第六話 【色彩】
三科は和山と仲が良い。部活のスタメンの2人が軸になってこのクラスを賑わす。そんな存在感があった。
俺とは真反対な彼が俺に会いに来た。
「・・・・・・久しぶり、だな」
昼食後はどうも頭が回らない。瞼も二ミリ垂れさがっている。これ以上何を言えばいいんだ。
この空気が重たい。
「そうだな。あぁ悪いね、作業中だったんだろ」
三科は教室に目配せをする。
「いや、いい」
俺は黙る。小学四年生の時、俺は三科を見捨てた。それ以来ぶりだ。
違う未来では友達だったかもしれなくて、後ろめたさから、三科と面と向かうのは未だに緊張する。
あいつは俺のことを恨んでいるかもしれない。それとももうどうでもいいのか?どちらか一つだ。だが、なら尚の事今になって俺と話す気になった?
「用は何だ?わざわざ俺といるような場所で話すんだ?三科だってただじゃ済まされないぞ」
鼻息を荒らげているのにあいつはゆっくりと口を開く。
「くだらない」壁に背もたれをつける俺と窓辺に両腕を乗せて遠くを眺める三科。
「カースト上位になったってな所詮は貴族ごっこがしたいだけだ。美味しい思いはなかった・・・・・・。俺は西や和山の金魚の糞じゃないからもうそんなに睨まないでくれ」
「はあ」
少ない会話のキャッチボールから真意が測れない。取り憑く島がなく、主導権は三科が握っている。気持ちを汲む糸口を出されるまで受け身でいてしまう。
こいつと接してみてまず本当にこいつは障害者なのか?と皆疑問に思う。それだけ彼は周知の事実を覆せられるだけ頭が良い。
「別にいいよあんな連中。でさっ、高杉はもう分かってんだろ。西が花瓶を置いたことの意味。あれは合図だって」
頷くと
「分かってる・・・・・・。藤川さんがまたこれからいじめられるんだろ」
「内輪で噂になってるよ、ひひ、お前もよくやるなぁ。花瓶を放り投げるなんてさ」
「噂にねぇ・・・・・・」
予想はその通りだけどこんなに早く出回っているとは。
「・・・・・・良いなぁ藤川さん」
三科は感情の読み取れない顔をして、窓の外に手を伸ばす。
まるで自分の落下地点を計測しているように目に映った。
「・・・・・・そうするしかなかったんだ。それで何を、 しに、来たんだ」
本題を隠している話し方に苛立つ。
三科は途端に真剣な顔になる。真空の世界の中に放り込まれ、ひゅっと息が詰まる。身構えた。
「藤川さんがなんで教室にいないか分かるか?高杉、お前がどっかに行ってから、西が連れって行った」
彼女の名前が出てから廊下に響く五月蠅さは唐突に切り裂かれた。聴覚がより鮮明に三科の声を拾う。
俺の沸点が一瞬でメーターを振り切る。
なんで恥ずかしさのあまりに出て行くんだよ。自分を自分が叱責する。
「どうしてーーーー助けなかった!」
こいつとの接触で穏和な雰囲気を感じ、心を開いてもいいかと油断した。この手の層の人間に人道を求めてしまった。
たった五分しかない休憩時間。まどろむ空気。賑やかに廊下を歩く生徒たち。笑い声が絶えまなく響く。
呼吸は浅く、考えが逡巡する。頭の中で菜乃花の辛い顔が浮かぶ。そして一目散に走り出そうと、決断した。
しかし三科は俺の腕を握る。力強く静止させられ、とうとう優しい対応が出来なくなった。
「邪魔だ」
はっきりと剥き出す敵意。意に返さず、遅い口調で三科は言う。
「どこにいるのか知らないだろ」
目の奥を覗き込まれるように三科は俺に顔を合わせる。
「じゃあどこだ。教えてくれ」
声に気持ちが重なる。あっちのペースには乗らない。乗ってたまるか。
「もう匠が止めたんだよ」
ここで六時間目が始まるチャイムが鳴った。2人は見合って沈黙する。チャイムが鳴り終わるその間、俺は何を言おうか考えていた。ちゃんと思ったことを言語化できるかを頭の中でマッハで考えていた。
「鳴ったぞ、演劇に戻らなくていいのかよ」
