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TUNIC 企画参加作品

新戯曲『木星の縞』

ボクの生涯ベスト短編に選ぶ江戸川乱歩作『火星の運河』オマージュ作品です。

 遠すぎる一歩であった。永劫を刻みつけるのだ。音は色彩となって、時を止めたような正確さでピタッと地面に固着する独楽こまの不動の有り様を生き写すように、その気配は静寂しじま。赤、緑、青……。三筋の縞模様は不気味なほど美しく、均整のとれた羅列にて循環し広がって。波紋は時おり揺らめいて、微妙に重なりあい、黄、紫、橙を生んでいき、のみならず複雑な濃い色彩や唐突な淡い色彩を無数に含ませていく。

 道路はアメンボを浮かべる水面みなもの張りつめた風情に凝固かたまっているが、僅かに揺蕩いながら脚を打つダイヤモンドの硬質は、実際異物としての私を頑なに拒んでいるだけで、呪縛から解き放たれた暁には深海まで一気呵成、巨大な引力の咆哮がすべて丸呑みにする暴虐なまるで漆黒の海。

 得体の知れぬ実相への直観を嘲うような冷酷が皮肉なことに流麗な極彩色の波紋とて顕われつつ、ヘドロのごとき沈思はかくも呆気なく粉砕され表面に弾かれ憐れに散っていくばかりで。足元から、奥闇の貫通から失われた体躯にも拘らず、流麗な色彩の侵入が脚を伝って下腹部の辺りまで。ばかりか遠く波打つ微かな波紋の残り火さえ、燐火のごとく暗黒の膚のあちこちに写される無数の彩は、蜻蛉の儚さに揺れていて、噎せ返るほど黒漆の病みに深ける画布へと宿されゆく強烈な命のその執念に、単調に、幾許とも知れぬ途方もなきその歩幅を重ねていくことしか、羽虫たちの魂に沿うことはできないようで、私もまた、虫けらほどの本能しか、持ち合わせぬことは悪意に覆い込まれた逃れようのない必然のようだった。

 どこまでも遮るもののない茫漠とした闇の吸引力に拮抗しながら自らの足どりだけを頼りに続けていた。胸奥に重たく歪む圧力がジリジリと逼迫していて意識を内から苛んでいた。大気の失した無音であるはずの世界が、漠たる空間の寂寥を転覆させ、あたかも次元を阿弥陀あみだに滑らせた異境から不意に接近するようにキリ……キリ……と、頭蓋をかち割るほど醜悪な噪音ノイズが届いていた。悪寒が膚を膨らますほど込み上げてつるりと珠のごとき汗が闇写すその境界を伝い転げ落ちた。

 予感を孕んでいる、脳髄の襞よりじっとりと粘液質の鋭い音色が垂らされて、毛細血管やシナプスへと下り厭らしく反響させていく。イメージが眼前の情景へと割って入る。脳髄の管たる管へとどよめきが増幅されるにつれて、像の全てが瞬時にして濃煙に充溢するので。視界を埋めつくした煙のバケモノは蠢いていた。くすんだ灰色と、よりくすんだ灰色がもくもく滑らかな肌をこすりあってそれぞれの筋道へと対流する、視線の奥まで何処までも巨大である、意識とひとつになった視界の全てをもう一歩、更に強力に精神へと結びつけるように私は足を踏み出した、ぐにゃり、と変形した全身全霊の感覚から、するすると互いの進路へ流れ込んで分裂していく……私は二つになる…………。


 どれほどの長い時間が過ぎたというのだろう、反転したかのような真っ白がすべてを包み、解放されまとわりついたそれらが蒸発していく。虫食われたようにまだらに溶けていった。全てが闇に戻ってからも、しばらく、最後に白が去った順からじわじわと、明るさが目に焼きついて離れなかった。足取りは続いていた、予感が大きくなっていき噪音ノイズは轟々と低い周波数に変質していく。果てが来る、そう直感していた。眩い光が漏れ出して地を這っている、足元に光輝が貫かれていた。薄いピンクの光輝。導かれたように一歩ずつ踏み出し不意に遭遇したのだった。

 果ては断崖のようだった、見下ろすと、木星の縞! 間近に迫る縞模様は茶と白の交錯で、対流で、美しかった。一部の縞模様だけ写されている反面、それがものの見事な球体をしていることが直観されていた。背後に、ピタリ、と合わさって、薄ピンクの陽光が縞を蠢かせる巨大な球体より蝕を受けて、高貴なピンクに燦爛するダイヤモンドリングとて嗤っているのだ。

 ふと、膚へと翻った、闇は拭い去られてすべては木星の縞……四肢の末端まで隈なく侍らせている。激しい蠢きの間隙に、妖しげな銀鼠ぎんねずの光沢が不意に波打って。揺らめきに写された我が肉体の真相が、鏡面とてピンクの光輝に降り注がれては、思い至ることのなかった謎への全てが一挙に氷解するので。

 真向かう双方の木星は未だなお、縞をゴツゴツと、蠢かせるのだ…………




   『木星の縞』




場面1「研究室」


人物 私 

   マスカルポーネ博士



 微睡みを射す稲光の直後、重たげに、川底の澱むように、青む刃の光沢より平生へと戻されて、色褪せた空気の暗く、のし掛かり、突発的な点滅の変拍子が去れば黒い蠢動が蛍光管の底にもやもやと蔓延った。

 不快な明滅を続ける中央の両隣。三筋の照明は列をなし何故かしら中央の列だけが、ことごとくいずれも寿命を迎えていた。不気味な闇へと巣食われたような異質さで、隣り合う白日のごとき光明をむしろ奇妙なものだと腹の内へ、押し黙るようにして、明滅。暗がりに佇む白衣へ、群をなす原生生物のような墨の広がりをうようよと映している。白い生地であるはずの間仕切りもまた陰鬱な灰色をその全体に滲ませて、ヒラヒラと風に揺れ……。

 黒い座面、筒型の安っぽい回転イスに私が座っている。正面に佇む白衣、両側に据えられたうち向かって左側、スチールパイプの簡易ベッドは空けられて、真っ直ぐに降り注がれてむしろ陰鬱に、冷たくシーツの輝きは、不健康に漂い、れている。枕もと、安っぽいフレームには不似合いな大仰なヘッドボードと見紛うほど、巨大な匣型の装置は隣り合う。パネルの上部を占める大型モニタの波形は過剰な色彩に犇めきギザギザカクカクと、様々な眩い濃い発色の折線の運動と交叉が忙しげに。下部にはスイッチやダイヤルなどの制御器具がゴテゴテと並ぶ。差込口へ差されたビニルコードは鈍色で、中央をややたゆませながらも真っ直ぐな傾斜を下っていき、横切った右側へと橋渡すように張られていた。

 右側、仰向けの死体。目を半開き、口はだらしなく広げて深い眠りに落ち込んだような無防備な死に様で。が、呼吸器系へノズルの挿され全身のあちこちの血管に向かいチューブの貫通する死体は、生かされていた。内側よりの圧力にかち割られた頭蓋骨は乱雑な裂け目にて大きく広がり、零れ落ちたピンクは肥大する複雑な岩肌の。系外を泳ぐ天体のように底気味悪く、何故かしら僅かに表面はギラリと発光し、銀色のたらいに受け止められ収まって、ビニルコードのもう一方の先、妖しげなピンクの肉の壁は穿たれその内奥へと繋げられているので。



  でっかいイビキが聞こえてきましてね、夜間工事かと紛うほどのそれはそれは聞いたこともないような世界を股に掛けたイビキでしてね、さりとて聞こえているのだし聞いたことないという早計は矛盾に他ならぬ所業なのでありまして……


  おい!


