十三話【エイリアンエイリアン】
早朝、六時半ごろ人生で初めてパトカーに乗せられた。頭から強引に突っ込まれてしまう。
パトカーの座席が案外座り心地が良くてつい眠ってしまいそうだった。張り詰めた緊張感が途切れてきている。
ゆっくりと流れる家々を眺める。これからどうなるのかを唯一は想像していた。
まず学校は退学処分かな。でも、もうどうでも良いから、もう、俺が描いた人生を歩ませてくれ。
俺を両脇で挟む警察官の防護服がカルキ臭い。
この町に勤務している体格のあるお兄さん二人に取り押さえられるまで俺たちは顔が痣で膨らむまで夢中になって殴り合っていた。
二人とも筋肉が付いていないから強引な力技で引き剥がされ、手錠をかけられる。
交番の取り調べ室でお茶を出された。
「どうしてこんな朝早くに殴り合っていたんだ?」
三十代手前ぐらいのおじさんの警官が向かいに座って険しい表情をする。こちらに目を離さないまま調書にペンを走らせた。
お尻が痛くなるほど硬いパイプ椅子に座らされ、ドラマで見るような鉄の机の表面には微細な欠けた傷がついていた。
これに幾数の犯罪者や非行少年を相手にしてきた時代があった。
「どうしてっていわれてもなぁ・・・」
学校でいじめが横行している問題を解説したって信用してくれるのだろうか。話してみる事で変わるのは火を見るよりも明らかだ。
上手くいけば西たちがこの学校にはいられなくなることもできる。だが、一蹴されたらどうなる?説明損じゃないか。上手く嘘をつけば虚偽の申告として、この身が危うくなってしまう。
それじゃ一利も得しない。
逮捕されたという事象が自分の中で大きすぎて飲み込めない。俺は悪いことはしていない。
なのに恐怖が走る。
このまま悪く進んでも決闘罪がいいところか。
「はぁ」と一息吸って脳に酸素を循環させる。菜乃花が絡むことの顛末は控えて、綾瀬とは少し前から友人関係に雲行きが良くない事から説明し始める。
そして今朝、話し合いをしたところで行き違いが生じ、殴り合いにまで発展した。
嘘はついていないが情報を操作した。
男はああそうと興味が無いらしく機械的な返答をしたところで
「綾瀬くんから相方が大方聞いたから、隠す必要はないんだけどね」
なんて意地の悪い言葉を投げかけてきた。あいつやりやがったなと怒りが駆け巡る。
丸ごと全て話してくれていなければ良いが、そう上手くは動かない事は身体で経験している。期待はない。
不鮮明な事に信用はしたくない。次の一手を考える。俺なんかよりもたくさんの犯罪者を相手にし、嘘を見抜く技術は洗練されているだろう。俺は詐欺師ではない。なら、本当に全て話して綾瀬の供述した内容を裏付けさせた方が吉なのだろう。
考えが逡巡させても思いつかない。悩むと鈍重に時間が進んでいく感じがする。何も言えずに重い空気に押し潰されそうになる。
俺の顔をみて警官は呆れた表情をしている。
「君たち二人は常習的に問題を起こしていない。それに初犯でしょ。見たところ素行だって普通そうだ。今回は警察は関与しないし学校にも言わないでおくよ。これを機に真っ当に生きなさい」
「え。言わないでくれるんですか?」
「君、法律を破るの初めてででしょ」
言われてみれば、大きな犯罪を犯すようなことはこれまでで一度もない。タバコは一度吸ってみたがそれで終わった。みんながやる通過儀礼みたいなもの。
「別に」
そこで俺は開く口を閉ざした。
「そう。まぁどこかで犯罪行為をしているならその時に捕まえるから。今回は厳重注意ってことで帰っていいよ」
この発言には驚いた。今後の人生なんてどうでもいいなんて言っていた俺は今の身分が保証されていたからこそ今後の人生に泥に塗れて普通の生き方が出来ないのがいやだった考えが一気に消えた。
安堵して、肩の力が抜けた。警官の目の色は変わらず、淡々と口を開く。
何を言われるのか大方、悟った。前に菜乃花が苛められていると大来先生に報告した時と似た雰囲気を醸す。
俺は身構えた。
「だとしても、君たちのしていることは無駄な事だよな。家族でもない関係の人を助けようなんてさ。一生安定して生きれるならなにもしない、その方がいいでしょ。馬鹿じゃないならわかるじゃん。盾突いたってさ自分が痛い目に遭うんだしいじめてる側に手を出さないで、卒業して、仕事して、その時に出会った女性と結婚するのが人生ってもんだよ」
男は鼻でうすら笑う。
何か自分に刺さる言葉がいわれるんだと心が防衛反応を示す。この発言で緩和の糸が耳の中で切れた音がした。
「んだよ、それ」
「何が?」
自分の発言の意味を理解できていないようだった。薄ら笑って、言い包める文言を放つ。
相手は俺らの事も菜乃花の事も同じようにその他大勢は自分から種を撒いたわけでもないのに苦しめられている人間の気持ちを理解できないのか?ましてや警察官は弱者を守るために存在するんじゃないのかよ。
歯を痛烈な思いをしてまで食いしばって、聞いた数秒は、いじめは見逃すのが得策という事だ。
「それが人のやる事なのかって言いたいんだよ。浮き彫りにされていないだけで調べればわかるようなことをクラスメイトの一部がやってるんだぞ!何で調べようともしないんだよ」