出た言葉が拒絶だった。
「あぁ、いいよいいよ。あんなのやったって結局は西の小間使いにされているだけ。つまらない」
「変だよお前は」
三科は俺に笑いながら言う。
「別にお前の価値観が正しいとは限らないだろ。でも、少なくともこのクラスはおかしい」
「じゃあなおさら。・・・なんで三科は西と・・・・・・いや、西達と絡んでんだよ」
「俺にも〝俺の居場所”ってのがあるんだ。で、それを保つために一緒にいる」
三科の声に感情が細々と乗る。
「さっき言っていた事と矛盾してんだろお前」
「え?全然。だって俺がこれでいいって納得してるんだから矛盾でもなんでもねえよ」
「ならどうして俺目当てで来たんだよ。嫌がらせか」
単に俺に報告がしたかっただけならば本当に意味が分からない。でも嘲笑いに来てもなかった。試されているようだった。
「違うよ、俺にもタイミングがあるの」
「どんな?」
「高杉にお礼がしたかったんだ」
善人である為に利用されているようで不愉快だ。
「そんなに小綺麗でありたいなら三科が止めれば良かっただろ」
「うーん難しいかな。いじめられた経験があるとね、苦しそうな場面があると目を背けてしまうんだ。でもね正義感出すほどヒーローじゃないの俺は。だからかな高杉に救われたかったよ」
三科は眼を逸らした。彼は怒っていない。
「今更・・・・・・恨み言を吐かれたってどうしろって言うんだ」
「俺にはベストタイミングだったんだ。昔と似た状況に酷似しすぎていた。だから話す機会があると」
「友達になりたいのかこんなおれと」
「じゃあ悔やんでないのか?人を避けるきっかけは俺だったんだろ。あのまま逃げていればいいのに藤川さんの机に置かれた花瓶、投げ捨てたの?」
「え?なんでって————」
「うん」
「悔やんでたからだよ・・・・・・」
俺は照れくさくて天井の板に枚数を数える。思う分には特に何ともないのだが誰かに言うのは恥ずかしい。
なんで助けたか、なんて聞かれるとは思わなかった。適当な理由も思いつかないままありのままの本音を言った。
「俺もだよ」
「本当にすまなかった・・・・・・。ずっと後悔している。お前を・・・・・・見捨てて立ち竦んでいたこと、頭から離れない。夜中は苦しくて目が冴える。自分に〝幼かったから”って説き伏せて正当化させないと眠れなかった」
「だから藤川さんを助けたんだね」
「そうだよ」
「そしてそれを三科はさ近くで目撃していたんだろ」
「なんだよ急に脈絡ないなー」
おっとりとした口調が早口になる。
「俺もお前も同じ気持ちだったんだろ。今、こうして話しかけてくれたんだ。背景を描いている人で西に告げ口する人はいないんだからでも、数分で噂は出回らないだろ」
「はぁ、そうか。いや、明察通りだ」俺は何も言わず頷く。
俺が一言も話さないでいると、三科は饒舌に想いを告げた。
「西が演劇の練習中にどっかに行くもんだからさ、匠に着いて行けって、言われたんだよ。着いていったら丁度お前が花瓶を投げ捨てた所と鉢合わせしたの。それを見ただけだよ。
なんかそういうことする勇気がすげえって思ってさ。知ってるだろ。最近さ藤川さんと匠が急に仲良くなって。見てれば分かる。あー心が通じちゃう仲なんだっての。
それは別にいいんだ。西が嫉妬してムカついている。別にそれも俺は俺に害が無ければ別になんとも思っていない。でも西達は人を傷つけるんだ。本当に恐くてさ何も出来ないんだ。止められる力は俺には無いからーーーー」
三科の吐息に熱が帯びる。伝えたい言葉を言おうと意を決する。
「————なぁ高杉こんな事お前に頼めない立場だって分かってるけどさ、この学校の在り方を変えてほしい。頼む」
三科は泣き崩れそうな面持ちで必死に言葉を紡ぐ。
もう、昔のような友達ではいられない俺に想いを委ねた。もし万が一、今、言動が西やその他に知られれば、三科はいじめの標的にされる。自分で築きあげた居場所から置い出される。
