傘だって立派な〇〇
5月25日
「赤矢最近ずっと傘持ってどうしたん?」
朝のホームルームが終わり、1時限目が始まるまでの少しの時間、木下が話しかけてきた。
「いいや、何も。いつ雨が降るかわからないし」
「そうかん?先週も今週も降水確率はゼロなんだけれどなん」
そうだ。それは知っている。だが俺には傘を手放せない理由がある。
5月19日
漫研部の活動を終え、松岡や部長たちと別れ帰宅した俺はベッドへと倒れこんだ。帰宅してからの仮眠というのは昔からの日課だ。だがしかし、そこに新しい日課が加わっていた。
「やっときたかパシリ遅いぞ」
睡眠へと入ったのだろう。だが意識ははっきりとしている。なぜなら俺はパシリだからだ。女神の。なぜだか知らないが眠りにつくと女神のいる天界へ行ってしまうのだ。
「しょうがないじゃないですか、美月さん。俺は学生ですよ。いつでも寝られるわけじゃないですから」
周囲の状況を確認しながら文句を言う。いつも通り、四方一面開けた空間で、上には清清しいほど晴れ渡った青空。下にはその青空が鏡のように写りこんでいる。そこが女神の美月さんが住んでいて、俺が呼ばれる場所だ。
「ふん、パシリならばいつでも寝られるようにしておけ。例えそれが歩いている時であろうともな」
そんな無茶なことを言う美月。美月とは俺がつけた名前だ。女神が他にもいると知ったので「女神さん」と呼んだ時に他の女神も振り返らないようにと考えたのだ。美月は他の神からは金色の女神と呼ばれており、その名の通り、髪の毛が金色に輝いている。顔も美しく整っていて背中に羽が生えている。身長も170センチと女性としては高く、全く非の打ちどころがない見た目だ。着ているものが中学指定の緑ジャージでなければ
。
「それで、なんで俺は呼ばれたんですか」
「まぁいい。これを見ろ」
そう言って取り出したのは1冊の少女漫画だ。美月に献上したものであり全12巻の恋愛ものだ。どうやら今回もあれが始まる。
「これやれ、以上」
短い言葉と漫画の1コマを指さしただけだったが、美月が何を求めているのかは一目瞭然だ。
「無理無理これは無理だって絶対」
美月が指さした1コマにはその漫画の主人公である女子高生がイケメン男子高校生と傘を差して帰っている場面が書いてあった。いたって普通の場面ではないかと思うかもしれないが違う。傘が1本しかないのだ。相々傘である。
「なぜだ。髪を掻き上げることよりも簡単じゃないのか」
不思議そうな顔をする美月。確かに直接触れなければならないことに比べれば簡単かもしれない。だがそうじゃない。
「相々傘は相手の承諾が必要です。それに雨が降るような日だったら傘を持ってきているはず。傘を持っていたら相々傘をする必要なんてありません。それに万が一傘を忘れていて、傘に入るよう勧めたのに拒絶されたときの精神的ショックは計り知れなく…」
そこまで長々と否定的な言葉を並べていたが、ある作戦を思いつき言葉を止める。
「そうか。俺が傘を忘れて松岡に入れてもらえばいいのか」
「却下。キュンとこない」
パシリに拒否は許されない。毎度おなじみ鉄拳で強制送還される。
「私、別に松岡としろだなんてひと言も言っていないのだがな」
そして今日に至る。
「今日も雨が降らなかったか」
手には黒色の傘が握られている。コンビニのビニール傘ではない。大体3000円ぐらいする丈夫な傘である。だが雨が降らなければただの棒である。
帰ったら美月に何て言われるか。
「…この町にいるのですね」
人々が寝静まり、静寂が支配しているその街を上から見下す視線が1つ。その視線には明確な敵意が見て取れた。
6月1日
5月が終わり梅雨の季節へと入ったが未だに雨が降らない。それでも傘を持ち続けて登校している。
「おはよん赤矢」
ぶっ壊れた口調で挨拶してくる木下。これはいつものことなのだが
「なぜ傘を持っている?」
木下の手にはコンビニに売っているようなビニール傘が握られている。俺が言うのもなんだが今日も雨は降らないはず。
「なぜって知らないのん赤矢。あの占い師のこと」
「知らない。何のこと?」
「学校の近くにものすごく当たるって噂の占い師がいてねん。その占い師がこのビニール傘を配っているのさん」
「配っている?売っているんじゃなくて」
「そうだよん。よく分からないけれど持っていると力がみなぎってくるんだってさん」
