女神様、俺年齢イコール〇〇ですよ
立花赤矢。いたって普通の高校生である彼はある日突然見知らぬ場所に立っていた。そして目の前には美しい金髪の女性が...その正体は
「女神だ、そうだ決めたぞ。こんなところに不正に侵入してきた縁だ。お前、これから私のパシリな。お前に拒否権はない、拒否すれば殺す!」
突如女性からパシリと宣告された赤矢。その後、彼は男子高校生には厳しい命令を受けることになる...
俺は夢でも見ているのか。だって俺は高校での授業を終え帰宅し、夕食を食べて寝たはずである。なのに今、俺は外にいる。四方一面開けた空間で、上には清清しいほど晴れ渡った青空。下にはその青空が鏡のように写りこんでいる。こんな幻想的な光景、日本にはないだろう。
そんな幻想的な空間に俺は中学で使用していた学校指定ジャージ姿で立っている。色は緑色だ。場違い感に苦笑しながら目が覚めるのを待つ。たいてい夢とは起きる直前に見るものだ。そう思っていた。
「おい、そこの人間。ここで何をしている」
夢の中であるはずなのに聞き覚えのない声で後ろから声を掛けられる。恐る恐る振り返ると、そこには人影があった。
俺は言葉を失った。そこに立っていたのは、いいや浮いていたのは女性だった。歳は二十代前半といったところか。幼さはなく、凛とした顔立ちがとても美しい。髪は腰まで届く長さで、色は輝かしいほどの金色だ。服装はまさに神様という格好で古代ローマ人が来ているような白い布を基調とした服を着ている。そして何よりも特徴的だったのが背中に純白の羽が生えていることだ。
「何って何も」
俺は夢の中であるのを忘れて答えていた。緊張して頭が回らない。
「どうやってここに来た」
女性が続けて問いを投げかける。
「えっと、眠って?」
答えると女性は鏡のような地面を見下ろす。
「眠ってここに来たと。…ふむ、確かにそのようだな」
一体何が見えたのだろうか。俺がそう聞こうと口を開きかけた。その時。
「この格好はダルいし寒い。見たところ、お前が来ている服、なんだか楽そうだな。着心地も良さそうだし、色が付いていて良いな…貰うぞ」
この人何を言っているんだ。そう言う暇もなく、女性が近づいてきて右手を伸ばす。そして俺の着ているジャージに触れる。たったそれだけ。それだけで気づいた時にはジャージの上下共に脱がされボクサーパンツ一丁になっていた。とても恥ずかしい。俺は服を脱がした相手の正体を確かめようとする。
「あんた何者だ」
その問いに女性は口の片端を吊り上げて笑い、答えた。
「女神だ、そうだ決めたぞ。こんなところに不正に侵入してきた縁だ。お前、これから私のパシリな。お前に拒否権はない、拒否すれば殺す!」
そう言う女神。俺には悪魔に見えた。
「そろそろお目覚めの時間だ。帰れ」
ぶっきら棒に言う女神。反論しようと俺が口を開きかけた。だがその前に頭上に鈍痛が走る。何が何だか分からぬまま意識は遠のき…
意識が戻る。やはり俺は眠っていた。今は目を閉じているが体は横たわり、自室のベッドの感触が体に伝わる。横たわったまま目を開ける。カーテンを閉めているがその隙間から光が入り込んでいている。そのおかげで部屋が少し明るい。周囲には俺の所持品であるテレビやタンス、本棚(100パーセント漫画)などがある。間違いなく俺の部屋だ。時刻を確認しようと頭の右上を右手でまさぐる。俺は寝るとき頭の右上にスマホを充電した状態で置いておく。目覚まし代わりなのだ。
「あった」
時刻は午前6時50分。アラームが鳴るまであと10分だった。なぜか頭には鈍痛が走っており、二度寝する気にもなれないので俺は体を起こす。季節は春。日付は4月20日。春といってもまだまだ寒い。そう思いながら布団から抜け出し、自室を出る。俺は実家暮らしだ。通っている高校も徒歩20分と近いのでわざわざ1人暮らしをする必要もない。顔を洗いに階段を下り1階にある洗面所に行く。そこで俺は初めて異変に気付く。洗面所の鏡に映るのは寝癖でぐちゃぐちゃになった髪と寝ぼけた顔。中肉中背の体。だがそこは問題ではない。問題はその下…
「ジャージどこ行った?」
現在の俺の恰好は黒いボクサーパンツ一丁。それだけ。上は裸である。俺は慌てて自室に戻ろうとする。こんな姿、家族には見られたくない。
「おはよう、赤矢、私より早起きって珍し…」
なんてこった。言ったそばから家族に見られてしまった。相手は俺の二つ年上の姉、立花黄緒である。言っておくが俺は普段こんな格好で家を絶対に歩かない。そんなお年頃である。
「キャー、何て格好しているの赤矢!セクハラよセクハラ!」
「違うって。朝起きたらこんな格好になってて…というか家族だろ。セクハラじゃねーよ」
そう言いながらもとても恥ずかしい。こんな格好を姉に見られるのは一緒に風呂に入っていた小学校低学年以来だろうか。着替えをしに全速力で自室に戻る。
「どうなっているんだ」
自室に戻り、ワイシャツにネクタイ、ズボンといった高校の制服に着替えた俺は部屋にあるだろう緑色のジャージ上下セットを探していた。だが見つからない。ぐちゃぐちゃになったベッドの中も下にもその周辺の床にも落ちていない。一体どういうことなのか。寝ているうちに誰かに脱がされた。誰が何のために。その前に俺は脱がされても起きないほど熟睡していたのか。訳が分からないが、考えていても埒が明かない。そうこうしているうちに時間はあっという間に過ぎていた。俺は学生だ。そろそろ家を出ないと遅刻をする。疑問は後回しにして俺は身支度を整え、家を後にする。
