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藤川菜乃花は喋れない 。  作者: 白咲 名誉
第四章 学校祭と憤怒
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十一話 【アドホック】

久しぶりの本投稿です。楽しんでいただけると嬉しいです。



 菜乃花のおかげで引きこもりを脱出し3日が経過した。継続して高校に通えらている。



  そんな中で菜乃花は相変わらず和山と登下校をしている。俺よりも菜乃花は学校へ到着するのが日に日に遅くなっていった。




 俺が学校へ久しぶりに来てみるち周りの視線が一斉に俺へと射した。本当に来たんだ。そんなことを囁かれた。



 俺のいじめ問題についての進展だったが、机で伏せて寝ると絶えず根の葉のない噂話が聞こえるようになった。誰が言っているのか気になって周りを見渡すが、俺を焚きつける主は顔を隠すようにぴたりと話を止める。



 菜乃花にも聴かれているんだと思うと心苦しい。行かなければ良かった。



 

 声だけで言えば西ではない。取り巻きの拡声器でもない。名前も知らないクラスの人間。俺はうるさい羽音を一日中無視して学祭の準備を手伝って下校をする。   




たかだか三日程度だったが順調な滑り出しとは言い難い。


 


 でも楽しみが増えて、放課後は家に直行しなくなった。鞄の中に忍ばせた簡易写真機を手に、山や線路を宛てもなく撮る生活をしていた。




映画を観る以外に趣味が出来た。夕日の光が青い空を烈火が侵食するように紅に変貌する。



 太陽は顔を出すより沈む時が燦然と光線が強くなっていく。その流れに心をいつも奪われていた。



 俺は幾つも西日が弱くなるのを見上げてきた筈だったのに

過去一番に綺麗だったのは隣にいた彼女と見たあの時だけだった。




 木々から無数の光が零れる。そういう瞬間瞬間で奇麗だなと感じたものにシャッターを押す。





 翌日の朝四時に着信が鳴り響いた。気持ち良く眠っていたのに、けたたましい電子音で現実に括りあげられた。




 こんな時間にかけてくる相手は1人しかいない。舌打ちをしながら俺は受話器を取る。



「よ、起きた?」



「なんだよ、用件を言えよ用件をよぉ」



 イラついているのを隠さないで綾瀬に応答をする。目が開ききっていない状態で光を直視し、強い刺激が頭を叩く。



暗い部屋からはまだ完全に陽が上がっていないと分かる。



 冬至になる前だからか布団に包まっていないと肌寒さで風邪をひきそうだ。



「起きてたか」



「お前に起こされたんだよ」



「癸って覚えてるよな?そいつが一時間後に団地群にある広い公園で菜乃花について教えてくれるんだってさ。行こうぜ」



「眠いからだ。一人で行って来いよ」



 菜乃花のことだから興味はあった。しかし今更、会ってどんな顔をすると良いのかわからなくなる。



 深い仲でもない。それでいきなり差し支えある話を訊く。取材する記者は自分の表情をどんな風に装うのか不思議だ。



「寒いから一緒にいたいんだよ」



「なら俺を寝させてくれ」


 気温が下がると体を温めるのにエネルギーを使いたい。だから登校するぎりぎりまで眠っていたい。



綾瀬は通話を繋げたまま一言も話さなくなった。




「はぁぁ」長いため息を吐く。



 重たい瞼をこすって無理やり体を起こすと床を這う。フラフラと立ち上がっておぼつかない足取りで部屋を出た。



 熱いシャワーを全身に浴びる。冷え切った身体が少しずつ芯から温まっていく。そうして目が冴える。




綾瀬のせいで眠気が失せただけだ。




 菜乃花の過去を知るには菜乃花の口から実際に言わせれば早い。でも菜乃花の癒えた傷口をこじ開ける。それで好奇心を満たして何が残るのだろうか?