  ……イビキをかくという既成概念は真っ当じゃないでしょうよ? 叩き込むような地を揺らすほどのイビキでありましょうよ……


  何故むこう向きで喋ってる!


  リバース!


  泥んこ山道を這いつくばってあらん限りの嗅ぎ嗅ぎでトリュフを掘り当てたあげく豚と間違われろや。  


  揚げたてでしたー!


  何がだよ! 記憶がないんだよコッチは、思い出そうとも真っ白が視界に迫るばかりで……え、白衣なのか?


  しかしまぁ、毎晩の事でしたからね。


  何が?


  毛根から豆もやし生えちゃうなぁ小僧の体躯ほどのミニサイズだとイメージなさい。ウナギに秘められし卒業証書が置かれているわけですよ、免許皆伝と云われるほどですから……知っての通りあれを捌くまでには長年の修行を経ねばならない。悲しいかな仕方なく部屋に並べ蠢かせておりました。数えたら75名分もあるわけですよ、どういうことでしょ?


  知らねぇ~。


  すでに75日経過したんだなーって。


  てめえ蛆虫オニギリの具材にされ流した涙の分だけ塩味にしろ!


  怒ってはりますね~……申し遅れましたが、わたくしマスカルポーネと云います。


  急に名乗ってんじゃね~よ。状況がさっぱりだよ。わたしは何故ここに居るんだ?


  わざわざ背を向けたんです、縁を切ったかつての師弟みたいで面白おもろいでしょ、導入にぴったりのボケなの。


  導入って何だよ、訳がわからん。


  まあ後ろを見てみなさい、首をぐるっと回してごらん、てか首が回転イスに?


  ……わっ!


  首なんて回るわけねえだろが、キャップじゃないんだし。


  通夜?


  誰の通夜やねん!


  キャップの……通夜だ?


  何処の世界にキャップを悼む儀式が存在するよ、ほっといても自治体が回収してエンドだわ! 遺族が姿見を置いたせいでこうなったんだよ。


  よく見たら……私?


  自分とキャップを見間違うとか鬼畜だぞ! 鏡のせいなのよ、魂を閉じ込めるの。云っとくけど十年前よ、あの通夜。


  はっ? 10年……部屋に鏡置いただけで?


  一位でゴールしたわけですよ、リレーで世界一なんて初の快挙です……しかしバトンが持たれているはずのその手にはお手元が握られていたのだ!


  マジでか……。というか死んだことすら気づいて……


  じっくりいきましょうや、かさぶたを削ってみるのです、当たりが出て缶コーヒーが貰えるかも知れません。


  呑気だなあんた!


  仕方ないでしょ、解決に向かいましょうや。


  どうすればいいのです?


  ねえ……困ったもんだ。


  知らないんかい……


  いえね。この死体をご覧なさい。気味悪いでしょ? 頭ぱっくりで脳髄飛び出しちゃってるから。


  てか何? コイツ死んでんの? てか脳髄から何かモサモサ生えてんじゃん、気味悪りぃ、おええぇ。 


  あ、ブロッコリーね、違うの違うの、これは栽培してんの。


  オアシス脳っ! 聞いたことねえよ、引くわ~……


  ようけ育ったな、むしゃむしゃ。


  食ってんじゃねえぞ、マズそうの極北!


  可哀想なんですよね、多重人格者っているでしょ? この人ね、もっと酷いかも。あれよ、脳髄がどんどん肥大していくのよ、自分の脳髄に赤の他人の脳髄が芽吹いてそれが次第に肥大するんです、お陰で彼、幾つもの世界を脳内に築き上げちゃった。


  脳髄に脳髄が芽吹くだと! なんてグロテスクな。


  ……ん? おりゃい。


  てかカサカサうるせえなさっきから! 病院なのに不衛生すぎるぞ!


  踏んでみい面白ろいから。


  どこに面白味が!


  ほらね、音するでしょ。


  汚ねえ~、踏むなよ!


  ほら。どんな音がする? 云ってご覧なさい。


  別にただグシャっと潰れる音だよ!


  よく耳をお澄まし! ……バミュって音がしませんか?


  どこの世界に踏まれてバミュるチャバネがいるよ!


  続けて踏んでご覧なさいな、ほら、バミュ、バミュって音がしているよ。


  だからぁ? 床が汚ねぇ、まるで一面泥濘みたいだ。


  美しいなぁ……見惚れますね。


  どこがよ。


  茶と白の体液が混ざり合い縞模様を描いているよ……。にしても大きな脳髄だなあ、考えてみぃ。大きな脳髄がどんぶらこ流れて来たらナタでかち割るんか?


  割るわけねえだろ、全力で下流まで見てみぬフリを貫き通すわ!


  ど素人丸出しだなあんた! じゃあ右脳と左脳ってあるでしょ。どっちがどっちかわかるかい? 思う方に左右このサインペンで書け。


  ウルトラクイズか! ついたての向こうは文句なしで脳漿だわ。


  まあ、クイズみたいなモノよね。私は彼の脳内世界が全ての鍵だと考えるのですよ、脳髄にぶっすりと刺さってるでしょ? アレがコッチの機械に繋がるのです、ほら、このヘッドギアです、これで彼の世界へと飛び込みなさい、きっと答えがあるはずだ。


  クソっ……藁にも縋らねばならないとは……。しょうがない、やりますよ。


  よしよし、それではいきますよ、目指せ成仏、ほいっ!



