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藤川菜乃花は喋れない 。  作者: 白咲 名誉
第一章 君の声が届く距離
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第五話 【Hello world】

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第5話



 昨晩は弱くなっていた雨天は早朝から豪雨となっていた。音を立てて大地を叩き、夏が終わるのをこの目で実感する。



余計なお世話でしかない。



 リビングに降りて朝ご飯ように卵焼きを作る。テレビではお天気キャスターがスタジオのモニターを指を指す。


 日本列島の図の上で渦を巻いて流れる雲の仕組みをカメラに向かって説明してくれていた。何も考えずに眺めて白米をかき込む。今日は一日中天気が優れないらしい。



 農家だったら恵みの雨かもしれないが俺には傍迷惑はためいわくだった。



 学校も天気に合わせて臨時休校の連絡をしてこないあたり今日は家で引きこもれないらしい。少し期待していたんだけど。



 髪をとかして制服へ着替える。昨日と違ってどんなに待っても弱くなる見通しはないのでゆっくりと支度を終わらせる。



玄関の傘立てから大きめな傘を抜き取ってドアを開ける。外では綾瀬の母さんの車が停まっていた。



「え、いいんですか?」



急いで駆け寄る。



「ん、母さんがついでだってさ。ちょうど電話で呼び出そうとしたところだったし」



空を見上げてみると、ゴロゴロと雷の音が聞こえた。



「学校に落ちてくれねぇかなぁ」



「なにいってんのよバカ。ほら早く乗って。バッテリー上がっちゃう」



親切にもここまで来てくれた御厚意に甘えさせてもらう。




後部座席に乗り込んだら助手席から振り返る綾瀬「おはよう唯一」



「おはよ。今日もよろしくお願いします」



車は出発した。二人に頭を下げる。



 座って景色を通り過ぎるの眺める。ルーフに雨粒が当たって飛び散る音がしていつ貫通しないか恐ろしくなる。



 ピンクの傘を両手で握り、とぼとぼと猫背で歩く白色のジャンバーを着た藤川さんを見かける。その姿を俺は目で追いながら車は横切った。



学校に到着する。そして、また、綾瀬の母さんに礼を言った。玄関の出入口、傘立てに傘を入れる。



そして廊下で別れた。



 ほどなくして藤川さんはジャンバーと長い髪の毛がずぶ濡れになった姿で教室にやって来た。風は奇妙な笑い声をあげてガラス窓を殴りつける。



それでも高校は平常運転。今日も寝ていたら担任の大来先生からお灸を添えられた。



「おまえ、その調子で寝ていると進路危ないぞ」別に怖くなんかないよ。



 5,6時限目は急遽、体育へ変更された。昼食を摂るとてんで頭も身体も鈍くなるので動きたくなかった。



 体育館の床のワックスは塗られ直したばかりだった。つま先からキュッと音を奏でる。癖になりそう。雨の激しさが朝よりもやはり目に見えて強くなる。




 屋根に強く弾ける雨音。アーチ状に設計されている体育館の屋根の厚みが薄いせいかより間近で雨音が聞こえるので迫力は満点だ。天上は鉄製の緑色の柱で頑強に支えられて、その柱にはバレーボールやバスケットボールが挟まっている。



 今日は帰りの会はなしで六時限目の授業が終わればその場で帰ってよいらしい。昼休みに先生達が慌ただしく動いており、親御さん達の迎えの要請で手一杯になっているのだろう。




 体育は2(ふた)クラス合同で行われる。時間は関係なく身体を動かすのが苦手な俺にとって最悪な時間でしかない。授業を始める号令をし、準備体操を行う。



 自由に二人一組のペアにならないといけない決まりなので俺と綾瀬で組む。2クラスも人がいるのに誰も俺らに関わろうとしない。クラスで爪弾きに遭っているのがデフォルトになっているせいでペアを作る合図で皆に避けられる。




 「なあ唯一、どうした?さっさとやろうぜ」周りの動きに合わせないと険しい目で見られるのを警戒する綾瀬。



「あぁ今やるよ」



 高校指定の黒地に濃い黄色と薄い黄色の二本のラインが体の曲線に沿って引かれたダサいジャージを見にまとい身体をほぐす。




 ラジオ体操が終わると、足をY字に広げて柔軟をする。くの字にした両肘を挟んでどちらか片方が腰を屈かがませて相方の胸筋を伸ばすストレッチもした。


 