 

ただ俺が無神経に問いただして嫌われるだけだ。それが恐い。




 癸を使って彼女を詮索する。彼女に親しく身近にいた存在だからこそ鮮明に、中学時代の彼女の苦しみを理解している。



回りくどいやり方だが一番の近道なのがこの選択なんだ。



 お湯が髪の毛の油を溶かす。シャワーの音でまだ寝ている母さんと父さんを起こすだろうか?悪いことをしているな。



 家を出て歩き出す。高校からは反対のところに目的の公園がある。さっきより陽が強くなっている。



 眩しいからUターンして帰りたくなった。朝焼けの暁光は濁りが混ざっていない光が爛々と下へ降り注がれる。



朝日は“中途半端に何者かになれる自信”を与えてくれる。




 住宅街でマラソンをしている人達。陽は出ても夜更けのように肌寒くて一枚、カーディガンを重ね着した俺は公園まで急ぎ目に歩く。



 外気温によってあっという間に体の熱を奪われた。頬に風が当たると剃刀で撫でられたように痛みが走る。



 犬の泣き声がしたり、猫がアスファルトの上を歩いていたりした。呑気に時間が流れるのも早朝の良いところだ。




 菜乃花と出会ったときから時間の流れを感じる。夏休みが明けた後の、まだ嫌気がさすくらい暑い頃。あんなに他人に感情が動いたのは真夏のせいだったのだろうか。




 公園に着くまでに癸について考えていた。癸は高校一年の冬に学校を退学する。それは菜乃花と同様にいじめを受けていたからだ。




いじめの理由は生まれつき嗄声だったから。




 今は何をしているのかだが噂話程度だったがこの町にまだいるようだ。誰かが偶然、癸の姿を見て、それをクラスで報告していた。



 まだいるのかよとかなんとか言っていたが、どうしてこいつらは執拗なまでに他人を苦しませることに時間を割けれるのだろうか?




 予定時間の十分前に公園に着いた。手前にはコンクリートでできた団地が何棟もある。そこに住むのは独り身のおじいちゃんやおばあちゃんが多い。




公園のベンチには綾瀬が腰をかけていた。



「おはよう」



 俺は近くまで行って挨拶をする。俺が不登校になる前から綾瀬も学校へは来なくなっていた。どうやら他校に足を運んでいるそうだ。



菜乃花について知っている人に接触していると言っている。



「こんな時間に悪いな。癸がこの時間じゃないと会えないって急遽言われたもんでさ」



 綾瀬は老衰したブルドックみたいな顔をしている。連日目まぐるしく綾瀬なりに必死に行動して成果を上げようとしている姿を伺える。




癸が来るまで二人で太陽を眺めていた。



 電話が来た時点でコールを切ればこれで絶縁ができた。もう俺の中で綾瀬に対するわだかまりは無くなっていた。



 これでぎくしゃくせずに友達という関係を続けていられるのだろう。やつもそう思っているんだ。




 俺の背中に団地群がある。目の前には狭い砂場と滑り台。鳩が何匹か地面を小突いていた。



 今日は平日なので数時間後に嫌でも学校に行かなければならない。身体が重たい。ぼーっと青い空を見た。一面に広がる青色に添えられている太陽。



「癸にどうやって面会を取り計らったんだ?」



「高一の時の連絡網に記載されていた電話番号さ。それで癸に過去の藤川さんへのいじめの全容を教えてほしいって迫った」



 「へーそれで上手くいくんだ」擦った手に息を吹きかける。手袋を履いていけばよかった。




「交換条件したんだ。もし君が教えてくれたら高校で苛めてきたあいつらをこの街から追い出すことができるかもしれないって。そう伝えたんだ。そしたら考えさせてくれって一言、そう言って電話を切られたんだ。で、あっちからこの時間とこの場所で会ってくれるなら話すって事で決まった」



「ほぼ接点のない綾瀬に会おうと決めたもんだ」





 癸がいじめを受けていたという事実は俺の世代の生徒からしたら周知の事実だった。それを黙認していた俺も綾瀬も他のクラスの奴らも癸からしたら敵と認識されていてもおかしくない。



「それだけあいつもは今も苦しいんじゃないの?噂通り本当に引っ越しもせずこの町にいるんだ。外を出歩いてクラスの人間に見られたら指差される。だから効いたんだよ“あいつらを追い出せるかもしれない”ってのがさ。俺たちに託したのさ。癸が洗いざらい全て話せば堂々と表を歩けると信じてな」



 綾瀬のどこか他人事のように窺える言葉の選び方には棘があるのを感じた。そして今の綾瀬には温情というのを感じ取れない。



「お前が何を企てているのか分からないけれど身内以外の人を巻き込んでいるんだ。言った言葉は必ず実現させろよな」



 祭りの後から綾瀬は贖罪を執り行うことに猛然的に活動する。どんな結果に繋がってしまっても自分の心を埋め合わせられるのなら、菜乃花以外の人間を傷つけてしまう行為をも厭わないって面構えだ。