場面2「阿片窟」


人物 私

   阿片王



 カタカタカタ……ポケットのリムは鳴り、混じり合った赤褐色が次第に緩やかに分離する。血液の赤と胆汁の黒に塗られたルーレット、「42」に収まった喉仏。蒼白の膚、煤けたように埃にまみれた虚ろな廃人たちが床にへばりついて弱弱しく、剥き出しの胸部は僅かに上下している。眉間に朱色で「42」と烙印を押された者が奥へと手を引かれふらふらと歩いていく。

 ジュワ、と音を立て焦げ臭い異臭が立ち込めた。私の眉間から「42」の焼けるような痛みが脳髄まで届くようだった。

 次なる回転……。決まり事のように吸い込まれて、喉仏は「42」、奥へと手を引かれ私は進む……

 腕の長さほどもあるパイプを気怠げに抱きかかえ、寝台に横たわる魂を宙に浮かべた中毒者たちはことごとく、炎火に苛まれた蝋人形のように肌をドロドロに溶かして寝間着やシーツをべっとりと濡らしていた。

 しゅー……ぷはぷは……と、見渡す限り、吸飲以外何もできず夢の世界へと飛び去っている者たち。唯一、はっきりと黒眼で正面を見据えた異形の者へと、誘い込まれたように私は、視線を合わせているのだった。



  な、何者なにもんだよ、あんた……


  しゅー……ぴゅぃ……しゅー……ぴゅぃ……


  どういう流れでそうなったんだ……全く想像ができない……


  しゅー……ぴゅぃ…………。この……阿片窟はあぅっ……墓場じゃて!


  …………。はっ?


  しゅー……ぴゅぃ……しゅー……ぴゅぃ……


  サイバーパンクだなっ!


  ……え、何て? 


  どっからどう見てもサイバーパンクじゃねえか! 全身チューブだらけだぞ!


  あいにく包帯を切らしておるからな、トイレットペーパーを巻くんか?


  何て?


  オイルショックじゃあ……


  て、トイレットペーパー切らしてんじゃねえか! それともあれか? 買い溜めしてた元凶サイドか!


  汚れたケツは滑らかな素振りにて指で拭うがよい、爪を立てんようにな。


  穢ねえ……。やっぱ切らしてんじゃねえか、ていうかペーパーいらんし。


  ケツは関係ないわ!


  はっ?


  阿片に酔うとな、夢を見るんじゃて。只の夢ではないわい、夢は夢でも未来の夢を見るのじゃ。


  はぁ……


  ここにおる阿片中毒者はことごとく未来のイメージに果てておるわい、自らの生血を吸うてな……それを使い未来を作っておるのじゃて。


  意味が解らない。


  おぬし、ミイラ取りじゃろ? ここにはミイラなど一体もおらんわ、包帯巻けや! 包帯はないからのぅ。 


  何だそれ。


  儂はのう、阿片王と呼ばれておるわ、何せ阿片の声を聞き阿片と共に鳥のように音楽を奏でておるからのう……


  どこが鳥のようだ、だよ、地獄の阿鼻叫喚にしか聞こえん。


  凡人ならばな。


  悪かったな、凡人で。


  口から吸うて満足じゃろうな……でも儂ともなればそうはいかん、全身の孔という孔から摂取せねばまったく満足できんわ。だから毛穴の一々にまで隈なくパイプを施しておるわい。

 

  てか、毛穴から吸えるっけ?


  馬鹿を云うでない、見よ! すでに唇と化した全身の毛穴じゃぞ。


  キモいんだけど~!


  チュチュチュチュチュチュ……


  おぇ~、こんだけの唇から投げキッスされたことねぇ~!


  まあ、おぬしがマリリンなら儂がモンローじゃな。


  どっちも同じ人なのね~!


  「42番」! この「42」と書かれたパイプを使うがよい!


  囚人みたいに呼びやがって。ていうかこいつら全員「42番」じゃねえか……気味悪りぃ。私も同類だなんて不名誉この上なしだよ


  云うたらシャネルじゃよ。


  何が!


  シャネルの「42番」じゃ。


  別に得意げに云うほどのことでも……。それディオールでもよくね?


  キッスをするがよい! パイプと唇の競演じゃぞ。


  真っ赤なルージュでべっとり塗りたくったるからな、息ができぬまで塞いでやるから覚えとけ!


  未来で会おうぞ!


  残念。息の根止めるからもう会えないぜ、しゅー……ぷはぷは…………



場面3「街道」


人物 私

   コレクター



 空が急激に不穏さを増していき、染みのようであったはずの黒の濃雲こぐもが完全に埋め尽くした。直前まで濃藍こいあい燻銀いぶしぎんを散りばめたような薄明を認めていたがすでに闇。

 突如ジガジガッ、と。ざらついた稲光が闇を紫紺に染める、すぐに滲み渡る闇。と、轟々と辺りを揺らすはずの衝撃を待たずして沈黙の中、ちり……ちり……ぽっ、と高所、青の幻想がゆったりと咲き、次第に流れるようにあちらから向こうまで、点灯の一弾指が横切っては遠のいた。

 瓦斯ガス灯はじんわりと幻を濃くしていき、ガラガラガラ……と、落雷の地鳴りがようやく響き渡った。

 青の注がれた光沢は地面を隈なく被っている、間近く、龍の巨大な膚へと臨んだように半円形の石畳が妖艶に鱗の連なりにて浮かび上がって。

 街道の中央を占領して点々と並んだマンホール蓋、くすんだ青に写されて、鋳鉄の中心の穿孔からけたたましいつんざき。高々と空まで連なって、濃煙の噴射から黒々……空中へ、瓦斯灯の塗り込める青の煌めきを遮り茫漠と立ち込めていく。燈を包む煤けた空気の拮抗するように、闇と光の混淆、深く、青んだ複雑な色彩が街道の一面を攪拌させて混沌カオスは続いていく……だが。

 ジガジガッ……電閃の再来……矢庭に落雷! 迷宮へ突如囚われたように降り注ぐ紫紺の棘と大地の戦慄わななき……責め苦は循環を始めていた。堰を切ったように幻想の青は濃密な黒に飲み込まれてしまい、忽ち闇が充溢して。木霊の織布は過剰に満ちて烈しく。僅かな間隙を縫うように、一閃の変拍子、堆積を反転させズウンと目眩く、恢復の闇の間際、整然と、中庸に開けた視界に飛び込む状景は、骸骨の林と見紛うほど枯れ木ばかりの街路樹の、白々と浮かび上がる闇なる画布で。その向かい、ショーウィンドーのマネキンは、身包み剥がされなおもクールなポーズを無意味に続け、やはり闇よりぼんやりと、浮かぶ白さは闇より悍ましく。

 空より! シベリアンハスキーの十二指腸が上空の寒気に曝され凍てついたまま、無数の飛礫とて降り注いだ。地面の石畳を叩けば、何故かしら抱き枕大のゲル状の物体となり、半透明なピンクの体躯は発光しながらウヨウヨと蠢いている。重ね着のせいで巨漢となったその男は、パンパンに膨らんだその恰好とは裏腹、洗練された動作で蠢く十二指腸を拾い集めるのだった。



  ……オイ!


  ……へっは、へっは……。……ん?


  お前だよ! 何やってんだ?


  集めなければならない!


  ウニョウニョしてるのにか?

  

  十二指腸を……17個、集めなければ……いけない。


  は? 地面這ってるピンクの発光体をか、どんだけ抱えてんだよお前、すでに集まってるのじゃないのか?


  重たぁぁい!


