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五星の箱 ~Short Story~

作者: Gno00

 余程の物好きでなければ人間が訪れる事のない、森林地帯が存在する。

 その森林地帯は、何の変哲も無い、深緑色の葉を持つ木々に取り囲まれている。

 森の中へ立ち入る事が無ければ、勝手(・・)な想像をして、奥側も何も不思議な事は無い、森林地帯だと思うだろう。……そう、外側だけを見たならば。

 木々は自然の形成する暗闇の中へ、奥へ奥へ続いていく。すると、暗闇に紛れる木々の、深緑色だった葉が、次第に暗い色へと変わっていく。

 最初こそは幻視と思う程の些細な変化であるが、それは奥深くになるにつれて、顕著なものへとなってくるのだ。

 そして、奥へ辿り着いてやっと、違和感に気付く。木の葉が、次第に変わってきたのだと。


 ――その最奥部。自然が形成したものではあるが、不自然と感じるほどに正確に開かれた、木々のない、円形状の空間が存在する。

 円形状の空間、更にその中心に、一軒の洋館が建てられている。

 外観を見てみれば、人工の建造物によく似たそれは、白塗りの壁に、周辺を囲む木々の葉とほぼ同じ、黒紫色の屋根、何処を探しても窓が一切存在しない事と、様々な点が、まるで、一帯の森林と協力して何かを隠しているような、何処か異様な雰囲気を醸し出していた。



 ――これは、この洋館に住まう、四人の少女と一体の異形の、小話である。




 ◇◆◇




 洋館内に存在する一つの部屋。無地のマットが敷かれ、星空のような模様を持つ藍色の壁と天井を持つその部屋には、四人程が横並びになって眠れるベッドと、大きめに作られたクローゼットがある。

 部屋全体を灯せる程の照明が天井に一つだけ空いた穴より吊るされているが、今は灯っていない。

 窓が存在しないにも関わらず、部屋は日の光が指しているかのように薄暗かった。


 そして、ベッドでは、寝間着姿の四人の少女が静かに眠っている。

 身長にはまるで、少しの差があり、左からイメージカラーを言えば、紫、緑、黄、赤の少女が眠っていた。

 ……イメージカラーを薄くした色が肌の色であったり、人間(・・)と考えるならば存在し得ない部位が、四人の少女に確かに存在する事を除けば、何も違和感は感じないだろう。


 窓は無くとも薄暗い空間。四人の少女のその外見。違和感のある要素は少なからずあるが、その中で、無視するわけにはいかない要素が一つ、あった。


 それは、部屋の端で佇む、一体の異形の存在である。

 まるで、金属製であるかのような、漆黒の巨体を持つそれは、胴体から頭までが大きく、腰から足までの小さい、アンバランスな体型であった。

 足と呼べる部位が存在せず、脚は先端にかけて細くなっており、途中で折り曲げる事のできる、二対の棘のようになっていた。

 上述した通り下半身の小さな体型である為、全体的に鋭さを感じさせる両手は、脚に届くほどの長さである。

 そして、平べったくも丸っぽくもある頭部には、六本もの、棘のように鋭く伸びた部位に加え、二つの浮かび上がった円がある。

 その円は上下二つに、傾斜を付けて分けられており、体の全体的な形状と併せて、機械のようで、生物のようでもある異質さを感じさせていた。


 だが、長い眠りに付いているのか、そこにあっても、動く気配は感じられなかった。



 ―――腰の辺りまで伸びた長髪の、黒色の目を持つ紫の少女がゆっくりとその体を起こし始める。背丈とその外見からして、四人の少女の内一番幼く見える少女は、他の三人がまだ眠っているのを見てから、起こさないよう静けさを保ちつつ、漆黒の異形へと目を向ける。


 少しの間異形を見つめ、そして、微笑みを浮かべた。


「おはよう、マジェお兄ちゃん」




 衣服を着替え、寝室と似たような模様柄の壁と天井を持つ、リビングらしき空間へと来た紫の少女は、漆黒のテーブルを囲む、4つの椅子の内の一つへ座る。

 クッションらしき緩やかな曲面を描くものが座面に取り付けられた漆黒の椅子は、まるで誰が座るのか予め決まっているかのように大きさが少々異なる。

 その中で一番小さい椅子に座った紫の少女は、足の長さと椅子の高さが合ってないのか、若干浮いてしまっている足を軽く振るように動かして、楽しげな様子で残る三人を待つことにした。


 彼女の着用する黒紫を基調としたゴシック&ロリータの衣装に加え、しばしの静寂を楽しむようなその様子には、微笑ましさがあった。



 そして、紫の少女の居るリビングへと、二つの人影が近づく。

 少しずつ近づいてくるその存在に気が付いた様子の紫の少女は、振り向き、笑顔を浮かべて手を振り始める。


「おぼせお姉ちゃん、いぶきお姉ちゃん、おはよう!」


 紫の少女の振る手に対し、二つの人影の一方は紫の少女に負けない程度の元気な様子で手を振り返し、一方は恥ずかしいのか、小さく手を振った。

 紫の少女が手を振り終える頃には、二つの人影のその姿が露わになる。


 一人は、首の辺りで切り揃えた短髪の、水色に似た青い目を持つ緑の少女であり、緑を基調としたロリータの衣装に身を包んだその姿は、体の露出を出来る限り抑えていた。

 もう一人は、肩まで伸び、全体的に広がった短髪の、橙色の目を持つ黄色の少女であり、隣に居る緑の少女とは正反対になるかのように、白い衣服に茶色のショートオールを着用し、レザーグローブに足にフィットするよう調整したブーツを装備と、腕や脚の露出が多く、動きやすそうな装いとなっていた。


「お、おはよ、凪ちゃん……」

「おはよっす、凪ちゃん。早いっすね」


 おぼせと呼ばれた緑の少女と、いぶきと呼ばれた黄色の少女は、それぞれ凪と呼ばれた紫の少女の隣側に配置されている椅子、つまり両者で向かい合うように座る。

 こうして、4つある椅子の中で、凪の向かい側に存在する、一番大きな椅子のみが残った。


 おぼせといぶきが到着して少しした後、最後の一人がやって来る。


「……どうやら、あたしが最後のようね」


 軽い欠伸をしながらに、微かに赤く、可愛らしいワンピースを着た、胸より下の辺りまで伸びた赤髪の、今こそは穏やかだが、引きこまれそうな程の異質さを孕む紅い眼を持つ少女がリビングへと歩み寄る。