普通そう言う開運グッズってお金を儲ける手段であって無料で配るものではないはず。
「それでその開運グッズの感想は?」
「なんだか手放せない感じだなん」
何それ呪いの装備?なんだか嵩張って嫌だな。傘だけに。下らないダジャレを思いつつふと周りを見渡す。
「なんだこれ」
周囲の異変に声を漏らさずにいられなかった。周囲には同じ学校に通う高校生たちが登校している。それは普通だ。だが男子高校生の手には木下同様ビニール傘が握られている。女子は持っていない。男子のみだ。
「その占い師、なぜか知らないけれど男子にしか傘を渡さないらしいんだよねん」
「そうか」
だがまぁ開運グッズが流行するのは不思議ではないか。それが女子ではなく男子で、ストラップとかではなくビニール傘だというのは気になるが。
授業が終わり放課後になる。今日は水曜日だ。漫研部の活動がある。俺は足早に部室に向かおうとする。その道中の廊下で後ろから声を掛けられた。
「赤矢ちょっと待ってん」
「何、木下」
振り返る。そこには今朝同様ビニール傘を持った木下の姿が。
「赤矢、最近すぐにどこかに消えちゃうからさん。そんなに急いで帰ってどうするんかなってん」
あぁそうか、木下には漫研部に入った(高野志先輩の猛反対で仮入部)ということをいってなかったっけ。
「いや、俺部活に入ったんだ。漫研部に」
「…漫研部って松岡さんと同じ?」
「そうだよ」
答えた後、黙り込んでしまった木下。いやいや同じ部活に入るくらいいいじゃない。木下だって入ればいいじゃん。アニメ好きでしょ。
「…」
返事がない。ただの木下のようだ。俺はあきれて部室に向かおうと踵を返そうとしたとき、木下に動きがあった。右手に握られていたビニール傘を頭上に振り上げ、そのまま俺の頭目掛けて振り下ろされる。
「っ!」
間一髪後ろに下がることで直撃を免れた。嘘でしょ。たかが同じ部活に入ったってだけで友人の頭に傘を振り下ろすなんて。すごい力が入っていたし。
「殺す気か!ってかお前も入ったらいいじゃ…」
全力で説得を試みようと木下の目を見る。だが様子がおかしい。木下の目は力なく開かれている。まるで目を開けたまま寝ているように。
「どうしたんだ木下!」
声を掛けてみるが返事がない。その時、どこからともなく声が聞こえた。
「気を付けろパシリ。そいつ誰かに操られているぞ」
「美月さん!」
頭に直接話しかけているのだろう。美月の声が聞こえる。
「恐らく神かその力を与えられた者の仕業だ。なぜだかは知らないがお前が狙われているぞ」
「なんで」
「知らん。とりあえず生きていたければ逃げるんだな」
そう言われて周囲の状況に気付く。そこには木下と同じようにうつろな目をした男子生徒がビニール傘片手に俺の方へと来ている。
「嘘だろ。逃げ場がない」
ここは教室棟の3階。1年生は教室が3階にある。そして下に降りる階段へと続く通路は両端に1本ずつしかない。しかしその通路は操られている男子生徒で埋め尽くされている。まさに万事休す。
「仕方がない」
俺は意を決して廊下の窓に手を掛けた。そして窓を開け放ち窓枠に足を掛け、飛び降りる。地上まで10メートルはあるだろうか。漏らしそうだ。
「ふっ」
漏らしそうなのを必死にこらえ両足で地面を捉える。普通ならば良くて骨折、悪ければ死んでいるだろうが、俺は女神のパシリ(天使ではない)である。両足に貰い受けた力を集め、着地の衝撃をやり過ごす。貰い受けた力というのは身体能力を100倍くらいにするというものだ。とりあえずは安心。そう思ったが。
「嘘だろ」
俺を追うためだろうか。後ろを振り返ると3階、2階、1階の窓から次々とビニール傘を持った男子生徒が飛び降りてくる。その数450人というところか。この高校は男子が約500人だから9割の男子生徒が俺を追いかけてくる。大丈夫なのか。特に3階から飛び降りた奴。
心配を他所に次々と飛び降りてくる男子生徒。まるで雪崩のようだ。気持ち悪い。だが怪我をしている男子生徒はいないようだ。
「奴らは操られているがきちんと神の力を与えられている。お前と同じようにな。まぁあれだけの人数に1つの力を分けたら1人1人の力は微々たるものだが、あれくらいの高さ訳がなかろう。となると奴らを操っているのは神ということになるのだが」
美月が何か言っていたようだが俺には聞こえない。とりあえず逃げることに必死だ。
