エピローグ2【アニー】
堂々完結します。ご愛読ありがとうございました。
藤川菜乃花について。
悪意のあるいじめと興味本位か娯楽として楽しむいじめ、どちらが大悪かと天秤に振るったがどちらとも根本も結論も一緒としか思い当たらなかった。
どうでも良いのに考えてしまう。悪意によって精神を食いつぶされそうになる毎日をやめてしまいたくなる。
雲行きが優れない今日、私は町を引っ越す。いつもなら学校に行っていて、昨日とさっきやった授業の復習と軽い予習に一日を費やしたかったんだけどな。
私はクラス中から害を加えられても、机上に振る舞う事が出来ない。そんな強さはないって自覚しているからだ。ノートに落書きされるだけで涙が出てくる私。そんな私を俯瞰して不甲斐なさから涙がさらに込み上げてしまう。
住み慣れたこの家は私にとって数少ないシェルターのような場所。町で過ごした毎日は辛いことばかりで学校に行きたくない日が沢山あった。
最初はただの憂さ晴らしにピアノを弾いていた。身体の弱い母は妹が生まれて数日後に風邪から肺炎に繋がり、家には帰れなくなった。
そんな母との思い出はピアノを教わることだった。
父さんは普段から物静かな方だった。母は明るい人で家の中は絶え間なく母の笑い声で溢れていた。母が亡くなって私は喋れなくなった。
母と過ごした時間を思い返して私は母がいなくて寂しい想いはしたけどなんとか折れずにいた。母の代わりに歳が離れた妹の成長を見守るのが私は生き甲斐だった。今日あった学校での事件や喧嘩の話、昨日見た番組で盛り上がった話。妹がにこやかに思い出しながら話す姿が私にとって生きる根底に当たる。
妹は私とは正反対で、どんな所でも気軽に喋ることができた。そんな妹の普通は私にとっての特別だったりする。もしも、なんて頭の中で言って、妹の毎日を私に重ねて空想を描いて楽しんでいた。
些細な幸せを積み上げて日々変わりない毎日を束ねる。気が付いたら一年が終わっていたりする。
外に出ると底のない沼にはまって抜け出せない恐怖に襲われて私は喋れなくなる。果予代町でヒドイ暴力を合わされた時にこの恐怖は、母が唐突に母だった物体に変貌してしまうのかもしれないという恐ろしさだった。
町に引っ越してからもする人間は変わってもいじめは続いた。前の学校に比べて無視や近寄りたくないといった、小さないじめだった。それでも中学の時に人生で初めて出来た友達の癸優希さんに助けられた。だけど彼女が退学するまで私より酷いいじめられ方でいじめを受けていたのを後に分かった。
何度も学校を休もうと思った。勉強は家でも出来たからだ。でも私が休めば父さんはまた心配することになるのが枷となり、休めなかった。それに、私が休めば違う誰かが苛めに逢うんだろう。なら私が学校で耐えれば、もう誰も苦しい想いをしなくて済む。だから私は学校に通い続けた。
それに恥ずかしい話、私には好きな人がいる。憧れ、と言っても良い。小学校の時に一度いじめを止めてくれた和山君を傍で眺めるだけで幸せでもあった。
癸優希さんが苛めの対象になり、その保険が私だった。次の対象は、クラスでいつも眠ている高杉君だった。彼はいつも何を考えているのか分からない。虚空を顔で表現をしているような男の子だ。
彼と関わりを持てたのは、学校で居残りでの時だった。その時に高杉君から話しかけてくれた。その時も緊張で口が縫われてしまった錯覚が私を襲い、会話をすることができなかった。
将来の夢なんてあるけれど現状無理で、私はそんな事実にむしゃくしゃし、夜にストレスのはけ口としてピアノを弾いた。私の家には近所の人が集まった。人の気配がしたのは演奏が終わった瞬間だった。遅い時間に音を鳴らしたのを非難されてもしょうがないのに周りの人は、拍手で私を讃えてくれた。誰かに認められること事態初めてで照れくさくて頭も下げずカーテンを閉めた。
私の音を聴いてくれた中の一人に高杉唯一君がいた。彼の双眸は私を一点に見つめたまま固まっていた。学校では見たことのない無垢な光が宿っていて、彼は私を虐めるような周りの人間とは違うんだと直感が告げていた。小学生の時に私を守ってくれた和山君と同じナニカを感じた。
そして私は、自分の趣味に賞賛を送ってくれたことでテンションがハイになったからなのか、彼に賭けてみようと手紙を一筆した。
たまたま父さんは仕事で家を空けていて怒られることはなくて済んだと翌日に胸をなでおろした。
唯一は私には出来ない世界へ連れ出してくれた。私を否定した胸の内側を肯定してくれた。それが嬉しかった。
一昨日、唐突にお父さんから引っ越すと宣言された。一度経験しているから一回目より困惑はしなかった。でも私のせいでお父さんに辛い選択を強いてしまったのがいたたまれなくて心が辛かった。
心には筋肉がない。どんな時にも一定かそれ以上になって大きな痛みが生じる。