 その姿を見て凪達は笑顔を浮かべる。


「おはよう、嵐お姉ちゃん」


 眩しいくらいの笑顔を浮かべる凪を見て、嵐と呼ばれた赤い少女は釣られたように微かな笑みを浮かべるのだった。


「おはよう、凪ちゃん」




 ◇◆◇




 全員が揃った4つの椅子の配置は、凪と嵐、おぼせといぶきが向かい合うようになっており、その上で四人全員が扱うには少し狭い程のテーブルを取り囲む。

 椅子の高さは微妙な差異ではあるが、それぞれの身長と体格に合わせた作りとなっており、一番高い椅子に座る嵐が最年長者であり、一番低い椅子に座る凪が最年少者に見える。

 それでも四人全員が、幼さを感じる外見であるため、一部の人間が一目見れば、楽園と称する程の空間が、リビングの一部分へと出来ていた。


「それにしても嵐っち、今日は遅かったすね。――寝坊すか?」

「そうなのかもね。夜更かしし過ぎたわ」

「……と、言うと、良くないことがこの館の近くで、起きているという、事ですか?」


 いぶきの問いの軽い雰囲気に乗るかのような声色で嵐が答え、続けて普段の嵐を知っている一人であるおぼせがその返答の内容を恐れるかのような様子で問う。

 すると、嵐が少し間を空ける。これから、真剣な話になると悟った三人は口を閉じ、少しの静寂がリビングを包み込んだ。


「――人らしき存在を十数体程感知したわ。まだ洋館に入ろうとする気配こそ無いけれど、少しずつ近づいてきてる」

「嵐お姉ちゃんは、夜遅くまでその人達の事を見ていたの?」


 凪の問いに嵐は黙したままの首肯で答える。


「洋館の事を知られてもおかしな事は無い。早い内に対策を立てておきましょう。……最悪の結果にならない内に」

「――おっし、久々の“4要素”の出番っすね。腕が鳴るっすよ!もし入られたら追い出すっす!」


 次のいぶきの掛け声に、凪は元気な様子で、おぼせは小さく応える。その様子を見て安堵したのか、嵐は微笑みを浮かべるのだった。


「……そういえば、嵐お姉ちゃん。マジェお兄ちゃんの事なんだけど……」


 掛け声の軽やかな調子から一転、凪に落ち着いた声色で声を掛けられた嵐は、マジェ――即ち寝室に存在する漆黒の異形――の事が切り出された為、冷静に耳を傾ける事とする。


「……次に起きてくるとしたら、何時になると思う?」

「――分からないわ。ひょっとすれば遠くない未来かもしれないし、そうでないかもしれない。生きているとは言え、一度動かなくなった者が再び動き出す話は、お姉ちゃんも聞いたことがないもの」


 返答を聞いて、落ち込んだ様子を見せた凪を見た嵐は、微笑みを浮かべる。


 ――分からないというだけであって、望みが無いわけでは無い。


 そう思いながら。


「でも大丈夫。凪ちゃんが信じてくれていたら、お兄ちゃんも凪ちゃんの思いに応える筈よ。早ければ明日、いや、今日にでも起きてくれるかも。私達も信じてる。何時か必ずお兄ちゃんが起きてくれるって」

