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藤川菜乃花は喋れない 。  作者: 白咲 名誉
第二章 秋の紅葉と二人の悪い事
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第六話 【ラストリゾート】

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第二章 第六話



夜更けに山へ行こう、俺は心臓が痺れる感覚が迸った。



夜中の2時くらいでいい?送信。既読は早かった。



 菜乃花: わかりました!外で待ってますね!



 補導されれば親に迷惑がかかる。自分の影響する範囲を飛び越えるリスクが怖いと思うとワクワクする気持ちが滝の勢いみたいに止まらない。



 菜乃花:あと藤川じゃなくて、菜乃花って呼んでください



唯一:わかった



私は名前を呼んでほしい。信頼をされている証明に胸を鷲掴みにされたような喜びで身体が浸っている。



 予定している十分前。父さんも母さんも寝室で寝静まり、物音ひとつしない屋内。そこはガス栓の元を締め切ったような張り詰めた空気だった。



 家のドアを開けるまで物音を消すことに集中する。破裂しそうなほど、心臓は躍動する。家の中は一番の安全圏なはずだった。それなのに緊張で視野角が普段の何倍も拡張される。



ドアを開けて1歩、前進する。静かにドアを閉めた。途端に俺は膝に手を着けた。



「・・・・・・・はあっ、はぁぁぁ・・・・・・・・」



 息を殺しても口から空気が抜けていった。真夜中のぬるい空気を鼻腔で感じると途端に外へ出れたことの心労が吐き気となって猛威を振るう。


 人生で初めて家を抜け出した。学校にいるのとは違う感じのストレスが気持ち悪い。何度も深呼吸を繰り返しては溜飲を下げる。



胸元に手を置いて呼吸を整える。



 腕時計の秒針の音が異様に大きく耳に入ってくる。夜更けまで起きている高校生は何人もいる。しかし、外に出るやつは幾らいる?誰もやっていないことをしたんだ。急速に流れる血流が気持ちがいい。



 そして俺は自転車を乗る。今出たよ、5分後にはそっちに着くよ。あらかじめ打ち込んでおいたメッセージを送信した。



 藤川さんの家の前には街灯がある。優しく放つ黄色の光を一番に浴びている藤川さんがいた。そこにポツンと立ってイヤフォンを耳に差し込んで曲を聴いていた。



 外で待っていた菜乃花の足元には少し大きい手さげのカバンが置かれている。服装は少し濃い青のジーパンに、緑黄色りょくおうしょくのパーカーだった。補導対策で夜に紛れやすい暗い色で統一されている。





「遅れたかな?」彼女は軽く首を振る。



「乗って」菜乃花は頷くと慣れた身のこなしで自転車の荷台に横向きで乗った。

 


 国道に出るまで街灯はまばらに設置されていない。だが快晴でよく澄んだ闇夜に映える月光のおかげか、自転車のライトを付けなくてもおおよそは視界に写った。




 夜間帯は身体が不思議と軽くなった気がする。どこまでも行けて、望めば手に入る。そんな万能感ってやつが心地よい。



 

さらりと後ろ風に吹かれた拍子に菜乃花の髪の毛が宙で泳ぐ。毛先から仄かに、香りが鼻口に流れ着く。



石鹸の香りは西にしのような甘ったるいものでなく、控えめだけど清楚な香り。



 国道。道路で車が何台か通った。ナイトライトが横切る瞬間は眩しくて方向感覚が抜け、転げ落ちそうになる。



 あぁ恐いな。だって朝になれば、2人しか知らないこの冒険がなかったことにならなければいいな。未だに胸の高まりは止まない。高揚感で気持ちが良い。人生を楽しむっていう感覚がこの時間にあった。クラスで騒いでいるあいつらはワクワクする胸の高鳴りをいつも感じられているんだな。



唯一の頭の中で思い浮かぶのは自分のクラスで運動のできる顔のあいつだ。



 菜乃花は俺の背中の服の裾を左手で掴んでくれている。立ちこぎは出来ないな。今の足で立つと、転んで怪我せてしまいそうだ・・・。




麓で藤川さんは地に足を置く。吹いた風で木々がざわめいている。肌寒さから掌で腕を擦った。



スマホの灯りを2人は頼りにし、1段目を上った。



 冷めた外気温を感じなくないくらいは身体は熱くなる。昼と同じで菜乃花は息を切らさず凛とした表情で頂上へ挑んでいる。おれは息を切らしながら自転車を運ぶ。



暗い道は緊迫感を産む。怪我がないようにゆっくりと時間をかけて登った。すぐに疲労を取れず、唯一の膝は上がっていなかった。日常動作でかかる微力な負荷でさえ苦悶を表に出てしまう。



それを菜乃花は察してくれたらしく俺よりも一歩後ろに立ってくれた。



やっと頂上にたどり着くと一斉に視界に光が広がった。小さな白色の光がまばらにあり、切り絵のように白と夜闇の黒がはっきりと対立される。昼間とは違う彩色の景色があった。




