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触れたら犯罪ですよ。だったら〇〇〇なってこい

「壁ドーン、壁ドーン、壁ドーン…ぷっくくっく」

 女神との最初の会合から1週間が経って初めて呼び出されたと思ったらこれだ。何もない空間に向けて永遠と両手を突き出し続けている。ちなみに恰好はいまだに俺の中学のジャージのままだ。


 「何やってるんですか、女神さん?」

 大体想像はつくが聞く

 「何ってお前、壁ドンだよ壁ドン。お前オリジナルの。くっくっく。知り合いの女神から聞いたが普通は壁に手をつくだけなんだってな。それをお前は。くっく」

 思い出し笑いが長い。呼び出されるまで1週間も1人で笑っていたのか。とてつもない暇人だな。


 「あれは女神さんが力をくれたせいでしょう。あれで壁を破壊しない方が難しいですって」

 なんとか弁明を試みるが


 「これからも壁を破壊し続けたまえ、壁ドンパシリ」

 変なあだ名をつけられた。もうどうでもよくなった。

 「ところでなんで俺は呼び出されたんでしょう」

 本題はこれだ。まさかわざわざこれだけのために呼び出したということはないだろう。


 「そうだった。これを見ろ」

 そう言って女神はどこからともなく少女漫画を取り出した。これは1週間前、女神と初めて会った日に持って来いと言われたもので、全12巻ある。内容は恋愛ものだ。女神はそのうちの2巻目を持ち出し、ページを開き、ある個所を指差し俺に見せた。


 「今度はこれをやれ」

 「うっ、これは」

 女神が差した箇所には漫画の主人公である少女がイケメン男子高校生に前髪を掻き上げられている場面だった。正直意味が解らない。なんでこの男は女子の前髪を掻き上げているんだ。


 「これをあの女にして来い。確か名前は松岡水乃まつおかみずのだったか」

 嘘だろ。このクソ女神は何を言っている。面識があって仲の良い女子なら(そんな女子いないが)いざ知らず、俺のことを知らないであろう女子にやってこいと。


 「簡単だろう。この女には以前壁ドーンをしてきたんだから(笑)」

 まだこのネタで引っ張る気か

 「してきたって向こうはそのこと覚えていないんでしょう。だったら無理ですよ。今回は女子に触れるんですよ。下手したら捕まりますって」

 「そうなったら一生面倒を見てやるよ。私の奴隷としてな」

 「冗談じゃな…」

 言い終わる前に女神の鉄拳が下された。


午前7時

 「痛ってぇ」

 頭には女神の鉄拳が下され鈍痛が走っていた。それと同時にスマホのアラームが鳴り、午前7時を知らせる。痛いしうるさいし踏んだり蹴ったりである。とりあえず右手を使いスマホのアラームを止める。


 「いったいどうしろってんだよ」

 前回の壁ドンも無理難題だった。だが偶然が重なって運よく命令を達成できた。だが今回は難易度が1つ上がった気がする。なぜなら相手に触れなければならないからだ。髪を掻き上げる?どこのカップルのいちゃつきだ。


 「とりあえず練習してみるか」

 ベッドを抜け出し洗面所に向かう。最初に顔を洗うのは朝の日課だ。そこに目当てのものはいるはず。そう思い洗面所の扉を開く。


 「んー、今使っているから待ってー」

 そう言うのは姉である立花黄緒たちばなきおだ。現在顔を洗っている。黄緒が顔を洗い終わるのを待つ。最初に顔を洗うのはうちの家族の習慣だ。

 「ごめんおまたせー」

 そう言いタオルで顔を拭いている姉。俺はタオルが顔から離れるのを待った。右手はいつでもいける。準備万端である。

 「ちょっとなに突っ立っているのっ…」

 今だ。そう思った瞬間、俺の右手は真っ直ぐに目標、即ち黄緒の前髪へと向かっていく。黄緒が避ける暇も与えない速さで目標に到達する右手。そして髪を掻き上げる。

 「あれ、意外と簡単か?」

 要は不意を突けばいいのか。でも本番は赤の他人。そこがハードルだよな。そんな思考に耽っていたせいで姉の変化に気付けなかった。黄緒は俺の左頬目掛けて右手を振り上げ

 「何すんのよこの愚弟」

 ソフトテニス部キャプテンのフォアアンドストロークがさく裂した。俺は白目をむいて洗面所に崩れ落ちた。


 「勝手に来るなって言っただろう」

 女神からの鉄拳が振り下ろされる。


 「理不尽だ」

 俺だってどうやって女神のところへ行っているのかわからないのだ。ここ1週間は普通に寝てもいかなかったから安心していたが、まさか姉のビンタで行くことになるとは。ジンジン痛む左頬と頭を気にしながら支度をすませ学校へと向かう。