「……うん!そうだよね!」


 明るい表情を取り戻した凪を見て、嵐は安堵する。

 洋館内で侵入者対策の準備が始まったのは、それから少しした後の事であった。




 ◇◆◇




 黒紫色の木々に囲まれた、窓の無い、異質な洋館。

 その洋館の唯一の出入り口である木製と思わしき丸扉の手前に、十数人の人間が居た。

 一人一人が、私服と思わしき洋服に身を包み、軽装を装着しているその様は、まるで何かの調査に来たかのようだった。


 そして、リーダーと思わしき男が黙したまま足を進めようとしたその時、静寂を切り裂くように発砲音が鳴り響く。

 その直後として、洋館の壁から光弾が通り抜けて現れる。姿を表したそれらは、人間達の現在位置を“標的”ごと撃ち抜くべく、突進を開始する。


「リーダー!大変だ!洋館が攻撃してきた!」

「――分かってる!急いで洋館内に入り込め!」


 洋館の外に居る人間達は、リーダーの命令に従い、光弾に当たらないよう行動を開始する。

 光弾は着弾するその手前である程度の追尾を行ったが、人間達の動きの方が早く、命中する前に着弾し、爆発する。

 一回目は避けられたから良いものの、大人数が一斉に狭い場所へ集中しようとする為、どうしても動きが読まれやすくなってしまうので、二回目以降の回避が難しくなる。

 二回目の光弾が射出される。今度は誰も居ない位置へ着弾するように仕向けられているが、これが人間達の移動予測位置に着弾しないものだったなら回避できただろう。


 光弾の威力を把握出来ず、リーダーの命令に従っていた幾数名かが、光弾に直撃、また更に数名が着弾時の爆発で大きく吹っ飛ばされる。

 爆発に巻き込まれた者は、洋館の壁に叩きつけられた者と、草むらを倒れた状態のまま滑らされた者に分けられたが、どちらもすぐに復帰可能な怪我程度で済んだ。

 だが、問題は光弾に直撃した者である。光弾に叩きつけられ、更に爆発も直撃。そこには血が少量残った程度で、原型を残さず吹き飛ばされた跡が出来ていた。


 少しの犠牲が出たが、生き残った者達全員が、扉の前に辿り着くも、扉のノブに手をかけた者が突然悲鳴と共にノブを捻った手を離した。

 すると、その手の皮が刃物に剥かれたように切れており、そこから多量の血が吹き出てくるのを大多数が目撃する。

 更には、ノブの外見が、目立ちにくい程度で螺旋を描く刃物状になっているのを、ノブの付近に居た者達が確認する。


 三回目の光弾が射出される音が聞こえてくる。時間が無いと考えたリーダーは、ドアを蹴破り、先に仲間達を入れさせ、最後に自分も洋館内へ入り込んだ。

 光弾は洋館内へは追ってこず、光弾が着弾したのを確認して一先ず安心する。

 だが、同時に敵地に入りこんだことを悟り、リーダーは警戒の色を強めた。


 光弾の爆発で怪我をした者、ノブを捻って皮を剥かれた者を呼び寄せ、その怪我の具合を確認する。


「畜生!こんなの聞いてないぞ!」

「落ち着け、逆に獲物にされたくないだろ。止血を急がせろ」


 ノブを捻った事で手が血まみれになった者が愚痴をこぼすのを、リーダーは止めさせる。

 他の者に止血を頼み、すぐさま血まみれになった手は、白い清潔な布に覆われた。


 ――油断は出来ないな。


 外からの迎撃。更に、出入り口に仕込まれた罠。その二つから、リーダーは警戒を強めるよう全体に指示を送った。





「――予想よりは少し多かったかしら」

「ドアノブは駄目っすね。改善の余地も必要性の再確認もあるっす」


 洋館に存在する一室である、寝室内に集まり、敷かれたマット状の毛布に座った四人の少女は、目視では分からない情報を共有している。

 その中で、光弾の兵器を設けた嵐は予想外と言えど上出来といった様子で上機嫌に、一方のドアノブの罠を設けたいぶきは、不満気にしていた。


 洋館内に存在する“4要素”。それは全く異なる4つの概念の総称であり、洋館に住まう四人の少女が一人ずつ、一つの概念を担っている。

 その内の“兵器”と呼ばれる概念を嵐が、“罠”と呼ばれる概念をいぶきが担っているのだ。


「あ、後は中でどうにか出来ますか……?」

「この数なら此処から動かなくても良いわ。大丈夫よ、上手くいく」


 おぼせの自信の無いような弱々しい声に、嵐は胸を張って答える。言い終えた途端、嵐は壁を背にしたまま動かないマジェに視線を移す。

 おぼせもまた、マジェの姿を見て、「……そうですよね」と、少し安心した様子を見せるのだった。




 ◇◆◇




 洋館内へ入り込んだ者達は二手に分かれ、その内のリーダーを先頭にする者達は、二階へ続く階段の手前を通り、リビングらしき空間へとやって来る。

 そこには、星空のような模様の壁天井があり、一つのテーブルとそれを囲む、大きさの異なる4つの椅子が置かれていた。


 だが、逆を言えばそれ以外が無い、殺風景が広がっていた。


 リーダーはこの洋館に入ってから感じる何者かに見られている違和感を探るべく、辺りを見渡すも、椅子とテーブル、星空のような模様以外に目に映るものが存在しない。

 リーダー側の者達がリビング内へと入り込んだ途端、リーダーはこれから起こる事態が予測できたのか、すぐさま他の者達にリビングから離れるよう伝える。


 しかし、伝達も、それを受けての反応も、手遅れだった。鉄格子が上から降りてきて、唯一の出入り口を封鎖してしまったのである。


「罠だったか……!」


 リーダーは鉄格子を両手に握り、前後に揺らしてみるも、鉄格子に動く気配は無い。

 リーダーが鉄格子を何とかしようと集中している間に、その集中を乱すように悲鳴が聞こえてくる。

 リーダーは何事だ、と振り向いてみると、リビングの天井から、虫らしき大量の漆黒の異形が壁伝いに降りてきたのを目視してしまう。

 その異形たちは統率のとれた動きで床へ降りると、リビング内の人間達へと接近する。

 更には、人間達の足を伝って、体を登り始めた。


 人間達は足を忙しなく動かしたり、護身用の武器を振り回したりして、払おうとするも、漆黒の異形達の幾数かが武器もしくはそれを持つ手に跳びかかり、武器を落とそうとする。

 それは危険を承知の上での行為であったらしい。もし運悪く武器によって傷つけられようとも、同胞の居ない床へと落ちて、床に溶けるように消えていく。

 そして、消えた者のその代わりとなる者が天井より出現し、漆黒の異形達全体の統率を乱すには至らない。


 事態は好転せず、寧ろ悪化するのみ。リビングへと入ってしまった時点で手遅れだったと悟ったリーダーは、異形達の生む闇に埋もれても、まだ辛うじて動ける仲間達へと、姿勢を低くして投降する事を指示する。


 武器やそれを持つ手を傷つける事はあっても、どういう訳か、漆黒の異形達は此方側を傷つける気配が感じられない。


 それを視界が黒に侵食される前に把握したリーダーは、早い内の投降が、逆に自分達の身を助ける術となると、判断したのだ。




 別働隊である仲間達が閉じ込められた上に異形に埋もれているとは誰が予測できたであろうか。

 隊全体の副リーダーにあたる男が、もう一方の部隊を指揮して、二階へ上らせ、その二階で分散、数多くある扉のその中を調べるよう命じた。


 すると、扉の内の一つの調査に向かった一人の者が足早に副リーダーの元へと戻ってくる。


「早いな。どうしたんだ?」

「どうにも、“開かずの扉”がある。此方から開けようとしてもびくともしない」

「……怪しいな。俺も向かおう」


 そんなやり取りの後、副リーダーは奥へ向かう者の後に続く。

 そして、開かずの扉の手前へと辿り着いた。


 開かずの扉を最初に発見した者に、ノックをしたか、と尋ねると、首を横に振ったのを見て、副リーダーは二回程ノックする。

 だが、反応は無い。誰も居ないのか、と副リーダーは思いながら恐る恐るドアノブに触れる。触感に違和感は無い。

 ドアの設計を把握した上で、ドアを手前へ引こうとするも、まるで強い力で押さえつけられているかのように、ドアは動かなかった。


 副リーダーは蹴破る事もドアを開ける手段の一つとして考えていたが、強い力で押さえつけられているような扉に果たしてそんな手段が通用するのか、と疑問に思う。

 ドアを開ける事を考えていた矢先、同行の者が驚いた形相で副リーダーを呼ぶ。

 その者が指差した先、そこに居たのは二足歩行の四肢を持つ異形だった。


 その体を粘液状の物体が伝い落ちているも、床を濡らすどころか湿らせてもいない。その異形は描かれたような真っ白な目で二人の存在を確認すると、

 嬉しそうに口角を上げ、


「ウガァア!」


 言葉にならない楽しげな奇声と共に、両手を前にして二人へと突進する。


「逃げろ!」


 副リーダーの声と共に、異形に追いかけられる事となった二人は逃走を開始する。

 目の前に階段が差し迫り、一階へ降りるか、それとも曲がって二階の通路を走るかという二択を迫られた二人は、迷うこと無く曲がって、二階の通路を走り、その後を楽しそうな様子の異形が追いかける。