俺は県立高校に通う高校1年だ。学校は家から徒歩20分のところにあり、小学校、中学校で見知った顔がちらほらある。この高校は特に進学校というわけではないので、俺と同じく家から近い高校がいいという理由でここに決めたという奴もいるだろう。
「おはよん赤矢」
校門をくぐり校庭を横切り、下駄箱で外靴から上履きに履き替えていた俺に1人の男子生徒が挨拶してきた。中学校からの同級生。木下光太郎だ。
「あっああ…おはよう」
こいつも遠くに行くのが嫌でこの学校を受験した口だ。身長は俺と同じくらいの170センチ。中肉中背で髪はツンツンの茶色。口調が少しおかしい。高校に入ってから語尾に何でもかんでも「ん」を付けるようになってしまった。高校デビューである。成功か失敗かは置いといて…
「ここ最近元気ないなん。何かあったかん?」
木下も俺の異変に気付き心配してくる。その原因はお前だよ。
「何でもねーよ、お前の見た目やらなにやら変わりすぎて驚いているんだよ」
「赤矢も髪いじったらん?世界が変わるぜぇ」
「狭い世界だな」
俺達の教室は1-A。1年生の教室は3階にあるため階段を駆け上がり、遅刻ギリギリのところで教室に入る。どうやら俺達で最後らしい。
「木下、立花遅いぞ」
「すみません」
俺は担任に平謝りして自分の席に着く。席は縦6列の横6列。つまりこの教室には36人の生徒が在籍している。その中で俺の席は右から3列目の1番後ろだ。木下の席は右から3列目の1番前。いわゆる特等席だ。今は入学してすぐ。必然的に席順は名前の順になる。今は我慢するのみである。1番後ろの席である俺には関係ないが。
あっという間に午前の授業が終わり休み時間となった。
「なぁ赤矢、可愛い子見つけたかん」
「いきなり何言いだすんだよ」
昼食は木下と一緒に俺の席で取ることにしている。朝買って来たのかコンビニの弁当を食べながら女子生徒の情報交換を始める木下。いくらなんでもキャラが変わりすぎている。中学生の時...と言うかつい3週間前までは漫画とアニメの話しかしていなかったのに。恐るべし高校デビュー。
「見つけていないのかん。そんなんじゃ駄目だなぁん。俺はもう見つけたもんなん」
自信満々な顔で胸を張る木下に少しイラッと来た。だがここはグッと堪え続きを促す。
「誰だよ。同学年?それとも先輩?」
「あの子」
そう言って木下は教室の1番左の先頭に座る女子生徒を指差した。
「あの子って、そんなに可愛いか?」
木下が指差す先には1人の女子生徒がいた。松岡水乃。言っては悪いが俺は可愛いとは思わない、と言うか判断のしようがない。なぜなら顔が見えないからだ。彼女は常に顔を長い前髪で隠していて表情が見えない。それ以外はロングへアーの黒髪で普通だ。身長は低いがスタイルは悪くはない。ただ前髪だけで根暗になってしまっている。そのせいか昼食も1人で取っている。
「お前の目は節穴かなん。節穴だなん。それにあの子漫画やアニメが好きって話だし。ドストライクですわん」
何だそっちか。親友が昔と何も変わっていないことに少し安心する。
「じゃーなん」
「おう」
授業が終わり俺は木下と別れ帰路に着く。この学校は部活動強制ではないので部活には入っていない。別に家に帰ってもやることはない。かと言ってバイトもしていない。ただ1人でいる方が楽というだけだ。別にぼっちではない。断じてない。
「ただいまぁ」
とは言ったものの家には誰もいない。両親は共働きで遅くまで帰らない。2つ年上の姉である黄緒は俺と同じ高校に通っている高校3年の女子高生だが部活動に入っている。確か女子ソフトテニス部のキャプテンだったはずだ。今年で引退ということで気合が入っていて、こちらも遅くまで帰らない。この女テニ、遅くまでやるということで朝練はないらしい。
特にやることのない俺は真っ直ぐ自室に戻り、着替えもせずにベッドに倒れる。やはり人がたくさんいるところは疲れる。なので帰宅後の仮眠は日課になっていた。倒れてから数分後、俺は深い眠りに入る。
気が付くとまたあの空間へと来ていた。空は清清しいほどの青空。下にはその青空が写っている。唯一の違いは制服を着ていることだけか。
「またこの夢か」
そう思い、深いため息をつく。何か心が病んでいるのだろうか。
「また勝手に来たのかパシリ、私は呼んでないぞ」
どうやら病んでいるらしい。今朝の女神とやらがまた出てきた。俺は声がした後ろを振り返る。
「だがまぁこれに免じて今回は許してやろう」
そう言って女神は自分の体を指差した。正確には自分が着ているものを。
俺は愕然とした。だってそれは
「おいそれ俺のジャージじゃねーか」
そう、目覚めてから部屋中探しても見つからなかった、今朝まで寝間着として愛用していた中学指定のジャージである。だが現在、それは俺の夢の中に出てくる女神とやらに奪われていた。
「違うお前のではない、最早これは私の物だ。故に返す気はない」
口を吊り上げて意地の悪い笑みを浮かべる女神。本当に女神なのか?
