出掛けてくるよ」
「そうなんだ。行ってらっしゃい」
「なっ、ユアン……ええっ?」
すでに父に許可を取ってあるとまで言われたルイーズは、やんわりと断ろうとしていたのに断る理由が見つからなくなってしまい、そのまま来週は二人で外出する事になってしまったのであった。
◇◇◇◇◇
翌週、空は青く雲ひとつない晴天となった。
「い……胃が痛い気がする」
「どうしましたか? ルイーズ」
「あっ、な……何でもありませんわ。一人言がつい……」
少し離れた大きな街までの道中、馬車の中でアレンと至近距離で向かい合って座るルイーズは緊張で顔がこわばっていた。
アレンはというとはじめはルイーズと話をしていたが緊張のあまりルイーズがうまく受け答えできないでいると程なくして本を読み始めてしまった。
よく馬車の中で読んで酔わないわね、そんなに私といて退屈なら一人で街に行けばよかったんじゃないの? などとルイーズは一人頭の中で愚痴っていた。
「さぁ、気を付けて降りてください」
ようやく街につきルイーズが馬車から降りようとすると先に降りたアレンは右手をルイーズに差し出した。
一瞬躊躇したが、一応婚約者であるわけだし断るのはよろしくないのかも……と思ってルイーズはおずおずと差し出された手に自身の手を重ねて馬車を降りた。
初めて触れたアレンの手は失礼だが身長の割には大きく逞しく思えて、ルイーズは静かに大きく息をして平常心を保つことに集中した。
馬車から降りさあ街へ繰り出そうとすると今度はアレンが腕をつきだしてきた。
はっとしてまわりを見渡すと男女二人組で歩いている者たちはもれなく男性が女性をエスコートして歩いているので仕方なしにルイーズはアレンの事を今はユアンだ! ユアンだと思って接すればいいんだ! と言い聞かせてそっと腕を組んだ。
「あの……書店はどの辺りですか?」
「この大通りを3ブロック先で右に曲がってしばらくすると見えてきます」
「そうですか、3ブロック……」
「歩くのが速いですか? もしかして足を痛めていたり?」
「いえ、全くそんなことありません」
アレンと腕を組んで歩く事に緊張して心臓がドキドキしてしまっているのもあったけれど、それよりもルイーズはまわりの人々の視線が怖くてしょうがなかった。
きっとアレンの隣を歩く自分は男性より背が大きくて目立ってしまっているだろう。
アレンに恥をかかせてしまう、早く書店の中に入って人目から逃れたい。早く、早く! そんなことばかり考えていた。
ようやく書店へ着くとルイーズはほっとしてアレンが開けてくれた扉に一目散に飛び込むようにして店に入った。
「これが全て医学書……!?」
「ええ、この品揃えは素晴らしいですね」
間口の狭い店だったが店に入ると奥行きの広さに驚いた。
壁一面と店の真ん中に取り付けられた書架には分厚い本がびっしりと詰まっていて圧迫感で通路が狭く感じる。
本が好きなルイーズは店に溢れるインクの香りをすうっと肺に入れると落ち着いて店内を見渡した。
「アレン様はどのような本をお探しなのですか?」
「外科の本です。医療の発展は目まぐるしく毎月のように新しい書物が出ますから、追い付くのが大変なほどです」
そう言うとアレンは慣れた様子で目当ての本を探し始めた。
ルイーズはそんなアレンを横目でちらりと見ると反対側の通路にまわって本を指差し選び始め、気になる本を見つけるとおもむろに取り出してぱらぱらと本を読み始めた。
「───、───、ルイーズ」
「!? はいっ」
どれくらい時間がたったのだろうか? ルイーズは気になる本を次々手に取ると軽く中身を確認し、これだと思った本をつい見いってしまっていた。
アレンはルイーズに声をかけたが、気づいてもらえたのは3度めの呼びかけだった。
「すみません……! アレン様の本は見つかったのですか?」
「ええ、長く時間をとってしまいましたが……と言っても楽しんでもらえていたかな?」
「医学書は初めて読みましたが自分や家族の体の事だと思うとつい、簡単なものだけですが読んでいました。とても勉強になります。……っ」
つい嬉しくなって思ったままの感想を述べてからルイーズは勉強を楽しんでいたような事を口走ってしまったのを後悔した。
