第九話 【ナーブインパクト】
次の話につなげるための話です。ああーそういえば昼間のお祭りって大体こんな感じだよなーと思いながら読んでもらえると嬉しいです。
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彼女は喋れない・・・。 第三章 第九話
祭りが開催されてからかなり時間が経過した。少しずつだったが参加する人数は増えていって、会場は大賑わいとなる。
そんな17時過ぎ。雲の無い空に大きく真っ赤な夕日が顔を出す。
イートイン用のテントでおじさん達が大声を上げている。話の内容はしょうもないことばかりで、下卑た笑いは老若関係ない。
大はしゃぎしてビールを飲み干していく顔は猿のように真っ赤になっていた。
屋台の中は熱気が充満しており、熱された鉄板から沸く煙に頭が痛くなる。
熱で体表から抜ける水分をこまめに補給をしてはいる。しかし呼吸をすれば胸が痛くなっていた。
「おじさんこれのチョコ10個ちょうだい」
「お兄さんな」
着物を着た大学生らしき人が俊雄さんに涙うさぎの入ったショーケースを指さしながら頼んだ。
「俊雄さん、今、焼き立て上がるよ」
「計1200円ね」
菜乃花が商品を手渡して、綾瀬が会計をする。シームレスに息が合うようになっていた。
話さなくてもよいのに人との交流を迫られているこの環境に菜乃花の負担をついつい心配してしまう。
涙うさぎの売れ行きは順調で最初の1時間は1人、2人のお客さんが等間隔で買いに来てくれた。
今は大盛況となって息つく暇を与えてくれない。お客様のおかげではあるが高校生が働く仕事量ではない。
俊夫さんも俺と同じように焼き作業だが、涙ウサギではなくクレープを担当していた。一芸だけじゃこの店で食っていくのは難しいとのことでやっているらしい。
「花火って何時に上がるんです?」
「あー、確か七時半くらいのはずですね」
お兄さんはえんじ色の浴衣を着て、扇子で顔を煽いでいた。
「いやー、暑いですね」
「堪んないくらい暑いよ。でもお祭りって感じがして俺は好きですよ。独特の暑さみたいなのは」
俊雄さんは首に下げた白いタオルで汗を拭きながら対応をしていた。
普段は砕けた口調で俺たちとしゃべる俊夫さんが、お客さんと話しをするときは敬語で接していた。
それが接客業を営む者としての当然のふるまいなのだろうけれども、いつもの俊夫さんを知っている俺にはほんの少しだけ違和感があった。
たまにしかお客さんが来ないあの駄菓子屋さんでは、俺や綾瀬に大げさだと思うほどあの人は笑ってくれる。
だから、仕事に取り組んでいる顔を見れることが新鮮だった。
熱い鉄板と鉄板を挟んで涙ウサギの生地を膨らませていく。鉄板の中ではパチパチと爆竹が弾けるような音が鳴る。
小麦粉の香りが最も香ばしくなる瞬間に鉄板を開ける作業が俺は好きだ。
綾瀬から受け渡される商品を待ちながら、お兄さんは無邪気に歯を出して笑う。
「ありがとう、頑張ってください!」
そう言って、層の厚い人混みの中に混じっていった。俺にはその背中を目で追うほどの暇はなく、すぐに手元に目線を移す。
この露店の利点は密集だ。この店を目当てに人が来るわけではない。客も店も数を伸ばせば必ず誰かが手に取ってくれる。
食べやすく小さな一個だからこそ今のお兄さんのように一人で何十個も買ってもらえる。
それだから休む暇はなかった。
俺は一息付けなくてもまだどうにかなるけれど、問題は菜乃花だ。
菜乃花はだいじょうぶなのか?倒れたりしないだろうか?水分補給はちゃんできているのか?