  あ~あ、全部散らばっちゃったよ、またやり直すのか? ていうか地面に落ちた瞬間更に巨大化したぞ、気味悪りぃ……


  お迎えが来るのだ、乗らなければならない……


  集めるんじゃ?


  お迎えが来なければならない、お迎えが来なければ……


  はあ~っ?


  来てるじゃないかぁっ!


  何て?


  集める!


  どっちなんだ一体!



 凄まじい唸りを上げて霊柩車が現れた、ブレーキの軋轢が街道へ響き渡る、街路樹の継ぎ目にピタリと車体を寄せて、左側のパワーウィンドーが下げられていく……サングラスをかけた黒服の男が「乗れ」と首を振り諭している、ガコン、と音をたててタクシーのように後部座席のドアが開いた。



場面4「車内」



 霊柩車のドアを潜ると、中は広い。両脚を踏み入れた矢先バタンッ! ドアが勢い良く。

 何処からか伝いくるカサカサと葉擦れの音が忙しない……踏み締める感触は柔らかい弾力の底に潜ませた確かな硬質、臙脂えんじ生成きなりのみ、短めの毛足、降り注ぐ金色こんじきの照明に艶やかな光沢を見せている、たった二つの織りなすトーンを金糸が結んだ複雑なデザインの。花弁、原生生物、渦などに似せた幾何学模様は中東辺りの民族衣装を匂わせるが、ほんのりと金の煌めきを注がれている描き込まれた高級感へと浸るのならばそれは小宇宙。

 両手を三つ広げても届ききらぬほど両の壁はゆったりと備えられ、ダークブラウンの無垢の板張り、天井から床までの七割ほどにもなる大きな額に入った絵画が等間隔に、角と角を繋いだ間に二つ並べられている……だが。しっかりと凝視するなら、シベハス十二指腸製の、発色の良いピンクの顔料に塗られたおどろおどろしい肖像は、驚くほどの奥行きを背景とて湛えて、それがその実、くり貫かれた本物の空間で、ピンクの肖像や奥まっていく絨毯や壁、最奥部に霞んだ藍と藍鼠あいねずの靄。状景はことごとく絵画を真似た実物であると判るのだ。

 私はただただ壁沿いに進んだ。巨大な迷路だった、同一構造の通路や角を幾度も繰り返していく、くり貫かれた内奥の、得体の知れぬ異次元構造には、無頓着の素振りを続けていくしかなくて。

 巨大…………。

 途方もない距離を歩いた、永遠を錯覚するような……代わり映えのしない景色を幾許も過ぎていた。

 ようやく開けていた。眼前、不変であり続けた絨毯から突き抜け、伸び上がる、所々に瘤を抱いた楓の樹が……しかしそれは天まで届くほどの高さまで、脈々と、激しく波打つように空へと迂回していた。

 鬱蒼と頭上を遮蔽する枝葉の絡み合い……極微の隘路を掻い潜って、黄金の絢爛。端からそれはあった。照明は満月、燃え立つ金色の。


 轟々々々……っと近づくのである、棘皮動物を生き写すように輪郭へ細かな波形を鋭く象った辰星のひとひら、朽ちてじわじわと黒ずんだ真紅ははらはらと、舞い遊び、散りゆく流星群の燃え、鮮やかに、うず高く地面を満たす随所に、差し色の黄の金色に注がれて、一際眩く目を引かせるばかりで。

 腐葉土を踏む。超スピードで……私を攫うは巨大。藍鼠の……津波のごとく押し寄せる霧へと躯ごと奪われて!

 ゴロゴロゴロゴロと……大玉のごとく……芳醇な彩の河川を泳ぐように落葉を纏い転げる私は……不意に姿を現した城館の庭を過ぎて……豪勢な大扉を突き破ってなおも突き進んだ……。

 広々とした大広間を真っ直ぐ進んでいき、次々、立ちはだかる家具を据えられた順に所構わず蹴散らすばかりで! ……最奥部まで達すれば壁際、備えられた扉も軽々と越えて!



場面5「主の部屋」


人物 私

   城館の主



 頭上を陣取っている。前へ後ろへ行きつ戻りつ、緩やかに揺れて。

 円柱のくり貫かれ、金色こんじきの壁にぐるりと囲まれた直径5mほどの僅かな空間に過ぎないが、遥か遠景を望んだような不可思議な広まりへと包まれて、彼方は何処までも奥まっていくようでさえあった。のっぺりとなだらかな青に織りなされた床面の中央、のしっと逞しい薄茶色の四つ脚に踏ん張って駱駝が立っている、吹き抜けの天井、天空まで通じるほど高々と……夜空の黒は無限の連なりを想起させていた。背には隆起のふた山。支えられ、振り子に泳ぐ弓なりの底板を光輝へと滲ませて、金の敷板が水平に背を塞ぐ。ロッキングチェアに躰を揺らす老人は赤紫のスーツに身を包み。

 駱駝が不意に脚を曲げゆったりと屈み込んで、老人はやがて目線よりやや高くへと収まった。

 風が吹く、唸り声が途切れなく何処かしらから伝い来るような……密閉されたはずの円筒を抜けびゅう~と鳴り渡って。見れば壁面の金は、極細の無数の糸と分けられて、しかしそれは上下ではなく左右への分岐。周回するスリットが不気味な輪状のそよめきを含ませながら遥か上空まで続いている。

 ざわざわと……青。むっちりと膚を漲らせ、腹部が次第に顕わになっていく……砂粒の青、益々犇めき合って互い、深い断絶を呼び寄せながら細く長大な大蛇の群れが密集してびっちりと並びゆく……頭上、夜空の黒の中央より、しろがねの陽光が射している、花紺青はなこんじょうの風紋は煌びやかな輪郭を注がれながら何処までも、畝を伸ばしていくので。

 狭い一室……老人は私を見下ろしつつも、遥か遠方をぼんやりと眺望するような眼差しだった。向って右側の眉の辺りから、左側の顎まで真っ直ぐ斜めに断ち切られたような歪な三角形、正面の片側と鼻や口までがどうにか人並みではあるが、山崩れを起こしたような壊れ方で、顎には垂れ下がった肉が瘤のように押し寄せて過剰に凝縮している。ふさふさと生え揃う右とは裏腹に左の銀髪はポツポツと、黒子に生やす毛のような趣で疎らに生えるだけだが、密度の低い斜面の銀髪の間隙にはみっちりと、潰されて棚田が襞のごとく層をなし、ゼラチン質の肉塊に内包され、数えきれぬほどの縮みきった老人を携える、銀河の星屑のごとく鏤められた目鼻口が憐れにも湛えられては、あべこべに並んだそれらが空虚な表情をあちらこちらへと投げかけているのだった。


  

  ようやく訪れたようじゃな。


  ええと……


  ペン回し……それは馴染みのない言葉じゃった……。ボールペンで編まれた廻しを不覚にも想像してしもうてなぁ、穿いておるのが大銀杏を結わうブロンドの美人じゃったなぁ~、とても巨乳じゃて。とんだ勘違いじゃったと知ってのぅ~、恥ずかしさに巨大なボールペンが設置されてのぅ、その上でブレイクダンサーもひれ伏すほどに止めどなく回転し続けたわい、高速の横スピンじゃったわ……ようやく訪れたようじゃな……


  何だその顔面は!


