第六話 【ノンフィクション】
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足並みは夜へ近づく一方。茜色に変色した空は枠線から墨が塗られ始めた。
「たぶん藤川さんが話せない原因作ったの俺なんだよ」
「――――なに言ってんだよ、綾瀬」
言葉は頭の中で何往復もした。それでも理解ができなかった。口の中では酸っぱい唾液が口の中に溜まっていく。ゆっくりと怒りが腹の底から喉へと込み上がる。
「まあ聞けよ。この町に引っ越して来る前、俺と藤川さんは同じ小学校にだったってのは知ってるよな? ・・・・・・・まぁそうだったんだ。
ある時期から藤川さんはいじめられるようになったんだ。それまではあの子は人一倍、大人しかったってイメージ。
まぁ入学して突然、1つの室内に初対面の人たちを押し込むんだ。誰だって緊張はするよな。だけど彼女だけいつまでも馴染めなかった・・・・・・・。
子供心に不憫に思った誰かが会話の輪に入れたりスポーツや遊びに誘ったりと仲間はずれにならないよう、あの手この手で仲良くなれるようきっかけ作りをした。あの子に対して皆、積極的に関わっていく。それが小学校一年の頃」
「それがっ」
綾瀬は首を振って口元を手で覆った。立ち上がりそうな俺を制してからまた話し出す。
「二年生に上がっても手は差し伸べ続けた。とうとうクラスの共通認識は「藤川さんに配慮する」になる。でも藤川さんに対しての態度を変わってしまった・・・・・・。
1年間藤川さんに尽くしたのに、歩み寄ってくれなかった。それが理由なんだろうな。・・・・・・・・飽きられたんだよ。きっと周りは『おじいちゃんおばあちゃんの介護を無償にしてやっている』。そんな自己満足を得るような感覚に陥っていたんじゃないかな。身勝手なだよな。自然と冷たく接するようになった。
共通認識が同調圧力になって、いつしか排他的にならないとクラス全員の繋がりを保てなくなってしまった。女子は数多くの汚い言葉を浴びせたり物を隠したりした。終いにはおうむ返しをさせていたやつまでいた。
男子は男子で、先生の目がない場所で殴っていた。何をしたら怒るのか、どんな事をしたら泣くのか、どうすれば声を出したりするのか介護と称して悪意に優劣を定めて競っていた。
初めから誰かが主体となってやりはじめたわけじゃないのに最後は全員でやらないといけなくなった」
話の内容と合わせて垣間見える綾瀬の懺悔に呆れた。もはや相槌を打つ気すら湧かない。
「勝手に優しくして手のひらを返してまですることがそれなのか・・・・・・・・」
出てくる言葉は感想に近い。
「そんなのが何日も繰り返したよ。俺を含めたクラスメイト達の娯楽になっていたんだ。何もしない方が珍しいくらい。そして小4でいじめを終わらせる奴が出てきたんだ。それから後は何事もなく俺は転校した。ちょうど2学期からだったな。な?」
「ああ、そうだった気がする・・・」
本当はもっと言いたい言葉があるのに出てこない。何を言いたいのかすら口から出てこない。ただ、軽薄な言い方が俺は心底気に食わなった。
「まぁいじめは止んだんだけどさ。“しょうがない、だってあの子が悪いんだから”って渋々悪態をつくやつはいた。俺も転校するまでそう言い聞かせて」
「――――なあ、しょうがないで済む話なのかそれってさ?」
俺は正しさを武器にした無意味な弾糾をしてでも会話を遮りたかった。綾瀬は椅子に深く腰を乗せた。深くため息を吐く。
「・・・でも、しょうがないじゃ括れないんだよな。あっちでやってしまっていたことが異常で、こっちが普通なんじゃないのかって気がつかされた。中二の時、あの子もこの町に転校してきてさ、当時の藤川さんの眼が酷く沈んでいたように俺には見えた。更にお前が読んでいた本を俺も読んで・・・・もっと後悔したよ」
「うるさい、それならなんで謝らなかったんだよ。話す機会なんてたくさんあっただろ」
前のめりになってテーブルを越えて綾瀬に掴みかかった。
「ああ、あった。でもしなかったよ・・・。正しい事じゃないってのも分かってる。でも怖いんだよ・・・・・・。『お前のせいで私の人生はおかしくなったんだ』って言われるの。しなかったんだ」
俺の手首を握る。力なんてこもっていない。
夕日は完全に落ちきっている。誰もいない図書室は光の残滓がここにあった。暗闇の中二人は見合って硬直している。
沈黙の空気を変えようという考えは過ぎらない。綾瀬の襟首を引っ張って窒息させてしまいたい。菜乃花にしてきた過去の話は俄然、整理できずにいた。先行して迸る感情に理性が追いつかない。
「藤川菜乃花についてお前が1番気になっているんじゃないのか?だからあの本を手に取ったんだ。きっと唯一、お前は俺を軽蔑するだろうね」
開き直っているような言い方で、声だけが震えていた。
薄闇の図書室に早出の月光が綾瀬の顔を映す。
1人で受け入れればいいじゃいかと言えばそこまでだと思う。しかし吐き出したかったのだろう。目を合わせてしまった。海面に揺れる光みたいに涙を溜めいていた。
意図せずも俺の手は離れていた。
「俺にとってお前は・・・・・・親友だと思っている」
言葉を続ける。
「そこに時効があるかは分からない。でも綾瀬、お前はよく頑張ったと思う。こんな環境でさ。お前が加害者ていうのは変わらない。今までの俺との積み重ねで切れてしまうだけの安い関係性じゃないでしょ」
「ああ、あぁぁ・・・。そう・・・だといいなこれからも」
しばらくの間が生まれ、図書室のドアが荒々しく開かれた。
「おい、お前ら、さっさと帰らないか!」大来先生が、怒声を二人に浴びせた。近づいてくる大来先生。
「な、なんでここにいるの知ってたんですか!」俺はそう言うと先生は近づいてきた。ワイシャツからはたばこの臭いがした。
「職員室にいると大体の生徒が帰っているのを視認できるんだよ。ほら完全下校の時間はもうとっくに過ぎてんだ」
シッシと指で空を仰ぐ。教員ってもう少し好感度を上げる意識とかしないのか・・・?