お客さんに緊張していないか?思いつく気配りにキリがなくなる。
綾瀬がしっかりとサポートしてくれているだろうし、杞憂で終わって欲しいなと思っていた。
そこから一時間は俺たちは働き続けた。立ち作業で足の筋がたまに痛みを発するようになった。
菜乃花は熱中症や脱水症状にかからず一生懸命に働いていた。お金を会計し、小さな声で「ありがとうございました」と言っている。
接客では当たり前の一言を彼女は言えるように努力している。この場に慣れたのもあるのかもしれないが何より彼女が1歩を踏み出してくれた。
店の準備中に綾瀬は死んだような顔をしていた。今は大丈夫そうだが時折、表情が虚無になる。
無理をしながら仕事に打ち込もうとしているのが伝わって胸が痛い。
綾瀬が俺に言ったことの真相も気になるけれど、その事ばかりを考えているのはやめた。仕事が疎かになっては元も子もない。俺も頭を切り替えた。
「いらっしゃいませー」
お客さんが買いに来た。俺も挨拶をした。さあここからが頑張りどころなのだろう。
夕暮れ頃、会場にセッティングされた照明が点灯され、ようやく祭りという行事が本格化していった。
肉が焼ける匂い、タバコの匂いが1時間前よりも1層濃くなっていた。
そして沢山の人がごった返し、笑い声や話し声、沢山の声が飛び交う。浴衣のお客さんが多くなってきた気もする。
「暑ーい」
手で仰いで俺は暑さを凌ぎながら焼いていた。
太陽が沈む。昼間よりは気温が下がったはずだがそれでも真夏のように暑い。お客さんの昂るテンションに引き上げられているようだ。
しかし先ほどより客足が減った。きっと祭りで食べるものの中に涙うさぎは入っていないからなんだと思う。素通りするお客さんの手にはジュースとかポテトが手に持たれている。
これはそんな今の俺たちに時間に余裕ができたということだ。
俊雄さんの指示で菜乃花と綾瀬は店の奥で休憩をしている。2人は椅子に座って項垂れている。疲れが濁流のように溢れてきたのだろう。
綾瀬は何年も店の手伝いをしているから慣れているだろう。しかし菜乃花は朝と比べて顔に影ができていた。
長時間ほぼ無休憩のまま立ち仕事をしている俺も休みたい。2人がいる場所がオアシスに見える。
疲れは自覚した途端に足からガクガクと笑い出す。もう帰るまであと4時間弱はヤケクソの試合だ。
おれと俊夫さんの二人はいつお客さんが来てもいいようにと立っている。
時折、俊夫さんからは「休めるうちに休んどけ」と言われたが断った。矛盾しているが俺が後ろで控えたら俊雄さんが1人で立ち回らないといけなくなる。
今だって軽い口調で言ってくれるのは経験から蓄えた余裕だろう。だけど少し忙しくなったらきっと俊雄さんは誰にも声をかけないと思う。
だから俺は無理してまで立つことにした。
菜乃花にかっこ悪いところを見せたくないなんていう気持ちもある。それが俺を踏ん張らせれた。
変な見栄だなと思う。
楽しそうに大人が笑う声を耳が拾う。
さっきまでは暑さで背中と髪の毛がびしょ濡れだった。汗が出てこなくなった。でも同時に暑いとは感じても身体の芯は冷えてしまう。
頭が振動する。呼吸も浅くなる。客が来ないのに何をしてるんだ俺は。ネガティブな感情が心の中で声を発している。
「なあ唯一。あそこの向かいにタイ焼き売ってる店あるだろ」
「うん・・・。売ってるね」
俊夫さんが俺に話しかけてくれた。俺はなにも面白い反応が取れないで感情のこもってない返答をした。もっと面白味のある言い方をすればいいのになんでしてしまったんだ。
「あそこのタイ焼き屋、ピロシキも売ってるんだよ。知ってるか?あれそんな美味しくないんだぜ」
「マジで?」
「うん。ほんとっうに美味しくなかった。ただの感想なんだけどさ。あれは日本人の口に合う味じゃないね」
すごいしょうもないことを教えられてしまった。身と心が今すり減っている今はそれでも、そういうのがシンプルに俺の笑いのツボに刺さった。
辛さが少し晴れる。
「へー」
後で買いに行けたら行ってみたい。
俊夫さん個人の味覚の話で美味しくないというピロシキ味がどういうものか興味はあるけれど、前知識で美味しくないと教えられると、口に入れていないのにマズい味が口の中で広がった。
“ぴろりん”耳障りの悪いrain特有の機械音が俊夫さんのスマホから鳴る。
「愛維ちゃんあと少しで屋台来るってよ、それまでの辛抱だな」
