表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青い涙の物語  作者: 蛍野霞穂
序章
3/3

忠告

 「……よっ、と」

 海乃の来訪(襲撃)から一週間後のこと。波は今日も今日とてブロックを跳んでいた。

 学校があるはずなのに、まだまだ大丈夫よーと言って居座り続けて六日目のこと。

 ようやく海乃が帰って行ったとき、波はそれはそれは大喜びしたものだ。

 べつに海乃のことが嫌いとかそういうことではなく、単純に、ブロック飛びを再開できることが嬉しかったのだ。

 なにせ、海乃は毎日波の送り迎えをしにやってきて、ブロックを跳ぶことなんてできそうにもない状況が六日続いたのだ。

 三度の飯の次にブロック跳びがすきな波にとって、まさしくそれは拷問と言えるものだった。

 「…あれはきつかった、うん。」

 一人つぶやいて頷く。これで相手が一般人とか言うのならばべつにまあ、我慢の仕方もある。

 が。

 不幸なことに、波の横にいたのは海乃だった。ぺちゃくちゃしゃべるし引っぱるし、突然寄っかかってくるかと思えば手を取られて振り回される。

 間違いなくこの一週間で自分はやつれた。波は心からそう信じている。

 長かった海乃の滞在生活が終わりを告げたのは、つい昨日のこと。

 『コラア、海乃―!!いつまで居座るつもりだ、とっとと帰るぞ!』

 そう怒りながらやってきたのは、海乃の兄であり、ということは波の従兄である大月港里だった。

 そのときのことを思い出すと、ちょっぴりほおが緩んでしまう。


    *     *     *

 「ねえねえ、波―!」

 嬉しそうに絡んでくる海乃の声に、波はうなだれた。

 「うん…なに?」

 「楽しいねぇ、こっちはやっぱり!来てよかった!」

 「そですか…」

 海乃はここ数日(つまり波の家に居座り始めてから)絶えずニコニコしている。

 波の実に気のない返事を聞いてもうんうん、そうなの~。と至極ご満悦だ。

 (そりゃあなにもしないで気が向いたときだけボクをからかってるんだもんね…)

 これで楽しくないはずがあろうか。いや、ない。

 おかげで波は、このところ一度もブロック跳びができていない。全く、はた迷惑もいいところだ。

 波はてっきり、海乃も一緒になってブロック跳びをすることになるのではないかと思っていたのだが、予想に反して海乃はそんな危ないことはしない!と宣言したのである。

 運動神経抜群の海乃がそんなことをいうとは思わなかった波はびっくりしたが、さらに海乃は波のブロック跳びまで禁止してしまった。

 それは困るが、どうせすぐに帰るだろうと高をくくっていたら、海乃はしっかり居座ってしまったという訳なのである。

 「ねえ、うみ姉ちゃん」

 「ん?なに?」

 「そろそろ本気で学校やばいんじゃないの?六日連続で、べつに何かあったわけでもないのに休むのはさ」

 「ああ、なんだあ」

 なにを言われるかと構えていた様子の海乃は波の指摘を聞いて笑った。

 「べつに、一週間くらい休んだところでなにもないよ。そのことは叔父さまと叔母さまにもちゃんと話してあるしね」  

 ひょっとして、心配してくれた?

 あっさりそう返されて、波はぷるぷると震えた。

 なにもないのか、そうか。……僕にとっては問題大ありなんですけど!

 波は通常、あまり感情を露呈させないタイプの子供だ。あくまでも通常で、海乃はじめごく一部の人間に対しては感情むき出しになるのだが、大体日常生活では曖昧に笑って過ごすことが多い。