「カッコいいじゃん。でも残念。誰もがマンガの主人公じゃないんだよ。愛とか夢とか理想も分かるけど目の前の現実は甘くないってこと。それを実感しないといけない。良かったな、経験できて。社会人様からの真言だぞ」
目の前にいるこいつは、俺が菜乃花と関わる前の俺を体現していた。生頼の情熱を持っていて、どこかで熱を込めて打ち込めたハズも人種。
でも諦める物事の数が多い。
自分自身が分かり切っていたことを言われて何も言い返せない。感情論ではなにも言えなくなった。
俺は手を膝に置いて下を向いた。切れた唇が口を開けると痛くて閉じたのにまだ収まらなかった。
目の前の警官は俺の牙が折れたのを理解したのか、待合室に通された。そこで綾瀬がいた。
まだ気持ちに収拾がついていないのか俺を睨んできた。
あいつは長椅子に座っていて、俺は丁度見下ろす形で一瞥をくれてやった。隣に座るのは嫌だったので立っていた。
数分後には両家の親が共に頭を下げていた。自分の責任なのに両親ともに頭を下げて、そのまま親の車に乗らされて、家へ帰った。
母さんが大きな声で深々と頭を下げる。俺の頭を掴むともう一度、謝罪をした。
父さんがゆっくり運転する車の助手席で母さんが怒髪天で声を荒げる。
どうしてそんなことをするのかと問いただされ、説明を数度繰り返した。母さんは俺ではなく自分に怒っていた。
人様に噂が立てば私の身がどうなるのかと、俺の身が危ういんだぞと説法を垂れている。
夜中二時の撮り溜めのラジオの方がユーモアがある。
交番から家までの似たような家が繰り返し横切る。後部座席で眺めながら母さんの説教に適当な相槌を打っていた。
改めて淘汰される側の下劣な価値観を思い知らされた。この町に住む以上おとなしくしていた。でもふわふわと浮つく夢みたいに楽しくて、快適な日常からは遠ざかる。
まともな人に成れた気になっていたのは思い違いだった。
登校している生徒が何人か目に付く。俺は恥ずかしさからガラスから目につかないように頭を下げた。
バックミラーに反射して映る俺の顔はいつも以上にきもち悪い顔をしていた。骨格が変わるほど膨らんでいる。
腫れはまだ引いておらず、こんな顔を菜乃花に見せると心配くらいはしてくれるだろう。
だけど見せたくないな。
家に着くと母さんは車のドアを力強く開閉して家に入っていった。
「あちゃー、まだ怒ってんな」
父さんは母さんの気持ちを理解しているようだ。俺も部屋で寝たい。ドアを開けようとしたら父さんに呼び止められた。
「待ちなさい」
父さんは一拍置いて口を開く。俺は舌打ちをして足を止める。
「今日はびっくりしたよ。朝早くに唯一が出かけたと思ったら警察から電話が来て、引き取ってくれってさ。それに幸太くんとも喧嘩してどうしたんだ?。母さんは柄にもなく怒ってたし。大変な一日だったな」
父さんは朝の感想を棒読みで述べる。
「長年の友達でも喧嘩はするもんだ。でも謝るときはごめんなさいって言えるのもまた強さだったりするんだぞ」
「もうそんな風には付き合っていけないよ」
軽く笑っていた。母さんとは違って柔らかく明るい顔をしていた。
「はは、確かにな。でも、下手に意地を張ると後悔するよ。そういうのがこれから多かったりする。だから形だけでいいから謝っときな」
綾瀬の言葉一つで悔しさも悲しさも頑張るために踏み込む気力なんてのも全て切り刻まれて踏み躙られたのにそれでも仲を修復する意味があるんだろうか。それを問おうと思ったが口に出せば信頼を失ってしまいそうで怖くてやめた。
別に疲れてはいない。ただ、孤独になったんだ。
綾瀬と仲が良かったのは家が近かったからだとか同じような苦しみを知っていたからとかなんかじゃなかった。本当はお互いに傷がつかない関係を構築していたかったんだ。
自分自身の心の安定を図りたかっただけだったのかもしれない。
容易くも友達として長年付き合ったのに深く理解し合おうしなかった。この有り様は、なし崩し的に関係を保っていたからなんだ。
仲直りをするかどうかと思えば、したくない。収秋祭で綾瀬に胸倉を掴まれた時に抱いた不信感が拭えずに残っていたから。
俺の中にある不満が爆発し、殴り合いに発展した。
そう思うとごく単純に潮時だったのかもしれない。夫婦でも長い間夫婦でいると飽きが来て離婚に走るらしい。
気遣いをしなくても自分の評価は変わらない。相手の人格を把握したつもりになると関係というモノは中弛みになる。
そして衝突になる。
「ま、卒業して働くようになれば会う事は、もう一生ないに等しい。だったら損しても得してもゼロになるんだしお前がどうしたいかだな」
「最後は他人事かよ」
俺は眠たさが勝ってしまっていて、父さんの発言に瞬間的にイラっとしてしまった。
口に出せば今がキリの良いところだろうと判断し、俺は家の中に入った。
玄関はどこか無機質的なひんやりと涼しさを肌で感じ取った。これからは居間にいるのが気まずくなりそうだな。俺は早々と二階に上がり、意識をシャットダウンさせようとする。二度寝にしてはインターバルが開きすぎているなと自分にツッコんでみた。
布団の中に身体を潜らせると朝に張り詰めていた緊張感が解けて急激な眠気に襲われ深い泥に溺れた。