間章 【ライラック】
第1章と2章の間くらいの話です。
背中から伝った熱がシーツの中を滞留する。寝苦しさに耐えられず目が覚めてしまった。
早秋の深夜は湿度の高い。残り火の終わり際の残暑。
ヌメっと流れる気持ち悪い汗に身体が塗れた。
外は車の音がなくて静観さな異様な不気味さを感じた。
「あーまたか」
古い記憶が不意に再生されてしまう。
思い出すのは普段、考えもしないハズの取り留めのないような出来事。
ノンレム睡眠に移行できないまま起きてしまう弊害は後味の悪い感傷に浸らせる。
唯一はまだ菜乃花と交流がなかった頃の記憶。それが解凍された。
高1のプール学習の時。ジメジメと蒸し暑い日中のこと。
2クラス合同の体育で広場が狭くなっていた。屋外にいるより体から水分が奪われてしまう。
唯一は体育座りをして自分の泳ぐ順番を待っている。
先に入水した人の撒き散らす水しぶきが体に飛んでくるとうんざりする気持ちで一滴ずつ指で払っていた。
運動神経は良い方ではないから体育は嫌い。プールは使わない筋肉を酷使して疲れる。
はっきり嫌いって線引きする必要はないけれど、俺がこの会場を嫌っていた。
些細な事かもしれない。ヒノキの板を敷かれてても黒い斑点のあるアスファルトの床に汚さを感じてしまう。
塩素で除菌しててもアスファルトに足の裏を直で触れるのはゾゾゾと背筋が震える。
毎回この授業だけ女子の頭数が少ない。休む人たちの理由も様々だった。一番は生理が多い。こればかりは仕方がない。
2番目は切ったばかりのリスカがある人達だ。感染リスク予防のために停止処分を受ける。狙ってやっている人もいるんではないだろうかと疑ってしまう。
あとは本当にそうなのか分からないが、他の人に自分の肌を必要以上に見せたくない。というものだ。
菜乃花もいつも欠席組だった。
先生たちは本当に休みたい理由を知らない。欠席する人達の大体がクラスの上流階級から執拗に爪弾きにされている。
もしプールの授業に参加すれば、自分の身体を隅々まで眺められる。そして聞こえる声で陰口を叩くんだ。
容姿の否定。それは心に消えない傷が残るはずだ。口に出されなくとも選定、除外をする眼で攻撃してくる。
だから休みたいのだ。親や担任にいじめられていると言えない。それだけなら個人の中の問題として片付けられる。
大事にならない方法を悩んで選ぶ。許容範囲を超えても表には露わさないようにしている。
「まっ俺たちとはなんの関係はないんだけどさ」
更衣室で西が次の標的にしそうな人の話題を囁く人がいる。言ったのは坊主頭の野球部。
そいつは毎日友に囲まれていて、面白いことがあれば大袈裟に笑う人だった。
俺には‟関係ない”か。そりゃそうだろうな。人を蔑んだら笑える感性があるんなら関係ないよな。手を目一杯握りしめて聞き流していた。
着替えを速やかに済ませて更衣室を後にした。
癸は必死にいま平泳ぎをしている。
藤川菜乃花・・・。人との関わりが少なくて会話を避けているのか、いつも一緒の癸にさえ、声を出して話す姿はない。
どことなくマネキンみたいな印象がある。他とは違った生き方をしている。
誰よりもおとなしくて静かで、だれとも喋ろうともしない。そのせいで周りから存在を認識されない遊びがあった。
癸は西たちにいじめられている。癸の喉仏には裂き傷がある。声も掠れていた。どうしてそんな風になったのかは知らない。
それで奇抜な目で見られている。藤川さんは知っているのだろうか?クラスの人から遠ざけられている俺ですら知っているんだからやはり知っているのだろう。
ぼーっとする頭で考えていた。
「やっぱり暑い」暑さに我慢できない俺は目を開ける。
下に降りて冷蔵庫の中からペットボトルの水を飲んだ。
まだ俺が菜乃花を知らない頃の記憶。一年以上前の古ぼけたフィルムのようなもの。
今の俺となんら変わらない。ずっと一人のようなものなのに、急に菜乃花の事を思い出すなんてな。
心臓が締まると熱い痛みが走った。この気持ちは果たして何なのだろうか。おれにはよくわからなかった。
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