 ある意味、その判断は正しかったかもしれない。目には見えないだけで、二階の包囲網は、既に完成していたのだから……。


 二人の人間は息を荒げながらもひた走る。後ろから少しずつ距離を詰めてくる異形に捕まらないように。

 時に通路が分かれている事を利用して、不規則的に移動するも、異形は逃げる二人を見失うこと無く、それどころか裏をかいて大きく距離を詰めていく。


 そして1mあるか無いかという程に追い詰められた二人はそれでも諦めずに逃げようとするも、遂には通路上に現れた見えない壁に阻まれる。

 壁を叩いても動く気配は無い。振り向いた矢先には、異形が立っていた。


 とうとう目の前の存在と戦わなければならない時が来たか、と二人が思う矢先、微かに声が聞こえてくる。

 それは異口同音に、助けを求める声。異形の腹部から聞こえてきて、異形はきょとんとした顔をし、二人は異形に敵意を向ける。


「こいつ、皆を食いやがったんだな!」


 護身用の武器を手に副リーダーに同行する者が先に飛び出すも、目の前の異形に両腕を掴まれ、武器を落とすと、異形は大きな口を開け、その者を丸呑みにしてしまった。


 少しずつ小さくなる男の断末魔を聞いた副リーダーは、目の前でいとも簡単に起きた光景が信じられず、途端に引け腰になるも、それでも戦わなければならない、と出せる勇気を振り絞り、異形に戦いを挑む。

 異形に隙は与えさせまい、と素早い武器捌きで異形に攻撃を仕掛けるも、その動きが見えているのか、異形は次々に繰り出される攻撃を少しずつ後退しながら躱していく。


 一方の異形は、様子を見ているのか、攻撃を仕掛ける気配が無ければ動こうともしない。

 少し、移動可能範囲に余裕が生じたのを確認した副リーダーは、行動に出る。

 まず、装備していた投擲物を投げ、異形に上を向かせる。

 そして、上に注意がいっているその隙を突いて、手に持つ武器で、異形の腹を縦に裂く算段であった……が、狂いが生じる。


 上を見ながらにして、異形は副リーダーの手を掴んだのだ。驚きから手の力が緩み、武器を落としたのを見て、異形は不敵な笑みを浮かべる。


「や、やめろ……」


 異形はもう一方の手も掴み、人一人が入れる穴が生じる程大きく口を開けた異形が少しずつその口へ副リーダーを近づける。

 副リーダーはこれから自分がどうなるかを想像して青ざめ、抵抗を試みるも、異形の手は簡単に剥がせるものでは無かった。


 そして、抵抗むなしく、頭から異形の口の中へ滑り落ちていく事となった。

 その頃には、情けないほどの絶叫を上げる他無かった。


 二人の人間を呑み込んだ異形は辺りを見渡し、他に人間が居ない事を理解し、腹を擦ると、まるでカーテンが開かれるかのように、異形の腹が中身の見える鉄格子状に変化した。


 するとそこには、異形に呑み込まれた、無傷の人間の姿が。その中に無謀にも異形へ突撃した者も、副リーダーも居た。


 だが、無傷とは言え、その表情には不安が募っていた。跡形も無くなるだろうと想定した筈が、結果はその真逆となり、異形の体内へ閉じ込められてしまった。

 こうなると、その後の事が気になり、気が気でなくなってしまう。一体何処へ連れて行かれ、どうなってしまうのだろうか、と。


 異形が走り出す。その中に居る人間達にも、異形の走行によって生じる振動が伝わってくる。

 乱雑ではあるが、怪我をしない程度に丁重でもある。そういった、まるで客人を案内するかのような優しさが逆に、人間達に更なる不安感を抱かせた。


 階段を速やかに降り、その足はある一室へと向かう。次に人間達が目にしたのは、鉄格子に塞がれた一室と、その中にある物体。

 鉄格子は異形の存在を感知したのか、独りでに上がっていく。

 完全に上がりきった頃には、鉄格子は跡形も無くなっていた。一体どれ程の人間が、鉄格子が洋館の元々の設備では無かったと気が付いただろう。


 そして、リビングへと入った途端に、多くの人間が部屋の中にあった物体の正体を理解する。


 それは鳥籠状の檻だった。その檻の中にもまた、多くの人間が捕らえられている。


 ――二手に分かれた者達が、互いに捕虜となった状態で、再会してしまった。




 ◇◆◇




 異形の手によってリビングから運びだされた檻は、階段の手前の広場へと置かれる。

 置いた檻と隣り合うように、異形は広場の床へと座り込む。短い足を伸ばしたその姿は可愛らしいが、捕らえられている人間達からすればそのような素直な感想を述べる暇は心に無かった。