 バチバチと小さく弾ける火花のように俺は息切れを起こしている。「座りたいな」2人は夜景に感動をするよりも一息つくことを優先した。



 1つの電灯とベンチしか山頂には置かれていない。ロマンチックの欠片がない絵面。それでも町の夜景を眺めていた。




心の中にあった沢山の鬱屈がスーッと削れる。



弱々しく「綺麗だな」って言葉を空からは目を離して言う。



  スッと菜乃花がスマホを出してきた。メモ機能で、綺麗だね。と書いてある。「ああ、そうだな」って答えようと思ったが多分、口に出すと卑屈そうになるからやめた。



たっぷり一拍分の時間を使い喉の調子を整える。



――――「そうだね」究めて優しい口調で言った。



 またスマホのメモで何かを打っている。覗こうとしたけれど、やめた。罪悪感みたいのが働いてしまった。効率的だとは思うが生産性がなくとも彼女には失礼だ。



 手や首の方に目をやる。小さな指と華奢な手首。今すぐ折れてしまうようなほど細すぎた。スマホから強い光が放たれている。操作する手の甲に透ける青い血管。筋トレをして浮き出たものではなく、何も食べないで現れる痩せ型の人の浮き方だった。




キーボード入力時にスマホからはタンッ!タンッ!と軽快に音が鳴る。


 

慣れた手つきで文字を打ち、できたものを俺に見してくれた。


その文体は


――――星、綺麗だね。私、弁当を持ってきたんですよ。よかったら食べませんか。



菜乃花は手にかけている大きなカバンから小さなピンク色の弁当と小さい水筒を二つずつ取り出した。



「あ、ありがとう、菜乃花」



 キッチンに立ってエプロン姿の彼女を想像した。熱の篭った想いじゃないにしろ、彼女はここでご飯を食べるシチュエーションを俺を交えて考えてくれた。俺は感無量な気持ちになる。



箸と弁当を手渡され、蓋を開けた。



 驚くほど中身は豪華だった。エビフライや野菜の炒め物、卵焼きやきんぴらごぼうが入っていた。どれもこれもが冷凍食品じゃなくて手作りされたものだった。料理できるんだすごいなって本当に心から思えた。人間らしさを感じた。



――――唯一君に連れて来てもらった時に、ここでごはん食べたらおいしいんだろうなって思ったんだよね。



またメモ機能で書いた文を渡された。



「え?もしかして夕飯食べてないの?」



うんと首を振った。俺の横に座り二人とも向き合っている。



――――少しは食べましたよ?



「家族は何も言ってなかったの?」



首を左右に振ってからメモ機能にまた打ち込んだ。



――――お父さんに心配はされたんですけれど無視しましたw 大丈夫ですよ



「そっか、大丈夫ならいいのかな。頂きます」



手を合わせて俺は割り箸を割った。パキッと音が鳴り、エビフライを口に咥える。



菜乃花も俺に続いて食べた。ゆっくりと口と運んで、大切なものを噛みしめているように味わっている。同じ歩幅になるように速度を合わせた。



口の中に入った食べ物を飲み込まず、手で口を隠して「おいしい」と言うと菜乃花は笑った。



  菜乃花が作ってくれた食べ物は、スーパーにある惣菜のような大雑把な味付けじゃない。素朴で薄味。でも満たされる深い味わいがあった。



 どことなく運動会や遠足で母さんが奮発して作ってくれるような味。どこが゛美味しい”とか特別な調味料とか、味覚に頼る表現の仕方じゃなくて、ただ単純に美味しいで済ませれるのに、でもその言葉にはいろいろな思いが詰め込められた心がある弁当。



お腹より心が満たされる。星空で弁当を食べるなんてとても不思議な感覚。



  俺が食べ終えると菜乃花は中身の十分の四程残っていた。空になった弁当箱を見て少しペースを上げる菜乃花だった。




俺が「あっ、焦らなくていいよ」


そういうと、こくんと頷いて元のペースに戻った。食べ終わった弁当箱を俺と菜乃花の間に置いた。




ぱくぱくと食べている中、俺は手持ち無沙汰になった。ポケットの中で固い感触に足が気持ち悪さを覚える。


ある物を思い出した。




「なあ菜乃花あのさ、・・・おれ、煙草、持って来たんだよね。いやまあこれなんだけどさ」煙草の箱を出して、ゆっくりと言葉を続けた。



「菜乃花が冒険したい、なんて言ってたから俺もしよっかななんて思ったりしてさ。お互い不良だね」



 おれは固い笑顔を作る。菜乃花は煙草っていう馴染みのない単語と高校生が持って来ているという事実に戸惑っていた。



表情に変化はない。でも理解はしてくれていたと思う。俺は躊躇わず蓋を開ける。



一本取り出すと、人差し指と中指で挟んだ。



 ライターで火を付けて煙草を口にした。濁ったオレンジ色の部分をジュースをストローで飲む要領で吸ってみるとジジジと一センチか二センチ赤い火が白い紙を燃やし、フィルターを侵食していった。肺に重たいモノが入ってきた。