  はっ?


  だから! どうして山崩れみたいになってんだよ。   


  それはぁっ、虫の祟りじゃ……


  何て?


  顔ダニじゃて。


  何が!


  凶悪犯罪を犯した顔ダニがおってな、それはそれは凄惨な事件を各地で引き起こした張本人。そいつが逃亡中に儂の顔へと籠ったのじゃよ。


  顔ダニが犯罪をするわけがない!


  しかし神は見ておったのじゃ。逃げおおせたと思うとった顔ダニじゃ、儂の顔をな……神が崩してしもうたわ……よって顔ダニは儂の肉塊のなかで圧死したわい。


  何だそれ。


  凶悪犯罪の祟りじゃの~う。


  云っちゃ悪いが祟られたのはあんただと思うが。


  木星の縞を見つけるがよい!


  はっ?


  縞を見つけるのじゃ……木星の縞を……


  木星の縞だと?


  木星の縞を見つけるがよい!


  だから何なんだよそれ? 


  木星の縞を……


  それしか喋んなくなったな!


  木星の縞を……


  膝の穴からヒヨコが出たんだよ!


  へっ? 


  ガチャガチャに入ってたそうだ、ギュウギュウ詰めに3匹もな! 木星の縞、見つければいいんだな?


  赤ふん一丁でロケットに括り付けてけろ~!



 甲高く、地面の奥底から強烈な摩擦音が沸き起こる。美しく蛇行の縞を侍らせた花紺青は途端ダイナミックな飛沫を上げて崩れ去った。激しく波打つ金色の塔はうようよととどまることはなかった。向こう岸……その僅かな部分だけ、波打つ金には無頓着であるかのような素振りで、パタ、と綺麗な裂け目が生まれて乗用車のドアが開かれていた。

 ミシ、ミシ、しゃがみ込む駱駝ごと揺り椅子に揺らめく老人を迂回して、冴えるような青の砂粒を踏みながらやがてドアを潜り抜けた。



場面6「溜まり場」


人物 私

   寛ぐ人々A~G



 降り立つと霊柩車は音も立てず、ぬるっと不気味な走行にて呆気なく去った。

 闇。永遠の夜。四方を包む穏やかさが奪われて、得も云われぬ寂寥が埋め尽くしていた。霞んだような不明瞭な肌触りも感ぜられるが、大局的にはくっきりと鮮明な感触の広がりで。

 歪な円形の地面は先程の金色こんじきと変わらぬくらいの……勾配はなくすべすべと。しろがねの金属、無限に連なるほどの深淵に囲まれて、故に凄まじく高い。闇にひとつ、発光する銀がぼんやりと。

 不意に横切る気配を感じ、顧みた。蝶と銀杏の葉。銀刺繍はパズルのように複雑に組み合わされ紫青色のミニのドレスの妖艶さを引き立てている。高級感漂う衣装に粧したそれは全力で駆け抜けクリフの直前で急遽、緩慢な足どりへ……。男だ。相貌も体つきも身なりも、女性ならば完璧であろう男は、エナメル製の黒のピンヒールのパンプスの、サイズだけが、異常に噛み合っておらず、一足ごとにふんかふんか、と抜けているのでみっともない。

 男の歩く、闇に建つ超超高層ポールから唯一の行き道、同素材、奥闇へと真っ直ぐ架けられた厚さ1mほどの一本道。ガードレールのない幅僅か1mほどの狭さは、計り知れぬ高さや長さから鑑みて綱渡りに等しかった。腰の引けた、余りに遅々とした足取りは、無論恐怖のせいであろうが、それ以上に、サイズの合わぬ足元から来るのであろう。不意に、艶やかなパンプスの黒の裏側、真紅のソールが覗いて見え、云い様のない背徳感を覚える。かなりの時間を要し10mほど、しかし足を踏み外し、憐れにも、深淵へと転落し一挙に飲まれて見えなくなった。

 足を滑らせた辺り、消えて溶け込んだ辺りを交互につらつらと眺めていたが、やはり進むしかなかった。


 闇に伸びる仄明かり。後ろを振り返って、すでに始まりの場所は消えていた。進路を違えれば、どちらがどちらであるか確認しうる頼りは一つもない。向きを不変にして、休み休み、真っ直ぐ目指す以外なかった。


 どれ程進んだか。途方もない距離を歩ききった。闇照らす一筋の仄白の光の向こうへ、初めて、別の何かがじわりじわりと生み出されて、一足ごとに大きくなっていく……。


 同素材からなる、しかし始まりよりも美しく整った円形へと辿り着く。

 下方、同幅の円柱とて深淵へと……。足を踏み入れる、直径10mほどもない中央には小ぶりな円形、取り囲うように大小の環状があり内側の小さな環状へと等間隔で男が7人、入口を除いて陣取る姿。真向かいの男の背後には、再び同様の角柱架橋が連なっているのが見えた。

 ひと気ない究極の孤独を滔々と、うら悲しく詠い続ける無辺の闇へと唐突に、浮かぶ地面の清冽な白を透かして、それぞれの顔が弥増しに強調されていた。男たちは皆、私を見上げ、にやにやと笑みを浮かべ、どれ程ぶりの来客であろうか……親しげな雰囲気を醸しながら胡坐をかいて沈黙し、しかししばらくすると談笑が始まっていた。



  おい、怪談でも始めるつもりか?


  んだんだ。

  

  バキュームカーなのに人間吸い込むんか!


  そいつは歩いていた! ブリッジ歩行人間が腹で息をして、吸われてポコンポコンて硬いひし餅みたいなお肉がタンクの中で煮込まれていくからお汁粉っ。


  祭の帰り道にそのまま嫁いだそうでな、普段着は印半纏しるしばんてんのまんまだそうだ。


  頭頂部がツナ缶になってたら缶切り使ってこじ開けるんか!  


  おい!


  し、痺れてきたんだ~。


  んだ、でもよう、まだ6つで嫁入りしたんだろ? やっぱり早すぎたんじゃねぇのかよぅ。


  仕方ないだろ、幸せは人それぞれなのさ。


  おい! お前ら怖くないのか、こんな場所で平常心でいられる! 


  ああ、お客さん……。ここはちと特殊な場所さ、でも心配ない、しばらくすると慣れるさ。


  落ちたら怖ぇぇよな、一回落ちたら何回落ちなきゃならんのかわかんないぞ。


  う、動けなくなったんだー、ぜ、全身……麻痺。


  んだ。でもよぅ、相手がもう80過ぎの爺ぃでよう……あんまりじゃねえかと思うんだぁ。  


  幸せならばそれでいいじゃないか。


  座っていればいいのか!