「あぁー、これは夢だった。本当、俺のジャージどこ行ったのかな」
そう言う俺に対し、女神は真顔になり
「何を言っている。これは紛れもない現実だ。なぜお前がここに来れるのかは知らんがな」
あんたこそ何を言っているのだ。これが現実なわけがない。なぜ俺が女神と会いまみえなきゃいけないのだ。
「どう考えたって夢でしょう。夢じゃないのなら証拠を見せてくださいよ」
俺は夢の中の住人に話しかける。
「態度が大きいぞパシリ。だがそうだな、お前は確かに寝ている。ならばこうしよう」
そう言って女神は俺に近づいてくる。今朝俺からジャージを奪ったように。身の危険を感じ咄嗟に身構える。
「そう固くならなくてもいいぞパシリ。だがそうだな」
女神は俺の眼前で止まり、右手を上へと振り上げる。
「あんパンと牛乳を持って来い。持ってくるものを体に着けて寝れば持ってこられる。これは命令で義務だ。バックレたら殺す」
パシリに命令するように言い放ち、右手を俺の頭へと振り落す。
「痛ってー」
鈍痛と共に意識が戻る。頭のてっぺんにはズキズキと痛みが走っている。何か固いもので殴られたのか。
「まさかね」
先ほどの女神とのやり取りは本当だったのか。いや、そんな筈はない。だがそれを証明しなければスッキリしない。俺は夢での命令通りあんパンと牛乳を探しにリビングに行く。
「あった」
パンがまとめて置いてあるカゴの中に1つだけあんパンが置いてあった。あんパンは姉の黄緒が買ってきたもので黄緒のものだ。その証拠にパンの包装に赤字で「黄緒」と名前が書いてある。だがそれを見て見ぬふりをして借りた。牛乳は1000ミリリットルの紙パックの物が1本未開封の状態で冷蔵庫にあった。どうせどちらも検証が終わったら返すものだ。問題はない。右手にあんパン。左に牛乳を持って俺は自室へと戻る。
そして再びベッドへ横たわる。だが眠れない。右手にあんパン。左手にひんやり冷えた牛乳を持っているのだ。眠りにくくてしょうがない。それにさっきまで寝ていたのだ。もう寝られない。そう思ったとき
「チッ」
どこからともなく舌打ちが聞こえてきたと思ったら頭の頂点にあの鈍痛が走る。この完食は先ほどと同じ…次第に意識が遠のく。
そして目が覚めた。意識を戻したといった方が正しいのか。まだ頭が痛い。
「おい、あんパンと牛乳は」
待ちきれないという声色で話しかけてきたのは、もちろん女神である。
「はいよ」
ぶっきら棒に言い、女神にあんパンと牛乳を渡す。だがそれを受け取った女神は戸惑ったような顔になり
「これはどうやって開けるのだ」
「えっ、もしかして知らないの」
普通俺の夢の中の人物なら俺が知っているものは知っているはずである。知らないということは、これが俺の神様像なのだろうか。どちらにせよ、開けなければ先には進まない。
「貸してください」
女神からアンパンと牛乳を受け取り、封を開ける。そして女神へと渡した。
「ふむ」
受け取るや否や、女神はあんパンにかぶりつく。続いて牛乳。あんパン牛乳あんパン牛乳。交互に口へと入れていく。そしてあっという間になくなる。
「よい献上品だった」
「よかったですね」
俺は適当に返事をした
「では、目を覚ますといい。そしてあんパンと牛乳を食べてみろ。そしたらわかる」
そう言って女神はまたもや俺の頭に鉄拳を落とす。
もう頭痛とは一生付き合っていくことになるのか。鈍痛と共に目を覚ました俺は仕方がないので夢のお告げの通りにする。まずはあんパン。
「あれ、味がしない」
食感はあんパンそのもの。だが味がない。無味だ。続いて牛乳を飲む。だが結果は同じ。味がない。
「あっ、あんパン食べちゃった」
黄緒に怒られると思った途端、また鉄拳が落とされたように頭に鈍痛が走る。
「これで分かったか」
またもや女神が目の前にいた。こう何度も同じ人物が夢に現れることはない。それに
「味がなかった」
そう、あんパンと牛乳に味がなかったのだ。まるでそのものの魂のみが奪われるように抜け殻となっていた。
「それが神への献上という奴だ」
どうやら本当に神様らしい。だがどうして俺の前に現れたのか。俺は女神へ質問した。
「それは解らん。お前が私の元に現れたという方が正しいがな。だがこれだけは確かだ。お前は私のパシリだ」
話が通じない。意味が解らない。なんでいきなりパシリ?しかも神様の。そんな俺の動揺など知る由もない女神は次の要求を出した。
「次はそうだな。漫画と言うのを持って来い。知り合いの女神が面白いと言っていてな。少女漫画という奴だ。昔のは駄目だ。出来るだけ新しいものだぞ。世代間ギャップというものがあるらしい。大体10巻くらいのものが良いな。もちろん完結している物だぞ」
いろいろと注文が多い女神。そもそも女神に年齢などあるのか。だが聞くわけにもいかない。なんとなく女性の形をしているものに年齢を聞くのは気が引ける。
「1時間以内だ。全巻揃えて持って来い。間に合わなかったら殺す」
「えっ、そんな理不尽なっ」
俺の心の叫び虚しく女神の鉄拳が振り落される。
そして再び地上に降り立つ神の使いである俺。とにかく急がねば。急がねばならないのだが
「俺が買うのか」
俺は現在15歳の男子高校生である。そんな思春期真っ只中である俺が書店で少女漫画を買う。考えただけで恐ろしい。もしそんな現場を学校の人間に目撃されようものなら…