ユアンなら姉さんは相変わらずだね、と流してくれるがアレンが同じように反応してくれるわけではないのだ。
「そうですか、退屈させていたらどうしようと思いましたが……よかったです」
するとアレンははじめてルイーズの目の前でうっすらと笑みを浮かべた。
いつも無表情で何事にも関心の無さそうな顔をしているアレンが! ルイーズは驚いてじっとアレンの顔を見つめてしまった。
「目当ての本は購入したのでカフェにでも行きますか?」
「そ、そうですね。では……」
アレンは店のドアを開け外に出ると再びルイーズをエスコートして歩いた。
先程の笑みはどんな意味だったのだろうとルイーズはちらりとアレンを見たがまた表情はいつも通り無で何を考えているのか分からなかった。
少し歩くと大通りに面したオープンテラスが賑やかなカフェに着いた。
テラス席はちらほら空いていたが賑わいからして人気の店なんだなということは初めてのルイーズでもわかった。
可愛らしい大きなリボンの着いたドレスを着た女性たちがケーキをつつき楽しそうに会話している。
店の入り口までくるとウェイターはすぐ二人に気付いてさっと近づいてきた。
「いらっしゃいませ、お二人様ですね? 人気のテラス席へご案内致します」
「あのっ、私お店の中の席がいいです」
「……そうですか。では、店内の席を案内してください」
「かしこまりました」
店内に入ると目の前には大きなバーカウンターがありその右奥に仕切られたボックス席が6つあった。
外からの光は入るがこじんまりとした店内は少し薄暗くルイーズは小さく安堵のため息をついた。
お好きな席へどうぞと店内に通されると、ルイーズは通路側の目立たない席を選び座った。
しばらくすると白磁のティーポットと揃いのふたつのカップ、ルイーズにはテラスの女性が食べていた店一番人気のケーキが運ばれてきた。
ケーキを目の前にしたルイーズは嬉しさからぱっと瞳を輝かせて小さなフォークでひとすくいすると口に運んだ。
「おいしいっ」
「……よかった、やっと心からの笑顔が見られました」
「えっ?」
ルイーズは驚いて目を見開いた。
「心からの笑顔……?」
「だってルイーズはいつも私といるとどこか緊張していたでしょう? お会いして3ヶ月経っても変わらないのでそんなに私の顔が怖いのかと心配していました」
「そんな、アレン様のお顔が怖いなんて、思ったことありません……」
「それならよかった。昔から感情を顔に出すのが苦手でよく友人にも怒っているのかと誤解されてしまうんです」
アレンはこう言うと今日二度めの笑みを浮かべた。
ルイーズは今までアレンが何を考えているのか分からないと思っていた事の謎がとけてホッとしたのもつかの間、自分が緊張しながら接していたのを気付かれていてしかもその事で心配させてしまっていたのかと反省した。
「申し訳ありません。その、アレン様にそんな心配をさせてしまっていたなんて……」
「いいや、気にしないで。それよりもルイーズに提案があるんだけど……」
アレンが話し始めたとき、静かだった店内が急に賑やかになった。
騒がしい方向に目を向けると店内入り口のバーカウンターに若い男性3人が席に着いたところだった。
「何飲む?」
「俺ビール」
「じゃあとりあえずビール3つ!」
彼らは席につくなりアルコールを注文し3人でテンション高く笑っていた。
聞き耳をたてなくとも大きな声なので勝手に会話がルイーズ達にも聞こえてきた。騒がしくなったからか、アレンは話を中断して紅茶を口にした。
「あの、アレン様……提案とは?」
ルイーズは騒がしくなってしまった店内も気になったが、それよりもアレンが何を言おうとしていたのかが気になったのだ。もしかしたら……悪い話なのかもしれないと恐る恐る尋ねた。
するとその時、カウンターに座った男性たちが笑いあいながら大きな声で話し始めた。
「そういやさっき外で見かけたのはあれだろ、ノールド伯爵家のルイーズ」
「そうだ、ルイーズだ。この前うちの夜会にも来てたな」
思いがけず彼らの話題にルイーズの名前が出たことでルイーズはびくっと肩を震わせた。
よく見ると彼らのうちの一人は先日夜会でぶつかったスザン伯爵の三男、ヒューイ・モズリーだった。
アレンは何事かとカップを置くと体をカウンターへ向けた。
