1、『模範囚』
「三鬼 流君、面会の方がみえている。手早く支度を済ませて面会室にいくよ。」
刑務官の言葉に一瞬戸惑いつつも流は首を縦に振って答え、ボサボサの髪を他人が不快に思わない程度に整えてから刑務官に伴われて面会室に向かった。
流がこの刑務所に収監されてから5年。血の繋がった家族はなく、親戚とも疎遠な彼に面会に来るものなど一人も居なかった。
(いったい誰だろう? もしかしてまた刑期が伸びたのかな)
面会に来たのは誰なのか、気にならないことはなかったが流にとってはどうでも良かった。ここはしっかり三食食べられるし、外の世界は戦争をしている。自分にはこの刑務所での暮らしが合っているのだと彼は思っていた。そしてそれ以上に自分が外の世界に出るべきではないと思っていたのかもしれない。
コンクリート壁の細い通路を進むと面会室と書かれたプレートを貼られたドアの前についた。
「入りなさい。面会時間は10分だ。私は中にはいらないけど、監視カメラがあることは忘れずにね。」
「いまさら脱獄なんてしませんよ。模範囚ですからね、俺は」
流が面会室に入ると中には狭い部屋を半分に仕切るように作られた透明な壁があった。壁の自分側には簡素なパイプ椅子、反対側には女性が座っていた。
目付きが鋭く落ち着いた雰囲気で大人びて見えるが、恐らく年齢は20代前半。黒髪を背中まで伸ばしたストレートヘア。黒いスカートスーツに黒のネクタイ、スカートのしたから見える脚もまた黒いタイツで覆われていた。黒い革手袋をつけた手には何か書類らしきものを持っている。
これでもかというほどの黒ずくめ。刑務所の面会には喪服で来るのが常識なのだろうかと流は一瞬考えたが、恐らくそんな常識は存在しない。きっと彼女の趣味なんだと思うことでとりあえず納得して流はパイプ椅子に腰を下ろした。
面会に来た女性は席についた流の姿を頭からつま先まで鋭い視線で見渡すと、ニヤリと不敵に微笑んでから口を開いた。
「三鬼流、現在25歳。孤児院で出身で15歳のときに三鬼家に引き取られ何不自由なく暮らす、か。高校を卒業後、GG社の部品工場に就職。――ここまではどこにでも居る"凡人"だな。しかし、20歳の誕生日に義父、義母を自宅で殺害。その後帰宅してきた夫妻の実子であり自分にとっては妹にあたる少女の首を絞め殺害しようとしているところを駆けつけた警官に取り押さえられる。殺害動機は本人黙秘のため不明…… なかなかイカれてるな、お前。」
彼女は手元の書類を見ながら自らの名前を名乗ることもなく、挨拶さえもせずに流の口にし難い過去を確認するように読み上げた。
忘れようとしても忘れることのできない自分の罪を、初対面の女性に改めて説明された流は上手く言葉を発することができない。
(なんだこの女、今更そんな話を俺に聞かせてなんになるっていうんだ)
流が動揺している間にも彼女の話は続く。
「あまり時間もないので単刀直入に要件を伝えよう。お前にはこれから脱獄してもらう。と言ってもお前は黙って私に着いてきてくれればいいんだ。手筈は整えてあるからな。では支度をしようか」
言いたいことを言い終えて座席から立ち上がろうとする彼女を制止するように、今度は流が口を開いた。
「あんたは誰なんだ?」
他にも聞きたいことは山ほどあったが、まずは基本的な質問を投げかけた。
「詳しい話は外に出てからだ。依頼人から今日中にお前を連れてくるように言われているんでな」
彼女には流の質問に答える気はさらさら無いようだ。
そんな彼女の態度に少し苛立った流は少し語気を強めて話を続けた。
「俺は脱獄したいなんて言ったことはない。それに、知らないのか? この部屋は監視されているんだぞ。」
流の言った通りこの小さな面会室には集音マイク付きの監視カメラが設置されている。この室内での行動や会話は全て別室の刑務官に筒抜けになっているはずだ。
「そろそろ刑務官が駆け付けるころじゃないか? あんな大声で脱獄の話なんてしやがって、俺は模範囚だって評判なんだぞ。刑務官達ともそれなりに上手くやってるのに、お前のせいで刑務所の居心地が悪くなったらどするんだ。」
まるで刑務所での生活が全てとでも言いたげな流を見て彼女はとても大きく深いため息をついた。
「奴隷、いや、家畜か」
流に聞き取れるかどうかの小さな声でつぶやいた後、おもむろに右手にはめていた黒い革手袋を外すと、スゥと息をしてから拳を固く握りしめた。
「しばらく寝ていろ、模範囚君」
言い終えると同時に彼女は強化ガラスの壁に向かって拳を突き出す。拳が壁にめり込んだかと思うと、瞬きをする間もないほど一瞬のうちに強化ガラスは粉々に砕け、二つに隔てられていた空間に巨大な風穴が開いた。
流は強化ガラスが弾けた衝撃で真後ろに吹き飛ばされた。それと同時にビーズのように細かく粉砕されたガラス片が容赦なく流の体にめり込む。まるで正面から散弾銃を撃ち込まれたような無残な姿でぐったりと横たわり、そのまま気を失ってしまった。
「すまんな、ガラスが飛び散る事を考慮していなかった。」
彼女は言葉とは裏腹に悪びれることは一切無く、流の意識が無いことを承知の上で声をかけた。そして気を失っている流の体を片手でひょいと持ち上げて、雑に小脇に抱えて面会室の出入り口に向き直った。
歩き始めながら流を抱えているのとは反対の手で胸元の内ポケットから小型の通信機をとりだすと、
「涼子だ、保護対象を確保した。とりあえず医療キットの用意をしておいてくれ。 ……いや、私は無傷だ」