 藤川さんは補助の女性教員と合同で伸ばしている。他の人は苦悶な表情を浮かべているのにどちらも真顔だった。



 それが終わると、クラス同士で集まって二列で並んだ。先生が今日やるスポーツの説明をする。体育座りでほとんどの生徒はまじめに聞いている。一部の生徒は運動ができないからだったり気分が乗らないからと言う理由でだらけている。不真面目にも説明よりもお喋りをしている人もいた。その大半が女子だった。



 それに加え男子はこんな鬱屈とした雨の日を吹っ飛ばそうとしているのか、ものすごくやる気に満ちていた。



今回はバレーボール。



「あ、ごめん、高杉お前抜けて」素っ気なくも当然の扱い方でクラスの男子に戦力外通告を下される。



「分かった」


声に感情のこもらない相槌をして無視される。



 壁に背をつけて全体を眺める。皆がフォーメンションや作戦会議、相手の出方などを運動部で一番活躍している人たちが相談し合っていた。



昔は、いいなーとか思ってたけれどももう慣れたのか、見ているだけで何も考えなくなっていた。



「さすがにひどいよな」綾瀬が隣に立って、そう言う。



「確かにな」苦笑いして俺は返した。



  ファイッッオーーーーーッッ!!男子達は円陣を組んで気合いを高めた。対戦し合う二チームが図太い声を重なり合わる。一列に並んでホイッスルが出す甲高い音でゲームが始まった。



 体育館を4等分に区切ってネットを張られている。男子と女子、各2チーム、計4チームずつが球を飛ばしては連携でサポートし打っていた。



女子チームも大体同じような流れだ。



男子が試合で輝いている汗を流せば流すほど試合に出なかった女子はそれに応えて応援している。そして、俺も「がんばれー」と気の無い言い方をする。掛け合わせたように「がんばれー」と綾瀬も繋げて言う。



 俺達二人は応援に徹する。というかさせられていた。どういうことなのか生徒間で試合に参加しない人は、応援をしないといけないルールがあるらしい。元々乗り気でもないし乗せてももらえないしで二人は棒読みで健闘を祈る。



「あいつ、本当にすごいよなー」俺が言った。その間に頑張れーと気の抜けた応援を入れた。



俺達が観戦しているコートにはとてもよく動けている男がいた。



「ああー、和山かー」綾瀬がコートを見ながら言った。綾瀬も間髪入れずに頑張れーなんて鼓舞する。



 和山かずやま たくみ、俺と同じクラスに在籍しクラスのリーダー的な存在と認められている。綺麗にもみ上げを刈り上げたツーブロックに無邪気な笑顔は女子人気が高かった。顔が良くて、勉強もできてしかもバスケ部で副リーダーもこなしていた。



 そいつ率いる運動できる一軍はクラス対抗のバレーボールでB組の運動できる一軍と良い勝負を繰り広げている真っ只中だ。



俺達が見ていないコートではお互いの運動出来る二軍が多くの点数を取れるように競っている。



 和山はバスケ部副リーダーとクラスの顔役として培ったであろうリーダーシップでみんなを引っ張ていた。元からこのチームは自分のクラスで仲の良い人たちで構成されている。



 皆、和山に絶大な信頼を抱いていたのがメンバーを構成するに辺り軸となる。和山の友達も運動出来る一軍であり、日々連む友達。



 こいつらだけで始めるバレーはさぞかし楽しいのだろう。だって俺らを外してのうのうと仲のいい人たち“だけ”でやっているんだから。



嫉みつつ傍観している時だった。ボシュッンと雷鳴が館内で轟いた。原因は和山。



 綺麗な放物線を描いてトスを渡して和山はリズムよく跳躍する。綺麗で確実な連携で産み出されたバッチリな決め所。空中を跳躍する和山は弓を引くように肩甲骨を仰け反ると、球を確実に打てる範囲まで待って掌から力強いスマッシュを打った。まるで発砲音。手のひらの雷管のようだった。