 どれが正解なのかわからなくて藻掻いて模索してやっとすこし前に進むしかできない俺と比べて綾瀬は何段も上を歩く。




「お待たせ」



後ろからがらがらでしゃがれた声がした。二人して振り返る。



「いや大丈夫今着いたところだったし」綾瀬が手を振る。



「嘘だ〜」



「指定地までが遠かったから一息してるんだ今」



 こんなに癸について考えていたのに、面識は高1の時に同じクラスで勉強をしていただけのままだ。面識なんてないのに軟派な態度で綾瀬は壁なく接する。




彼女は、良かった。と気さくに接してくれた。




釣り目が愛想笑いでさらに細くなった。



 意識してはいけないのに物珍しさで彼女の喉元に目をやる。肌と同化しているがはっきりと濁った手術痕がある。



 癸も外が寒かったのか、厚めのパーカーを身にまとっていた。髪の毛を茶色に染めている。高校は髪の毛の染色は禁止なのでみんな黒髪だ。同い年の頭が黒くなくて少し驚いた。



俺の目線に気づいたらしい。



「辞めてから髪、染めたの。似合うでしょ」手櫛で髪を宙へ靡かせる。



 もっと刺々しい言葉を使い、自分勝手に動くような人物像を想像していた。しかしお茶目で他者に緊張させない気配りをしてくれる。そんな癸の自然な振る舞いに虚を突かれた。





「早速だけどここに座って」



綾瀬が立ち上がって場所を譲った。俺も立ち上がる。



「ありがとう。それで、二人は花ちゃんについて聞きたいんだよね。まずあの子は元気にしてるの?」



「あぁ元気だよ。最近は和山と仲良くなっててさ、近々付き合うのかどうかで話題が持ちきりだ。良い距離感で楽しそうに日々過ごしてるよ」



癸の質問に対して俺が答えた。目を丸にして驚く反応をする。



「じゃあ花ちゃんのいじめが止んだんだ」



拍手してくれた。



「そう偶然ね。二人は収秋祭で仲良くなったんだ。クラスのトップが味方になったから下手に手を出せないようだよ」



「犯人が分かってるみたいな言い方ね。でもそうよね・・・・・・。あれだけ露骨に西が良くない話を自慢するんだもんね。目立ってない君だって大体勘づくか」



「俺の事を覚えていたんだ」



「同じクラスだったんだし全員の苗字と特徴くらいはね」



「そんなものなの?不思議な意見だ」



 綾瀬の語気が普段より強い。怒っているようには見えないが自分を大きく見せようと鳩胸のように胸筋を強調している。



「誰とでも仲良くしたいじゃん。もしかしたら明日、この声が治っていて、普通にクラスの人たちと仲良くなれる環境になっていたらって私は考えるんだ。私と友達になってくれる人の名前が咄嗟にが出てこなくなるのは気まずいでしょ?」



「それもそうだね」



 綾瀬が突き放した言い方をした。きっと心の中で毒付いているんだろう。もしも俺が言うとしても同じ言い方をしていた筈だ。



 周りの人たちが嫌いすぎて容姿や名前、特徴を記憶をするのに使うエネルギーを注げないでいる。だから単純にクラスで目立っている人の名前だってうろ覚えだ。



 自分の中で芯から情熱的になれない。そいつらが主観で見て聞いて自分の価値観の構築をする様を見ているのだって吐き気をするんだ。



加害性を持つクラスメイトの奴らの名前をいちいち覚えたくないんだ。


 

 だから未だ同じクラスだったっていう義理で覚えていれる神経なのを疑う。そんな嘘みたいな人がいるかと思うと唇の端が吊り上がりそうになった。



 堪えようとして綾瀬の方へ目を向けると彼も口角が微妙に上がっているのを抑えようと真顔を取り繕っていた。



 その時綾瀬に思惑を悟ってしまった。わざわざ連絡を取って呼び出し、彼女らのいじめの問題を知ろうとする内側で、俺と同じく綾瀬は自分より酷い境遇の人の心境を覗きたかったんだと。




 菜乃花の近況を報告して別に知りたくもないだろう学校の近況の報告をしたあとで無言の間が生まれた。



 これはただの世間話でしかない。癸もそれには気が付いているだろう。むしろ率先して空気を読み、見知った仲じゃないから起きる蟠りを和ませてもらえた気がする。



「それでさ、花ちゃんのことをそっちはどれくらい知ってるの?」



 やっと本題を話す空気になった。冷たい空気がくちの中で渦を巻いて踊る。湿り気のある口内が乾燥させられる。

 


