第12話【リリック】
学生組3人の労働は終わった。綾瀬とは依然、気まずい空気のまま1言も会話を交わさなかった。そして誰にも告げずにあいつは消えた。
残りの時間は楽しむことに使える。なのに俺も菜乃花もやることがなくて宙ぶらりんなままだ。俊雄さんの露店前で立ち尽くす。
隣に並んで立っているのは同じクラスメイトでもう見慣れたはずの菜乃花。でも違う。微かに残る年相応の幼さがない。
まるで綺麗な一輪の花は凛とした佇まいをしている。熱気で蒸せてボウとなる俺にのどかな緊張感を与えてくれた。
そんなつもりはないのに長く眺め過ぎた。視線を感じたんだろう。目が合う。
笑うと恥ずかしそうに手で口を覆い、鼻を掻く。俺も恥ずかしくなって視点をずらした。
「疲れたね」ゆっくりと彼女の耳にだけ届く適切な音量でつぶやく。
さて、人の荒波にいつまでも足をすくませていては祭りは楽しめない。だから俺も勇気と元気と根性と祭りのテンションではしゃいでみようと思う。
「行っこか」
俺の伸長より3センチ低い菜乃花は俺の目を見て静かに頷く。1歩踏み出して祭りの人ごみに混ざった。
人との距離感が近いせいでタバコや酒の臭いがダイレクトに刺さる。群集の壁を掻き分けて周りの露店を見回してみる。どんな店があるのか、散策する。
なのに参列している老若男女問わず心から笑っている顔ばかりが目に留まってしまう。
“いいな“羨望が走る。しかしこの人達と同じように列に並んで一緒に歩いていると自然と一般人になれた気がした。心地よさの良いのに現実のネガティブな部分を見ようとしている。
ただこの感情に菜乃花はいない。俺だけが感傷に浸っていることに気がついた。切り替えろ。メインは何をしたら彼女に楽しい思いをしてもらうことだ。
露店を注視する。焼き鳥や唐揚げ棒、クレープに牡蠣の蒸し焼き、たこ焼きにチョコバナナ。あとカクテルのように鮮やかなジュース。季節外れのかき氷。俺がざっと見回しただけでもバリエーション豊富な出店が並ぶ。
パッと見て祭りのイメージに合うのを選ぶ。
「菜乃花たこ焼き食べない?」
俺は後ろを振り向いて、周りの喧騒に負けないよう菜乃花に向けて大きな声を出した。それに呼応していつもより少し大きく頷いた。
たこ焼きを二つ買うことにした。列に戻って投げかける言葉を選出する。
————あれ楽しそう。
————あれ、知ってる?
————これも美味しそう。
————これやってみない?うん。やらない、あー、おっけぇ。
菜乃花が俺と歩くことに飽きない。会話のリズムも弾んでいる。当たり障りのないことばかりだがつまずかないでいる。
彼女は人と話すのが苦手だ。大きな声を出すのなんてもっての外。だからなるべく首を縦か横か斜めに振れる話題で話せられるよう、意識している。
菜乃花は少し難しそうな顔をしながらも考えてくれる。そしてちゃんと応えてもくれた。
祭囃子の音や売り子をする人の高い声、賑やかに話をする人の声。それら響く音が俺の声を引っ張ってどこか違う世界に送ってしまう。
祭りの会場は最初に鳥居がスタートで、そこから本堂までの一本道を屋台で買い食いしながら真っ直ぐ進む。そのあと石造りの階段を登って本堂にたどり着く。
長い長い一本の道。横に逸れればイートイン可能スペース中で飲み食いが出来る。
本堂までは結構歩いたほうなのに辿りつかない。ゴールなんかないから寄り道ばかりを2人でしている。
射的の店があった。食べ物ばっかりで工夫がなくなっていた頃合い。
「なあ菜乃花、射的やんない?」
菜乃花は首を斜めに傾けたが、俺が半ば半分強引にその出店に連れて行った。店にお客さんはあまり入っておらず、すぐに銃を握らせてもらった。
露店のテントが狭くて、俺と菜乃花はほぼ密着状態だった。
二人で一丁ずつ借りた。火縄銃に形が似ていた。弾は五発まで。課金ありだった。俺は銃口にコルク製の弾丸を親指で一発詰めて景品(お菓子)を狙って撃った。外れた。
「あちゃー、下手だねーお兄ちゃん。彼女の前でカッコつける気だった?だったらこれ狙いなよ。うちの看板商品」
椅子に座る赤の法被を羽織る店員のお兄さんは机の下から片手サイズの茶色いクマのぬいぐるみを出した。
おい、商品なんでそこから出るんだよ。
「お嬢ちゃんも欲しいでしょ」
‶うん”と菜乃花は頷いた。
「お嬢ちゃんも頑張ってね」
店員のお兄ちゃんは棚に立つ景品を少しずらして倒れやすくした。
「え、ズルくない?」
俺はびっくりして敬語が外れた。菜乃花は苦笑いしていた。
「別に、ズルじゃないよ。女の子の体格考えたらこれが妥当だから。まあ、落ちるといいね、クマ」
煽ってくる店員に腹が立つも菜乃花が欲しいというからには、俺は絶対にあのクマを棚から引きずり落さないといけない。