 そして大きな歓声が壮大に空気を振動させる。無回転で移動する球はこの場所にあったものが、〝あそこの場所に当たるまでの”過程をすっ飛ばして床に落ちるような出鱈目な速さだった。



動体視力が皆無な俺からすれば、もう音を置き去りにしている。



「見たか唯一・・・」



「いや見えなかった」



時が止まるように周りが息を呑んで、バレーボールの観戦をする。観客席の熱量はオリンピック並みだ



彼らの煌めく汗とフワリと浮く髪の毛。激しい雨とそれに負けず劣らずの女子の沸騰する声量の応援。元々暗い照明の体育館。揺れる床と空気。



 体育の先生が、ホイッスルを鳴らすと得点番を務める人が慌てて、和山のチームに一点加える。藤川さんもどうやらバレーには参加させてもらえなかったようで壁に寄りかかって男子側を眺めている。


その瞳からは熱が帯びているのが妙に気になる。



 女子チームも早々と試合が終わっていたようで男子コートを観戦していた。どうせあっちは接待プレイでもして終わらせたんだろうね。



黄色い歓声の中で一際騒がしくしている一林とその一派だけはいなかった。



まあトイレだろ。



そして授業は終わった。女子バレー部が片付けてくれた。これも練習の一環らしい。



唯一と綾瀬もステージ上に積み重ねてあるカバンを回収し帰路へと向かう。



 帰りは綾瀬の母さんが仕事の都合上、迎えに来れないらしい。歩いて帰ることにした。なんでなのか藤川の上靴をまた見てみた。最近の日課にならないといいが。



 上靴はまだあって、居残りか何かをしているのだろうと、簡単に思った。でも今日だってこの時間中に完全下校をしないといけない。 



 変だなーなんて思いつつ上履きをしまっている最中に綾瀬から「おい、これ見てみろよ。ひどいことをするやつもいるんだな」と指を指して言われた。



  そこには見たことのあるピンク色の傘が()()()()()()()()おり、ゴミ箱から顔を出していた。



 おれは絶句してしまった。朝、風は強く吹いているが壊れてしまう威力ではなかったはずだ。人為的に壊されたのは明らかに判る。綾瀬もそれを計算に入れて俺を呼んだんだ。



瞳孔が小さくなるのが自分で分かった。直立したまま朝の記憶が自動再生される。



 豪雨の中、一人で歩く藤川さんが頭の中のスクリーンに映し出される。次のカットでは正面玄関で見かける藤川さんの下駄箱。



「なあ唯一!風ひどいし帰ろうよ」



 先に外へ出ていた綾瀬が急かしきた。玄関口の窓ガラスから、風が吹き荒れている。でも俺はまだ突っ立ていて、どうしたらいいかを考えていた。そして何かを確かめようと思って、とっさに言った。



「いやーごめん。ちょっと先に帰っていてくれない?」



「はっなんで?」



「じつはさお腹痛くなったんだよね。だからさごめん、ホントに今日は先に頼むわ」



パンと両手を合わせて綾瀬に嘘をついた。



「・・・・・・あぁ分かったよ。お前も馬鹿だな~。こんな日にお腹がいたくなるなんてよ。できるだけ早いうちに走って帰れよ、危ねーから!」



 数秒の間が生まれて、俺の眼を見て何かを察してくれた綾瀬。軽く頷いてから、深くは聞かないでくれた。



おれのその嘘にあえて付き添ってもらう。



「本当にごめん・・・」



「いいさ、じゃあ」



 傘をバサッと広げた綾瀬は土砂降りの中を歩く。見送ってから、唾を飲み込んで走り出した。




――――さて玄関でなにを思い至ったのか?藤川さんが虐めにあっているかもしれないという仮説。



そして今も学校に居残って何かをしているか、されている事。



 でもそれは俺の勝手な思い込みで、いつも帰りが遅いのは単なる偶然で、あるかもしれない。昨日のrainでだって掃除やらなんやらをしているなんてメッセージが来ていたし。