ネットショッピングという手もあった。だが1時間という制限時間が邪魔をする。絶対に不可能だ。姉の部屋にもしかしたらあるかもと考えたがそれもない。姉は少女漫画というものを読まない。漫画に興味がないアウトドア系女子なのだ。ならばもう自分で買いに行くしかない。俺は覚悟を決め、家を飛び出し近所の全国チェーンである書店へと向かう。
「いらっしゃいませぇ…」ビクッ
「ぜぇぇうえぇ」
入店早々入り口の近くにいた女性店員に見つかり驚かせてしまった。それもそうだ。息も絶え絶え、苦痛で顔を歪めている男が入店して来たら誰でもその反応をする。だが今の俺には周囲に気を使っている時間はない。その女性店員に質問をする。
「はっはっ、すいま、すいません。あの少女、少女...」
「ひぃ、少女?...警察!」
俺の発言を聞いて不審に思い警察を呼ぼうとする女性店員。ちょっと待って。息を整える時間をください。
「ちがっ違います。あのお勧めの少女漫画ありませんか。出来れば最近出た作品で10巻くらいの完結済みのヤツ」
少女漫画と言うワードを聞き、顔を歪める女性店員だが別に男性が少女漫画を買ってもおかしくはない。しかし今の俺の状態で買うのは異常だ。今度は息を整えてから来よう...次がないことを願うが。
「こちらが女性向け漫画のコーナーでございます」
女性店員に連れられ来たのは赤い字で漫画のタイトルが書かれた漫画がある棚。間違いない。普段なら恥ずかしくて入れない少女漫画コーナーだ。
「あの、お勧めは...あっちょっと」
案内を終えた女性店員は俺から逃げるように立ち去ってしまった。いや、本当に逃げたという方が正しいのか。仕方がない。意を決して少女漫画コーナーに足を踏み入れようとする、のだが
ジー
ヒソヒソ
目の前の少女漫画コーナーからの無言の圧力や視線が痛い。肺も痛い。こんな状態で条件に合う漫画を探すなんて至難の業だ。ここは玉砕覚悟で向かうより、多少の時間を消費してでも体制を立て直し、情報を集める方が得策か?そう考え一歩後ろへ下がると圧力と視線が消えた、ような気がした。
ゴソゴソ
あるものを取り出すためズボンのポケットの中をまさぐる。が、汗でベタついて目当ての物が取り出せない。まずい!またもや周囲の視線が痛くなってきた。違うんです。俺はただポケットの物を取り出そうとしているだけでアレをゴソゴソしているわけではないんです。
(あった!)
ホッとしながら取り出したのは、目覚まし代わりとしても愛用しているスマホである。これを使い、女神が要求した条件に合う少女漫画を探すのだ。
(えっと、少女漫画、お勧め、20〇〇年完結、10巻程度。検索っと)
検索を掛けるといくつかの少女漫画紹介サイトがヒットした。どのサイトを閲覧するか迷った挙句、結局一番上に出た(おすすめ少女漫画10選)というサイトにアクセスすることにした。
「えっ、少女漫画って恋愛ものだけじゃないの?」
サイトにアクセスするとそこには恋愛ものの他に部活もの、コメディ、バトル、推理、ファンタジー、SF、スポーツなど男子向け漫画と遜色ないジャンルが羅列されていた。そう言えば女神はどんなジャンルが良いとは言っていなかったな。取りあえずここに乗っている10作品の概要を読んでこの中から決めることにしよう。
候補その1 スライム王子のヌルヌルフレーバー ジャンル ファンタジー
普通のどこにでもいる女子高校生、高夏秋15歳。理想の男性はクールでかっこよく、体格が良く、凛々しい人。しかし中学時代は男運に恵まれず子供みたいな男子ばかりだった。そんな彼女は期待に胸を躍らせ、新たな狩場である高校にて理想の男性を探すことを自分に誓うのだが、ひょんなことから異世界に迷い込み、王子様に見初められたことを王子様の家来から聞く。願ったり叶ったりの話であった彼女は王子様に会いに城に向かう。いざ、対面の時、彼女の前に現れたのは理想の男性...ではなかった。クールな青色をしてプ二プ二した体、踏んづけてしまえば一瞬で滅ぼすことが出来てしまうほどか弱いスライムだった。
「余の妻になれ」
「滅びろスライム!」
この時からただの女子高生とスライムの仁義なき戦いが始まったのであった…
(ないな…次)
気を取り直して次の作品のあらすじを読む。
候補その2 シメジ?シイタケ?マツタケ! ジャンル コメディ
主人公、皇スズメ(すめらぎすずめ)は男女問わず見とれてしまうほどの絶世の美少女。それだけに飽き足らずスポーツ万能頭脳明晰、実家は超大金持ち。そんな彼女の元には父親が連れてきた婚約者候補が日夜問わずに訪れる。そんな日々に嫌気が差したスズメは精神錯乱状態になり、婚約者候補たちに結婚する条件としてあるひと言を言い放ってしまう。そのひと言を真に受けた婚約者候補たちは己の財力、人脈、裏の顔、ありとあらゆる力や手段を用いてその条件をクリアしようと試みる。そのひと言とは…
「わたくし、アソコが本物のマツタケの男性とじゃなければ結婚しません!」
(大丈夫か少女漫画…下ネタじゃねーか)
候補その3 ドッキドキしちゃう! ジャンル 推理
女子高校生探偵、和唐七は自分のためにしか動かない名探偵。仕事内容は主に彼女が好意を寄せる男子生徒に言い寄ろうとしている女子生徒の排除。その為に対象の女子生徒の行動を観察し、誘惑するタイミングや道具を察知し、全力で阻止する。それは授業中、全校集会中、部活中問わず執行される。
「あの泥棒猫~…まさかその道具を使って彼を誘惑する気なのぉ?」
今日もはた迷惑な妨害行為が学校を火の海にする。
(多分打ち切り作品だな…)
候補その4 フォアアンドストロ――――ク! ジャンル スポーツ