「いや、これ、無理だよ。ちょっとずらしてくださいよ」
隣に立つ菜乃花が俺のほうを見ていた。きっとこれが期待の眼差しというやつだ。菜乃花は俺の肩に手を乗せる。
「・・・・・・唯一、頑張って」
奇麗なソプラノはゆっくりと俺の全身に行き渡る。
動向が広がって、血が一瞬で沸騰した。スロー再生で2回声が頭の中で逡巡する。
銃の持ち手に力を込める。
俺はやる気に燃えた。が・・・、クマは落とせなかった。弾は当たるがクマが重い。ピクリとも動く気配がしなかった。
でもだ、菜乃花の声を聞けたし、ありかな。まさかこんなサプライズがあるなんて思わなかった。
思い返す。耳の中で菜乃花のソプラノの高く澄んだ声が反響した。俺はにやけてしまう。
その後は菜乃花が全弾当てて景品のお菓子をもらっていた。浴衣に銃って似合うな。凛々しく見える。
「まあしゃあないからラストチャンスね。お嬢ちゃんが撃って当たれば商品ゲット」
店主がクマを棚の落ちそうで落ちない絶妙な場所に置いた。菜乃花がコルク弾を銃口へ挿す。
「はい、ゲットぉ」
店員のお兄ちゃんが菜乃花の手に、クマのぬいぐるみを手渡した。
「また来てな」
店員さんは笑いながら送り出してくれた。
俺たちは、また歩くことにした。
菜乃花が楽しい思いをするかと悩む唯一だったが案外、彼女は楽しんでおり、表情が柔らかかった。
笑う回数が増えた気がして俺は気負うのをやめた。
成り行きでだが、菜乃花と二人で屋台巡りをする。青春を謳歌しているみたいで気恥ずかしいながら楽しんだ。
そういえばあと一時間半くらいで花火が上がるらしい。それはも人で見たいなぁ。
改めて行列というのはすごいものだ。ライブの観客のように一体感がある。頑張って進もうとしても戻されそうになる。
途中で動けなくなったりもして、進むまでの待ち時間が楽しむことに繋がる。
「楽しいね、来てよかっ────」
俺は振り返った。視界に菜乃花がいなくなっていた。元々そこにいたはずの人が消えて脳がバグる。
いや後方に人の波に攫われてしまったのだ。やらかした。
彼女が人の波に逆流しようと抗っている。
「菜乃花!!」
咄嗟に俺は手を伸ばしたが、届かない。菜乃花も腕を伸ばしたが、指先と指先が触れ合う距離で、離れてしまった。
人の波に押され菜乃花は奥に追いやらていった。
俺は、必死に菜乃花に追いつこうと強引に人垣をかき分ける。たくさんの人にぶつかってもみクチャにされながら押し進んだ。
痛いし、なかなか前に進まないしでイライラしながら、菜乃花の名前を叫んだ。
俺がちゃんと横に立っていなかったからだ。俺が警戒していれば・・・・。彼女も疲れていたんだ。足に力が入らなかったんだ。
自分がぼーっとしていなければ。本当にダメだな俺は。
やめろ・・・。今は反省の文言を垂れるな。自己嫌悪は後でやれ。菜乃花を探すんだ。
息を切らして口に入る熱い空気を口に含ませ、呼吸を整える。歩きながら目を凝らして探る。
和山の顔が思い浮かぶ。もしも俺じゃなくて、和山匠が菜乃花の横で歩いていれば、こんなことにはならなかったのではないだろうか・・・?
やるせない思いに募って心臓が痛みだす。目頭も熱い。
必死になって追いついて菜乃花が見つかった。でもまだ遠い。人の波に逆らう過酷さ。
だが、俺が菜乃花に追いつこうと大勢の人の隙間を縫って前に出ても、菜乃花との距離は離れるばかりだ
「菜乃花・・・。菜乃花・・・・・・」
俺は、名前を呼ぶ。腕を伸ばしながら、奥に進む。乾いた声で呼びかける。腕も疲れてきた。それでも、なんとか進む。
手を下ろそうとした時だった。白い手が伸びる。俺は手を握って、力を込め、手繰り寄せる。
その手はひんやりと冷たい。小さい手の指に俺の指を挟め、離さないように絡める。
蕪を抜くように、菜乃花が出てきた。
菜乃花も息を荒げていた。一つに結ばれた髪が乱れている。
「ごめんね、菜乃花」
俺は、菜乃花の目を見て誠心誠意、謝る。店の手伝いが終わって、顔を洗ったのに、また俺は汗で顔を汚してしまう。
どんな力で手を握って、どんな顔で彼女と向き合えばいいのか。
菜乃花の反応は薄かった。彼女は俺の視線から外れている。完全に上の空。
ゆっくりと乱れた髪を手櫛で直そうと繋いでいない手が伸びる。黒い髪を一本一本するりと無抵抗に下に落ちていった。
頬を紅く染める表情から分かった。山で見た、あの表情。想いを馳せる女子の顔。訝しんだ唯一は振り返る。菜乃花は俺ではなく和山匠に視点を注いでいた。
自分の運の悪さを憎むより先に、悲しい結論に至る。
唯一の手は今になって菜乃花の手の感触が鮮明に感じられた。この手を離したくない。ずるずる続く白昼の夢に縋っていたかった。
読んでいただきありがとうございます。拙い文ですいません。感想とかご指摘をください。