 「おはよん赤矢」

 「おはよう」

 今日も高校デビューして見た目も日本語もおかしくなった木下に会う。同じクラスだから当たり前なのだが。

 「同じクラスだから当たり前…」

 「ん?どうしたん赤矢」

 「それだ」

 ビクッとする木下。だが俺は気付かない。そうと決まれば行動あるのみだ。


 そして放課後。

 「あれ赤矢、今日は帰らないのん」

 「悪いな木下、用事があって」

 「そっか、またなん」

 「おう」

 木下を見送る。さぁ行動開始だ。


 コソコソ、コソコソ。

 俺が今何をやっているかって。決まっている。調査だよ。その時はまだ気づいていなかった。第三者からは俺がどう映っているのかを。


 今日は5月11日。全ての調査を終え帰宅した。調査結果を頭で整理する。どうやら松岡は漫画研究部、通称漫研部に所属している。この部活は月曜水曜金曜の週3回で活動しているらしい。活動時間は終業から午後5時までのおよそ1時間半。活動内容は漫画を読み、その内容について討論すること。決して漫画を描いたりはしていない。なんだかうらやましい。活動終了後、松岡は近所の全国チェーン展開している書店へと必ず向かう。この間、俺が少女漫画を大人買いした書店である。そして書店を後にしたら次に古本屋へと向かう。そして帰宅する。ふむ、この情報、どう活用するのだろうか。すると頭に鈍痛が走った。


 「あのさ、それってストーカーっていうんじゃない」

 呼び出されて早々、女神にゴミでも見るような眼で見られながら言われた。


 「いや、俺も今気付いた。調査に夢中で気づきませんでしたよ」

 だがなぜかやり切った感がある。きっと清清しい顔をしているんだろうな。


 「それで、いつになったらアレを見せてくれるんだ」

 アレっていったい何のこと?わからない。

 「貴様、覚えていないのか。何のために調査していたんだ」

 何のためって、何のためだっけ?

 「前髪を掻き上げるんだろう松岡の」

 割とマジで忘れていた。だって無理なんだもの。

 「女神さん、それ無理ですよ。だって松岡さんに触れなきゃいけないじゃないですか。そんな仲良くないですからね俺達」

 それどころか話したことすらないのだ。こうなったらお金を払ってでも。

 またもや思考が混乱してきた。それを察したのかあきれ顔で女神が正論を説いた。

 「だったら仲良くなれアホ」

 「それだ」

 頭に鈍痛が走った。


 5月13日

 スマホのアラームが響き渡る。時刻は午前7時。いつもと同じ時間に起きる。そして顔を洗う。いつもならそれからダラダラしてから通学する。だが今日は違う。いつもより40分早い時間、7時半には家を出る。


そして7時50分、学校の下駄箱に着いた。タイミングぴったり。そこにはちょうど上履きに履き替えている松岡の姿が。松岡はいつもクラスで1番早く登校してくる。


 「キモッ」

 女神の声が聞こえた気がしたが気にしない

 「おはよう松岡さん」

 「えっ、おはよう、えっと立花君?」

 「名前覚えていてくれたんだね。うれしいよ」

 そして沈黙。この時まで忘れていた。俺って女子と話したことなかったんだ。無言のまま教室へ入っていく2人。現在教室には誰もいない。2人きりだ。通常2番目に登校してくる奴がくるまであと20分もある。俺は逃げたくなるのを必死にこらえた。