「彼女は昔っからああなのか? ほら、身長」
「そうそう、子供の頃から背がデカくて目立ってたぜ。うちの妹はルイーズ様なんて言って追いかけ回してるみたいだけど女の考えることはわかんねぇな」
「女なのに女に人気があるのか、女ってのはわかんねぇな」
「俺なんて先日夜会でぶつかったけど、あまりにデカイから一瞬男かと思ったよ」
「そういや、隣に男がいたけどあいつ最近うちの大学の医学部に編入してきた奴だぜ。すっげぇ頭がいいって聞いたぞ」
ビールを流し込みながら彼らは喋り続けた。中でもヒューイは進んでルイーズを背が大きい女だと話している。
「婚約者なのかね? 可哀想に、あんなデカ女と婚約なんてなぁ」
男性たちはまさかルイーズとアレンが自分達の会話を聞いているとも知らず好き勝手に言いたい放題だ。
否応にも耳に入ってくる会話にルイーズは恥ずかしさと悲しさで赤くなった顔を手で隠してうつむいた。
「アレン様、申し訳ありません……私のせいで色々と……言われてしまって……」
「なぜ謝るのですか?」
ルイーズが声を震わせながらやっとの思いで口を開くとアレンは珍しく苛立ったような声で喋り、席を立つと彼らのいるバーカウンターへ歩いていった。
一体何をする気なのかとルイーズは驚き席に座りなりながらも身を隠すように小さくなり指の隙間からアレンの後ろ姿を目で追った。
「やぁはじめまして。アレン・グレイドだ。君達の話が聞こえたから挨拶しておこうと思ってね。同じ大学なんだろう?」
アレンは真っ直ぐにカウンターへ行くとヒューイの真後ろに立ち止まり、よく通る声で話しかけた。
3人はまさか話題にしていた人物が現れるなんてと驚いたようで一瞬静まり返ったが、ヒューイが口を開きアレンに握手を求めた。
「やぁ、俺はヒューイ・モズリーだ。はじめましてだな。悪いな勝手に話題にしてて! それにしても災難だな婚約者があんなデカイ女で」
まさかルイーズまでもがこの店にいるとは思っていないのだろう。ヒューイはアレンと握手をしながら悪気なく喋り続けた。
「あんな女……?」
「やっぱり女らしく小さくて可愛らしくなきゃだめだよなー。背ばっかりデカくて取り柄のない女をもらったって悪目立ちして役に立ちそうにない」
握手を終えると、アレンはヒューイと握手した右の手をおもむろに胸ポケットから取り出した清潔なハンカチでぬぐいはじめた。
「君達に質問なんだけれど、ブラックウェル教授をご存じで?」
「そりゃあブラックウェル教授はこの地域じゃ有名人だ。教授ほど高名な数学者はいないだろ、地域の誇りさ」
3人はもちろんと言った様子で顔を見合わせた。アレンは彼らの反応を見て小さく頷くと話を続けた。
「彼の授業を受けていた?」
「あぁ、もちろんさ。まぁ今は別の教授の元で学んでるけどね」
「ブラックウェル教授の授業は非常に難しいですからね。私も難しくてついていくのは大変です。教授の元を去ったと言うことはヒューイは授業についていけなかったんですね?」
「そっ……それは……」
「それでも俺らは教授のお気にいりだったんだぜ?」
痛いところをつかれたのかヒューイは少したじろんだが仲間と一緒にいかに自分達の親が大学で多額の寄付をし、自分達が優遇されているかを話した。が、アレンはそんな事には気を止めなかったようだ。
「君達が先程笑い者にしていたルイーズは推測する通り、私の婚約者だが学生の頃ブラックウェル教授の授業を受けていたと教授本人から聞きました。女学校だからとひいきせず男性に行うものと同じ授業を行っていたけれど彼女はいつも満点をとり、男性に劣らず頭の良いすばらしい女性だと誉めていました。それは大学の理事長の耳にも入っているようでしたが……教授からも、理事長からも君達の名前を伺ったことはありませんでしたね」
この時ルイーズはアレンがブラックウェル教授の話を持ち出した事に驚いて顔を覆った手を外し口をおさえた。うっかり「何それ!?」と喋りそうになったのだ。
確かに教授には大変お世話になった。授業が難しい上に小言が多くて実はルイーズは教授が苦手だったのだ。
だからこそより小言を言われないようにと必死に勉強していたのだが……まさかそれが誉められていて、しかも人に話していたなんて!