「藤川さんのお腹を見た。傷跡の原因がどうしても知りたいんだ。どうすればあんな異常なことをされるんだ?」



 お祭りの時に綾瀬だけに見せた腹部の外傷。もう二か月近く経ったのに綾瀬は激昂混じりで癸に吐き捨てる。



「・・・あの傷がこの町に引っ越してきた最大の理由よ」



「誰がやったんだよ?」



「やっぱりさどこにでも西みたいな人はいるのよ。その人たちが技術室に連れてってハンダゴテでばちばちってやったんだってさ。私もあの傷を見せてもらった時にウチも涙が出たよ」



 癸は両手を膝に置いて話始める。声色の無い声はどんな感情で話しているのか分からなかった。




————前の中学校で菜乃花はいじめを受けていた。親には言えず、日々耐えるだけの学校生活。小学生の時に止んだイジメが中学でまた始まった。

 


 同い歳の女子達に物を捨てられるのは当たり前。時には生理用品も盗まれていたりもした。男子と先生には見られないように狡猾に隠して菜乃花を痛めつける。



 そして中二の雪が降りだす頃、その日は朝から何もされず、平穏なまま放課後まで過ごせたらしい。とうとう私へのいじめは止んだんだと喜んだ。


 でも菜乃花を苦しませた奴らが仕組んだ罠だった。明日から普通の日常生活に戻るんだと思わせてどん底へ突き落すためにわざと一日、手を出さなかった。


 

 菜乃花が帰り支度をしていた時、彼女の両肩を女の子二人が掴んで作業室に引き摺って連れて行った。



 にたにたと笑いながら菜乃花を取り囲む。逃げ出さないように羽交い絞めにする。



ブレザーを脱がしてお腹に()()()()()()()()()何度も落し当てた。



苦悶の表情で悦に浸る女ども。菜乃花の血が木のタイルに染み渡る。



 それでも菜乃花は悲鳴をあげられなかった。苦しくても助けを呼べず過呼吸に陥った。蹲って事切れた。視界が定まらなくなる最後の瞬間まで彼女を罵る言葉が吐かれ続けられる。



 そして目が覚めたら病院のベットの上だったらしい。見回りしていた先生が作業室に入ってきてやっと菜乃花のいじめが明るみになった。



 家族にこの件が瞬く間に伝わると退院し、この町に転校した。お腹には赤黒い焼け跡が残ったまま回復した。




痛みそのものはないのに苦しみとは一生付き合う事となった。




 菜乃花を苛めていた主犯の女の子数名は遠方にある児童相談所に送られることとなった。




「どうしてあの子ばかりがこんな目に逢うんだよ」



「なんでって・・・なんでなんだろうね。私ならともかく花ちゃんの見た目は同じなのにね」



 綾瀬が冷静ではいられなくなってきている。口調が荒くなり、目が真っ赤だ。付き添いの俺も西を許せない気持ちでいっぱいになった。




 西じゃない。なのに頭の中ではんだごてを押し付けた奴が西に変換される。おれは訊いた話で憤りをぶつけたくなった。



だから誰でもよかったんだと思う。



「何もしていない方が真っ当に生きていられないなんておかしすぎる」



 当事者にはなにも報えない。負け犬の遠吠えだったがつい言葉が出てしまった。小学校の時に引っ越してきて後悔と懺悔だけを抱えて生きていた綾瀬からすれば非情な真実をただ耳にするだけしかできない。



相当、怒っているはずだ。



 また、癸の拳も震えていた。三人が三様に通ずる想いの根は拳の熱が口にせずとも語っていた。



「・・・・・・あのさ、私はもういじめられた事なんてどうでもいいの。こんな声なんだし、しょうがなかったんだよ。でも、もしも綾瀬君が言ってくれたようにいじめを無くす事ができるならこれ以上、花ちゃんを苦しませないであげて。


 中退ってさ結構しんどいんだ。この気持ちはさ普通に生きていたら味わわないし味わわなくたっていいのよ。真っ当な学歴があるからこそ仕事に就けられるのが日本でしょ。横道を正すのには時間を割かないといけないじゃん。でも必要のない苦労だよ。絶対に必ず卒業させてあげて。私にはもう祈るしか出来ないんだからさ」