人にどう見られるのかをよく理解している彼は覚悟を決めて俺に頭を下げた。
「おい、やめてくれよ。俺は和山みたく恵まれた人間じゃないんだ。発言に影響力が生まれる頭も持っていない。だから無責任に頼まないでくれ」
俺の目の前で頭を上げようとしない三科。俺よりも数段も社会性を持つ人が嘘も偽りも試すわけでもなく頭を下げる。
それはどうにも気持ちが良いものじゃなかった。
頑なに頭を上げない三科。
「そりゃ俺だって、この学校の連中がおかしいとは思うよ。そうだとして何ができるんだよ。変わるなら変えてみてえよ。でもな見てみろよ、クラスの奴らだって平穏に暮らしたくて西に逆らわないだろ。それと俺は何が違うんだよ」
三科は俺につむじを見せる。全然頭を上げようとはしなかった。
「周りは西を野放しにしてさ、それって許してるってことだろ。つまり共犯だ。消極的にいじめに加担をしているってことなんじゃないのか?お前はそれ自体がまっぴらごめんだったから花瓶放り投げたんじゃないのか?
なあ、お前はこの学校の奴らとは違うはずだ。そうであってくれよ」
簡単に「分かった」って言えないことに俺は何も感じない。
しかもだ、三科は俺の事を「この学校の人間を変えられる希望」として神輿に乗せようとしている。心の拠り所が欲しいだけ。
魂胆に気付いてから三科が気持ち悪く映る。
そして頭を上げた。俺を使えない奴だと見捨てた顔はしていなかった。
「そっか。ごめんな」
笑顔が引き攣っている。
「いや、いいんだ。俺こそすまん」
俺は教室を見る。みんな静かにバック絵を作っていた。
「そんなに西が恐いなら和山に頼めば良いんじゃないのか?仲良いんだし言い易いだろ」
「それが出来ないから、困ってるんだ」
気軽に吐いた言葉への応酬は心の底から捻り出した弱々しい怒りだった。言葉の裏側に含まれた訳アリな事情。簡単に訊いてくれるなと言いたげだ。
重たい雰囲気が流れ始めそうだった。俺は咄嗟に話題を変える。
「なあ三科。お前から見て、俺は藤川さんやあいつらと何が違うんだ?」
俺は教室の方をゆび指して三科に聞いた。
「高杉って授業中に教室全体を見回すじゃん。その時ね、めっっちゃ怨みがましい目をしてるんだ」
「どんな目だよ」
「いやほんと鬼の形相ってやつ」
「おれが怖いってこと?」
「そうねー、全員嫌いなんだなーって感じ。多分みんなそう感じてんじゃない?でも藤川さんはね、真剣に話しに耳を傾けてくれるんだ。相槌も自然だし話しをしているこっちが楽になれる。だから喋れなくたって残念でもない」
「そうなんだ」
「うん、本当に前々から関われたら良かったよ。惜しいねマジ。それに和山は人の魅力を引き出すのが上手いんだ。だから今彼らは仲が良いし。2人は良く噛み合ってるんだろうな」
「俺には土台、真似できない人間性だ」俺は話題に上がった彼を妬ましかった。
「気にしすぎなんだよ。周りの人たちも関わりやすそうな人としか仲良くやっていないんだ。お前がほんの少し早くコミュニティーの輪に入らなかっただけだって」
俺の背中を優しく小突く。
「なんか話せて良かった」
聞き覚えのあるピアノの音。弾き方。優雅で暖かい午後の授業。そしてまじめに何かを取り組まなくてはいけないこの時間を俺たちは有意義に使っている。
「やっと見つけた!」
遠くから西里見の声が聞こえた。西は酷く怒っていた。三科のもとへ駆け寄って、言う。
「三科さぁ、こんな時間まで何してたの?皆を待たせていたのよ?考えてくれないかしら?私たちの苦労をさ。ほんっと使えない。これで学校祭潰れたらあんた責任とれる?まったく。匠も匠でどっか行っちゃたし、私の計画が台無しよ」
西の計画とはどこからどこまでが計画であって、そしてどこまで菜乃花はその計画に乗せられているのだろう?