適当に俺達は応答して足早で学校を出る。軽いいざこざを経て、綾瀬は罪悪感に駆られて俺の元から去らないか不安でいっぱいだった。
自転車を漕いで15分弱の帰宅ルート。何も言葉を交わさないで並走している。友達だと言ったものの所詮は口約束。考え直してほくて一息、空気を吸うと名前を呼ぶ。
でも綾瀬の方が口を開くのが一拍早買った。
「昔さ、ここに来た時に初めて話しかけてくれたのが唯一だった。それで、俊雄さんを紹介してくれたのもお前だった」
「え、あー、そこは覚えてるよ」
色々な色の屋根が特徴的なあの住宅街が目前となる。2人はまた無言になった。菜乃花といる時の気まずさとはまた別種の気まずさが2人のやりとりに存在する。
「いろいろごめん」
「気にすんなって。あと危ないから前みろ前」
俺は夜空を見上げる。陽が無いと肌寒い。夏が終わって、秋になると、坂を転がるように一気に冬になる。そろそろ冬物のコートを出さないとなと思った。
雪が降れば、菜乃花と俺と綾瀬でなんかしたい。あの山で雪景色でも観ながらまた俊雄さんの所でお菓子でも食べたいな。もしかしたらまたあの弁当が食べられるだろうか。楽しみだな。夢心地でも楽しみだった。
綾瀬の家の前で彼は自転車を降りた。
「あのあと実は、俊雄さんに藤川さんのことを言ったんだよ。そしたらさこう言われた。『自分の性格も過去も簡単には変えられない。でも自分の周りの状況くらいは変えられる』って。なあ唯一、変えられるかな」
「何とかなるんじゃないの」
俺の頭は疲労でいっぱいでもう考える気力が湧かない。話を終えてから綾瀬はずっとキザったらしいことばかりを口にする。
「唯一」綾瀬は真剣な声だった。
「ん」
「俺には人との交流なんて向いてないのかもしれないな。だって藤川さんはお前を選んだんだし。何かしてやれるのも俺じゃ無理なんだろうね。だからさ頑張れよ」
彼にはもう迷いなんてなかった。
「勝手な話だけど」そう前置きをして「俺の過去の話で彼女の一面が知られればいいなって今日、この話をした。もしもがあるんなら・・・・・・俺に手紙をもらいたかったな。はは、だから、頑張れ」
彼は乾いた笑い方を寒空へ浮かべていた。受け答えなんてもう合ってないようなものだ。今日はもう帰って寝たい。
頭の中は菜乃花のことで埋まっている。初めて、菜乃花について知った。振り返ると図書室でとってのキーマンに当たる重要な人物についてサラッと言っていたのを聞き流してしまっていた。どうでもいいのに、それなのに、綾瀬は図書室にいるときはあえて濁していた。胸に留めて置こうかと思えたのも束の間。
「最後に一つだけいいか。ひとつ気になってたんだけどいじめを止めたって人って誰なんだ・・・?俺たちと同じ高校に通っているのか」
遅かった。我慢ができずにいた。
菜乃花が指先を操作してスマホの画面に文字を打ち込んでいる記憶を思い出す。
結びつく答え合わせの不正解を願ってしまう。しかし不条理にも綾瀬は口に出して答えた。
「和山だよ」
「はははは」
可笑しさと悲しさで笑ってしまった。
この場から去りたくて適当に1言2言言った。前々から菜乃花のことを知りたかった。傷の数が増える実感が心にあった。自転車の車輪が転がる。返しのついた銛を身体から引き剥がそうと必死になっている気分で気持ち悪い。
過去の出来事を知って、菜乃花の人間というのを見てみたかった。それがどうだ。ややこしくなった。噛み砕いて許容できる範囲の倍の辛さを経験していた。
漏れる白い息。「俺だって難しいと思っているよ・・・・・・・」別れ際の泣き言に俺は独り言だったが応対した。どうしたらいいのか見当がつかない。
自分の性格は変えられないけど自分の状況は変えられる・・・。
○○を創めるの創めるという意味は心機一転と言う意味が含まれています。
自己満足の下りはもう半ば物語と関係ない気がしますね。作者の気持ちが昂ったので書きました。ていうかもう唯一くんの気持ちではなく作者自身の言葉みたいなものです。反則ですかね?
まあそれでも面白いのでこの小説は。それに共感とか共有してくれたらうれしいです。