お父さんは業務解説するように淡々と引っ越す旨を話し始めた。私と目を合わせてゆっくりと説明をする際に顔が強張っていて私に対して無理をしているのがはっきりと読み取れてしまった。
昨日の内にある程度荷造りは終わらせた。一軒家には冷蔵庫とピアノしか置かれていない。絨毯や家具家電を取っ払ってみると、人の温かみのない整然とした居間に逆戻りしたようだった。新築の頃から比べて壁や床が黒ずんでおり見えない部分に時間の経過を感じさせられる。
朝早くに運送会社からトラックがやってきた。家族総出で搬入の手伝いをするがボロボロの繋ぎを来たお兄さんに停められてしまった。
手持ち無沙汰になった私と居間にはピアノしかない家。自然と指が鍵盤に伸びた。
お母さんから教わったドビュッシーの月光は音色が好きで、昔から弾いていた。今では楽譜を読まなくても一つの音楽として成り立つくらい身体に染み込んでいた。
名残惜しい部屋に懐かしい音楽が響いた。妹が私の隣に座って目つぶり腕にもたれかかる。静かな音色で全体が構成されており、合間合間に力強い音が栞のように挟まる。飽きずに聞き続けれる。
父が耳元に顔を寄せてくる。「高杉君が菜乃花に会いにきてくれたよ」と演奏の邪魔にならないよう気配りを利かし小さな声で囁いた。
私はすぐその手を止めて後ろを振り返った。唯一が顎に包帯をぐるぐるに巻いて外に立っていた。
痛々しい姿に私は戸惑った。どんな顔をして会いに行けばいいのか分からなかった。
学校祭から四日経った日の朝に和山君が退学処分になったと知らされた。放課後、綾瀬君からあの日起きた事件の全容を教えられた。唯一と和山君が喧嘩したのは学校中で噂にはなっていたから自然と耳に入っていた。
綾瀬君の口から告げられた真相は、私を軸にして皆が動いていたという事。朝から喪失感でいっぱいだった私にとって、さらに自責の念が重なった。私の知らない所で私を想って唯一は苦しみながら奔走してくれた。なによりも私がきっかけで唯一を怪我させてしまったのがいたたまれない。喋ることのできない私が何を伝えたらいいのだろうか?でもせっかく来てくれたのに追い返すのも違う。家から出るしか選択肢はなかった。
家から出て間近で唯一を見ると、緊張して胸が締まる。冬の風が吹いていてカーディガンだけじゃ耐えられそうにない。
ひさしぶりと書かれたメモを私に見せてくれた。私は頷くことしかできなかった。唯一は私をじっと見つめる。唯一の目にはいつも私をどこか手を引っ張てくれる時にしたあの眼差しを向けていた。
私の中で心の壁が壊れた音が鳴った気がした。目の前に私と同じ状況に置かれた人と言葉を介さない意思疎通をした。私の喋れないというコンプレックスが軽くなり世界がすこしだけ広がった。
まあそれでもどう接したらいいのか分からなくて私は俯いているしか出来ない。唯一が私に手紙を渡してそのまま帰った。
唯一から手渡された手紙を車の中で私は読んだ。
寒冷の風で下がった体温を車内のヒーターが稼働音と共にゆっくり戻してくれる。
‟菜乃花へ。俺は菜乃花に謝らないといけない。和山を退学に追い込んでしまい、ごめん。学校祭当日に和山は菜乃花を虐める張本人だったことを俺は知りました。ついカッとなり暴力騒動にまで発展し、和山は数々の隠ぺいしていた事実が明るみになりました。結果的に言えばこれから学校にいじめは無くなります。でも同時に菜乃花の幸せを壊してしまったのかもしれません。ごめんなさい。転校した学校ではいじめなんかないことを祈ります。どうか幸せに生きてください。
菜乃花は何の関係のない人達に苦しめられた。だからその分、その倍幸せになってください。
俺は、君と関わりを持ったことで一つ夢が出来ました。それはこの町で教師になることです。町が俺は嫌いです。平然と自分には関係のないことには無視を決めるような人であふれているからです。頑張ろうとする人を潰します。教師になって苦しむ人を助けたいからです。いじめて良い理由なんてないのを照明したい。こんな風に思えたのは入院してからだったんですけどね。喋れない事の辛さを理解して、菜乃花は日常生活でこんなに憤りを感じているんだなと思いました。そんな生徒を助けたくて教師になりたいなと誓いました。
菜乃花と過ごした毎日はとても刺激的で楽しかったです。菜乃花とつながったおかげで俺も強く鳴れたんだと思います。ありがとう。
——————————唯一より。”
手から汗が出てきて手紙が滲む。私は何回も読み直した。私こそありがとう。
ほんの僅かな苛立ちと焦りを含んだ毎日を君は、私にぶつけてくれたから私の毎日は輝いたんだ。
大人になると勢いで物をかけなくなりますね。その分誤字脱字無くなるのは良いのかもしれませんけど。
伏線も全て回収しましたし話として嚙み合わない部分もないと思うのですが、疑問があった場合は遠慮なくメッセージください。