晴れてこの春から女子ソフトテニス部強豪校に入学することになった主人公、八千草春風。期待を胸に入部届を提出しに部活の顧問である葛籠刃加奈の元へ向かうが…
「八千草さん、貴方分身の術位は出来るのよね?出来ないの?守旧忍術も出来ないくせに我が女子ソフトテニス部に入ろうなんて図が高いわ!」
春風の入部届をつっ返す刃加奈。実はこの高校の女子ソフトテニス部の入部条件はくノ一であることだった。次々と入部していく同級生たち。彼女たちは誰も彼もが有名どころの忍びの家出身だった。つまり何も知らなかったのは春風1人…
「そんなに入部したいなら忍術アカデミーを紹介してあげないこともないけれど?」
「お願いいます!私、テニスがしたいんです!」
女子ソフトテニス部に入部するため、忍術を覚えるために忍者アカデミーへと入学する春風。果たして彼女は無事にアカデミーを卒業し、女子ソフトテニス部に入部することが出来るのか…
(本末転倒じゃない?忍者アカデミーを卒業する前に高校を卒業するわ)
その後も候補の内容を閲覧するがどうにもパッとしない。そうこうしているうちに制限時間も間近になり、最後の作品となった。
候補其の10 はじけた春の瞬 ジャンル 恋愛
季節は春。16歳の誕生日を迎えた女子高生、四宮春は今年入学したばかりの高校へ登校していた。至って普通の顔、スタイル、性格、そして普通のクラスメイト達。普通に勉強をし、部活をし、友達と遊び、恋をする。そう考えていた春の目の前に突如現れた男子学生、双葉瞬。入学早々停学処分になっていた彼の出現で彼女の学校生活は一変する。暴虐武人の瞬。そんな瞬に振り回されっぱなしの春。そんな2人の甘酸っぱい青春ストーリー。
(普通というかまともだな。うん...普通だ)
きっと最後にはこの2人はうまくいくのだろう。まぁそれを邪魔するように優しいイケメン男子や瞬の元カノと名乗る女が現れ、各々浮気のような現場を目撃し、誤解して修羅場と化したりするのだろう。クリスマスや元旦などは4人で遊びに行くのだろう。まぁ全て想像だけど。
「これにするか」
10作品の中で唯一まともな少女漫画でありそうな(というかジャンルが恋愛の漫画はこれしかなかった)はじけた春の瞬。これを女神への献上品とするため、再び少女漫画コーナーへと一歩踏み出す。
「くっ...」
ヒソヒソ
ジー
やはりその場所は聖域と化しているようだ。俺のような息も絶え絶えの男が踏み入れようものならば辛辣な呪文と冷たい視線によって退治されてしまうだろう。だがしかし
(行かなければ本当に殺されてしまう!)
恥も外聞も捨て、もう一歩踏み出し、聖域の入り口をくぐる。
(何アレ...)
(汗だくで息切れしてるし)
(ヤバい人?)
聖域に入ったことでそれまで何を言っているか分からなかった女性たちのささやき明に聞こえるようになってしまった。気のせいか?俺の脚に何かが絡みついてくるような感覚を味わい、足が動かなくなる。だがここで止まってしまったらもう先へは進めないだろう。意を決して2歩3歩と進んでいく。目的の漫画、はじけた春の瞬が掲載されている雑誌がまとめて置いてある棚はコーナーの中央にある。つまりどちらから攻めても同じ距離なのだ。1人目の女性の後ろを過ぎ「入ってきた」2人目を過ぎ「うわぁ」最後の3人目を横切り「アレ、確か隣のクラスの?」目的の棚へとたどり着いた。
(はじけた春の瞬…あったこれだ!)
棚を見渡し目的の漫画を見つける。そこには1巻から12巻まで1冊ずつ並べられていた。それを根こそぎ手に取り腕の上に積み上げていく。開いてしまった棚のスペースと腕に積み上げられた漫画を見ると更に恥ずかしくなる。なんで平積みして置いてくれないんですか?
(よし、もうここに用はない。すぐにレジに向かおう)
来た道を足早に進む。その際にも3人の女性が何か言っていたような気がしたが聞こえなかった。そう聞こえなかったのだ!
(よし、生きて抜け出せた…?)
聖域を抜けた俺はレジに向かう際にとあるコーナーに目線が行き、立ち止まってしまう。そのコーナーとはいわゆる映像化コーナーであり、最近アニメ化が決まった漫画などをまとめて並べ揃えているところである。それだけでは問題ではない。足を止めた理由、それは
(こっちにもあったのかぁ!)
そこには1巻から12巻まで平積みにされ置かれている漫画、はじけた春の瞬があった。その隣には同じくアニメ化された少年漫画が置かれており、男女問わずに立ち止まれる場所となっていた。つまりあんな思いをせずとも手に入れられたのである。
「うぅぅぅ」
そんな光景に自然と涙が出てきて止まらなくなった。しかし今の俺には時間がない。汗と涙を流し、息も整わぬままレジへと向かった。
「はっはっうえぇ、持ってきました」
「ふむ、命拾いしたな、あと5秒でお前は消し炭になっていたぞ」
感謝や労いの言葉もなく女神は俺が買ってきた少女漫画はじけた春の瞬全12巻を受け取り、早速1巻を読み始める。結果は散々だった。全力疾走で書店へ向かった俺は息を整える暇もなく汗だくで少女漫画コーナーへ。周囲には女子学生が多数いた。俺は血涙を流しながらも比較的新しく完結している作品を選びレジへ。息が荒く、涙を流している変人を見たレジの女性店員はドン引きしながら接客してくださった。もうお婿に行けない。そんな現実逃避をしていた時
「なかなか面白かったな、おいパシリ」
女神が俺を呼ぶ。おかしい。まだ読み始めて10分と経っていないはずなのに。もしかしてつまらなかったのか。それとも10分で読み終えるほど薄っぺらいないようだったのか?