その瞬間、むせた。



暗闇の中で煙草の炎だけが綺麗に光っていて、蛍みたいだった。



菜乃花はじっと俺を見ている。



「げほ、げほっ」喉がジンジンして肺にゆっくりと吸った煙が渦を巻いてゆく。



煙草から出る煙の臭いはすごいくさかった。俊雄さんの服に纏わりつくのとは別の物。



 指に挟んであった煙草は、身体がもう触りたくないという指令を出したのか、勝手に足元の砂利に捨てていた。煙草の先端が燃えるものを探すが見つからなく、音を立てず鎮火した。



 眼からは涙が出そうだった。思考が鈍化する。隣に居座る菜乃花は心配そうに、慌てて背中をさすってくれた。



「だいじょうぶだよ、ありがとう」と俺は言う。彼女は、ゆっくりと手を引いた。暖かい手のひらが未だ背中には残っている。



次第に頭がガンガンといたくなる。




「煙草って本当に臭いね」俺は一つ、大人の階段を昇る自分の足音が聞こえた。



しばらくして、ある程度落ち着いてきた頃に


「なあ菜乃花」弁当を食べ終えたのを見計らってそう呼ぶと、「こういう時に聞いて良いのかわからないんだけどさ聞いていいか?」菜乃花は首を斜めに向け、頷いた。



「菜乃花が前にrainでくれたメッセージにさ、昔、助けてくれた人がいて、その人に恩返しをしたい。みたいなこと送ってくれたの覚えてる?それって誰なの?」痛い思いをしたところだけは濁しながらゆっくりと言葉を伝えた。



あの時の雨の降る日にくれたメッセージは今も脳裏に焼き付いている。




 Rainの文章は“ある人”と明記されている。彼女にとって最大幸福値がその瞬間で、何人たりともそこに介入されたくないからあえて記さなかったのかなと思う。



でも今ならどうなんだろうか。今、この瞬間が2人の信頼関係の絶頂なんじゃないか。

 


菜乃花も空になった弁当箱を俺が置いた所の横に置いた。



  そして彼女は俯いて黙り込み、手を膝の上に置いて固く拳を握った。そしてスマホのメモ機能を使おうとはしなかった。



 沈黙。真夜中の静けさは昼間とは違い、漠然とした恐怖があった。意識を保っていたい。ベンチに座る二人と、何体か集まり蛾がまとわり付く白く光る外灯。



菜乃花の心を閉ざそうと自らしているんだ。謝ろう。


 

  町の方からはブオーンとマヌケな車のクラクションが一つ鳴った。彼女にとって、大事な事だから俺も拳を握って待った。




俺が口を開いた。被さるように『あ・・・、あ・・・、』菜乃花の握る拳が震える。




「あ、あのさ大丈夫だよ!!ごめんね。あれだったよね」作り笑いをして「帰ろっか」と俺は言いながら立って、彼女の反応を待った。すると菜乃花は首を振って


『だ、大丈夫・・・・・・』そう言った。



 俺は座り直すと、良いの?と聞く。菜乃花は頷いた。菜乃花の眼を見ると、大きな瞳からは決意や覚悟などといった強い何かを感じた。



大して変わらない風景の中で、音も風も無く、でも二人を囲んだ〝なにか”だけが大きく変わった。



『・・・・・・一組の、たくみ君・・・』今にも消えそうなアルトの声だった。



「もしかして和山匠かずやまたくみ?」そう聞き返すとウンと首を縦に振った。



菜乃花が口に出したのは俺達と同じクラスの生徒で常に前向きな太陽のような男の名前だった。



『小学校の時に、助けてもらって・・・それで「ありがとう」って言いたい』そこだけははっきりと言った。



俯いている菜乃花の顔が見えないのに、外灯の光のせいで耳だけが赤くなっていたのが分かった。



 心の中から湧き出た言葉は、「和山匠に惚れているんだな」この一言だった。恥ずかしさや緊張で赤くなるとは違う感じだった。



ひどく重たい物が肩にのしかかる感覚に苛まれた。煙草のせいもあって余計に心の中が気持ちが悪くなった。



「そっか」おれにはそんなことしか言えなくて、次に出た言葉がとてつもなく情けない酷いものだった。



「なら・・・、ちゃんと言えるような仲にならないとな」これだった。



 この言葉に対しても首を縦に振った。俺はポケットに入っていたスマホの電源をつけると十二時と表示されていた。菜乃花と一時間もこの山にいたんだな。



 色々と想うことがあって、それでも耳が赤くなる瞬間だけが目に焼き付いていた。たくさんの心の底から沸々と湧き出る言葉達が右往左往して、何をどうすれば良いのか分からなくなっていった。



 でも取り敢えずは帰りたかった。だからスマホの画面に浮き出ている時計をみせて「もう遅いし、帰ろっか」と言った。顔にお面をつけたように作り笑いをして。





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