 つまり相当ストレスがたまりやすい生活なので、どこかにそのたまったストレスをはき出さなければいけないのだ、が…。

 「いいじゃん、一回くらいーっ!!誰にも迷惑かけてないし、危なそうなところはやめるから!」

 「だめ!」

 「なんでだよー!!!」

 返ってきた歯切れのいい答えに叫び返す。

 ほぼ唯一と言ってもいいストレスの捌け口であるブロック跳びを禁止され続け、波のストレスは日に日に蓄積していく一方だった。

 「危ないから!」

 「あぶなくない!」

 「だめ!!」

 「ひどい!かわいい従弟の楽しみを奪うなんて―!」

 「ひどいで結構!楽しませて死なせたらどうするのよ!」

 「ちっ…、ってなにをそんなに大げさに」

 この程度で死ぬわけ何だろうという波に、海乃はぶるんぶるんと大きくくびをふった。

 「だめだめ、とにかく絶対認めません!…とか言ってもどうせ私の目を盗んでやるつもりだろうから、これから毎日お迎えに行くから!させないからね、そんな危ないこと!」

 一体どんなことを想像しているのか、どんどん青ざめていきながら首を振り続ける海乃をじっと見て、波はため息をついた。

 「わかったよ。もうしない。あぶないことして、ごめんなさい」

 「…そんなこと言っても、ちゃんと迎えに行くからね?」

 「しょうがないからいいよ」

 ほんとは絶対やだけど、と顔中で表現しながら答えたけれど、海乃はなぜか下を向いていたのでそんな波の表情を見てはいなかった。

 「……ほんと?」

 「…しょうがないから、だよ。」

 渋々という感情むき出しにそう言う。これで少しでも、うみ姉ちゃんが反省してくれれば…と願いつつ。ところが、海乃の反応は波の予想など軽く超えるものだった。

 ただでさえ大きな目をさらに見開いて、固まる。そして一瞬の後、海乃は。

 「よ、かった。ありがとう、ゴメンね…」

 とてもとても切なげに、いままで波が見てきたどの笑顔よりも綺麗な笑顔でそう言ったのだった。

 「べ、べつにこれくらい…」

 慌ててそう言った波を見て、海乃はぱちぱちと目を瞬いた。

 「な、波が!でれた!!」

 「デレたあ!?」

 あっさり復活して叫んだ海乃の変わり身の早さについて行けなかったのは、多分波のせいではない。

 「ツンデレってことよ、やだー、かわいい!もっかいやってー!」

 「全力で拒否!!」

 あっという間に先ほどの表情をかき消してキャッキャッと飛び跳ねる。

 子供か。波はそう心の中で突っ込んだ。

 「えー、残念。すっごく見たかったのに…」

 「なにが残念なんだよ…そもそもなんで、すっごく見たくなるの…?」

 だってね、だってさー、と海乃はいくつもの理由を並べ立ててなぜ波のツンデレを『すっごく見たい』のか説明していく。

 「あー、はいはい、うん。そっかー」

 その理由達を適当に聞き流しながら、波は別のことを考えていた。

 あの、先ほど一瞬見せた海乃の笑みは一体、なんだったのだろうかと。あれがもし見間違えでなければ、なんだか尋常ではなかった気がする。

 海乃らしからぬ、というかなんというか、たかが波より三つ四つ年上の少女が浮かべるにはあまりに重い笑みに見えた。

 波はもちろんその年齢ではないので、もしかすると波が知らないだけで海乃の同級生はみんなこんな感じなのかもしれないが。

 「……う~ん、気になる」

 「なにが?もうおうち着くよ?」

 思わず漏らした声を拾った海乃は、あの笑顔などまるで見間違いだったかのように、幼い子供のように笑った。