三科に浴びせられる西の怒声を聞きながら、俺は考えていた。そして俺の顔を見て、俺を標的として見つけたように言葉を当たり散らす。
「高杉、あんたも早く教室に戻りなさいよ!こんなところで油売らないでくれないかしら?」
今、学級委員長が珍しく仕事らしい仕事をした瞬間だった。でもこの発言は、委員長としての発言ではなく、委員長という役割を借りて自分のストレスのはけ口にしただけだった。目に見えてのこざかしい魂胆よりもまだ野性味のある人間の毒の吐き方だった。
「ほら、行くよ」
三科の手を引いて西はずけずけと歩き出す。彼氏候補としてのマーキングに三科と身体接触でもしているのだろうか?
「じゃあーなーーー!唯一」
————三科は変わった。
じゃあな。
時間が解決してくれたからなのか、それともアイツの心の器が大きいからなのかは分からない。しかし俺の信念の大本を作った人間から、許しを得れることがとても喜ばしかった。
体と心が軽くなった気分だった。綾瀬もこんな気持ちだったのかもしれない。そうして俺の後悔が消えた。
その後、六時限目の残りをバック絵作りに費やした。無視されてもいい。自分から積極的に話しかけに行って仕事を探した。
学校が終わり、夜に寝る前、菜乃花にrainを送ることにした。大した理由はない。三科から、菜乃花は五時限目の終わりに西へのいじめを受け、和山に助けられたと聞いたから菜乃花はどんな風に和山の事を思っているのかを聞いてみたくなってrainを送った。
高杉: よっ、菜乃花!起きてる?今日さ、教室居なかったときあったじゃん?どうしていなくなったのか聞いてもいい?
すぐに既読が付いた。
藤川: あのね、唯一が私の机に置かれた花瓶を窓に捨ててくれた後さ、西さんにトイレ連れてかれちゃってさ
そこまで送られてきた。どこかに連れてかれたのは知っている。でもあえて知らないふりをすることにした。菜乃花から、教えて欲しかったから。
菜乃花からメッセージが送られてくるまで少し待った。
藤川:それでさ、和山君がたまたま私たちの事見つけてくれてさ、助けてくれたんだ。
高杉: え?和山が??
猫のスタンプが来た。OKと親指を立ててにっこりと笑っていた。
藤川:そうなの 嬉しかったな
照れている猫のスタンプが送られてきた。
高杉: そっか、それは良かったな。俺も嬉しいよ。
藤川: うん
藤川: でもね、唯一
藤川: 助けてくれてありがとう
菜乃花から間髪入れずに送られてきた。
藤川: おやすみ!
特に世間話をすることもなく今日はこれでrainでの会話が終わった。俺もおやすみと送ればよかった。しかしだ。せっかく眠りかけていたのに着信音が鳴ってしまって起こしてしまうのも悪いので、俺も寝ることにした。
世の中には返報性の法則というやつがあるが、それも悪くないなと今夜、思った。今日は大変な一日だった。でも良いことが最後にあって終わった。それで今夜は締めよう。もう疲れた。
色々と考えて今回の話を書いたので、それなりに私の思いが読者様に届いていたら嬉しいです。