  それかあっちへ行くかだあな。


  うぇっひぇっひぇ~。


  何だって?


  そう……。あの男は背後の道を塞いでいるのが唯一の誇りでしてね、故にどうしても進んでほしいというわけですよ。


  虫歯があるんならGPS詰めとけや!


  じゃあ俺が行くよ。


  じゃあ俺が行くよ。


  じゃあ俺が。


  めまいがするんだー!


  んだ、でもよぅ、どうせ爺ぃが先に死ぬんだろ? 不憫でならねぇや。


  木星の縞を探しているんだが何か心当たりはないか?


  木星の縞だって? そりゃ危ねえぜ、眼球がビーチボールであっと云う間に沖に流されちまうんだよ~。


  ビーチボールだと!


  コイツには耳を貸さない方がいい、テキトーなことしか云わないからな。


  そうだそうだ、それかあっちへ行くかだあな。


  俺が行くよ!


  じゃあ俺が!


  いや俺が行く!


  痺れてしまったんだー! あれを食べすぎたせいなんだー!


  フリーズドライ人間を縦にスライスからの曲げわっぱ!  


  他の誰かが見つかるはずさ、嫁いで終わりじゃないったら。


  木星の縞は何処にあるんだ!


  毒蜘蛛だったんだー、蟹だと思い込んでしまっていたんだー!


  あっちへ行くかだあな。  


  断る!


  んだ、いつかよぅ……心から幸せだって感じてほくてよう。


  じゃあ一回落ちたら何回も落ちなきゃならないから怖い。


  木星の縞は!


  じゃあ俺が行く。


  じゃあ俺が行く。


  じゃあ俺が行く。


  道端で人間の抜け殻見つけたら財布に入れとくんか! 金運は上がるんか!


  泡が連続で込み上げてきて止まらないんだ~!


  うあああああああああああああっ!



 自棄糞! 無心で私は真っ直ぐに駆け抜けた、中央の小ぶりな円形へと差し掛かった瞬間、強烈な引力が足に絡みついて直後体躯は銀の内奥へ……ずる、ずる、ずるっと一挙に引き摺り込まれてしまった!



場面7「エレベータ」


人物 私

   ガイド



 天井に吐き出され、3mほどの高さからその床面へと叩きつけられた。だが、体躯はしなやかな床より和らぎを齎されバウンドするだけだった。

 蜂の巣。やや歪な楕円体の空間に遮蔽する壁面を飾るそのハニカム構造は、無数の彩に縁取られた正六角形のそれぞれの境界線を麗しく発光させ、疎らに忙しなく明滅していた。リムの内包する正六角形は全面のほとんどを占めているが、無色透明なそれは、体躯へと吸い付いたように伝いくる床面の感触からも判るように単なる空洞ではなかった。しばらく。ずぅんずぅんとあちこちで明滅している極彩色に魅入られてしまい、寝そべったままで全体のそれぞれを眺め渡すばかりで。

 

 ウニョーン……というモータ音。正面の壁面から透明な正六角柱が突き出して、じわじわと伸び上がりこちらへと近づいた。



  下へ参りま~す。


  喋るんかいな! びっくりしたわ。


  地獄の果てまで真っ逆さま、一直線の旅路を案内しますのは、エレベータ角柱の水晶サンでございます。


  自らにサン付けすな、てか水晶とかまんまこの上なしだぞ……。


  長旅になりますので、どうぞ寛がれてくださいね。


  寛げる雰囲気じゃねえだろ、サイケすぎるわ!


  久しぶりの案内にテンション高めです!


  テンション云うなよ。で、どれ位ぶりなんだ?


  そうですね……10年ぶりかしら。


  大層なこったな! そんで長旅って云ってたけどどれくらいだ?


  そうですね~、距離にして……かなりの距離になりますねぇ……。


  ……そんだけ~? 具体的に云わんかい! 時間はどうなんだ? 時間にするとどれ程なんだよ。


  そうですね~、時間に換算して……かなり。


  そうなるわな、パターンだからしょうがない、その辺は考慮しましょう。ところで、木星の縞を探している、何か判ることはないのか?


  木星の縞! 果たして見つかりますかね~?


  じゃあ知っているんだな!


  よく知っていますとも、見つかるといいですね~。


  そうなのか。そんなに見つけづらいものなのか?

  

  見つけづらいと云うより、厳しいんじゃないですかねー。


  何だって!


  ですので、ごゆっくりされてくださいね、ご用があったらいつで……グ~、ピ~……


  寝るんかいな……不安要素たっぷり注ぎ込まれただけじゃねーかよ……てか私も眠くなってきたぞ……。


 

 長旅というのは本当の話だった。しかしほとんど眠っていた。この空間には眠りにいざなわれる何かがあるようだった。その間ガイドが目を覚ますことは一度たりとて……なかった。 


 チーン。というチープな音に夢は破られた、ガイドはこの期に及んで眠り続けている。

 示し合せたように一斉に消滅した極彩色の全てが到着の時節を想起させていた。辺り一面完全なる無色透明に変貌した視界……宙に浮いた感覚は齎されて。

 ガコンッ、と無骨な鈍い響き。緩やかな重低音を辿れば扉は想像以上に間近であった。透明な全体の開放感から唯一、異質な澄明な輪郭をそれは形作った透明だった。

 境界線の奥……一目でそれと判る次元の断絶を知覚した。透明の内包する闇。その周囲を青白く褪めた光が朧気に漂っていた。

 中央の闇へ! 突如、高速で明滅が繰り返され再びずぅんと鎮まった。境界を跨いだ瞬間私の膚は部屋の状景そのものとなった……直前に! ……通夜の床に伏す私自身の死に様が宿され、見切れていた。それは、すでに過ぎた一齣にすぎなかった。



場面8「研究室」


人物 私

   マスカルポーネ博士



 うようよ……うようよ……不明瞭な闇の蠕動に染められて……注がれるべき白衣の銀幕は見当たらず……代わりに、実体を瓜二つに拵える画布……つまりは鏡面とていつしかの、記憶の残滓を蘇生させすでに体躯へと侵入している状景を浮かび上がらせて、膚の隅々へと遭遇の機を認めているので。

 無論、鏡の膚に写し、それ以前、直で眼差した特異なこの研究室に満ちる機微の各々は、中央を迸る不吉な暗がりと点滅の変拍子の交叉のみならず、左右に据えられた簡易ベッド、巨大な匣型装置、大型モニタに犇めく過剰な色彩の波形、陰鬱な灰色に滲んだ風にそよぐ間仕切り、中央をよぎる鈍色のビニルコードなど枚挙にいとまがないほどで。

 ただ、私が掛けていたはずの黒い座面の回転イスは空けられて、それよりも何より、正面に背を向け佇む白衣の姿はなく、代わりに、右の簡易ベッドに無防備な死に様で生かされた患者ではなく、頭蓋骨をものの見事にかち割って、銀盥に収められた巨大な脳髄を無残に顕し、ビニルコードをそのピンクの岩肌へと貫通されているのは、まさしくマスカルポーネその人であった! 