俊雄さんはニカッと笑った。
「つーことだから、お前も水分補給くらいはしておけ。客の来ない店に店員二人立ってても何もすることがないんだ。1人で十分。ほら、次に備えて座っていろよ」
背中を叩かれる。
「・・・分かった」
テントの奥で、俺は椅子下に置いたカバンから水の入っているペットボトルを取り出した。
固い椅子に俺は座って、ペットボトルの蓋を回す。そのまま自然なモーションで飲む。
ぬるくなった水が喉の奥から体中の隅々に水分が染みていく。
生き返る感じが体を巡る。
底に至るまで呑み干すとぴたりとさっきでの悪寒が止まった。これが脱水症だと自覚して、恐ろしさを感じた。
そして俊雄さんの目敏さに救われたのだと思い知った。
念のために俺はカバンの中にあるもう一本のペットボトルを取り出す。今日、彼女は一口も会場内で水分を補給していない。
「菜乃花。これ、飲んで」
菜乃花は座ってから物凄い疲れている顔をしていた。きっと熱中症が原因だからだ。長時間の慣れない立ち作業と人混みで限界が来ていたのだろう。俊雄さんに受けた恩がここで活化したかった。気持ちの押し付けかもしれない。
でも自分の管理能力の甘さが今に起因しているのだから反省して次にないようにしないと俊雄さんの優しさを腐らせてしまう。
「スポーツドリンク飲める?」
菜乃花はうなずいた。
「じゃあこれ。結構甘いけどさ、熱中症対策にはなると思うし、めっちゃくちゃ回復するよ」
俺は今、疲れのあまりに語彙が消滅している。でも彼女の曇った顔を晴らせられる言葉を精一杯考えた。
手渡すのは難しいと思って俺は菜乃花の膝の上にペットボトルを置く。
「綾瀬もだいじょうぶか?なんだったらなんか買ってくるよ」
「いや、大丈夫だ」
綾瀬は乾いた声で即答する。
しばらく俺も椅子に座る。人の流れを眺めて無心でいたかった。その間にお客さんは5人くらいしか来ていない。そうしていつの間にか
「お待たせいたしました!」
愛維さんが大きなリュックサックを肩に担ぎ、白と淡い赤の浴衣で参戦する。見違えるくらいに綺麗で祭りの情緒と合っていた。
「店、任せっきりだったのすごい頼もしかったよありがとうな。とりあえず来て早々だけど働いてもらっちゃっても大丈夫?」
「全然大丈夫ですよ。お客さん全員、収秋祭に取られちゃってて誰も来なくて暇だったんですよ。もう暇で力が有り余るくらいです!」
愛維さんが袖を捲って頑張って手伝いますよーと意気込む。有り余る元気は鬱陶しくない。むしろ日照りのように癒されてしまう。
「そうそう、屋台を手伝う前に私から菜乃花ちゃんに渡したいものがあるんだよね」
菜乃花は顔を上げて、きょとんとした顔をしていた。
「俊夫さんちょっとだけ車のカギ、借りていい?」
「いいけど何するの?」
愛維さんは俊夫さんの横で、カギを貸せと手のひらを差し出して催促した。
「えっとねぇ、菜乃花ちゃんをイメチェンするんですよ」
マジで?俺と綾瀬は目を合わせた。2人ともだらしのない顔を浮かべている。お互いに何に期待をしているのか察してしまい、目を伏せる。
「菜乃花ちゃん、いい?」
菜乃花は少し考えると恐る恐るうなずいた。
「ほんと!ありがとー」
愛維さんと菜乃花は俊夫さんの車が停めてある駐車場に向かった。椅子から立ちがった菜乃花は、ふらついていた。菜乃花の肩を愛維さんが貸して、人の波を縫うようにして二人は消えていった。
「・・・さて、この客の来ない出店でただ待つのもあれだから、俺もタバコ吸ってくわ。ヤロー共お客さん来たら頼むな」
「はーい」心なしか声がうわずっている。
俊夫さんもどこかに行った。
そういえば俊夫さんは、祭りが始まってから一本もタバコを吸ってなかった。菜乃花に気を遣って車の中でも吸っていない。ずっと我慢していたんだろう。このまま先を見越してもまだこの露店にお客さんが沢山来て忙しくなる雰囲気でもない。
俊夫さんも我慢していたんだろう。仕事で足を引っ張ったつもりはない。と自信はあるがきっと俊雄さんからすればまだまだカバーをしないと危なっかしく映っているのかもしれない。
「さて、俺たちだけだし、気ままにやろうぜ。祭りもあと数時間で終わりだしな」
俺は立ち上がって伸びをした。
「なあ唯一」
「なんだよ、綾瀬」
「藤川さんのさ・・・ ———いや、いいや」
綾瀬はなにかに怒っているように表情が強張っている。
「なんだよ」