 場所を移された檻。そして、動きを止めた檻の異形。その二つが意味の無い事だとは思えない。

 考えられる事は一つ。館の主の登場だった。


 一室へと閉じ込め、虫のような怪物による物量作戦を決行して内部の人間を捕らえ、更に捕まえた相手を丸呑みにして、体内の檻へ閉じ込める異形を使役する者。

 そのような存在が、人間であるとは、捕らえられた人間にとっては考えられなかった。


 鬼が出るか蛇が出るか。もしくは、一度見てしまえば、正気を保てなくなる、異形の怪物が出てもおかしくは無い状況である。

 自分からは何も出来ない状況である今、やれるべき事は、祈ることだけだった。


 祈りの内容は一つ、無事に生きて帰れる事である。これ以上誰かが死ぬことが無ければ、発狂することも、心的外傷を受けることも無い、何とも都合のいい内容ではある。

 だが、今の人間達からすればそれが迎えたい一番良い結末である。それ程までに、追い詰められていた。


 そして、何かが人間達の目前、つまりは階段の手前より出現し始める。

 赤い物体と、黒紫色の物体。宝石のように綺麗なものではあるが、あれは注目を集めるための罠だと言わずとも悟り、人間達はその顔を押さえたり、目を強く閉じたりする。


 人のような顔、首、肩、腕に胴体と床からゆっくりと現れ出るが、人間達は必死に見ていない振りをする。

 そして、その“存在”が完全に床から現れ出た時、最初に気が付いた者が、驚きのあまり声を出す。


 ほのかに赤いワンピースに身を包んだ、赤を象徴する少女と、ゴシック&ロリータの衣装に身を包んだ、紫を象徴する少女。

 そこに現れたのは、二人の、可愛らしい少女であった。




 洋館に存在する“4要素”。範囲内に対象を攻撃するものを設置出来る“兵器”と範囲内に起動条件、及び起動による効果の異なるものを設置できる“罠”に加え、“移動”と“召喚”とがある。

 “移動”とは、使用者の許可により、範囲内を自由に動けるようになるもの。

 自由の定義とは、即ち『壁や床天井、物理的に移動に干渉するものを無視出来る』事であり、許可さえとれば範囲内を好きに動いて回れるようになる。この許可は使用者にも有効である。

 “召喚”とは、範囲内に何らかの手段によって、使用者及びその協力者に助力するものを生成できるようになるもの。

 助力するものであれば形状、及びその能力の性質に制限が無く、大抵の場合、異形の生命体を生成する。

 範囲内の定義は、“移動”、“召喚”、“罠”の三種が洋館内となるが、唯一“兵器”だけは洋館内、及び洋館に密着する時のみ洋館外となっている。


 “罠”によって密室となった空間内に突然異形の大群が姿を現したのはこの“移動”と“召喚”の合わせ技だったのである。


 寝室に居た四人の少女の内、凪が“移動”を担い、おぼせが“召喚”を担う。

 寝室内にて侵入者の様子を確認した四人は、脅威は拭い去ったと思い、安心する。


「……上手くいったようですね、ふぅ」

「それで?捕まえたのは良いんすけど、これからどうするっすか?」

「決まっているわ。彼らに此処に来た目的を問うの。以前私達の事を狙った“奴ら”と関係がないとは限らないから、ね」


 嵐の言葉を聞いて、凪は軽く俯く。


 ――もし、“あの人達”のように手荒い事をしてきたらどうしよう。お兄ちゃんが眠ってる今、私達だけで対処出来るの?


「――大丈夫よ、凪ちゃん」


 緊張感を抱く凪の肩に、嵐は優しく手を置いて声を掛ける。


「確かにお兄ちゃんは心強いわ。だけど、私達に何も出来ないわけじゃない。お兄ちゃんに助けられたことが何度もあったけど、逆にお兄ちゃんを助けたことも何度もあった、でしょ?」


 その言葉に、凪は記憶にある光景を思い出す。


 まだマジェが動いていた頃。彷徨っていたマジェが導かれるように洋館へとやって来て、そこから全てが始まった。

 館の主にして、たった一人で館に住んでいた当時の凪にとって、初めて見たマジェの存在は、新鮮そのものであり、温かく感じる存在であった。

 マジェと行動を共にし、そこからお互いを知り合って、次第に信頼しあう関係となった。

 嬉しい事があった。悲しい事もあった。生活によって生じるそれらを是とし、心の底から楽しんだ。

 おぼせ、いぶき、そして嵐と、館で暮らす仲間が増えた。彼女達を狙う敵も増えた。

 嬉しい事を共有したり、傷ついたりした事もあったけれど、それら全てが良い思い出で、かけがえのない宝物である。

 そして、戦いに疲れ、マジェが眠りについた。しばしの別れであり、とても悲しい事であったけれど、実の姉にも等しい三人のおかげで、何とか乗り越える事が出来た。

 マジェが次に起きるその時までに、マジェが安心できる“仲間”であろう、と自分を磨くことにした。


 今までの全てを振り返った凪は、立ち上がる。その行動は凪自身も気が付かない、反射的にとった行動だった。

 決意に満ちた目で、今は眠っているマジェへと向き直る。それを見て安心した嵐は、微笑みを浮かべた。


 凪は我に返り、自分を見てみると、何時の間にか立っており、続いて他の三人を見てみれば、嵐は微笑んでおり、おぼせといぶきは目を丸くしている。


 ――決意を抱くだけならいいとして、どうして立っちゃったんだろう。


 途端に自分の行動が恥ずかしくなった凪は顔に恥じらいを浮かべながらゆっくりと座る。

 それを見ておぼせといぶきは軽く笑い始めた。


「かわいいっすね凪ちゃん。まぁ、その様子じゃ迷いは吹っ切れたみたいだし、結果オーライって事で」

「ありがとう。凪ちゃんに元気を分けてもらったから、お姉ちゃんも何だか自信が出てきた」

「――それじゃあ、行きましょう、凪ちゃん。今のあなたが居れば、心強いわ」


 まだ顔には少しの恥じらいが浮かんだままだが、凪は軽い首肯をした後、立ち上がる嵐に続く。


「気を付けて」

「気を付けるっすよ~」


 沈みゆく二人に、居残るおぼせといぶきは手を振る。


 そして、凪と嵐の二人が、捕らえられた侵入者の前に現れたのはその直後の事であった。




 ◇◆◇




 侵入者達が予想外の事態にざわめく中、二人の少女は、緊張をほぐすように一呼吸をする。


「あなた方に聞きたい事があります」


 ワンピース姿の少女、嵐が籠型の檻と檻の異形に捕らえられた侵入者達に声を掛ける。

 その声によって、ざわめいていた人間達は静まり返る。恐らく、返答や行動次第では自分達の身が危ないと考え、これからと慎重に行動しようと誰もが考えたからだ。


「あなた方は誰かに雇われて此処に来たのですか?……もし、そうであるならば具体的にお教え願いたいのですが」


 それを知っているのは十数人の集まりの内、リーダー格の人間のみだった。

 その人間は代表者として、目の前の少女の問いに答える事にする。


「……君の言う通り、俺達は雇われて此処へ来た。何でも、森の中の洋館に居る者を捕らえて連れて来い、と。確か、ディズと言っていた、な……ッ!?」


 突然感じた威圧感に、リーダー格の人間は身震いする。とても人間のものとは思えない、凍てつくようなその重圧に、心を折られた何人かが、涙を浮かべながら許しを請い始めた。