  申し遅れましたが、私マスカルポーネと云います。


  知ってるわ! 第一声から名乗り上げてんじゃねえぞ、PR感満載すぎる!


  随分と長い旅路でしたねぇ?


  さあな、途中意識が途切れとぎれでその長さを計ることができないらしい、まあ長旅には違いなかろうが……。


  そうですそうです、何せ10年待ちましたからね。


  10年! 嘘だろ、流石にそれは云いすぎじゃないのか?


  ええそうでしょう、そうなることは分かるんですよ、しかしそれは本当です。


  込み入った事情でもありそうな……しかしそれよりあんた、なんちゅうことになってんだよ!


  ……まあまあ、それはお互い様……じゃありませんかねぇ……?


  あ~、コレ……私も正直とまどってる。


  近こうよれ。


  わお。


  おー、ようけ育ったぞ。


  まさかすぎるぞ。あんた自分の脳にまで栽培してんのか!

   

  むしゃむしゃ。


  マズそうの唯我独尊!


  美味なり。どうせならマヨネーズもかけたいです。


  オノレの精液でもぶっかけてろ!  


  見事な緑ですね~、薄ピンクに映えているといいますか。


  自分の脳髄をまじまじと鑑賞してるんじゃねーぞ、悪趣味すぎる。


  丁度いい角度に鏡あったもんだから。


  私の躰を身だしなみチェックに使わないでいただきたい。


  あなたは次元を超えたんです。


  ……どういうことだ、さっぱり解らんぞ。


  ええ……。云わば写される側から写す側へと移行したとでも云いますか。


  何がだよ!


  通夜、あなたの死体は置かれた鏡のせいで行き場を失ってしまった。


  知ってるよ、だけど解決しちゃいないぞ。


  いいえ、一件落着ですよ。


  どこが!


  あなたは鏡になり、写されているのはこちらの次元なのですよ、何もかも変わってしまいました。心当たりはありませんかね~?


  あっ! そういえば、ヘッドギア……。あれを着けていたはずだが?


  そうですそうです……。いや、探したって無駄ですよ、この部屋にヘッドギアなんてそもそもありませんから。


  どういう意味だ!


  ヘッドギア、まだ装着しているじゃありませんか。


  からかってんじゃねーぞ!


  いえいえ、大マジですよ。あなたは未だ、ヘッドギアをしているはずです、何故ってね、ここは始まりの部屋とは別なのですから。

  

  なんだと!


  待ちわびておりましたから。それはそうと、あなた自身、何か手がかりは掴めたのでしょうかねぇ……?


  ……それなんだが。木星の縞を探せばいいという所までは来ていたんだ、しかし、見つけることはできずに今、あんたと話しているというわけなのさ。


  木星の縞ねぇ~、それは難儀な物に囚われてしまいましたねー。


  何処にあるんだ、見つかればどうにかなるのか?


  ええ……、それはもうすぐ……。


  そうなのか!


  まあ時間まで今しばらく待つのです、全ては序列に従わねばなりません。


  まだ待たなきゃならんのか!


  いえ、あと少しでしょう……。しかし、あなたの思う意味合いとしては、あなたは木星の縞を探すことはできません。


  探せないだと! もうしばらくじゃなかったのか?


  その辺りは少し事情があるんです。


  意味が解らない。


  ええ。何故ならばここは木星のコアなのですから……。


  突飛なことを云ってんじゃねえぞ!


  実はもうあなたはすでに目的へと辿り着いていたのです、座標上では……の話ですが。しかし木星の縞はもう、そのすべてが消えました。


  何もかもが正直把握できない……。解るように説明してくれないか?


  順を追って話すしかないでしょう。亡くなった惑星からあなたの魂は木星を目指しました、何故木星だったのでしょうねえ? それを知る由もありませんがね、しかしあなたは進んでいきました。木星までおよそ1億5000万㎞、木星のコアまでおよそ7万㎞という気の遠くなるような長い旅路を。飛翔体を使わずしてそのような距離を移動するなど一見馬鹿げているようですが、しかし霊ですからねぇ、光速であれば40分です、光ほどとは云わないまでもかなりの速度を出すことができたのでしょう。そしてあなたはコアへと下る前に、その美しい縞をしっかりと感受することとなりました。


  ……つまり、もう見つけていたと?


  ええ。ただし問題はそれからなのですよ。何処が始まりの一点だというのでしょうか? それは、もはや私などが想像することができない領域ですよ。 


  始まりの一点だと?


  ええ。コアには脳髄に繋がったヘッドギアがありました、脳髄が脳髄を生んでいく巨大な脳髄です。それは夢が夢を生んでいく夢中の夢世界。あなたはその途上で、木星の縞を見つけるという使命を見いだし、実際に木星へと向かっていくのですよ。


  せっかく辿り着いたというのに、またヴァーチャルで繰り返していかなけりゃならない、とでも云うのか?


  さあ……?


  何故急にはぐらかすんだ!


  いえいえ、ある程度ならば答えられますし教えることもできましょう、しかしキャパを超えてはいけないのですよ。


  よく解らんが、それでいい、分かることを教えて欲しい。


  続けましょう。あなたはどうやって木星まで移動するのか? 実を云うと大きな異変が起こっておりました。太陽が終焉を迎え巨大に膨張していたのです、それはそれは計り知れない大きさへと膨れ上がりました、ピンクの輝きを放った太陽の終焉は木星からでも充分目視できるほどに巨大化していたのです。その熱量はそれまでの太陽系の秩序を覆しました。それだけではありませんね、それは恐らく暗黒物質の顕現に違いありません、真空であるはずの空間に、確固たる道路が出来上がっていました。あなたはそれを進み歩いたのです、ハシシュのように凝固かたまったそれ、一足ごとに幻覚を生み出すような練り物で、宇宙空間を塞いでいます。長い年月をかけあなたはそれを渡りました、ついに果て、それは偶然のような必然でした、木星の軌道はあなたが辿り着いた瞬間その真下へと到達していたのでした。


  あんたの話は与太話にしか聞こえないんだ。全く記憶にないからな。


  ええ、そこがとても重要なのでして……。実を云うと木星の縞には、全てをリセットする、というコードが仕組まれているのです。


  馬鹿げたことを云うんじゃない。


  ええ、とても馬鹿げた話ですね。とは云えそれを覆すことなどできないのですから。ところで、リセットが掛かると必ず向かう場所があるのです、そこが何処だかピンと来ないですか?


  ……まさか?