 というのを踏まえて頭の中で考えながら廊下を走った。中央階段を二段飛ばしして駆け昇る。2Aのドア前に着いた頃にはゼエゼエと息を切らしていた。



 何があってもいいようにと変な心構えをする。壁に背中をも垂れながら、少しずつ少しずつ、息を整える。身体に流れる血流の速度が上昇すれば思考する速度も底上げされる。



 もしもこれが妄想の範疇で留まっていれば、今日は1人で帰るだけ。藤川さんの手紙が救援要請だったら・・・。何故、差し出されたのが他の生徒じゃなく、俺だったのか。



 俺と彼女のクラスでの扱われ方が一緒だったからだ。このクラスを実質牛耳っているのは一林1人だ。噛み付けば即無視から始まる村八分状態。



 そこからはエスカレートしていって、いじめという単語が可愛らしく思える犯罪行為が行われる。



 飛び火を恐れるから他人なら彼女にしてやれない。



 でも一林にとって警戒しないといけないリスク・・・それは告発をされることだ。



 いじめの渦中にいる人になら多少の恐れが有るだろうが俺ならどうだ。いじめを終わらせる事を期待されていなくとも、誰かと共有するのは可能だ。




 知ることがメインなら、藤川さんの目的は果たせた。



 「まぁ良いように使われているだけなんだがな」口から溢れた結論。



しかし俺が一林と接触するのはありえないんだ。




 一林がイジメの主導者だとしても確たる証拠がないので漏洩もしない。



 これから起きているであろう現場に向かっても、最も俺に何かしらの被害を被ることはない。



 心を落ち着かせていた。廊下の窓ガラス越しに空を見た。景色は朝と一緒。黒い雲から透明で激しく降る雨。



 とても良い景色とも言えないし青春ドラマのような夕焼けですらない。



外が暗いせいで廊下の蛍光灯が目立つ。



  引き戸に備わっているガラス板から顔を出して覗く。そこには藤川さんが居る。予想は大当たり。




 でも彼女はどんな表情をしているのかは長い前髪のせいで分からない。



 俯きながら肩を震わせている。それでも自分の机を雑巾でゴシゴシと拭く姿に俺はいてもたってもいられなくなって、引き戸を開けた。藤川さんはビクッて跳ねて俺の方に顔を向ける。



 目を赤く腫らして大粒の涙を流している。それから次に目をやったのは机。大きなマジックペンで書かれた字は、



 ブスやら消えろ、死ね、醜い、貞子、ボッチ、売女、底辺、人のを取りやがって、等と机にびっしりだった。




それは酷く悲惨で目を逸らしたくなる落書きだ。



 ――――そうか、やられた。藤川さんを虐めている奴らは今日を狙ってこんなことをしていたのか。そりゃそうだ。帰りの会を教室でせずに体育館でするんだもんな。すべてが理解ができた。すべて、すべてをだ。



やっぱり一林が犯人か。



  藤川さんは鼻をグスンと啜ってからまた机を拭きだした。「どうせ君もみんなと一緒なんでしょ」と強い眼差しで俺を睨む。



 ゴシゴシ、ゴシゴシ、と力一杯に拭いていた。落ちる気配が無いのに落書きを消そうと努力していた。何文字かは消えた跡が残っていた。だがいくら拭いても雑巾にしわが寄るだけで、終わりは程遠い。



 水気がなくなれば隣の机に置かれたバケツに水を吸わせて拭く。これを何回も繰り返す。俺はその行為を見ているだけで何もできないでいた。



『どうせ君もみんなと一緒なんでしょ』俺にそういう目で見られたことがまだ心に重たく響いている。





・・・・・・一緒じゃねえよ・・・・・・。




 教室の隅にある掃除用具入れからスポンジを取り出す。バケツの水にそれを突っ込み、そして藤川さんの向かいに立つ。



「俺は違う」




 足がすくむ。それを消し去るための独り言。



 マジックペンで書かれている罵詈雑言。走り書きだったが力を込めて書いたのだろう。表面を消そうとしても跡は残ってしまう。何とかして消そうと力を入れて擦ってもびくともしなかった。ただのペンではない。