 「今日の晩ご飯、なにかなー?叔母さま、スゴく料理上手でいらっしゃるから毎日楽しみ!波はいいね、いっつもおばさまの手料理食べれて」

 「…いつもはぜんぜんあんなのじゃないけどね。お客さんが来るとお母さん張り切っちゃうから」

 「そうなの?でもいいじゃない、普段もちゃんと作ってくれるでしょう?」

 ウチなんて全然つくってくれないもん、と海乃はすねたようにつぶやいた。

 「あー、それは…だって、仕方ないんじゃないの?」

 「仕方あるもんー!」

 駄々っ子よろしく、足を振り回す。

 海乃の母親は波の母親の妹で、海乃にそっくりな美女なのだが、残念なことに家事全般が非常に不得意だった。

 つまりなにかを焼けば焦がし、運が悪ければ出火、洗濯をすれば衣類はぼろぼろ(なぜ?)、掃除をすれば家中大破壊に至る、ある意味希有な才能を持ち合わせていたのである。

 「まあでもさ、里兄ちゃんが色々やってくれるんだから、いいじゃん」

 「ウッ!!」

 何気なくそういった瞬間、海乃が音を立てて硬直した。

 「え…?どうしたの、うみ姉ちゃ…」

 「コラア!海乃おまえ、いつまでこっちに居座るつもりだ!!申し訳ないだろう!」

 波の声を遮って高々と響いた声に、海乃は身をすくめ、波はぱあっと顔を明るくした。

 「里兄ちゃん!」

 「うえっ、里兄!」

 「うえっとはなんだ、うえっとは!いい根性してるじゃないか、俺に黙って六日も波の家に泊まるとは!」

 ウウー、と海乃が野生の獣のような声を上げている横で、波は目をぱちぱちさせた。

 「里兄ちゃん、だ」

 ぽつんとつぶやくと、阿修羅のごとき形相だった少年が、波に向き直った。

 「おう、波。久しぶりだな、うちのうるさいのが迷惑かけた。ごめんな」

 ぺこりと頭を下げた少年こそ、里兄ちゃんこと大月港里、おおつきこうり。

 海乃の兄にして、この世で唯一海乃の上に君臨できる少年である。

 「よかった、里兄ちゃん来てくれて…」

 心底ほっとしてつぶやくと、港里はちょっと困ったように眉をひそめた。

 「むしろ迎えに来るのが遅れて悪かったよ。ったく、海乃がこの時期を狙っていくとは思わなかったものでな…」

 この時期、というのは一体何なのか。訳がわからずとりあえず頷いていると、港里はあ、おまえ知らなかったか、とめざとく気がついた。

 さすがというか、なんというか、やっぱり海乃の兄だなとつくづく感じる。

 が、そのしみじみさは港里のはなった発言によって、跡形もなく粉砕された。

 「今の時期は、よっぽどの理由がない限り休んだ生徒は全員退学処分になるんだよ。おかげで俺もなかなか抜け出てこられなくてな…」

 「うみ姉ちゃーん!?」

 「……あ、ばれた」

 てへっと気まずそうに頭をかいて、海乃がそうつぶやく。

 「な、ななな、なんてことしてるんだよ!!退学じゃんか、うみ姉ちゃん!」

 真っ青になって叫んだ波に、海乃はひらひらと手を振った。

 「あー、大丈夫。ちゃんと手は打ってきたし」

 「…里兄ちゃん」

 「それは本当だ。だから、とりあえず退学の心配はないんだが…」

 信用されてないなーとのんきにつぶやく海乃の横で、港里が頭を抱える。

 「波…」

 「…はい?」

 ゴクッと息をのんで身構えると、港里はやや黙った後にひたと目を据えて口を開いた。

 「俺は、この妹をどうしてやればいい!?」

 「知りませんそんなの!!」

 条件反射で叫び返すと、港里はそうだよなあ、と遠い目をして頷いた。

 「わかっちゃいるんだがどうにも一人じゃ抱え切れん…。波」

 「はいっ!?」

 今度はなに!?