「出来る限り、その言葉は使わないで下さい。あたし達も、あなた方を殺したくは無い」


 表情に大きな変化こそは無いが、目の前の少女二人が『ディズ』という言葉に嫌悪感を抱いているのを見て取ったリーダー格の人間は、冷や汗をかきながらに自らの失言を理解する。


「……失礼した。とにかく、私達は洋館の者達を見つけて連れて来いと頼まれた。まさか、君達のような女の子だったとは、思わなかった」

「そうですか。……出来れば、あなた方の雇い主の名や、雇い主に関する情報を教えてくれませんか?……返答次第ではこれで質問を最後とし、あなた方を無事に解放します」

「詳しく、答えれば良いんだな?そうすれば俺達を無事に帰してもらえる、と」

「ええ。……ただし、これ以上私達に関与しない、という交換条件の下、ですが」


 リーダー格の人間は赤髪の少女の発現を聞いて、当然だ、と思った。


 解放したのは良いものの、その時点で逆に捕らえられてしまえば元も子もないからだ。

 だが、凍てつくような重圧を放つ少女を相手にして、一体何人が正気で居られるのやら、と未だ傷心気味の者達の姿を見て、リーダー格の人間は、赤髪の少女を敵に回さない方向で情報を提供することとする。


「確か、雇い主の名は、ボルドナッズと、ヘブセン、だったかな。どちらも男だった。巨体格の男がボルドナッズで、細身の男がヘブセン、だ」


 リーダー格の人間は一呼吸を置いて、それから話を続ける。


「ボルドナッズの方がこう言っていたな。『捕らえた者達は、あの方々に献上する』、と」

「……成る程。ありがとうございました」


 ――あたしの考えは正しかったらしい。


 嵐はそう思いながらリーダー格の人間に一礼し、捕らえた者達を解放しようとした途端、突如として嵐の体は何者かに持ち上げられる。


「――お姉ちゃん!」


 一瞬で起きた出来事が理解出来ず、思考が止まってしまった嵐は凪の一言で我に返ると、落ち着いて状況を整理しようとする。

 まず、自分を持ち上げているものは丸太と見間違う程に太い人間の腕であり、その腕の持ち主は、剣闘士のような肌の露出の多い衣装を身に纏い、また、その衣装は晒された岩肌のような筋骨隆々の肉体を強調している。

 リーダー格の人間の情報から考えるに、この男はボルドナッズだ。そして、ボルドナッズの後ろに、洋服の上に軽い装備をした、細身の男が居る。ヘブセンだろう。


「……ぁぎっ……ぁ……!」


 首を締め付ける手の力はそうそう振りほどけるものでは無い。苦しさのあまり言葉にならない声を上げながらに、嵐は自身が担う“4要素”を使用する。


 すると、床の中から大量の小さな砲身が現れる。計算上、嵐に流れ弾の当たらない配置の上で。

 砲身の全てが、静かにボルドナッズへと向けられる。このままボルドナッズを撃つ算段だった。

 だが、ボルドナッズは灰色の覆面を被ったその顔を少し動かし、砲身を捉えるや否や、その射線上に嵐を捨てるように放る。


 このままでは自分が撃たれてしまう。嵐は敢え無く砲身を床に引き込め、嵐の体は床に叩きつけられた。

 嵐の叩きつけられた床には白い粉末状のものが撒かれており、その上に嵐が落ちた途端、ヘブセンは不敵な笑みを浮かべる。


「お姉ちゃん!」

「ぼ、ボルドナッズ、さん……」


 凪は倒れた嵐へ駆け寄り、リーダー格の男は首だけを向けたボルドナッズに恐る恐る声を掛ける。

 ボルドナッズは、鳥籠状の檻と檻の異形を一目見て、そして、興味が失せたかのように視線を変える。


「丁度良い……ディズの小娘達を捕らえ……俺の目的を果たし次第……始末するとしよう……」

『なっ!?』


 ボルドナッズの重低音のような声を聞き、ボルドナッズ達に雇われた者達は驚きの声を上げた。


「お前達は知りすぎたのだよ。知りすぎた以上、口封じするしかないじゃないか」


 ヘブセンが目を背けたくなる程の気味の悪い笑みを浮かべながらに、雇われた者達へとそう言う。

 その笑みは、立場上弱い者を嬲る事を趣味とする者のそれであった。


 ボルドナッズ達が注目を逸らしている間に、凪は倒れた嵐を抱えながら、自身の“4要素”を発動させ、速やかに場を抜け出そうと試みる。

 だが、移動中の段階でボルドナッズに気づかれてしまい、床に沈みかけていた凪の体が引き抜かれる。


「凪ちゃん!」


 嵐はそれに気づき、声を荒げると、凪はその言葉に反応して、嵐を安心させようと言葉を返す。


「……私は、大丈夫、だから……お兄ちゃん、を……」


 そこまで聞いた直後に、嵐の視界は暗転した。

 凪の小さな体を締め付けるようにボルドナッズは凪を持ち上げると、嵐にもそうしたように、凪を床へ放り捨てた。

 凪もまた床へ叩きつけられるが、すぐさま起き上がろうとし、自分一人でボルドナッズを引きつけておこうと考える。


「あの小娘が何処へ行ったか分かるか?」

「もちろんだ相棒。じゃあ、俺は捕まえておくからよ、例の奴が来るまで待ってな」


 ヘブセンは額に掛けていたゴーグルを装着し、二階へと上がっていく。

 そして、ボルドナッズはゆっくりと凪へ近づいていく。凪にとっては、ボルドナッズのその巨体は、果てしない大きな存在に見えていた。




 ◇◆◇




 嵐の視界の暗転が収まった頃には、寝室へと戻ってきたらしく、視界に星空の模様と、心配そうに声を掛けるおぼせといぶきの顔が映り込んだ。


「このままじゃ……凪ちゃん、が……」


 体の痛みを感じつつゆっくりと嵐は体を起こしていく。おぼせといぶきもまた、凪が戻ってきていない事に不安を覚えており、嵐の発言から現在凪が酷い目に合っているのを悟り、おぼせが勇気を振り絞って提案を持ちかける。


