1話・初恋
うち、速水高校野球部のマネージャーは、めちゃめちゃ無愛想だ。
どのくらい無愛想かというと、二年間同じ部活でチームメイトであるこの俺でさえも日常的プライベートな会話をしたことがないくらいだ。
まず俺は、あの子___梨田環が笑ったのを見たことがない。
あの子の顔はじっと固まってほぐれる余地を見せない。噂や見聞によると数年に渡った恐怖や、不幸が彼女を凍りつかせているらしい。俺はその事情を知らないし知ることも出来ないけれど。
いつも伏し目がちで下を向き、きっとした鋭い目と、めったにあがらない口角。
長いまつげに薄い唇、常につまらなそうな瞳に、日焼けがちな黒い頬、茶色く焦げ付いたポニーテールがくるくると動く。ぼうっとしてるとついつい見とれてしまっていてほかの部員にからかわれることもあるくらいだ。
だがあの子は無視を決め込んでやめない。まるでそれをしなければ死んでしまうかとでもいうように頑なに顔を変化させない。
「おはよー。」
「…おはようございます。」
マネージャーはいつも早い。すごく早い。部員が来る三十分前には来て、すべての準備を終わらせている。配置まで何もかも完璧に、選手の練習時間を少しでも取れるように。
彼女は知らないのだ、その行動が部員の顰蹙を買っていることに。
できるだけ練習をサボりたい部員共にとって、マネージャーのこの気配りは全く意味をなさない。
現に、あいつは1回もお礼や感謝を告げられたことがないだろうに、いつも準備をきちんと終わらせて、何も映さないつまらなそうな目で部室で野球に関する文庫本を読んでいた。
「ねえ、梨田?今日は何読んでんの?」
「……。」
彼女からプライベートの質問に関する返信が来た事は一回もない。
彼女が一番に来るから俺はいつも2番。
部室で、ほかの奴らが来るまで二人限りでいられる時間は俺だけの宝物だ。
だから俺は絶対に二番目にくる。
多少ほかのヤツらに茶化されても気にしねえし彼女にスルーさてても気にしない。
なぜかって。
俺は、マネージャーが好きなのだ。
それは、初恋だった。
俺は一端の野球少年で、毎日外を駆け回っていた。いっつもジャイアンツのキャップにTシャツで真っ黒に日焼けして。
怪我しているのが当たり前みたいな環境だった。
小学校の時、怪我して絆創膏を貼ってくれたのが最初。一目惚れした俺は家が近かったこともあり彼女の家に入り浸った、彼女はなんだかんだいいながら笑顔で受けいれてくれて怪我する度に俺は彼女に会いに行く。今思えばガキらしくて目もあてらんないけど。
淡い初恋は俺の勇気が出せなくて、終わった。小学校卒業と同時に引っ越していくと告げる彼女に思春期の俺は声をかけることすらできず、ギクシャクしたまま。
流石にもう会えないとチキンな俺は諦めていたわけだったが。
高校で再会した。初恋の彼女と会えたはしゃぎようは俺半端なかったと思う。
だが、中学校の頃明るく元気で快活にはしゃいでいた彼女は高校にはいなかった。
瞳に映るのはただ薄暗い闇だった。
彼女と同じ学校に行かなかったことをただひたすら後悔した。
あの子は中学校で壊れた。壊れてしまった。
俺が彼女を治せるならば、いや、治したいのだ。
初恋の君が壊れていくのを俺はもう見ていられない。
これは、彼女と俺が結ばれるまでの物語であって、同時に彼女を更生させてゆく、物語。