女神の温泉
“女神の温泉”という噂がある。そこは女神が休みに降り立つと言われている場所だ。君は信じないかもしれないが、私はとある温泉で、女神を見たのだ。
都会のN市から車で二時間ほどかけて行った山奥に、秘境の温泉がある。宿はなく、山の中にぽつんと温泉が湧いているような場所で、ガイドブックにもまず載らない。格段景色がいいとかそういう訳でもないので、私もそのときは場所を知らなかった。ただ、その日は川で魚釣りをしていたがどうにもアタリがなく、諦めて帰ろうとした。しかしその途中で道に迷ってしまい、歩き回るうちに例の温泉にたどり着いたのだ。
それは道に迷って歩き疲れたころだった。確か、日もすっかり暮れていたように思う。ふと見上げると、立ち上る湯気が見えた。何の当てもなかった私は、せめて場所がわかるかもしれないと、その湯気を目指した。近づくにつれ、人の声が聞こえてきた。もしかしたら道が聞けるかもしれないと希望を持ち、さらに近づいた。
茂みをかき分けるうちに、木々の間から湯気の正体が見えた。岩がくりぬかれた場所に溜まった、温泉だ。そこに数人の人影があった。一人はこれといって特徴のない普通の男性で、服装もそこまで華美ではなかった。しかし彼に寄り添っていたのは、どちらも美しい女性だった。いや、どことなく普通でなかった、と言うべきだろうか。一人は黄金色の髪を腰まで伸ばした女性で、青と橙のワンピース調の衣服を纏い、男性ならば思わず見とれてしまう体つきをしていた。もう一人は同じくらいに伸ばした茶髪の女性で、露出の高い服が出るところの出た体型をさらに扇情的なものにしていた。その茶髪の女性の方は、どういうわけか顔の左側を包帯で覆っていた。
ここまでならただの美しい女性ということになろうが、彼女らは人間にない特徴を持っていた。どちらもふさふさとした紫色の尻尾を持っていたのだ。感情に合わせて動いていたようだから、おそらく本物だったのだろう。よくよく観察すると、髪の毛の合間からのぞく耳も、人の物ではなかったように思う。
どうも信じていないようだな。まあ仕方がない。私もその時は目の前の光景が信じられなかった。温泉も彼らの存在も、蜃気楼か何かではないかと疑った。だから休めるなどとは微塵も思わず、つい隠れて様子をうかがってしまった。
彼女らはどちらも、男性を「マスター」と呼び親しんでいた。特に金髪の女性の方は、温泉に来たことが相当嬉しかったらしい。男性を引っ張り、温泉に入るよう進めていた。あまりにも当然のように服を脱ごうとするから、私も興奮より先に驚きを覚えてしまうほどだった。
一方で、茶髪の女性の方は大人しかった。胸を張って先導する金髪の女性を止め、困っていた男性を解放するように言っていた。他方が明るかったからか、比較的落ち着いているように見えた。
結局、彼らは足湯程度に浸かることにしたようだった。男性が縁に座り、茶髪の方がその隣に座り、金髪の方がざぶざぶと奥まで歩いた。だから残念ながら、私は想像していたような女性の入浴シーンは拝めなかったのだ。いや、そんなことは今はどうでもいい。
彼らが温泉に浸かってしばらくしたときのことだ。二人の女性の体に、変化が起き始めた。どちらも光を――空に現れた真円の月の光を受け、輝きだしたのだ。金髪はさらに明るいクリーム色となり、尻尾は二本に増えて真白に輝いた。胸の膨らみはさらに大きくなり、腕や足に獣毛が生えそろい、額に虹色の宝石が光を宿した。もう一人は濃い茶髪に変わり、髪型も二つに分かれた、いわゆるツインテールになった。尻尾は細く猫のようになり、黒く光を吸い取っていた。そして何故か、膨らみを誇っていた胸元は小さくなだらかになってしまった。
その変容は、彼女らが尋常ならざる存在であることの証だった。何より月が出るくらいだから日もすっかり沈んでいたというのに、彼女らの周りだけ何故か明るかった。だから私は、彼女らは女神ではないかと、そう思っている。
できすぎた作り話に思えるか? 疑うのなら君もそこにいってみるといい――と言いたいところだが、あいにく私は場所がわからない。何せ道に迷った末にたどり着いた場所の上に、帰りも道順を覚えるどころではなかっったからだ。というのも、こちらに気付いた彼女らに、特に金髪の方に殺されそうになって、命からがら逃げてきたのだから。
矢部ケータさんから「女神で温泉シチュ」(女神ズでもそれ以外でも)でした。
せっかくなのでビリィヴさんとメランコリィさんをお借りしました! ちなみに男性の方は……もうおわかりですね?