「何ですか、もう読み終わったんですか」
「違う、まだ1冊だけだ」
だったらなんで呼んだんだ。もしかしてお気に召さなかったのか。俺は戦々恐々とする。
「お前、今日中にこれやってこい」
そう言って女神は今読んでいた第1巻を開いて、あるシーンを指差し俺に見せてきた。
「うっ、それって、うわっ、壁ドンじゃないですか」
壁ドンである。2015年に流行った女子が憧れる(テレビで言っていた)シチュエーションで壁に女性(稀に男性)を追い詰め、腕を壁に突きつけ囲い込む。だがしかし
「俺にはやれる相手がいませんよ」
彼女いない歴年齢の俺である。それどころか女子とまともな会話をしたこともない。そんな状態なのに会話をする、仲良くなるなどといったプロセスを数段階もすっ飛ばしていきなり壁ドンをするなんて、された相手もドン引きである。
「知ったことか。私は胸きゅんとやらがしてみたいのだ」
それこそ知ったことか。だがそんなことを言ったら最後、殺される。
「それって実際にされた方が胸きゅんするんじゃ…そうだ、それじゃ俺が女神さんにしましょうか」
そっちの方が何だかハードルが低い気がする。普通に話せているだろうか。
「やめろ、ぶっ殺すぞ」
拒否された。ぶっ殺すって、拒絶である。
「でも絶対無理ですって。あれって現実にやる人間なんていない…」
「異論は認めん。神に逆らったらどうなるかわかっているんだろうな」
腕をグルグルと回し始める女神。てっきり雷やら台風などといった天変地異に見舞われると思ったがどうやら物理的な神罰が与えられるらしい。
「出来なかったら?」
分かり切ってはいるが聞かずにはいられない。もしかしたら出来なくても許してくれるかもしれない。淡い期待を込めて聞くが
「殺す」
許すどころか生存権もはく奪されていた。そんなこんなで強制壁ドンスタートです。
「痛ってぇ」
女神から鉄拳を食らい地上へと戻ってきた俺は頭の天辺に鈍痛を覚えながらも収まるのを待たずにベッドから体を起こす。
「うわっ、何だこれ」
そして最初に目に飛び込んできたのは日焼けして茶色く変色した紙の束であった。こんな物部屋に持ち込んだ覚えはない。
「それも神への献上という奴だ」
「うわっ、女神さん?どこにいるんですか!」
突如聞こえてきた女神の声に驚き、周囲を見渡す。だが女神の姿は見当たらない。
「お前の頭の中に直接話しかけているようなものだ。周囲に私の声は聞こえていない」
「そうですか…献上ということはこれってもしかして…」
ベッドに置いてある日焼けした紙の束を手に取り、めくってみる。中も日焼けしており茶色一色だったが大きさといい分厚さといい、まるで漫画のようだった。
「そうだ。お前が先ほど私に献上した少女漫画だ」
改めて見渡すと同じように茶色く変色した紙の束が他にも11個あり、手に持っている物を合わせると12個になる。ちょうど俺が献上した漫画、はじけた春の瞬の巻数と同じだ。
「何だかもったいないな...」
先ほどまで新品だった漫画を眺め、ちょっと切なくなる。5000円が一瞬にしてゴミと化していた。
「ふん、感傷に浸る時間があるとはずいぶんと余裕だなパシリ?」
女神のひと言で現実に引き戻される。そうだった、今はこんなことをしている時間はない。
俺は家を飛び出していた。取りあえず家を出なければ何も始まらない。幼馴染の女の子や家出少女、先輩系女子が身近にいれば別だが。
「学校に行ってみよう。誰でもいい。やらせてもらうんだ、お金を払ってでも」
最早思考が壊れていた。お金を払って壁ドンをやらせてくださいなんて変態だ。
その途中で俺は1人の女子学生を見つけた。あの制服は同じ高校のものだ。だがその女子生徒は俺が走っている場所とは道路を挟んで反対側。俺が反対側へ向かうには横断歩道を渡るしかない。だが信号は赤。その間にも女子学生は遠くへ行ってしまう。そして信号が青になったその時には既に女子生徒は曲がり角を曲がっていた。追いつこうと必死に走り、曲がり角を曲がる。その時、
ドーン
曲がり角を走ってまがった結果、人とぶつかってしまった。
「ほぉ、これが少女漫画の鉄板、主人公とその相手の運命の出会いというヤツか。これを見せるとはなかなかやるなパシリ。だが私が見たいのは壁ドンだ」
感心する女神。だが俺としてはこんなものが運命の出会いとは言いたくない。何故なら
「痛ってぇなぁおい!怪我したじゃねぇか...どうしてくれんだぁ!」
起き上がり、俺に向かって威嚇をしてきたのは女子高生...ではなく厳つい顔をし、体格の良いヤンキー(男)だった。こんなヒロイン俺は認めない!