 「あの、松岡さん?」

 思いきって自分の席で漫画を読んでいる松岡に話しかけた。彼女が早く登校するのは漫画を読むためだ。


 「なっなに立花君」

 いきなり話しかけられて驚いたのか松岡はビクッとして振り返る。

 「いいいいいや、何の漫画をよんでいるのかなぁって」

 しまった、緊張でどもってしまった。他愛もない会話。でも俺にはとてもハードルが高かった。

 「えええええと、漫画」

 それは見ればわかる。向こうもテンパっているようだ。

 「じゃなくて何の漫画を読んでいるのかなって」

 間違いを指摘すると松岡は恥ずかしそうにうつむいてしまった。

 (しまった。これじゃ会話が続かない)


 「...ティフェスティバル」

 あれ今何か聞こえたぞ。女神さん何か言いましたか。

 「壁ドーン」

 違うようだ。ということは


 「ブラッディフェスティバルっていう漫画。昔少年誌で連載されていたんだけど。知らない?」

 知ってはいるが名前を聞いたことがあるというくらいだ。それも悪名で。なんでもいろんな漫画からアイディアを盗みまくっていたらしい。連載末期にはそれがばれて作者が血祭りにあげられたとかなんとか。なので知らないことにする。


 「知らない。どんな漫画なの?」

 質問をすると松岡の顔がパッと明るくなる。表情はみえないけれど。これはやばい。俺はこれと同じ現象を見たことがある。自分の好きな物の話をしたくてたまらないという顔。間違いなくオタクだ。重度か軽度かはわからないが。


 「興味があるの?この漫画はね、主人公が敵を超能力で血祭りに…」

 それから20分間、延々と漫画の説明を聞かされた。なんだかデジャヴである。木下もこうなるときがあったな。こういう時俺は聞いているふりをする。

 「っていう漫画なの」

 「へ―、なんだか面白そうだね」

 「本当?だったら貸してあげる。全巻持ってきているから」

 そう言って松岡は自分のロッカーからリュックを持ってくる。この漫画、確か67巻出ていたんじゃ


 ズシン

 俺の机に置かれた大量の本が入っているリュック。俺は苦笑いを浮かべる。松岡にはそれが嬉しそうにしているように見えたのか


 「放課後感想聞かせてね」

 えっ、これ全部今日中に読むの?無理でしょ。

 とは言えない

 そんな傍から見れば二人きりの教室で楽しそうに話している男女を目撃してしまった男が1人


 「赤ァァァ矢ァァァくゥゥゥン」


 木下である。何そのどこかで聞いたような呼び方。お前は〇〇〇〇レータ?

 

 「何だそう言うことだったのかん」

 木下には今日はたまたま早く家を出てたまたま松岡と話していたのだと説明した。どうやら信じてくれたらしい。

 「オレも今日は早く家を出るのが吉ってテレビの占いでやっていたから早く出たのにん」

 その占いよりも俺の情報収集力が上回ったらしい。少し誇らしくなってきた。


 そして放課後

 「じゃーなん」

 「おう」

 俺は木下と別れ帰るふりをする。万が一放課後に松岡と会ことがばれたら俺がブラッディフェスティバルだ。

 校門をターンし教室へと戻る。


 「ごめん待った?」

 「ううん、じゃぁ行こうか」

 なんだか今日1日だけですごく仲良くなっているような気がする。これが普通なのか

 松岡についていく。今更だがどこで話すのだろうか。学食?カフェ?ファミレス?まさか松岡の家?

 思わずにやついてしまう。


 「キモイDT」

 女神さん、男とはそういうものですよ。

 「着いた。ここだよ」

 そう言う松岡に連れられてやってきたのは、とある教室の1つである。まさか空き教室で?やばい。ドキドキしてきた。

 「さぁ入って」

 「あぁ」

 覚悟を決め教室に足を踏み入れる。するとそこには


 「いらっしゃぁい、君が入部希望者の子?」

 太ったメガネ男子が問いかけてくる。


 「貴様、本当にオタクか?それにしては匂いがしない。さてはスパイか」

 そう言って敵意を見せるやせ細ったメガネ男子。


 「まぁまぁ、高野たかの氏。ここは来るもの拒まずだよ」

 やせ細った男子こと高野氏をなだめるお姉さん系女子。


 「ようこそ漫画研究部、通称漫研部へ。立花君」

 満面の笑みで俺をみてくる松岡。顔が隠れて表情が見えないんじゃないかって?甘いな。俺は今目が見えない。だから心の目で見ているのだ。目が見えないのは泣いているからだ。