「そっ……そうなのか。でもそれとさっきの話がどうだって言うんだよ?」
「君達が取り柄のない女性だと言うから、ルイーズがいかに君達より優れているか教えて差し上げたくてね」
ルイーズからはアレンの表情は見えないが、口調からは不快と苛立ちが充分に感じられた。
「それと、君達の話す可愛らしい女性の基準は何なんだ? 君達が求めているのは自分より背が低く、自分より賢くなく、強い自我を持たず従順に自分に従ってくれる女性の事かな? それならば犬と結婚でもすればいいさ」
「おい、何……」
「それとルイーズは可愛らしいというよりも美人だ。そもそも可愛らしいなんて基準は人それぞれでとても曖昧で不確かだ。しかし美しいとされる人間の黄金比はすでに証明されているのを知っているかい? それにルイーズを当てはめると驚くほどぴたりと当てはまる。高い身長も実に均等が取れている。証明されている黄金比とは髪の生え際から顎までの長さが身長の10分の1と等しく、頭頂から顎の先までの長さは身長の8分の1と等しい等の身体的黄金比と当てはまる事も去ることながら、顔のパーツの距離の割合も……」
アレンはヒューイ達が口を挟むことを許さず、まるで呪文のように早口で言葉を発し続けた。
途中からルイーズでさえ右耳から左耳へ言葉が通り抜けてしまうほどだった。
「ちょっと待て! そんないっぺんに言われたってわかんねぇよ。大体何なんだよ、俺達は楽しく喋ってただけだろ。首を突っ込んでくるな!」
ぽかんと呆気にとられながら聞いていたヒューイもいい加減我慢の限界だったらしく空になったグラスを叩きつけるようにカウンターへ置くと初老のバーテンダーにお代わりを求めた。
すると、グラスを拭きながら一部始終を見ていたバーテンダーはヒューイに1枚の紙を手渡した。
「はいよ、伝票だ。もう出ていってくれ! そっちの兄ちゃんが怒るのも無理はない。うちも家内は横にでっかいが料理はうまいし子供2人をしっかり育ててくれた。でも他人から容姿で何やかんや言われてたらそりゃあムカつくね! お前達はうちの家内の何を知ってるんだ!? ってね。兄ちゃん達も気を付けるんだな。きっと陰じゃあんた達の悪口を言ってる奴はたくさんいるよ」
「なっ……!?」
ヒューイは伝票を奪うようにして取ると決まり悪そうにカウンターの上にお金を置きそそくさと立ち去ろうとした。
「そうだ、ヒューイ君は煙草を吸ってるね? それに肉が好きでそればかり食べているのでは?」
「そっ、それがどうしたって言うんだよ!」
「肝臓が弱っているね。口臭が酷い! 生活を改めることをお勧めするよ」
「……っ!!?」
「それと今度我が家の寄付金で図書館が新しくなるんだ。ぜひ利用して勉学に励んでくれ」
ヒューイは大きく足を踏み鳴らすと「行くぞっ!」と友人を連れて店を出ていった。
全てを聞いていたルイーズは今目の前で起こったことは何だったのかと頭の中を整理するのに大忙しだった。
アレンが自分の事を美しいと言った……!?
いや、まさか聞き間違いではないか?
白昼夢だったのでは……?