「すみません。では...」
頭を下げ、その場を立ち去ろうとする。だが
「ちょっと待てよ、ぶつかっておいてこのままで済むと思ってんのか!」
ヤンキーに肩を突っ張られ後ろによろけてしまう。何とか体勢を立て直し倒れることだけは免れる。
「あの、本当にすみませんでした」
「だからよぉ謝るだけで済むと思っているのか?こっちは怪我してんだよ。病院行くから金出せ、金」
「どこを怪我したんですか?」
どこを怪我しているが分からないが、見た感じどこも怪我をしていない。
「あぁん、足だよ足。こりゃ折れてるな!」
そう言い右足を痛がるヤンキー。俺は真偽を確かめるために後ろに数歩下がり逃げるふりをする。すると
「おいてめぇ逃げんじゃねーよ!」
俺を捕まえようと近づき右腕を伸ばしてくる。骨が折れているはずの右足を踏み込んで…
「折れてねーじゃん!」
「待てっ逃げんじゃねー!」
いたって健康であることを確認し、踵を返し逃げる。このお金は渡すわけにはいかない。このお金は壁ドンをさせてもらうためにある。するとそれを逃すまいとヤンキーも全力で追ってくる。折れた足はどこに行ったのか…
「はっはっ...何とか巻いたか」
数分間、ヤンキーとの追いかけっこを演じ、何とか振り切ることに成功した。
「なかなか良い絵だったぞ。まさに青春というヤツだな」
その光景を見ていた女神が満足した声色で話しかけてくる。人がピンチの光景を見て喜ぶとは...この女神、実は悪魔なんじゃ…
「満足して頂けましたか...それじゃ」
どさくさに紛れて帰ろうとする。しかし
「ちょっと待て、私は忘れていないぞ。早く壁ドンを見せろ」
作戦は失敗、任務は続行となった。
「くそっ見失ったし、学校も遠い。どうしたら...」
今から急げば学校の部活動終了時刻までには間に合うかもしれない。だがもう足が動かない。絶体絶命、まさにその時
「あっあの子は」
先ほどヤンキーに絡まれ、見失った女子学生がまたもや反対側の歩道を歩いていた。そしてとある建物へと入っていった。俺はそれを確認し、信号が青になったと同時に疲労も忘れその建物へと走っていった。全てはその子に壁ドンをさせてもらうために。
「強盗だ。金をこのバッグに詰めろ」
建物の扉を開け、入室した俺を向かい入れた第一声がこれだった。何てことだ。郵便局に強盗が押し入っている場面に直面してしまった。強盗するなら銀行にしてよ。いや、銀行も駄目だけれどさ。
「早くしろ。早くしないと殺すぞ」
強盗が窓口にいた中年郵便局員にナイフを向け、金を要求する。
(ヤバッ。警察、警察を呼ばないと...)
回れ右をして外に出ようとする。しかし…
「おいお前ら、変なことを考えるな...おいそこの中学生!逃げようとするな。こっちに来い!」
強盗に見つかり止まらざるを得なくなる。俺は中学生ではない、高校生だ。だがそれを訂正することなど出来ず、言われるがまま強盗の元へ向かう。
「よし止まれ。そのまま床に伏せてろ。他の奴らも同じようにしろ」
床にうつ伏せになる。それに続き、他の利用者も床に伏せ始める。
(あのぉ女神さん。これって壁ドンどころではないんですけれど)
ダメもとで心の中で念じてみる。こっちの声は聞こえるのだろうか。するとラッキーなことに返事が返ってきた。
「確かにそうだな。これだから人間は。私の邪魔をするな」
その声には明らかな怒りの色が聞いて取れた。
(天罰とか与えられないんですか?)
「この建物ごと落雷で粉々にすることは可能だが?」
(やめてくださいお願いします)
「ではお前がどうにかしろパシリ。命令だ」
それこそ無理難題というものだ。強盗はナイフを持った成人男性。筋肉もついている。そんな相手に丸腰の15歳男子が敵うわけがない。
「安心しろ。私が少しだけ力を貸してやる」
そう言うと女神は沈黙してしまう。
(あの女神さん、どうしたんですか?)
俺が問いかけても返事がない。心配になってきたその時
「うわっ」
俺の全身が一瞬黄金色に輝きだした。幸い周囲の人間にはバレていないようだ。
自然発光?が収まり安心したのも束の間
「よし、詰め終わったな。そこの女、こっちへ来い」
強盗は1人の女性を人質にして逃げようとしているようだ。室内の左奥に伏せず立ちすくんでいた女性を見つけ命令をする。その女性とは
(あの人は確か…松岡!?)