「このまま町に出たらそれこそ大騒ぎになって警察沙汰だ。何とか校内で片を付けないと。どうしたらいい美月さん」
「そうだな。手っ取り早いのは操っている奴を見つけて処刑することだが相手が神ならお前には無理だろう。だとしたら手段は1つ。操るための媒介を破壊しろ」
媒介って何?受信機みたいなもの?だとしたらあれしかないか。
俺は180度ターンし、追いかけてくる男子生徒の群れに突っ込んでいく。そして手に持っている黒い傘を左脇に構え、ビニール傘目掛けて引き抜く。ビニール傘は俺の黒い傘の前になすすべなく折れていく。それと同時に傘を折られた男子生徒も気を失ったように倒れていく。見たか3000円の力。お前らの傘とは格が違うのだ。
「オージャパニーズサムライ。イアイギリ」
美月が突然片言になっている。まるで外国人観光客のようだ。だが突っ込んでいる余裕はない。2本3本と傘を叩き折っていくがまるできりがない。いくら身体能力を100倍にしようと体力が持たない。それに元々俺はスポーツをしていない。すぐに息が切れてくる。
「やべぇ腕が上がらない」
現在地は学校の校庭の中心。体力が限界を迎える。だが操られている男子生徒の数はまだ250人ほどいる。やばい。こんなことになるのなら必殺技とか習得しとけばよかった。ホントちょっと待って。続きは明日にしよう。あっでも明日は筋肉痛になるから1週間後にまた会おう。現実逃避に陥る。
ピタっ
「えっ」
願いが通じたのかおよそ250人の男子生徒が一斉に動きを止めた。帰っていいんですね。それではまた来週。
「待ちなさい人間」
帰ろうとした俺を止める声が聞こえる。変声期前の女児のような声だ。その声の印象と違わず、男子生徒の群れの中から現れたのは身長140センチほどで髪は赤色、ツインテールにしていて顔立ちは幼い。小学校高学年くらいか。ここまでは外国人で通る。だが
「その服と羽…」
そう、その女児はこの場には似合わないような古代ローマのような白い布服をを着ていて背中には天使のような羽が生えている。デジャヴである。
「女神かっ!」
「その通りです人間」
冷たい目をして俺を見てくる女神。
「お前がやっているのか」
「その通りです人間」
「なぜこんな事を」
「知る必要はありません。しかしなぜこんな人間を…」
最後の方の言葉は聞こえなかった。赤髪ツインテ女神は俺を品定めするように見まわし、その後ため息をしてうつむいてしまう。それが引き金になったのか停止していた男子生徒の群れが再び俺目掛けて進軍してくる。
「死になさい」
万事休す。だが少しの休憩で思考能力が回復していた。こうなったらあれしかないな。できればやりたくなかったんだけれどなぁ
そう思いながらも命には代えられない。持っている黒い傘を再び左脇に構える。
赤髪ツインテ女神は再び冷たい視線を俺に向けてくる。何をしようと無駄だというように。その間にも男子生徒の群れは俺の10メートル手前まで来ていた。
「っふ」
吐息と共に左脇から黒い傘を居合抜きの要領で引き抜く。男子生徒の群れとは10メートル。攻撃が当たる距離ではないのだが。
「何だと、何をした人間!」
驚愕する赤髪ツインテ女神。それもその筈。男子生徒の群れは俺にたどり着くことなく次々と後方へと吹き飛ばされていく。まるで何かに正面から殴られるように。
「何って、飛ぶ斬撃をやってみただけですよ」
息も絶え絶えに答える俺。飛ぶ斬撃とはあれだ。よく漫画であるヤツ。刀を持ったキャラクターの王道ともいえる必殺技で、刀を振ったらそこからドガガガガ―って出るヤツ。あれってもう著作権とかないくらいやりつくされているよね。
「安心してください。峰打ちです。せいぜい打撲でしょう。鼻血くらいは出るかもしれないですがね。でも流石は女神。吹き飛ばされないなんてっ…あっ!」
とんでもないことに気付く。女神が吹き飛ばされなかったことにではない。男子生徒たちの中に死者はいない(ゴッドアイで確認済み)。問題はそこではなく女神と男子生徒の向こう側。校舎と校庭の間の通路に1人の女子生徒がいた。男子生徒たちは重力に従って女子生徒にたどり着く前に落下していく。だがしかし、男子生徒たちが放った汚い体液(血液)は軽く、なかなか落下しない。このままでは女子生徒に降り注いでしまう。しかもその女子生徒は
(松岡っ!何でここに!?)