これを用いった人の発想は悪意に満ち溢れている。



藤川さんは持っている雑巾を机に置いた。



「・・・・・・なんで・・・?」



そう、小さな声で、質問をしてきた。



「なにが?」



 おれは作業の手を止めて顔を上げた。質問の意味が分からなくて聞き返す。彼女は激しい雨の音に負けそうなくらいの声量で言葉を発した。




 「・・・な、なんで、・・・てつ、手伝って、くれっるの・・・・・・・?」




 俺の方を見ながら、本当にわからなさそうな眼でそう呟く。そして次の言葉を出すために適切な言葉を頭の中で探していて、口を動かすが、声に出なかった。




でも俺はそれを待たずに応えた。



「二人で消した方が速いからだよ」



俺は手を動かした。



  「・・・・・・わ、私は!・・・いじめられているんだよ。なのにっ、て、手伝っているのを知られたら・・・ゆ、唯一君も私と同じようになるかも、しれないんだよ。なのに・・・なんで?」



 声が震えている。瞳はガラス瓶みたいに透き通っていて、既に水嵩みずかさが山になっていた。




 まるで絵本を読み聞かせるように慎重にゆっくりとおれは言葉を選ぶ。優しい声でいられる意識をする。



「なんでっていうとね、俺は藤川さんを虐めている奴らとは違うからだよ。それに、泣いてる人を見てみぬ振りするほど俺は駄目な人間じゃない。


 藤川さんを助けられるんなら俺もいじめられたって良いよ。逆に標的が変わればこんな事されずに済むしさ。どうせ俺だってクラスの人たちから爪弾きに遭っているんだ。気にすんなよ」



 目を合わせて、外の不協和音に消されないようハッキリと言う。この言葉に他意は無い。俺が思っているありのままの言葉だった。




 あと固い笑顔だったけど笑ってみせた。藤川は俯いた。


 そして付け加えるように俺は「――――藤川さんは弱い人間じゃないよ」と言うと藤川さんが頭を上げた。



「よく耐えていたと思う。でも限界が来たんだよね。だからさ、もしよければ、俺も藤川が変われる手伝いをさせてほしい」



 やっぱり俺には他人を弱いとも強いともはっきりと言いきれる程の根拠なんて無い。



 ただ藤川もその枠に入れたくはなかった。でも変わりたいと思って何か動きだせる人は、何にもしない人よりかは強い人だと思う。



 言い終わってから何秒だったのかは分からなかったが、が生まれる。目に溜めた唾は表面張力を破って雪崩れ落ちた。



「・・・・・・ぐすっ、ぐすっぐっ・・・」



  藤川は顔を赤らめ、先ほどとは違う感情から込み上げてくる涙を流す。



 彼女は眼を閉ざして涙をせき留めるが大きな粒は机を濡らす。声を上げず、歯をガチガチと揺らして咽ぶ。



歯と歯から息が漏れる。



雑巾を両手で引きちぎれそうな力で握っていた。



 俺はどうしたらいいのかわからないまま慌ててポケットティッシュを藤川に差し出す。




 それを警戒した犬のように怯えた手つきで受け取ってくれた。この時に二人の仲が初めて、縮まったような気がした。



 今、二人しかこの教室にはいない。外は雨で、帰るにも帰れない事情がある。それはどこか世界から拒絶されてしまったようで、自分たち二人も世界を拒絶しているようだった。




 ただこの空間内でしか時間が動いていないようでもあった。




 2人の間には机が置いてあるだけで遮るものは何も無い。大体15センチ位の距離で向き合っていて互いの呼吸をする音だけが聞こえていた。



 俺は、息が臭いと思われたらショックなので極力控えめに息を吐いていた。変に緊張をしているせいで頭が冷静になっている。余計な所ばかりを意識していた。



 「は、・・・り・・・がぁ・・・・・・・」



俺の眼を見てなにかを言った。でも唇の動きだけが先行していて言葉にはなっていなかった。



「え?なんて?」



と間の抜けな事を言ってしまった。藤川さんはフッて笑いながら目を細めて机を拭きだした。



 「え?ごめんもう一回言って」



  「・・・・・・」



たぶんもう言ってくれないから気になるけど諦めることにした。俺もスポンジに水を吸わせて擦る。



このクラスで初めて藤川さんの声を聞けたんだろうな。


でも、唇の動きからして「ありがとう」だったと思う。




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