癸のハスキーで聞き取れない声が魂に響く。



「中学で菜乃花を苛めた奴らはもういなくなったんだろ。だったら高校でいじめられる理由なんかないはずだ。それなのにどうして彼女を必要以上につつく?」



 俺は思い出した。菜乃花が大雨の日に教室で机に書かれた落書き。おれは赤裸々に説明した。



 一緒に消したんだ。忘れない。あんなに大粒の涙を流してまで辛い思いをしたのにまた同じ経験をさせられるなんて。




「なんて書かれてたの?」



癸は丁寧に発音して聞いてきた。




「私のを取りやがって、だった。あとは女性としての尊厳を汚すような言葉の数々だった。推察をするに菜乃花が何かを盗んだってことだよな。あの子がそんなことをするとは思えないな」



「そっか、西はまだ根に持ってるのか」



 俺は何のことかわからなくて首を傾げる。予想の範囲を超えてしまってもう分からなくなった。



「花ちゃんはさ喋れないじゃん?その障害の弊害はさ日常生活に沢山支障をきたすでしょ。高1の時にね最初は花ちゃんを不憫だと色々気遣ってくれる男子がいてくれたの。


 私はこの喉のせいで支える事に限りがあったわ。まぁ体裁を考えちゃっただけなんだけどさ。


 でも彼は違った。西や和山君に近いくらい生徒に支持されていたから彼の持つ権利を使う事で花ちゃんを支えてくれたの。



 でも問題はね、その男子の事を西は好きだったのよ。和山君は多くの事を知っていてとても優秀だわ。彼はそんな和山くんよりは劣る分人間性がとても豊かで数々の人を愛して等しく愛された。そんな人間性に西は惚れ込んだのだろうね。


 結局、花ちゃんを選んだの。それに逆上して、今もまだ花ちゃんをいじめているのよ」



「そんなことが・・・」



「ええ、そうよ。大層なことするくせにくっだらないでしょ」



 癸の目の形が変わった。細長い目がかっぴらいていた。瞳の奥に菜乃花と似た強い光が宿る。彼女と長い時間を過ごし、彼女の過去と痛みを共有する。



 自分の過去の話をするように菜乃花の事を喋るからだろうか癸は双眸から涙を流した。



左手で拭う。綾瀬はポケットからハンカチを渡す。



 癸と菜乃花は似ても似つかない。境遇も価値観も。菜乃花は背筋をピンと伸ばして凛とする。癸はベンチに猫背でもたれかかるように座っている。周りを再三見回すこともある。心から怯えている。




いじめが人間魅を消している。



 太陽は顔を出していたが薄く膜を張るようだ。藍色の青空に白い光が充満した時だった。



 癸の手の甲からはカッターで何度も表面を切った傷に光が当たる。どちらにも小さな手にバーコード型の線が伸びていた。



「隠さなくていいのかよ」



俺が視線を向けた先に、うんと応じた。




「この傷は学生だった時にやったもんだもん。どの傷だって私の一部だから愛してるんだ。そうやって私が出来たんだし、もう栄光みたいなもんだよ」




「そっか」



まだ俺にはよく分からない言葉で受け止められなかった。


多分癸は俺と同じように感情に振り回されるタイプなんだろう。


そして俺よりも先に劣等感や楽しくない人生に見切りがつけられたんだろう。


俺の数段先の考えに行き着いたのだろう。最早羨ましくもなんともない。




「じゃあ行くかな」



そう言ってベンチから立ち上がると手を振って団地へ帰る。その指にも無数に傷があった。



それが彼女の笑顔でかき消える。



早朝に菜乃花の事を聞き出すだけに呼ばれた。それがいじめなんて忘れたよ。なんて言い出すんだ。憎くて身が溶ける程怒り狂ったっていいのにそれをしない。



「来てくれてありがとう」



あぁ、強いな。そう思って俺は癸に頭を下げた。




「菜乃花とは今も会ってたりするの?」



「ううん会ってないよ。自分だけいじめに耐えられなくて逃げた私には今更会う資格なんてないんだもん」



癸は微笑むが色のない声に悲壮感が宿っていた。



そして団地群の森に入って行く後ろ姿が見えなくなった。綾瀬は遠い目で言う。



「結局、癸は菜乃花を置いて1人だけ逃げたんだな。どう足掻いたって惨めな障害者だ」



綾瀬を殴った。





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