「私達だけでも、凪ちゃんを助けに行きましょう!」

「子猫ちゃんたぁぁぁち!そこに居るのは分かってるんだよぉぉぉぉん!」


 三人が動こうとしたその時、耳障りな大声が壁越しに聞こえてきて、動きが止まる。


「かったい施錠だなぁ!よぉ~し、おじさんが開けちゃうぞぉ!」


 軽快な口調の割に耳障りな声が止み、その直後に、乱雑に扉を開けようとする音が鳴り始める。嵐は怯えるおぼせと冷や汗を浮かべるいぶきを脇に寄せると、ふと背中に違和感を覚え、もしかして、と思って背中を指でなぞってみる。

 そして、指に白い粉末状のものが付着しているのを確認した。


 ――恐らく、これによって見つけられてしまったのだろう。


「駄目な、お姉ちゃんね、私は……」


 末妹に助けられ、それどころか、妹二人を危険に晒す状況を作ってしまった。

 突然の出来事に対処が追いつかず、折角の“4要素”も活かせずじまい。


 自分が上手く動けなかったのを振り返り、自責の念に追いやられる。


 頭を抱えだした長姉を見て、妹二人は肩にそっと手を置く。


「大丈夫っす。嵐っちは頑張ったっすよ!お天道様も、兄さんもちゃんと見てるっす!」

「わ、私達は、嵐さんの事、そ、尊敬してますから……そんなに落ち込まないで下さい!」


 落ち込んだ様子の嵐を見て、慌てた様子のいぶきとおぼせがフォローの言葉を掛ける。

 それを見て、自分がしっかりしなければ、この二人も不安に陥るだけだ、と理解した嵐は、自分の頬を軽く両手で叩く。


「……ありがとう。そして、ごめんなさい。そうよね、私がしっかりしなきゃ」


 ――妹に支えられてでも、この状況を打開しなければ。


 決意を固めた嵐は、もっと、おぼせといぶきの二人を脇に寄せ、今現在で扉の向こう側に居る脅威を、退ける手段を考える。

 そして、それが上手くいくよう、マジェへと祈りを捧げた、――その時である。


「(――騒々しいな。これじゃおちおち眠れないじゃないか……)」


 優しい声が三人へ聞こえてくる。聞き覚えのある、温かい声。その声が三人の頭へと入り込んだ。

 その“声の主”へ目を向けると、頭部に存在する、二つの円に青白い光が点っており、今にも動き出しそうにしていた。


 ――何時かは目覚めると思っていた。なるべく早い内に、目を覚ます事を心から望んでいた、たった一つの存在。


 感動のあまり、声を出しそうになる三人を“声の主”にして漆黒の異形――マジェ・ギアーズ・ロテックは人差し指を顔の前に近づけ、今は堪えるように、と三人へ指示する。


「(――状況は粗方分かっているつもりだ。よく頑張ったね。後は僕に任せてくれないか?)」


 三人が頷くと、マジェは立ち上がり、扉の付近で扉を開けようとする者が姿を表すのを待つ。

 ただ、立ち上がったその姿を見ただけで、三人はとてつもない安心感に包まれた。その中で嵐は、マジェの存在を眩しく感じていた。


 そして、ヘブセンが勢い良く扉を開けた途端、待ち構えていたマジェがその首を掴み取り、持ち上げる。

 ヘブセンは驚いてマジェの手を振りほどこうとするが、マジェの手はヘブセンの首を離さない。

 そして、マジェが掴んでいる首から、徐々に、ヘブセンの肌が漆黒に染まり始めた。


「――ひッ!?そ、“それ”だけは勘弁してくれぇ!化物なんかになりたかねぇよ!」

「だったら、もう一人居る子の居場所を教えてもらおうか。見てないとは言わせないよ」

「い、一階だよ!階段降りた先だぁ!」

「――マジェ兄さん!」


 ヘブセンを掴みながら、進もうとするマジェを立ち上がった嵐が引き止める。


「――凪ちゃんを、頼みます」

「分かっているさ」


 それから、開いた扉から見える外より、マジェは姿を消した。




 ◇◆◇




 もうどれくらい時間が経っただろう。全身の痛みに耐えかね、朦朧とする意識の中、凪はそう思う。

 衣装の所々が擦り切れ、露出している肌に打撲痕がある。乱雑に投げられては床に叩きつけられる凪はその度に意識を失いそうになるが、何とか踏みとどまり、決してボルドナッズの姿を見逃さないようにする。


 今現在、凪に出来ることはただただ耐える事だった。長姉を逃し、合流した三人の姉ならば、きっと何か手を打ってくれる。そう信じていたからだ。


 自分は幾ら傷ついても良い。状況が好転する事に繋がるならば。悲惨な程の決意が、今の彼女の力となっていた。

 だが、それを見てしまう事となる者達からすれば、痛ましい現状である。目を背けたり、顔を覆ったり、時にボルドナッズに攻撃を止めさせるよう声を投げかけた者も居た。


 幾ら避難されようとも、ボルドナッズに止まる気配は無い。抵抗の出来ない凪の腕を掴み上げる。また放り投げるつもりなのだ。

 ボルドナッズが凪を放り投げようとした時、不意にボルドナッズの手が止まる。するとその手は微かに震えているように、凪には見えた。


 そして、ボルドナッズの首がある方向へと向いた途端、凪から興味を失くしたように、凪の腕を離し、結果凪は床に倒れこんだ。

 最早、痛みを感じない。それ程までに痛めつけられたのだろう。凪はそう思いながら、ボルドナッズの向いた方向へと、首の痛みを承知の上で、ゆっくりと向ける。


 ――見覚えのある姿がそこにあった。上半身が大きく、下半身の小さい、アンバランスな形状を持つ漆黒の異形。

 それは、毎日見ていた存在。そして、今そうしている事が何よりも嬉しい存在。


 殺気にも似た緊張感が空間内に走る中、凪は微笑み、声を振り絞った。


「……ぉ兄ちゃん」




 体が凍りつく程の強い殺気。それを放っているのは一階への階段手前へやって来たマジェだ。

 ヘブセンの体を二階の床へ放ち、その体が突如床より現れた、穴のような闇より伸びる黒い手によってゆっくりと降ろされたのを確認したマジェは、大男ボルドナッズへとその殺気を向ける。