「途中で席を外してすいません」
アレンは涼しい顔でルイーズの向いに戻ってくると冷めた紅茶を飲み干した。
「あの……今彼等に話した事は……えっと、その場しのぎですよね?」
「……なぜですか? 私は思ったことを口にしたまでです。彼等があまりに失礼だったからつい頭に血がのぼってしまいました」
「そ……そんな、私はてっきり」
「てっきり?」
ルイーズは自分の顔が再び熱くなるのを感じて恥ずかしさから手で顔を隠し喉から何とか声を絞り出した。
「婚約破棄を望まれているのかとばかり……だってアレン様は私の事を残念だとおっしゃっていました……」
「いつ?」
「初めてお会いした時です」
「…………? あぁ、父と会話していたのを聞いていたんですね? 私は確かに言いました。"自分に自信なさげにしているところがまぁ、少し残念でしたが"と」
「自分に……自信なさげ?」
「そうです。うつむいて背中を丸めていてはせっかくの美しさが損なわれてしまいます。それにルイーズは優れた頭脳を持っている。きっと先程のような輩に色々と言われたんでしょうが、あんな人の言うことは気にせず、もっと自分に自信をもってください。それと婚約破棄なんて頭に浮かんだこともありませんよ」
今度こそルイーズはアレンの一語一句を逃さずしっかり耳にいれ頭に叩き込んだ。まだ顔は熱く頬も耳も真っ赤だったが手を外してしっかりとアレンを見つめた。
「私が女性なのに背が高いことを何とも思っていませんか? 男性が苦手で緊張してしまい、うまく喋れないのも苛立ちませんか?」
「背が高いのは結構な事です。私の家系には背が高い人間がいません。ですから背の高い遺伝子は大歓迎です。それにこの3ヶ月で随分と喋れるようになっていますから、気長に待ちますよ。まぁルイーズが自信を持ち胸を張って外を歩けるようになれば緊張する事もなくなるのではないですか?」
「ぐっ……」
「そういえば、先程の提案の話を続けてもいいですか?」
「わ……悪い話でなければどうぞ」
「ルイーズは医学を勉強する気はありませんか?」
「はい?」
聞き間違えでも白昼夢でもなさそうだ。
ルイーズは言われた言葉を何度も頭のなかで暫く反芻してからやっと口を開いた。
「勉強……してもいいんでしょうか?」
「ルイーズにその気があるのならもちろん。先程の書店で見た限りでは随分と医学に興味を示していたようなので。私は将来的に開業医として仕事をしたいと考えていますから、ルイーズが手伝ってくれたらとても嬉しいです」
「で……でも女性が医学を学んでもいいのでしょうか? そんな前例聞いたことが……」
「前例が無ければ誰かが前例を作ればいいんです。そうでなければいつまでもこの世の中は何も変わりません」
アレンがここまで言うのであればできるのかもしれない、とルイーズは瞳に輝きを取り戻し身を乗り出した。
「は……はい! 勉強したいです」
「では帰る前にもう一度書店に寄りましょうか?」
アレンは嬉しそうに笑うと会計を済まし再びルイーズをエスコートして外に出た。
外は相変わらずいい天気で日差しが眩しかったが、ルイーズの瞳には先程よりも何故だか見るもの全てが輝いて見えた。
「ほら、背筋を伸ばして」
「は、はいっ」
ルイーズはアレンに言われるがまま背筋を伸ばすとまわりの視線を気にしてきょろきょろと見渡すのをやめてアレンの顔を見た。
「なんですか?」
「あの、変なことを聞きますがアレン様は私の事を気に入って下さっていますか?」
「ええ、そうですよ」
「……思いのほか直球……。ちなみに、いつ頃から?」
「お会いする前からですよ。ノールド伯爵からはよくお手紙を頂いてましたからね」
「お父様が!? ではなぜアレン様は私にお手紙を下さらなかったんですか? 私はてっきり婚約など忘れられているのとばかり」
「すいません、手紙を書くことが苦手で……。でもルイーズが欲しいのであれば書きましょう。一ヶ月待ってください、きちんとまとめますから」
「それってお手紙ではなく論文なのではないでしょうか?」
「どうやらルイーズへは気持ちをストレートに伝えないと伝わらないみたいですからね、頑張ります」
「め……免疫がないのでほどほどにお願いします」
ルイーズは頬を赤らめると嬉しそうに笑い、組んだ腕を更にぎゅっと強く握り二人で歩きだした。
短編ですが少し長くなってしまいました。お読みいただきありがとうございました!