  ええ、ここですよ。正確には、ここではないここでして。


  どういうことだ? そこが今いち理解できない。


  そうでしょう。云わば転送コードと云えましょうか? 木星の縞はあの場所へと強制移動するコマンドです、始まりのあの場所へ……そしてあなたは今、終わりのためのこの場所へと立っている。


  じゃあ、あの部屋と同じ造りの部屋がここ、だと云うのだな?


  ええ、その通り。


  それはまだ理解できるとして、じゃあ、あんたは?


  そうですね……私はマスカルポーネ、それは間違いありませんし、もう一つのマスカルポーネと通じ合っている、と云うことはできるでしょう……ただし、彼と私は、やはり別人です。


  その方が理解できる気もする、しかし益々こんがらがってきている気もする。


  とても錯綜していますね、しかし全てをお教えしましょう。その、風に揺れている間仕切りをめくってみてはくれませんか?


  これか…………、ああ、めくったぞ。


  どう見えています?


  ただの闇だぞ、どういう造りをしているんだ?


  ええ。その先へと進んでいけば木星の縞へと辿り着くことができるでしょう。


  なんだって? すでに消えてしまっているはずでは……?


  そう、しかしそれは以前の段階でのこと、この次の次元においての木星の縞は、その一本道の先にあります。


  やはり解らない、私はこの先に見つけると?


  そうです。進んでいけばいいのです。


  木星の縞が見つかれば終わることができるのか?


  さあ? しかしそれを見つければ始まるでしょう。


  始まっちゃいけないだろ!


  いいえ、いいんです。だってそうじゃないですか、せっかく探していた木星の縞があるのです、見たいとは思わないんですか?


  そう云われると見たくないとは云い切れないが。


  それが人情というもの。何せあなたは一度のチャンスを逃しているのですからね。ここは木星のコアには違いありません、しかしあなたはそこから別世界へと跨いで、その中で再び木星へと辿り着きました。しかしその縞を見た瞬間、あなたは別の場所へと飛ばされてしまう……そこで、あなたは更なる夢の世界にて木星を目指すことになるのです。


  その話が本当なら、キリがないことに後退している気がするぞ。


  ええ、物は取りようです、確かにここで行われていることは無限後退のように思われるでしょう……しかし、角度を違えればニーチェの永劫回帰とも呼べるではありませんか?


  どっちにしたって私の身は同じだ!


  深いことを仰いますね、しかしモチベーションは大事ですよ……。まあ、いずれにせよあなたはもう一度木星の縞を目指していくのです。しかしです! 新たな旅路をあなたが進むその途上……太陽系の大変異のせいで木星に辿り着いた時にはすでに木星の縞は消し去られてしまっています。


  そんな短時間でそれだけ大規模な変貌など遂げるわけがないと思うぞ!


  いいえ! まだ解らないのですか。あなたは何処から始まっているのです!


  判るわけがないじゃないか! 木星の縞とやらが記憶を奪っているのだろう? 何度記憶を消されてしまっているのか判らないくらいだぞ! 


  ……そう、それは私も同様です。


  ……えっ?


  この世界は幾重にも階層を造りあげてしまった狂気の宇宙だと云えましょう、永久に繰り返されていく……木星までの道程! ええ……ここは、夢の世界ですよ、夢が暴走し、更なる夢を爆発的に無限増殖させてしまっている夢幻宇宙です。下手をすると新たな宇宙をあっという間に創り上げてしまうことすら可能かもしれない……太陽を膨張させ、木星の縞を奪うことなど、僅かな時間で可能でしょうね……。


  ……そんな。


  全てはもう、仕込まれているんですよ。あなたの目的はそもそも何なのです? 成仏し損ねた魂の解放ですか? ありもしない木星の縞の探索ですか?


  ……分からないよ! だから訊いているんじゃないか。


  ええ……。あなたの思うところなど私にも判りません。ただ、どうであれ、あなたも私も、同じようなものだ、と、それ以外確かなことは云えないでしょう。


  あんたと……私が同じ?


  ……そう、それが正確なすべての答えです。私は二つのマスカルポーネとして存在します、その内、二つ目の、つまり結末としてのマスカルポーネが私自身ということになりますが……私の使命は、10年間の時を経て私に辿り着くあなたをただただ待つ……というものなのですね……。


  信じないぞ!


  いいえ……現実から逃げてはいけない! 私は、そのように、何番目……何億番目……? 数などさっぱり見当もつかないが、まるで地獄の業のように永劫に繰り返される10年間の中であなたを待つ、ということを、夢からプログラムされている、そして、きっちり10年後に現れたあなたと、決められた会話をするよう……つまり私だけではなく……あなたも同様に……


  馬鹿な!


  ……ええ。あなたも私も脚本、つまり、戯曲を構成する役割のひとつにすぎない……あなたの10年をかけた冒険は、それだけの意味でしかない……。


  そんな……!

 

  とても皮肉なことですね……。さて、そろそろ時間のようです、ここはもうすぐ崩壊します、さあ急いで、間仕切りの奥の闇へと進むのです。


  だったら……進まないという手もあるはずだ!


  始まりと終わりが混じり合う真なる意味での混沌、それは新たな幻想の萌芽でもある。どちらにせよ永遠は始まっていくでしょう、あなたがここへ残っても、夢は、別のあなたを生成することでしょうから……踏みとどまり永遠を得るのか、踏み出して永遠へと向かうのか、それはあなた次第です。


  くそっ。逃れられないとは。


  ええ、行けばいいのです……


  最後にひとつだけいいか? 何故あんたは何もかも知っている?


  誰しもが自身のことはよく知っているものです、なにぶん私は夢自身である、と云えますからね。何をなすべきか、この先どうすればいいのか、そういうことは教えられずとも分かっている、しかし、自身がどうして存在するか、そもそも何物であるのか、それは分からないのが存在自身の道理でしょう…………




 崩壊……。

 マスカルポーネの巨大化した脳髄はどろどろに蕩けていく……泥濘のような……水飴のような……それは茶と白の美しい縞模様に蕩けていて、まるで木星の縞のようだった。

 部屋もまた破局的な圧力と熱量により崩壊を遂げようとしている……間仕切りの奥に広がる闇を見つめた。

 足を踏み出した。次なる次元の境界を越えようとしている、ぬるぬると、早足で逃げ去るような漆黒の地面が写り込んでいた、その一歩が、悶えながら、届こうとして揺らいでいる…………。

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[一言] 闇フェスから来ました。 最初の文章は意味深に、どっちかと言えば詩なのかな? と思い読み進めさせてもらいました。すみません、勉強不足です。ただ詩として読ませてもらうと、美しさを感じました。一つ…
[一言] 誤解を恐れず言いますと、よく分からなかったんです……なので、ここからはよく分からなかったサイドの人間の感想だと思って読んでください。 最後部分、イデア界の話に帰着するのかなと思いきや、さては…
2018/03/26 15:45 退会済み
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