 無理も無い。凪がその男に一方的に痛めつけられているのを目撃したのだ。一番に再会の喜びを分かち合いたい者が傷つけられているのを見て、黙ってはいられない。


 殺気を向けられて、マジェの存在に気付いたボルドナッズは、凪の腕を掴む手を離し、その体を床へ落とす。

 直後の凪の振り絞った声を聞いて、マジェは凪の姿を改めて痛々しく感じた。


 すると、壊れたかのような割れんばかりの高笑いが空間内に響く。怪我人が居るというのにも関わらずそれを考慮しない行動に、マジェはこの男が常識を欠いた存在だと認識する。


「会いたかったぜぇ……!マジェさんよぉ……!」


 ボルドナッズは激しく腕を振り動かす。目の前の強敵相手に感情の昂ぶりを抑えきれなかったらしい。

 そう。ボルドナッズの目的とは、マジェと戦うことだったのだ。


「ほぼ一人で“あの方々”を相手にし、更にぃ、無事で居られた……!そんな奴に会えて、俺は嬉しいぜぇ!嬉しくてたまんねぇ!」


 はやる気持ちのまま、ボルドナッズはその巨体からは想像出来ない速さで、階段を駆け上り始める。

 狙いは当然、最上段のマジェだった。


「だからよぉ、この興奮が冷める前にぃ、俺に倒されてくれやぁ!」


 ボルドナッズは走りながらに右腕を引き、攻撃の準備を整える。

 そして、マジェを間合いに捉え、その一撃を繰り出そうとしたその時、ボルドナッズの体は一瞬の痛みを味わった直後に、宙を舞った。


「……ふざけるな」


 ボルドナッズが攻撃を繰り出す前に、既にマジェは攻撃していたのだ。

 マジェの右腕は高々と挙げられ、ゆっくりと降ろされていく。その声には静かな怒りが籠められていた。


 口調から、ボルドナッズが謂わば、戦闘中毒者である事を悟ったマジェは、この男に長い戦いを持ちかければみすみす喜ばせるだけだと考えた。

 ならばどうするか。簡単な話、一撃とまで行かずとも、少ない手数で終わりにしてしまえば良い。それは互いがぶつかり合う長期戦、謂わば死闘を望むボルドナッズの期待を裏切る行為であり、凪を痛めつけた分の恨みを晴らす行為でもあった。


 そして、倒れたボルドナッズ、ヘブセン、雇われた人間達の元へ、穴のように広がった闇が現れる。


「全員、此処で起きたことを忘れてもらおう。二度と、この館に関わらないように」




 記憶処理が行われ、洋館での出来事も、洋館に来た目的も忘れた者達は、まるで魂が抜け落ちたかのような様子で隊列を保ちながら、強引に開けられた玄関を出て、森を出て行く。


 最後の一人、先程まで興奮した様子だったボルドナッズが玄関を出て行き、開け放たれたままの玄関はマジェが拾った扉をパズルのように入れる事で閉じられる。

 また、マジェが拾った扉は一瞬の内に元ある機能を回復させ、ドアノブの罠は取り除かれた。


 人間が居なくなったのを確認してから、マジェは凪の元へと向かう。傷だらけと言えど、目を閉じた安らかな者は清らかで、美しいものだった。


 マジェが近づいたのに気付いたように、凪はゆっくり目を開け、マジェの姿を目に映す。


「すまないね、起こしてしまったかい?」

「……そんな事無いよ、お兄ちゃん。……えへへ、私、頑張ったよ。お姉ちゃん達を守ったんだ」

「分かっているよ、凪。でも、疲れてるだろ?今は、ゆっくりおやすみ……」

「……うん。そうする、よ……」


 凪はゆっくり目を閉じる。その表情は、とても穏やかなものだった。

 凪が眠りについたを見て、マジェは、丁寧にその体を持ち上げる。

 そして、凪とマジェは寝室へと戻っていった。




 ◇◆◇




「……ぅ」


 凪が目を覚ます。そのぼんやりとした視界には藍色の上に緑、黄色、赤、黒の物体が移り込むが、視界がぼやけてよく分からない。

 軽く目を擦り、視界がはっきり見えてくるようになると、その正体が何なのか理解出来た。

 星空のような模様の壁に、おぼせ、いぶき、嵐の三人の姉の心配そうな顔と、マジェの体。

 この館に住む、全員が凪を中心に集まってきていたのだ。


「うぅ、良かったっす。あれから3日も眠り込んで居たからもう二度と起きないかと思ったっすよ……!」

「お、お姉ちゃんは、必ず起きるって、信じていたから、ね……?」

「とにかく、おはよう、凪ちゃん。傷もすっかり治ったね。凪ちゃんの元気な顔が再び見れて、良かったわ」

「おはよう、凪。朝から皆集まって、びっくりしたかい?でも、それくらいに心配だったんだ」


 目に映る全員が口々に話始める。どうやら、無理が祟って寝込んでしまっていたらしい。

 申し訳ないな、と思いつつも、凪は微笑みを浮かべるのだった。


「おはよう、皆」




 余程の物好きでも無ければ訪れる事の無い、森林地帯。

 そこは外部が深緑の木に覆われ、奥へ奥へ向かうに連れて、段階を踏んで紫色に侵食されていく。

 その中の最深部、黒紫色の木々が囲う空間の中。


 窓の無い、黒紫色の屋根の洋館より、微かに歌声が聞こえてくる。


 それは洋館に住まう四人の少女と、一体の異形の歌声であり、体を左右へ揺らしながら歌うその様子は、欠けていたものを取り戻したように、幸せそうであった。

 今日も1日、彼女達の日常が始まる――。

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