 弾けるように顔を上げた波に、港里は叫ぶ。

 「欠席の理由に、いけしゃあしゃあと忌引きを使うような妹を野放しにしていて、この世界は大丈夫なのか!?教えてくれ!!」

 「ごめんなさい、それ絶対だいじょびません!!」

 「……知ってた。」

 うなだれる港里をどう慰めたものか。

 おろおろと狼狽える波の横でひとしきり落ち込み、港里はきっと海乃を睨んだ。

 「海乃、おまえ覚えてろよ…」

 「…………」

 海乃はなにも答えない。港里はもう一度繰り返した。

 「海乃、おまえ覚えてろよ。」

 「う…」

 別人のように黙り込んでしまった海乃を見て、波は内心おおー!と叫んでいた。

 港里のことを、波は心から尊敬しているのだが、その最たるゆえんがここにある。同じことを言っても、波なら笑って流されることが港里ならば本気で脅しになるのだ。

 この差は一体いかばかりか。

 「…ま、説教は後だな。これ以上迷惑かけるわけにはいかないし。……海乃」

 「はいぃー…」

 すっかり意気消沈している海乃にかまわず、港里は容赦なくきびすを返した。

 「帰るぞ」

 「はいぃー、って、え!やだ!」

 「馬鹿野郎!帰るぞ!どんだけ迷惑かけたと思ってるんだ、おばさんおじさんにも、波にも!」

 「だってだってー!かけてないもん!迷惑じゃなかったはずだもん…」

 ごめんなさい、迷惑でした。

 とはさすがに言えずに波がぼんやり二人のやりとりを見守っていると、突然海乃がひゅうっと音を立てて息を吸い込んだ。

 「だって、そばにいないと波が…っ」

 「はあ?」

 訝しげな港里をよそに海乃は顔をゆがめた。

 「波が、波が…」

 「…波がどうするんだよ?だまされないぞ、そんなんじゃ」

 若干語気を強めて港里が言うと、海乃は何かをためらうように口をつぐむ。

 何口を開いては閉じ、を繰り返して、海乃は唐突に叫んだ。

 「波が、私のこと嫌いになっちゃう!!」

 「「阿呆かっ!!」」

 間髪入れず重なった二人分の突っ込みは、実に的確かつ迅速だった。

 「おまえ、阿呆だ阿呆だと思ってはいたが、俺は今日を限りに認識を改める!おまえは阿呆すら超越した阿呆だ!この阿呆妹!」

 「そんなことしたら余計嫌われるだけでしょ!?うみ姉ちゃん、阿呆なの!?」

 「あほあほ連呼しないでぇ!」

 海乃の悲鳴で、さらなる罵倒を繰り広げようとしていた二人ははっと動きを止めた。

  「ひどいよ二人とも!なんのつもり!?表現の自由が侵害されてるっ!!憲法違反だあ!」

 「うわっ、でたいい子アピール!」

 「我が妹ながらなんとかわいげのない…」

 波と港里に容赦なく叩かれ、海乃はわーっとさけんだ、が、海乃に慣れきっている二人は全く動じない。

 「波、ホンッッットごめんな、この詫びはちかいうちにかならずする。だから今日は勘弁してくれ」

 そう言いつつ、港里は海乃の腕をがしっとつかむ。

 離して!と暴れる海乃を意にも介さない。

 「全然、大丈夫。また来てね」

 やっぱり里兄ちゃんはすごい。ほれぼれしながらそう返事をすると、港里は笑ってうなずいた。

 「ああ、そうさせてもらう。ありがと…」

 「波」

 皆まで言い切らないうちに、強い声が波を呼んだ。

 「…うみねえちゃん?どうしたの」

 「なんか、変なものがあったら近寄らないで。周りで変なことが起きたら、すぐに知らせて。危ないと思ったら、迷わず逃げて」

 「ほんとにどうしたの?だ、大丈夫?」

 静かなのにお腹に響く声で矢継ぎ早に畳みかけられて、波は目を白黒させた。

 「いいから、守って」

 「???」

 「もう一回いった方がいい?覚えた?」

 訳がわからない。海乃の表情は、鬼気迫るようで、何かにおびえているようにも見えた。

 「よくわかんないけど、それって交通安全守れってこと?」

 わからないなりに推測して答えると、海乃は目を瞬いた。

 「…あ、まあそんなとこ。ごめん、ちょっとあつくなりすぎちゃった。びっくりさせたね」

 「波、あんまり気にすんなよ。こいつ最近ずっとこうだから」

 ふっとなにかが消えたかのように雰囲気を変えた海乃に、あきれた調子の港里が言葉をかぶせた。

 「何かにつけて異常なほど心配するんだ。大方こっそり暴走運転でもして、事故ったんだろ。トラウマみたいだもんな」

 「う…」

 なにも反論せず押し黙った海乃は、そのまますっときびすを返した。

 「うみ姉ちゃん?」

 「…かえる。お世話かけました、ありがとう。またきますって、叔父さまとおばさまに伝えて」

 うつむき加減で振り向かないままそう言った海乃は、次の瞬間ばっと顔を上げて振り返った。

 「なーんてね!びっくりしたでしょ!!」

 へへっとわらって海乃は勢いよく手を突き出した。

 「またね、波」

 握手か、と納得してやれやれと波もてを握り返す。できれば次会うのは当分先がいいな…とこっそり思っていると、海乃がにやりと笑った。

 「すぐ、またきますからねー!楽しみにまってて」

 「えええええ…」

  ぐったり疲れた波にからからとわらって、海乃は今度こそ振り向かずに去って行った。

 ごめんな、と去り際にもう一度港里に言われて、波はちょっと笑った。

 いつもじゃ困るけど、偶には、本当にたまに、だが。

 こういう生活も悪くはなかったな、なんて思いながら。



 そして、海乃の懸念は現実となって波を襲う。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