俺と同じ高校の制服に身を包み、前髪で顔を隠している女子生徒、松岡水乃であった。だが恐怖で動けないようだ。強盗の命令にも従わずに立ちすくんでいる。だが強盗は興奮をしていて状況判断が出来ていない。痺れを切らしたのか強盗の方が松岡の方へと近づいていく。
「言うことを聞け」
「きゃっ」
強盗が近づき、大声で怒鳴り散らす。それに恐怖し、小さく体を縮こまり、悲鳴を上げる。
「クソ、聞かないならこうだ」
強盗は痺れを切らしたのかナイフを持った右腕を振り上げ松岡目掛けて振り落す。顔を狙っている。松岡はいまだ動けないようだ。周囲の人間も伏せているので動けず、ただ見ているだけ。
「くそ」
俺が動くしかない。だが部屋中央に伏せている俺から強盗と松岡まで距離は10メートル。そこから起き上がり、箸って言っても間に合わない、普通なら。
だが今の俺は普通ではない。先ほど一瞬体が光ったのは女神が力を貸してくれたかららしい。女神の思考が頭を瞬時に走った。
「今のお前は通常の100倍くらいは身体能力が上がっているはずだ。だから早くそんな些細なことは解決してアレを私に見せろ」
こんな時までパシリな俺。だが今は感謝する。力を貸してくれてありがとう。
起き上がりと同時に右足に力を込めて走りだすつもりだった。だがその1歩で事足りた。俺は誰にも見えないスピードで松岡と強盗の間に割り込み
ドォーン
すさまじい破壊音が室内に響く。俺は松岡と強盗の間に割り込み、松岡には俺の顔側を、強盗に背中を見せた。突如自分の視界に入りこんだ俺に驚く強盗だがそのまま振り上げたナイフを俺の肩目掛けて振り下ろす。
キーン カランカラン
室内には肉を切り裂く音ではなく、金属音が鳴り響いた。
「なんでナイフが折れているんだ!?」
強盗の言葉通り、ナイフは俺を切り裂くことなく、逆にナイフを折っていた。強盗が驚愕して後ずさるのがわかる。その強盗がひるんだ隙を見逃さず、周囲にいた男性がすぐさま強盗を取り押さえる。とりあえずそちらは大丈夫そうだ。それよりも今は
(これでいいよな女神さん)
先ほどのすさまじい破壊音の正体。それは俺が出したものだ。両手を松岡の顔を挟む形で壁へ突き出すことで。勢い余って壁に腕をめり込ませてしまったが。
「ふむ、これが壁ドンか。本物は壁に腕をめり込ませるほど力を込めるとは恐れ入った。褒めて遣わす」
ちょっと違うんだけれどまぁいいか。命は助かったみたいだし。松岡も俺も。
安心した俺は見下ろす。そこには松岡の顔が…
「あっ」
俺は驚いて声を出してしまった。だって今の松岡は...
「あの、ありがとうございます。助けてもらって」
「いや、無事でよかった。それじゃ」
そう言って神から授かった力でその場から全速力で立ち去った。
しばらくして郵便局には警察がやってきた。それを見届けて帰路に着く。俺の胸はいまだにドキドキしている。もちろん人生初めて強盗に遭遇したことも原因であるが
「松岡、髪を分けたらめっちゃ可愛かったな」
そう、いつもは前髪が長すぎて表情が見えなかった松岡だが、今回は緊張してなのか汗をかいていて、髪が濡れていた。そのせいで前髪が分けられ、顔が見えた。素顔はめちゃくちゃ可愛かった。木下ゴメン。疑ったりして。
そして帰宅して眠りにつく。
「帰ったかパシリ。なかなかの壁ドンだったぞ」
今度は直接褒めてくる女神。俺も悪い気はしない。なぜなら
「いやいや。感謝するのは俺の方ですよ女神さん。あんな可愛い子と話が出来たなんて。今回のことでもっと仲良くなれそうです」
下心丸出しな俺。どうやら寝ているのにドーパミンが出まくっているらしい。普段では考えられないようなことを口にする。よくこんな状態で寝られたなと思うが、これはもちろん女神の鉄拳によるものだ。
「何を言っている」
女神は何が何だかわからないというような顔をする。
「何って女神さんのおかげで松岡さんと仲良くなれそうだってことですよ」
いまだにテンションがおかしい。そんな俺に非常な宣告が下される。
「だから何を言っているんだ。思い出してみろ。あんパンや牛乳を」
「あんパンや牛乳?あの味がなくなったやつですか?」
いきなり味がしなくなった食べ物の話をしだす女神。はっきり言って意味がわからない。
「お前ってヤツは…いいか、食べ物にとって味は本質そのものだといっていい。それを抜き出すことで私はそれを味わっていると言える。漫画も同じだ。絵という漫画の本質を取ることで漫画を楽しんだ。ならば今回の壁ドンは」
そこまで聞いて俺は言いたいことにたどり着いた。つまり
「松岡さんの記憶を抜き取った?」
「ご名答。あの女のお前に助けられたという記憶を抜き取らせてもらった。なかなか甘い味だったぞ。まさに胸きゅんだな。壁ドンは」
そう言って口端を吊り上げて笑う女神。
「あんた悪魔か」
俺の怒りはマックスだ。期待して裏切られるとこんな味がするのか、血の味だ。
「女神だパシリ。また何かあったら呼ぶからな。今度からは勝手に来るなよ」
「まだ話は終わってな」
言い終わる前に鉄拳が下された。
「知ってるかん赤矢、昨日近所の郵便局で強盗があったんだってん」
興奮気味で俺に話しかけてきたのはクラスメイトの木下光太郎。
「知ってるよ」
「そうかん。じゃぁその現場に松岡がいたのは?」
ピクッ
俺の体が震える。別に知らなかったわけではない。その現場に俺もいたのだから。
「知らないよね。びっくりだよねん」
「そうだな」
今日1日過ごして改めて理解した。松岡は昨日の事、いいや正確には俺と会ったことを覚えていない。覚えていたら何らかアクションがあるはずだ。それがないってことはそう言うことだ。
「あれ、泣いているのん、赤矢」
「泣いてない」
そんな騒がしい教室の中、物思いにふける少女が1人
(昨日私を助けてくれた人、結局誰だったんだろう。コンタクト落としちゃったから分からなかったな。制服はうちの高校だったんだけれど)
「くっく。あのパシリ、騙されてやんの。私は直接見ていたんだから記憶を引き抜く必要もないし」
意地の悪い女神は口の端を吊り上げ笑いながら少女漫画を読み始める。
これから投稿済みの作品を大幅改正していこうと思います。すでに読んでくださっていた方申し訳ありません...