 

 「じゃぁ今日の活動はこれまぁで。かぁいさぁん」

 太ったメガネ男子(たぶん部長)が号令をかけて漫研部の活動が終わる。


 あれから1時間半、漫研部の部員たちとあの作品はどうだ。この作品はこれからどうなるのかなどを話し合っていた。といっても俺は全く輪に入れず聞いているだけだったが。                 どうやら部活の勧誘だったようだ。だがまぁ距離を縮めるという意味では良しとするか。今日はここまでにしようと帰ろうとする。


 「立花君」

 すると松岡から声を掛けられた。

 「何、松岡さん」

 「ちょっとこれから付き合ってくれないかな」

 エクストラステージ発生


 「ここなんだけれどね」

 連れてこられたのは個人経営の古本屋。10畳ほどの店舗に古本が所狭しと並んでいる。1番奥には生きているのかどうかわからない老人が微動だにせず店番をしている。


 「珍しい漫画なんかが置いてあってとても楽しいの。私のおすすめ。」

 うれしそうな声で話す松岡。なんだか次々と松岡のことが知れてとてもうれしい。

 「だから漫研部に入ろうよ」

 例えそれが部活の勧誘であっても…

 

 お宝発掘を終えて店を出る。松岡は3冊本を買っていた。

 「今日はありがとう。誰かと来るって楽しいね」

 どうやら松岡は話し相手が欲しかったらしい。確かにあの部活には3年の先輩しかいなく、どうしても気を使ってしまうのだろう。そこで話しかけた俺に白羽の矢が立った。


 「いいや、こちらこそ。この漫画、読んだら返すよ」

 ブラッディフェスティバル、結局今日1日では読み切れず、持ち帰ることになった。今は俺の背中にずっしりとのしかかっている。


 「うん、感想聞かせてね。それじゃ私こっちだから」

 「あぁ、じゃあな」

 今日はここまでだ。いきなり髪を掻き上げるなんて無理だ。時間をかけて行こう。例え3年かかっても。そう思い松岡と逆方向の道に行こうとする。その時。


 「きゃっ」

 突然、突風が吹き荒れる。その突風は松岡のスカートを激しく攻めたてる。


 (ゴッドアイ…!)

 ゴッドアイとは俺が女神さんから授かった力、身体能力を100倍くらいにする力を目に集めた時の名称(今名付けた)。効果は視力を100倍とする。


 「変態DT壁ドーン、見えたのか」

 女神が侮蔑やら嫌悪やらを込めた声色で聞いてくる。どんな顔をしているのかは大体想像がつく。見たら泣く。


 「大丈夫か松岡」

 ただの突風だったが一応声を掛ける。

 「...が」

 松岡の声が小さい。聞き取れないので近づこうとする。すると


 「来ないで」

 拒絶された?もしかしてさっき見たことをばれたのか。

 「やはり見えていたのか」

 女神が先ほどよりも一層嫌悪を込めた声色で話しかけてくる。しまった。自白してしまった。だが今はそんな事よりも


 (拒絶された…今日1日で仲良くなれたと思ったのに。恐らくこれから変態扱いされるんだろうな。いや、その前に命令を達成できなかったということで女神に殺されるのか。


 諦めの境地。俺はその領域にいた。だがしかし


 「コンタクトが取れちゃったの」

 「へ」

 「だから動かないで」

 何だそう言うことだったのか。一気に気持ちが軽くなる。今ならこのブラッディフェスティバルを背負ったままフルマラソンを走れる。


 「大丈夫か。一緒に探すよ。捕れたのは片方?」

 「うん、ありがとう。片方だけ」

 俺たちは古本屋の前でしゃがみこんでコンタクトを探す。だが今は夕方、普通ならまず見つからない。だが


 (ゴッドアイ…!)