そう。松岡である。この間までは前髪で顔を隠していたため表情が見えなかったが、最近では前髪をピンで8:2に分けている。可愛い顔が丸見えだ。このままではその顔ならず全体に汚い体液(血液)が降り注いでしまう。
「くそっ」
俺は神の力を両足に集中させる。そして疲労困憊の体に鞭を打ち駆け出す。距離的には間に合う。だがどうやって汚い体液(血液)を防ぐ。持ち物はこの刀のみ…?
「あっこれ傘だった」
松岡の前にたどり着き、傘を開放し、形状を変える(〇解ではない)。そして傘本来の使い方、雨を防ぐように頭の上に掲げる。今回は血の雨だが。
ボタボタボタボタ―…
汚い体液(血液)のゲリラ豪雨が俺と松岡の入っている黒い傘をほんの数秒だが襲う。
「やぁ松岡さん、どうしてこんなところに?」
務めて通常の会話をする。
「窓から飛び降りていく立花君を見てついてきたんだけれど…」
アウト、普通の男子高校生は3階から飛び降りたりしません。
「すごい演技だね。これってあれだよね。ブラフェスの11巻。主人公が無数の敵と戦って血の雨を傘で防ぐってシーン」
「あーそぉそれそれ。それやってみたいって言ったら皆が協力してくれて。ホント感謝のみです」
そう言えば昨日読んだ巻にそんなシーンがあった気がする。パラパラ読んだだけだからほとんど記憶にないけれど
「すごいね。どうやってやったのか部室で聞かせてね。それじゃまた後で」
そういって松岡は部室へと向かっていった。とりあえずはセーフか
「仕方がない。私の手で殺すとするか」
そうだった。まだ問題は片付いてはいない。
「ちょっとまって女神様。なんで俺を殺そうとする」
理由も知らずに殺されるのは嫌だ。知っても嫌だけれども。
「知れたことを。だが分からないのならばそれでもいい。死ね」
そう言って俺の目の前に瞬間移動してきて右手を手刀にして俺の首目掛けて振りぬく赤髪ツインテ女神。やはり身体能力を100倍にしても本物の女神にはかなわない。避けることもままならず俺は死を覚悟して目を閉じた。そのとき
「そこまでだ」
どこからともなく声がしてきた。ということは俺の首は繋がっている。恐る恐る目を開ける。
「美月さん!」
そこには金髪ロングヘアで背中には羽が生えているが、中学指定の緑のジャージを着ているせいで何もかも台無しになっている俺の主人こと美月がいた。美月は俺の首を狙っていた赤髪ツインテ女神の右手首を掴んでいる。
「間に合ったようだなパシリ。お前、久しぶりだな。どうしてこんなことをした。そうだな…赤髪ツインテ」
知り合いですか?そう言えば神は人間に本名を言わない習慣があったんだっけ。思いつきの名前で赤髪ツインテ女神を呼ぶ。
「だって、この男さえいなければ…お姉さまっ!」
お姉さま?姉妹か何かですか。
「この前まではわたくしがお姉さまのお世話をしてましたのに。それがこの男が来て以来お姉さまはわたくしのことを呼んでくださらなくなり、わたくし寂しかったんですの」
「だってお前気持ち悪い。ベタベタなところが」
いやな顔をする美月。この顔はあれだ。俺がストーカーだと言われた時と同じ顔だ。
「そんなこと言わないでお姉さま。また呼んでください。身の回りの世話から夜の世話までわたくしなんでもやりますから」
そう言う赤髪ツインテ女神の顔は恍惚の表情でなんだか気持ち悪い。
「嫌だ。元からそんな事頼んでいない」
拒絶する美月。
「嫌ですわ。絶対に行きます」
一歩も引かない赤髪ツインテ女神。
「来るな、今の私にはこのパシリがいる」
そう言って俺の方を見る美月。あの、俺としては不本意なんですけれど。代わってもらえるなら代わってもらいたいくらい。
「お姉さまっ…そこのパシリ」
赤髪ツインテ女神が俺の方を見て呼ぶ。
「あなたはこのままお姉さまのパシリであり続けたいのですか」
知れたことを。答えはもう決まっている。
「代わって欲しいです」
「おいパシリっ!?」
珍しくうろたえる美月。そんなに赤髪ツインテ女神が苦手なのか。俺も嫌だけれど。
「お姉さま、パシリは拒否しています。ならばこのパシリはさっさと切り捨ててわたくしをパシリに」
「嫌だ絶対に」
それでも頑なに拒絶する美月。
「うぅぅ、わかりましたわ、お姉さま」
美月の気持ちを悟ったようだ。赤髪ツインテ女神が手刀を下げ、1歩下がる。
「ならば戦争ですわ」
こうして女神同士の戦争が始まろうとしていた。