 「またか変態」

 違う今回は違う。この目で落ちたコンタクトを探しているのだ。別にしゃがみこんでいるところを...なんて考えてなんかいない。

 探し続けて1分、俺の目はコンタクトを発見した。発見したが

 「松岡さん動かないで」


 ドン

 俺は松岡を止めようとしゃがみこんでいる彼女を両手で囲む。両手は壁についている。壁ドン完成


 「何だ今回は壁を壊さないのか」

 残念がる女神。そう何回も壊すか。


 「ごめん松岡さん。足元見て」

 「足元?コンタクトがあるの?」

 俺の目線の先には店の光に反射してかすかに輝くコンタクト。だが松岡には見えていないらしい。


 「ほらここ。ちょっと待って。あった。松岡さんこっち見て」

 そういって松岡を俺の方に向かせる。やるならここしかない。


 「ちょっとごめんよ」

 覚悟を決め、左手を伸ばす。松岡の前髪へと。そして

 「コンタクト、つけるからね」


 ミッションコンプリート。ついに前髪を掻き上げた。だが

 「大丈夫、コンタクトは自分でつけられるから」

 「あっ、そうだよね、ごめん」

 突っ込みすぎた。流石に髪を掻き上げるためとは言え、コンタクトをつけてあげるというのは強引すぎたか。


 「見つけてくれてありがとう。それじゃあね」

 別れの挨拶を告げ、松岡は帰っていく。顔はなんだか赤かったような。

 「あぁじゃあね…あのさ松岡さん」

 無言で振り返る松岡。ちゃんと話し始めて1日目。これを言うのはいささか早すぎる。自殺願望者なのかといわれるかもしれないけれど言うにはいられなかった。それだけ今の俺は興奮していた。


 「松岡さん、前髪を分けてちゃんと顔を見せた方が可愛いよ」


 言ってしまった。恥ずかしくなるのは帰ってからだろう。

 松岡の顔の表情は見えない。髪が邪魔をしている。

 「それじゃあね立花君」

 今度こそさよならとなった。


 その夜、俺は女神には呼ばれなかった。どうやら警戒されているようだ。


5月14日

 「大変だぁん赤矢ぁ」

 俺よりも早く登校をしていた木下が慌てて俺のところへやってくる。


 「何だよ騒々しい」

 何事だ。どうせどうしようもないことなんだろう。

 「大変なんだ。ままっままっままままま」

 「落ち着け」

 とりあえず木下が言葉を話せるようになるまで待つ。


 「松岡の前髪がピンで分けられていて顔が見えるっん」

 そう言ったきり木下は動かなくなった。

 嘘だろ。そう思い松岡の正面を見ようとする。だが松岡はいつも通りの読書中で前を向いている。正面が見えない。仕方ないのでトイレに行くふりをして席を立つ。そして教室を前の扉から出て行く瞬間、ちらっと松岡の方を見た。


 木下の言う通り、松岡は前髪をピンで分けている。8:2分けといったところか。分けられた髪から覗く顔が何とも言えない可愛さだ。


 「何している立花、早く席に着け」

 担任が教室に入ってくる2分間の間、俺は固まったままだった。


 「まさか壁ドンしてから前髪を掻き上げるとは恐れ入った」

 その夜、女神に呼び出された。声色は普通だが、表情が俺を軽蔑している。


 「俺もまさかこんな短時間でできるとは思いませんでした。それに松岡の顔もずっと見られるようになったし」

 寝るまでこのことばかり考えていた。だって俺の言うことを信じて受けいれてくれたってことじゃん。


 「貴様、パシリの分際で自分のおかげだなんて思っているんじゃないだろうな」

 そんな時、水を差すように女神が言う。どういうことだ。


 「はぁ、お前も学習しないな。いいか、あんパンだ」

 「まさかっ!」

 「その通り、今回も胸きゅんだったぞ」

 「でも、松岡は俺の言う通り前髪を」

 「たまたまだ」

 そのひと言で絶望した。まただ。また松岡の記憶を奪われた。恐らく俺と過ごした時間のみを。

 「あんたやっぱり悪魔だっ!」

 「女神だ」

 女神の鉄拳が下る。


 「くっくっくっ。アホのパシリをからかうのは楽しいな。直接見ていたら記憶を奪う必要などないなど口が裂けても言えないな」

 意地悪く口を吊り上げて笑う女神は再び少女漫画を読み始める。


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